3 到着
個室が三つある、どこにでもある女子トイレだった。急いで用を済ませた千尋は、手を洗いながら、鏡に映った自分の顔に
髪もボサボサ。もともと少し茶髪気味で一度も染めたことがないせいか、傷んでいないのが自慢ではあるが、今日は緩くうねった毛先が鎖骨の辺りで好き放題に散らばっている。
昨晩は予想外に盛り上がってしまい、三次会の後カラオケに行って、そのまま「朝までコース」だった。思えば一年の頃は
今朝は始発で帰って二時間ほど眠ったが、午前中からバイトがあった。そのバイト先で休憩時間に着信記録を見付けて折り返してみれば、警察からの呼び出し。
着の身着のままとは言わないが、何とかシフトを引き継いでもらって抜け出し、急いで自宅に戻って最低限のものを詰めるのが精一杯だった。護衛が付くのが一体いつまでになるのか、予定は未定、と言われている。大学の夏休み中だからまだいいようなものの……。
と、その時、勢いよくドアが開いた。
「五分
と
「あ、はい、すみません」
(ていうか普通、女子トイレ開ける?)
慌ててバッグを手に追いかける。浅葉はジャケットに
(そりゃ、パトカーじゃ目立っちゃうもんね)
浅葉は振り向きもせず運転席に乗り込む。千尋は、怒られてはかなわないと、急いで後部左側から乗り、助手席の後ろに座った。運転も荒っぽいのだろうかと身を縮めていると、車は滑るようにいつの間にか発進していた。
(機嫌が悪いってわけじゃないみたいね……)
千尋は諦めにも似た気分で、おとなしく車に揺られることにした。
三十分後、車は速度を落とし、住宅街を走っていた。
(あれ? ここ、さっき……)
同じごみ捨て場をちょっと前に見たような気がした。
(まさか迷ったわけでもないだろうけど)
間もなく、車が端に寄って
(何もご指示はないけど、私も降りろってことね、当然)
ドアを開け、どうせこの人はまたさっさと行ってしまったのだろうと思いつつ歩道に降り立つと、目の前にその姿があった。しかしその目は千尋を見ずに、周囲を見回していた。
「いいか、よく聞け」
「はい」
「ここから四分歩く」
(四分って……
「俺から離れるな」
「えっ?」
真剣な目だった。
「一歩以上遅れるな。行くぞ」
(えっ、ちょっと……)
千尋が事態を飲み込めないうちに浅葉はもう歩き出している。千尋は必死で後を追った。
付いていくのがやっとで、どこをどう通ったか定かでない。何となく人通りが少ない場所のようだった。着いたところは、三階建てのアパート風の建物。かなり年季は入っているが、ボロいというほどではない。階段で二階に上がる。中ほどの部屋の前で浅葉は足を止め、鍵を出してドアを開けた。
中に入ると、すぐ左手にバスルームらしきドア。一つしかないところを見ると、洗面台とバス、トイレが一緒になっているのだろう。その向かいの
左手の壁沿いにベッドが置かれ、右手には簡素なデスクと椅子。椅子を下げたらベッドに当たる距離だ。デスクの隣に冷蔵庫、小さなテーブルの上に電子レンジ、その向こうにテレビがあった。窓にはカーテンが引かれている。
浅葉はその
「あの……」
「何だ」
特に迷惑がっている風でもないが、少なくとも愛想を振りまく気はないらしい。
「ちょっと寝てもいいですか?」
昨日の徹夜が響いていた。浅葉は、手を止めるでも視線を寄こすでもなく、自分の作業を続けながら淡々と言う。
「好きにしろ」
「あの……」
「何だ」
「ベッドが一つしか……」
「それはお前のだ」
(お前呼ばわり……)
こうなったらこっちもいちいち気を
「そうですか。じゃあ好きにします」
とベッドカバーをめくったが、何かがおかしい。よく見ると、ベッドは窓側を頭にして置いてあるのに、枕は壁側、つまり足元に置かれているのだった。まあホテルじゃないから間違いぐらいあるか、と枕を頭側にぽんと放ると、浅葉の鋭い眼光が突き刺さる。
「頭が壁、足が窓だ」
「はい、すみません」
いちいち怒られるから早く寝てしまおう、と布団に潜り込む。意外にも寝具は新しく用意されたもののようで、洗い立ての香りがした。千尋は一分とかからず眠りに落ちていた。
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