9話 約定(4)

 出立の準備は、予定通り、会議から一時間以内―――午後四時には出来上がった。

「よいっしょっと……」

 イライナは荷物を引きずりながら、支部の出入り口の門に停められているキャンピングカーに到着した。


「おい、準備、しっかりと一時間以内に済ませたぞ」

 鼻息荒く告げてみるが、

「え、あの、いやいやいや」

待っていた雪路は目をひん剥いて、イライナが引きずって来た荷物を見ている。アデルはやや呆れた様子でため息を吐いている。見慣れた様子だ。


「……荷物、多すぎだろ!何コレ、何が入ってんの、こんなに!」

 特大のキャリーバック四つ分、更にキャリーケース二つという大荷物を抱えるイライナに、雪路が喚いた。

「何って、着替えに武器に、化粧品に着替えに、日用品に着替え」

「着替え、多くない?」

「いや、年頃の女の子はお洒落したいものだろう。妹がそうだから」

「……妹……か……」

 イライナの大量の荷物を平然と受け止めていたアデルは、死んだ魚のような目で呟いている。

 何か思い出してしまったらしい。「コハクは元気かな」などと零している。

 重症。


「だからってこんなにいらないでしょ!邪魔なだけだろ、こんなん!」

一方の雪路は程度の低い文句を連ねている。

「ならば、そのなんでも入るポシェットに入れてくれ」

「図々しい女だな……!」

 ぎりり、と歯ぎしりをして雪路は苛立った様子で前髪をかき上げる。普段は前髪で隠れてあまり見えていない左目が顕わになる。僅かに右目と色合いの違う、やや青の濃い左目だ。


「お前の物を入れてやるスペースなんてないよ。とっとと荷物減らせよ。特に服!なんでドレスなんて入ってんのさ!」

 雪路はイライナの荷物をさっさと掴んで引っ張り出し、ドレスなどの服をどんどんと外に放り出していく。

「あ、ちょっと、それは駄目だ!パーティー用のドレス!」

「知るか!旅するのになんでパーティー用のドレスが必要になんのさ!うわ、水着も四枚……いい生地使ってんな、これ」

「男が女の水着に触るんじゃない!変態!」

「いた、痛い痛い!蹴るな蹴るな、この乱暴女!」

 雪路が更にイライナの水着を掴んでいるので、イライナは顔を真っ赤にして雪路を足蹴する。


「……仲が良さそうで何よりです」

「きゃ!ろ、ロットナー少尉!」


 いつの間にか背後にいたロットナー少尉に驚き、小さく悲鳴を上げた後に、慌ててイライナは敬礼をする。

「まあ、旅を共にするならば、ある程度仲が良い方がいいのでしょうが」

「べ、別に仲は良くないですよ!」

「ですが、心配なのは男と女性が一緒に旅するということですかね」

 ロットナー少尉はつらつらと話を続けていく。相変わらず人の話を聞かない。

「エベンスロ二等精霊術士も、年頃の女性。どちらかが襲わなければいいのですが……ところで、精霊は男女の性別は存在するのですか?」

 話がコロコロと変わっていく。


「あるぞ。俺はしっかりと男だ。だが、別に女に興味はない」

 はっきりと答えるアデルに、

「それ、生殖機能は持っていない、ということですか?」

はっきりと恥ずかしい言葉を口に出すロットナー少尉。アデルが目を丸くする。みるみるうちに耳を赤く火照らせ、怒鳴る。

「ば、な、こういう場で言うものじゃねえだろ、何を考えてんだ!」

「いや、興味があったので。ここでしっかりと聞いておかなければと思っただけです」

「女としての羞恥がねえのか!」

「羞恥よりも好奇心の方が強いと自覚しておりますので」

「あー、いるいる。そういう人間。たまに見る」

 焦るアデルに対して、どこまでも平常心のロットナー少尉。雪路は呆れた様子でかくかくと頷いている。


「そういう貴女は?アポストロは、生殖機能はあるのですか?」

「あるヤツもいる。実際何人か子供作っていたけど」

「成程。子供が作れるのですね。人間とそこは一緒なのですね」

 相槌を打つロットナー少尉の顔はまだ真顔が崩れない。なぜこんな話を旅立ちの直前でやっているのか、イライナは頭を抱える。

「まあ、赤ん坊は皆死んでしまうから、途中から作ることを止めたけど」

 唐突な暴露に、イライナは息が詰まるのを感じる。


 赤ん坊が死ぬ、という言葉は。なんだかとても、それだけで重い。

「……死んでしまう……のですか?」

 ロットナー少尉の表情もさすがに動く。空気が沈む。それなのに、雪路はいつもの調子で続ける。

「そう。死んじゃう。生まれた子供が死んで化け物になる呪いをアポストロにかけたんだ」

「……神様が……?」

「そう。親になれば、誰だって情が少なからず湧くし、愛情は子供に注がれる。けどね、自分に注がれるべきアポストロの愛情が、他に向くことに神様は嫉妬したんだ。ロクなもんじゃないでしょ」

 他人事のように雪路は言う。


「だからもしかしたら、恋愛できない腹いせに、神様に反乱してやろう、とか思った奴が今回の首謀者だったりしてね」

「いや、そんなバカな」

 イライナは笑う。そんな碌でもない理由で人間を殺して殺しまくって、沢山の人間を不幸にしていい筈がない。もしもそんな理由で人間を殺していたら―――本当にイライナは、アポストロに憎しみしか持てなくなりそうだ。


「―――イライナ・エベンスロ二等精霊術士」

「はははは、はい!」

 突然聞き覚えのある声がして、イライナは慌てて立ち上がって声の主を目で確認するよりも先に敬礼をした。

 キースリング少将に、偉い人がずらり。その中にサフィールの姿を見つけて、イライナはぐっと息を呑んだ。更に後ろの方にはメリアやクレト、ジークハルトに至っては「イライナ様~」などとへにゃりとした笑みを浮かべながら手を振っている。

そういえば、ジークハルトの姿は随分久々に見るような気がする。アポストロとの闘いの時には、彼はどこにも見当たらなかった。


「あまり気張るな、というのは、あまりに無茶な注文だろう。しかし、無理をせず、体に気を付けて、後食事はちゃんと摂って、」

「孫を心配するお爺ちゃんみたいな台詞だね」

 雪路が率直な感想を述べる。キースリング少将は硬直し、小さく唸り声を上げ、

「……あまり喋るのは得意ではなくてな」

「人には得意不得意があるからねぇ。そんなに落ち込むなよ」

落ち込んだ彼を励ます雪路に、キースリング少将は尋ねる。

「ほう。君にも苦手なものがあるのかな?」

 雪路は首を傾げ、数秒黙ってから、

「色恋沙汰」

真顔で答えた。その場の全員の呼吸の音が止まったのを、確かにイライナは聞いていた。当然イライナの呼吸も止まった。


 とても興味がなさそうなのに色恋沙汰。

 子供の見た目で色恋沙汰。

 色恋沙汰が苦手とは一体どのような意味だ。え、恋?アポストロが恋?

 だが、子供を作れる種族であるのならば、別に珍しいことでもないかもしれない。けれど、だけど。


「なんで全員して目を丸くして固まっているんだよ。なんだか言った僕が恥ずかしくなってくるじゃないか」

 雪路は全く恥ずかくなさそうに、ぶぅっと唇を尖らせる。

「因みになぜ色恋沙汰が苦手なのです?」


 少し固まっていたがすぐに正気に戻ったロットナー少尉が、ずけずけと尋ねる。この人の図太さは何処から来ているのだろうか。

「そんなの、色恋は人の人生や人格全てを歪ませる力を持っているからさ。果ては、本来ならばもっと生きられた筈の奴の命が消え去ることになる。それが嫌で嫌で仕方が無い」

「……まさか、経験がある、ということでしょうか?」

「経験しているから苦手になったんだってば」

「え、お前、マジか」

「意外そうに言うなよ、アデル。こう見えても僕、一万歳は確実に越えているのだから、色恋の一つくらいあるよ」

 やれやれと肩を落とし、雪路は大きく背伸びをする。


「さぁて、さてさて、そんじゃま、豪勢な御見送りをしてもらえるみたいだし、とっとと行きますか」

 そうして雪路が車の方へと足先を向けた矢先、イライナはその背中を引き留めるように、思わず問いかけていた。

「それはもしかして―――人間だったの?」

 雪路の足が止まる。小さくため息が聞こえてきた。それから、雪路は振り返る。

 懐かしむように、眩しい光を見るように、目を細めて薄く、優しく笑っていた。

「優しい子だったよ」

 人間のように。


 敵だ。

 人の形をしているだけだ。

 だから殺していいのだ。


 サフィール・ノイシェ少尉の理論がイライナの脳内で蘇る。

 人の形をした、人以外のものだから、殺して良いと。

 殺人にはならないと。

 アポストロだから殺して良いと。

 彼女はそう言った。

―――ああ、けど、それは。

 桜江雪路という一個人のヒトを指しての言葉ではない。


 イライナは腰から拳銃を引き抜いた。そのまま踵を返してサフィールに拳銃を押し付ける。突然のイライナの行動に驚いたのか、サフィールは思わず拳銃を受け取っていた。慌ててイライナはサフィールから離れ、大声で叫ぶ。


「護身用にいただいた拳銃、やはり勿体ないのでお返しします!」

 返事は聞かず、足早に雪路の横を通り抜ける。アデルの横も通り抜ける。二人とも目を丸くしてイライナを見ていたことには気づいていたが、俯いて気づかないふりをしていた。


 後ろめたかった。

 彼が人の形をしているだけの化け物だとしても。

 人を恋して恋されて、気まぐれで助けようとしてくれて、子供みたいに喚いている姿を見たら、誰だって。

 情が湧く。

 その情を、イライナは決して振り払えなかった。

 けれども一度、情を無視して雪路を殺すことを受け入れようとしていた自分が居た。

 そんなもの、アポストロ以下だ。少なくとも、桜江雪路以下だ。彼は人への情によって、人を助けようとしてくれていたのに。忠告もしてくれたのに。

 人間の敵であるアポストロ。それ以下の畜生にはなりたくない。


「待て!」

 サフィールが必死に呼び止める声がする。彼女は目を赤く染め上げて、半ば怒ったような甲高い声を上げた。

「この銃はお前のためのものだぞ!分かっているのか、イライナ・エベンスロ二等精霊術士!私からの心遣いを捨てるのか!」

 怒鳴っている。イライナは反射的に体を震わせる。

 幼馴染が死んだときに、精霊術士になると誓った後、付きっ切りの指導をして僅か一年でイライナを精霊術士の試験合格まで引き上げてくれた、サフィール・ノイシェは、イライナにとっては確かに恩人だった。


 自分が強くなれたのも。

 剣を覚えられたのも。

 全て、全て。


「で、それが何なの?」

 雪路がかくりと首を傾げて尋ねる。

「師匠であるならば、弟子の独り立ちの兆しを素直に喜んでやればいいのに。独占欲が強いね、ホント」

 薄く嗤う。嘲るように嗤ったその表情の冷たさに、イライナの息は止まる。雪路は仰々しくため息を吐いた。


「別に心配しなくてもいいよ。イライナ・エベンスロは殺さないし、死なせない。僕がそうさせない」

 雪路は、普段通りの口調で告げる。

「これは僕の約定だ。こちらの用事が終わるまで、イライナ・エベンスロは僕が守る。もし彼女が死んだら、僕も死ぬ。そういう約定だよ」

「えっ……!」


 イライナは驚きの声を上げた。

 イライナが死ぬと雪路も死ぬ。

 それは、自決するというだろうか。何が起こるというのだろうか。

ただ、そんな簡単に自分の命を賭けていいものだろうか。命はそんな軽いものだろうか。

 いや、彼にとっては―――アポストロにとっては命とは軽いものなのかもしれない。平気で人を殺せる。殺すことに何の抵抗も見せず、嗤いながら、残酷に殺せる。消し飛ばせる。

 しかしまだ、イライナは雪路が人を殺すところを見たことが無い。だから彼が命をどう思っているのか、なんとも分からない。


 そして。

 サフィールの口元が吊り上がった。喜びの感情が心から溢れかえった結果の笑みだった。瞬時にサフィールは拳銃を前方、イライナへと向ける。迷いなく引き金を引く。

 銃声が一発、轟いた。けれど、イライナの体に銃弾は当たっていない。からり、と乾いた音と共に空薬莢が地面に落ちた。その延長戦に立つ、雪路の足元に小さな金属音を立てて転がる、真っ二つに分断された銃弾があった。


「……え……」

 それを見たサフィールが凍った。当然、イライナも。

 銃弾を二つに斬った。その手に握った剣で。こんな事、あり得るのか。少なくとも、人間技ではない。

(いやいや、そもそも人間じゃなかった)

 イライナは思考を改めるために首を振った。


「何発でも撃ってこい、人間。全て撃ち落とした後に、貴様の首と体を分断してやる」

 雪路は静かに言った。特に感情はこもっていない。ただ、全て本気の言葉であることは、彼の全身から僅かに漏れる圧力のようなもので確信させられる。

 彼はその気になれば、平然と人間と殺せる人物だ。


「いや、そんな、馬鹿な……、剣で銃弾をっ……!」

 サフィールは再び引き金を引こうとしたが―――銃弾は銃口から飛び出さない。指先が小刻みに震えていたが、引き金を引く前に制止していたからだ。サフィールは息を詰めている。背後に集まる、同じ人間たちの視線が冷たいことに気付いたのだ。


 特に、キースリング少将の視線は刃のように鋭い。つい先ほどまでとぼけたように話していた人物とは思えないほどに。

「じゃ、そろそろ行くわ」

 雪路は肩を竦めて軽く手を振って、さっさと車の中に入って行く。アデルはつまらなそうに欠伸をして、運転席に着く。


「おい、行くぞ!」

 車の入口で棒立ちになっていたイライナに、アデルが声を掛けた。イライナは小さく頷いて、深くサフィールに頭を下げた。

 声は出なかった。

 それしかできなかった。


************


「いやー、それにしても本当に迷いなくイライナを狙うとはね」

「外道だ、外道。そういう臭いがする」

 第十四区から出てしばらくして。

 ずっと黙っていた雪路が突然口を開いたかと思ったら、けらけらと笑いながらこの話題を引き出してきた。アデルは眉間に皺を寄せて、大層不快そうに言う。


「上司とは部下を護るものだろう。なんだ、アイツは」

「まさに人間の醜い部分を強調したかのような性格だね。直情的だからとても分かり易くて思った通りの行動を起こしてくれるけど……」

 そこまで言ってから、雪路はずっとキャンピングカーの中に設置された小型のベッドの上で押し黙っているイライナを見る。


「もしかして、人に裏切られるのは初めてだった?」

「……」

 イライナはぐっと息を詰めた。

 初めてでも初めてでなくとも、どちらにせよショックであったことには変わりない。自分に剣を教えてくれた上司であり師匠があっさりと、イライナに銃口を向けたのだから。しかも、嗤っていた。

 けれど弱音を吐くのはなんだかとても不本意なので、質問をし返す。


「お前は良かったのか?その、約定……だったか?私が死んだらお前も死ぬんだぞ?」

「え?いや、僕は死なないよ。死の概念を持っていないから」

「………………はい?」


 ワケが分からず、イライナはたっぷり雪路の言葉を考えて、それでも分からなかった。

「……あ、と、ええとね。つまり、不死だよ、僕は。だからお前が死んでも殺されても僕は死なない。寧ろ、僕の強さはある程度証明したから、これで僕を直接狙うよりも、お前を狙う方が楽だと考える輩もいるんじゃないかな?」

 は?

「僕は人間の襲撃に一々マナを使わずに済む。楽できる。我ながら素晴らしいアイディアを思いついたものだ」

 わはは、と雪路は満足げに笑う。

 詰まる所、イライナは現状、「アポストロを殺したい」奴らの囮にされたということか。


「ふ、ふ、ふざけるな!この糞チビがぁあああああ!」

 怒りに叫んだイライナは、今すぐに、雪路の首を絞めたくてたまらなくなった。

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