phase2「特訓だ!」

 向き合うしかない、と穹は決意を固めていた。向き合うしかない。自分の大の苦手分野である運動と。


 アンカーを頑張ろうと決めた。役割を与えられたのなら、何よりも他者が自分に期待をしているのなら、応えなくては失礼というもの。何よりも、穹が役割を全うし、期待に応えたいと望んでいた。


 大嫌いな運動のおかげで、自分という透明人間の境遇が変わってきているのだ。今日も、自分は透明人間ではなかった。色んな人からたくさん話しかけられた。


 教室で、空虚さを覚えない時間を味わえる日が来るとは思っていなかった。


 誰かが自分を見えている事実にまだ慣れず、戸惑いのほうが多い。けれど、その戸惑いも間違いなく減ってきていた。

 代わりに、空っぽな感覚しかなかった自分の体の中が、ぽかぽかと温かいもので満たされていく。


 期待に応えたい。役割を全うしたい。それが、自分に今一番できることだと思っていた。


 だから、避けていた運動にも、向き合う覚悟が芽生えた。

 しかしどうしたものか。何をするのが良いのか。


 やはり歩いたり走ったりするのがいいか。例えば、今いる裏山をひたすら長い距離歩き回るとか。

 が、それでいいのか。もっと手っ取り早く体力が上がる方法は無いのか。

 色々考えながら、穹は木に寄りかかった。


「ソラ、あんた大変なことになってんだってな」

「えっ?」


 穹は顔を上げ、弓を構えたクラーレを見た。


「ミヅキとミライから聞いたぞ。リレーのアンカーの話」


 合点がいった。二人とも話すのが早い、と肩を落としそうになる。直後、高い弓の鳴る音が山中に響いた。


 弓をつがえたクラーレが、目を凝らして遠くを見る。木で出来た的に当たった弓矢を確認し、弓筒からもう一本矢を取り出した。


「嫌なこと、押しつけられたんだろ? ……無理すんなよ。なんだったら俺が代わりに断りに行ってやるからな。必要と言えば今からでも行くぞ、どうだ」

「いやいや大丈夫ですから! クラーレさんにもしものことがあったら大変ですから!」


 声色が本気極まりなく、放っておいたらそのまま乗り込んでいきそうだった。冗談で言ってないとすぐ伝わり、冷や汗が流れた。

 地球人離れした容姿のクラーレが学校に乗り込んだら騒ぎになりそうだと冷や汗が流れた。


「それに、大変ではないです。頑張ろうって思いましたから」


 あの場所で得ていた自分の透明さが、徐々に失われていっているのだ。皆が自分に話しかけ、皆が自分のような者に期待の目を向けている。

 そのことが、純粋に嬉しかった。


 また弓が引かれた。矢は一直線に、やや遠くにある的の、中央に突き刺さった。クラーレが軽く舌打ちした。


「あーくそ。弓軽いと威力落ちるが軽くしないと引けないんだよな」

「す、凄い命中率ですね……!」

「いや、威力が無きゃなんの意味もねえ。……あんたらの役に立てないだろ」


 クラーレは頭を掻きながら、背に背負っていた弓筒を地面に下ろした。遠くに備え付けられた的を、黄色い瞳で見据える。


「……ダークマターが毒の効かない相手になったんなら、他の方法をやるしかない。でないと、俺は本物の役立たずになる。それだけは嫌なんだ。足手まといにだけはなりたくない」


 あの京都から戻って以降、クラーレは弓の練習をするようになっていた。


 ハルに分析を頼んで自分に合った弓がどういうものか調べて貰うと、自分で材料を揃えて一から弓を作り、完成後は毎日練習しているという。


 生えている木を削って的を作り、毎日決まった時刻に決まった時間弓を引いている。

 休む前提が無いのか、秋雨に打たれながら弓を引く姿を目撃したこともあった。

 曰く、逆に雨が降っていたり風が強かったりと、周囲がどんな状況でも狙った的に弓を射られるようになるために必要だと言っていた。


 その後クラーレは体を冷やして少し体調を崩してしまい、皆に強く言われた結果、天候の悪い日は宇宙船のシミュレーションルームで練習を行うようになった。


 だが本人は、シミュレーションでなく現実世界でやってみないと掴めない感覚の方が多い、と言っていた。


 そんなクラーレを、穹は格好良いと思っていた。眩しくも見えていた。

役立たずになると言っているが、クラーレは皆にとって必要な、欠かせない存在となっている。それはこの先も変わらない。


 むしろ、一歩間違えれば役立たずになるのは、自分のほうかもしれないのだ。


「逆に、な。役に立てるんだったら、どんなことでもやるぞ、俺は」


 笑ったが、その目は真剣だった。多少誇張が含まれた宣言で無いことは明白だった。


「だから正直運動は苦手なんだが、こうして弓もやってるってわけだ。これ以外出来そうなものが無いからな。ハルみたいに頭良くないし、ソラ達みたいに変身できるわけでもないし。弓ならまあ、ぎょっとして相手の狙いを逸らせたりだとか、牽引や攪乱や、それくらいならできるだろ」


 けどなあ、とクラーレは不甲斐なさそうに眉を寄せた。


「一つ弓を引く度に、自分の体力の無さを痛感するんだわ……」

「僕もです……」


 役に立つことが出来るのなら、どんなことでもやって見せたい。クラーレのその心は、よく共感できた。


 リレーには不安しか無い。が、自分の存在を認めてくれたクラスの役に立てるのなら、苦手な事でも精一杯頑張りたい。

頑張るだけでなく、期待に見合った結果を見せたい。


 けれども。


「僕も体力が無くって……! アンカー頑張りたいんですけど、もうこのままじゃいつも通り足手まといになりそうというか!」


 何度か児童公園内でリレーと同じ距離を走ってみたものの、すぐに息切れし、息切れになったらそこで足が止まり、結果絶望的なタイムしか算出されない。


 このままではまずかった。というのも、どういう経緯を得たのか不明だが、穹はクラスの中で、天才的に足が速い人物として噂されているのだ。


 穹を見てくる目には皆、少なくとも遅いなんてことは有り得ないと、そう信じ切った光が宿っている。

 その光に当てられる度、穹の体温は絶対零度にまで下がったようになる。そのくせ冷や汗は止まらなくなる。


 穹が立候補せず他も推薦しなかったため、リレー以外の種目には出ないことになっていた。このリレーというのが個人練習で、集まって練習というのがまず行われない。よって穹の本当の実力は、幸か不幸か、誰も知らなかった。


 もうその必要が無いくらい既に早いのに、影で凄く努力を積んでいるのだと、そんな噂も聞いた。じゃあ絶対うちのクラスが勝てると、安泰を確信して皆感心深げに頷いていた。なぜそこまで尾ひれがつくのか知りたかった。


 今まで透明だった弊害で、全員穹を好き勝手な色に塗って想像しているのかもしれない。本当のことが知られたら、一体どうなるのか。色を奪われてまた透明人間に戻るのか。


 しかしその不安よりも、皆の役に立てない不安の方が圧倒的に大きかった。期待を裏切るなんて事は、絶対にしたくなかった。

 故に現状に、過大な危機感を抱いていた。


「なんで体力ってすぐにつかないんでしょうかね!」

「本当にな! 全く……」

「特訓しなきゃだけど……。でも運動きつい! 辛いです!」

「特訓はまじで辛いよな! 成果出る気もしないしな! やる気出てこないよなあ……」

「そうなんですよっ!!」


 うんうんとクラーレと共に互いに頷き合う。と、クラーレの頷きが不自然に停止した。


「……俺は体力が欲しい。ソラも体力が欲しい……」


 小さく呟いていた顔が、ふいに上がった。窺うように、こちらを覗き込むクラーレの目があった。


「……ソラ。もし、嫌じゃないなら……。俺と一緒に、体力強化特訓しないか?」

「……クラーレさんと?!」


 軽く頷いた後で、「嫌じゃないならな?!」と慌てて付け加えてきた。


「い、嫌じゃない、ですけ、ど……。でも、本当にいいんですか?」

「いいんだよ。少なくとも一人の時よりも、やる気出てくるだろ。俺もソラがいたら心強いんだ」


 クラーレが微笑した。え、とソラは体を停止させた。そして思わず、頷いていた。


「……クラーレさんがそう言うのでしたら。やりましょう!」

「よし。じゃあ早速やってみるか! 実はちょっとな、考えてある訓練があるんだ」

 

 



 クラーレは穹を連れ、場所を移動した。「ここだ」と立ち止まった先を見て、目を軽く見開いた。


「ここを何度も駆け上ったり駆け下りたりするんだ」


 そこには長い斜面があった。人工的では無く、自然に出来た坂であるからか、勾配は非常に急で、普通に上るだけでも息が切れそうだとすぐにわかる。


 しかも、頂きまでの距離は非常にあった。高さに直すと、四階建て、もしかすると五階建てはあるんじゃないだろうか。


「これはきついぞ。俺も歩きでやってるが、半分まで行った試しがない」


 あつらえたようにして、通路のように、木や石など障害物の無い部分が、頂上まで真っ直ぐ伸びていた。


 穹は一歩分上ってみた。その負荷からして、上りづらさからして、急斜面であることが実感できた。恐らく十歩ほどで息が切れそうだ。


 坂を見上げる。坂であるが、高くそびえる壁に見える。普段なら絶対に上らないであろう坂。上ろうとなど考えもしない坂。


 だが、だからこそ、ここを上ったり下りたりすれば、手っ取り早く体力を我が物にできるのではないだろうか。辛いからこそ、成果が見込めるのでは。


 坂から、目を逸らさずに見据える。


「……時間が無い。一刻も早く体力をつけたい。ならばもう、スパルタを課すしかないっ!!」


 声が山の中にこだました。両手を強く握りしめる穹を、クラーレが呆けた様子で見下ろしていた。やがて、こっくりと頷いた。


「……おお。凄いな」

「甘いことは言ってられないです!」

「……よっしゃ。ソラがここまでやる気になってんだ。俺もやるぞ!!」

「共に頂上を目指しましょう!!!」

「行くぞソラ! 体力をこの体の中に入れてやるぞ!!」

「運動音痴の肩書きから、絶対に卒業しましょう!!」


 目に炎が宿る。頷き合うと、穹はクラーレと共に、坂を駆け上る一歩を強く踏み出した。





「なるほど。そういうわけか。理解できた」


 ハルのテレビ頭がこくこくと上下する。直後、ぐるんと頭がクラーレのほうに向かった。


「率直に言って、何をやっているんだ」

「……」


 ぐったりとソファに座りかかるクラーレは、気まずそうに顔を逸らした。顔色は幾ばくか良くなったものの、まだ立ち上がれるまでには至ってない。


「前準備も何も無しに、いきなり体力の少ない者が急斜面の坂を駆け上るなど、無謀だとは考えなかったのか?」

「ハ、ハルさん、クラーレさんを責めないで下さい……」


 何度も下げる頭の中で、後悔と反省、そして予想外のことに呆然とする思いがぐるぐると渦巻いていた。


 坂は予想以上に急だった。目で見ていたよりも遙かに急だった。十歩どころでは無かった。数歩全力で駆け上ってみただけで、嫌というほど実感できた。

 もともと遠い坂の頂上が、更に遠く感じた。永遠にあの場所に辿り着けないのではと思う程の絶望を覚えた。


 穹の思惑は、この坂を走って何往復もすれば、勝手に体力がつくのでは、というものだった。


 だが実際は、往復どころか、三分の一にも満たない部分で登頂は中断された。クラーレがしゃがんだまま動けなくなったからだ。


 穹も体力が尽きかけている中、余力を振り絞ってハルを呼びに行き、クラーレを宇宙船まで運んだところで、自分にも限界が訪れた。


 穹もクラーレと同じようにソファにぐったりと腰掛けたまま、立ち上がれそうに無かった。


「最初から無理をするのはいけない。自分に厳しい課題を課すのも大事だが、継続できないのなら駄目だ。せめて坂ではなくて、平地を歩くのはどうだろうか。まだましだと考えるが」

「それはもうやっている……。やってて足りないと思うから、坂を走るのを取り入れようと思ったんだよ……」


 だがここまでとは、とクラーレは吐き捨てた。穹は、クラーレの心情がわかる気がした。


 ここまで出来ないとは。穹は早くも自身の限界が見えた気がした。同時に不甲斐なさが際限なく肥大化した。


「本当にもう、きつかったですね……。なんだか僕」


 諦めちゃいそうになりました。そう続けようとしたときだった。クラーレが大きく両目を開き、天井を見据えた。


「だがな、俺は諦めない。スパルタってやつだ。絶対に体力を手に入れると決めたんだよ!」


 声を上げる体から、決意が漲っているのが見えた。


「やめておいたほうが懸命だと考えるが」

「止めるなハル! 俺は体力が欲しいんだ。今探してるものの一つになってるくらいにはな」

「探しているものなのか……。しかしやはり……」


 やるやらないの押し問答を続けている二人を、穹は見ていることしか出来なかった。言おうとしていた言葉を飲み込んだ。


 クラーレも体力があるとは言い難いのに、穹には芽生えた「諦めそうな心」が生まれなかったのだ。


 むしろ闘志を燃やす瞳に、穹は下を向いた。冗談に近い調子とはいえ、弱音を吐きそうになった自分が恥ずかしくなった。


 少し休憩していると、体力が回復できたので、穹は礼を言って宇宙船を後にした。


 下山の前に、件の斜面に寄ってみた。ふもとから見上げてみてもやはり急勾配は変わらず、垂直の壁のようにして穹の前に立ちはだかっている。

 実際上ってみた経験から、この坂が想像以上に難攻不落で鉄壁の要塞であることを痛感できた。


 理解しているつもりだった。しかし、ここまで自分に体力が備わっていなかったとは、思っても見なかった。自分の思う、予想の遙か上を行っていた。


 息はすぐ耐え耐えになり、足が石のようになって前に動いていかなくなり、上手く呼吸が出来なくなった。まさか死んでしまうのではと本気で心配になるほどには、息が苦しくなった。


 あんなに苦しいのだから、無事に頂上まで走りきることが出来れば、それだけの力が身につくことはわかる。きっとアンカーの役目も務まるだろう。


 しかし、自分がこの坂のてっぺんに辿り着けている未来像が、全く鮮明に描かれない。


 穹は坂に背を向けた。見ているだけで、駆け上ったときの息苦しさが蘇りそうだった。




 一旦家に戻った後、児童公園に向かった。園内に入った途端、ぱたぱたと羽音がし、遠くの木々から小さな青い影が飛び出してきた。そのシルエットは迷うことなく、真っ直ぐ穹のもとへ飛んできた。


「わわっ! 迎えに来てくれたんだ!」


 伸ばした指へ、木の枝で休むように小鳥はそこに着地した。綺麗な声で歌う小鳥に、今日も元気そうだと判断できる。


 いつもの茂みの奥ではなく、公園のベンチに座り、持参したタッパーを開けた。


 家から持ってきたエンドウ豆を穹の隣でちょこんと佇む小鳥の前に持っていくと、美味しそうについばみ始めた。


 良かったと眺めながら思う一方で、ふとあまり餌付けをするのは駄目なのだろうかと不安になった。


 あんまり人に慣れているので飼われているのかと思ったが、穹がこの公園に来ると必ずと言って良いほどいる。


 野生の可能性のほうが大きくなってきたが、野生にしては、どんなときも清潔な見た目と、何よりも全く穹という「人間」を怖がらない性格から、首を傾げるものがある。


 もし野生なら、人の手からものをあげるのは好ましくない。

 でも、豆を美味しそうに食べる小鳥の姿を見ていると、お腹が空いているならごはんをあげたいと思ってしまう。


「うちは食べ物屋さんだからね。できることなら連れて帰りたいんだけど、難しいかな……。でも家族になりたいなあ……。あ、君はどう思ってるのかな。僕と家族になりたいかな」


 小鳥が食事を中断し、穹の顔を見上げた。そして、短いが綺麗な歌声を披露した。それが、都合の良い解釈なのだろうが、肯定の意味に思えて、穹は思わず顔を綻ばせた。


「今日はね、体力つけるために、ちょっと急な坂を駆け上ってみたんだ。でも全然駄目だった。すぐ疲れちゃって……。こんなので上手く行くのかなあ。アンカーやるって言っちゃったけど、もう不安しかなくって……」


 ごはんを食べている間、軽い気持ちで聞いてほしくて語ったことだった。


 だが小鳥は食事を再開せず、つぶらな瞳を穹に向けたまま離そうとしない。食べてていいんだよ、と言っても、頑なに穹のことを見ている。


「……話、聞いてくれるんだね。ありがとう。……正直、もう挫折しそうなんだ。絶望しか感じない。でも、やるって決めたんだから、やり遂げなきゃだよね。やめる思いは全然無いけど、でも、希望が全然見えないんだ……」


 苦笑している間も、やはり小鳥は穹の話に耳を傾けていた。


 やると決めたし、やらないという思いは穹の中にさらさらなかった。そもそもやめる前提などなかった。期待されているのに、それは絶対に有り得ないことだった。


 けれど、ちらちらと存在しないはずの「やめたい」という思いが顔を覗かせてきたくらいには、今日の自分がいかに甘かったかを物語っていた。


 だが、もとよりやめる気が無い中で、不安を零すのは無駄だと思っていた。

 ハル達なら聞いてくれるかもしれないが、愚痴を聞くことによって不快な気分を生じて欲しくなかった。何よりも自分が許せなかった。


 だがこの小鳥には、不思議と弱い部分を見せる事に抵抗が生まれない。


 口を挟まず、真摯に、健気にじっと話を聞く姿が、穹に胸中を語らせる力があるのかもしれなかった。

 どこか、アイの態度に近い。そう考えると、納得がいくものがあった。


「……ねえ君、やっぱり僕と家族にならない? 僕頑張って父さんと母さん説得するよ。だから来てくれる?」


 きょとんとした様子で、小鳥が瞬きをした。直後、その体がびくん、と大きく震えた。


「どうしたの穹、こんなところで」


 公園の入り口から、名前を呼ばれた。背後を振り返ると、美月がこちらにやって来るところだった。たまたま通りがかったようだった。


「えーと、これは……」


 すぐ答えることが出来なかった。というのも小鳥に、明らかな異変が生じていたからだ。小さく縮こまり、穹の体の影に身を潜めている。その体は明らかに震えており、震えは美月が近づくほどに大きくなった。


「エンドウ豆? なんでこんなもの持ってるの?」


 美月が穹のすぐ傍まで来たその時だった。ばっと小鳥が飛び立った。凄まじい速度で羽ばたき、茂みの向こうへと消え去った。


「あっ、ちょっと!」

「な、何?!」

「ごめん!」


 ごめんって何が。そう叫ぶ美月には状況説明を何もしておらず、置いてきぼりを食らわされているのはわかっていた。が、穹は小鳥を追いかけた。


 飛び去った方向へ走ると、低木の影で縮こまる青いシルエットが見えた。「どうしたの?」と屈み込んでよく見ると、小さな体ががたがたと痙攣していた。


「えっ、何かあったの? 怖いものでも見……あっ」


 様子がおかしくなったのは、美月を見てから。そのことに気づいた穹は、思わず口を抑えた。


「も、もしかして、姉ちゃんが怖い、の?」


 そう、と言わんばかりに、小鳥はか細い鳴き声を一つ発した。


「でも、姉ちゃんは悪い人間じゃないよ? 怖くないし、優しいよ?」


 少々逞しく我が強い部分はあるが。姉としては正直怖いが。人としては、美月は怖くない。


 だが小鳥は震えを止めない。困ったなあ、と穹は小鳥と、振り返って美月がいる公園を交互に見た。


「姉ちゃんは、明るいし、誰とでもすぐ仲良くなれるし、とても勇気がある人で……。……きっと君とも、すぐ仲良くなれると思う」


 自分とでも仲良くなれたのだから。そう言って見せた笑顔に、なぜだか力が入らなかった。


 しかし、やはり小鳥は怖がっている。なんとか手に乗せても、美月がいる公園に出ようとすると、飛び去ってしまう始末だった。


 美月と小鳥は、何らかの波長が合わないのか。極端なまでの小鳥の恐れぶりに、そう考えるしかなかった。


 仕方がないので穹だけ茂みから出て行って、一緒に帰ろうと言う美月になんとか先に帰ってもらうことにした。


 何があったのかと詳細を聞いてくる姉に、「小鳥と仲良くなった」とだけ答えると、どこか納得したように頷いた。


「穹、昔から生き物と仲良くなるの上手かったもんね。私はなぜか怖がられることが多くて、その度にずるいなあって思ってたよ」

「姉ちゃんはがっつきすぎるんだよ……。“可愛いーーー!!!”って大声で叫びながら突進していったら犬も猫もウサギも小鳥も皆怖がるって」

「何よ、好き勝手言っちゃって!!」


 少し機嫌を損ねた様子で、美月は公園から出て行った。

 直後、すぐに小鳥が茂みから出てきた。ぱたぱたと穹の周りを飛ぶ姿は、どこか安心しているように見えた。


「うーん、家族になるのは駄目なのかな……」


 ここまで美月が苦手なのなら、家に連れて帰るのも困難を極めそうだ。穹は捻った頭で、代替案を思いついた。


「じゃあ、まずは友達になろう。いいかな。君、僕と友達になってくれるかな?」


 差し出した手のひらに、小鳥が下り立った。ちゅん、と澄んだ声が耳に届いた。


「ありがとう! じゃあ、僕達はこれから友達だよ。よろしくね」


 指で頭を撫でると、ふわりと柔らかい体毛の感触と、ほんのり温かい体温が伝わってきた。


 小鳥は抵抗せず、穹に撫でられていた。黒い瞳が、いつまでも穹を捉え続けていた。

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