phase4「正体」

 どんなに日が長くとも、必ず夜は訪れる。夜の帳が完全に落ちきった、草木も眠りにつく時間帯。誰も使わず、誰も立ち入らない空きビルの一室に、ぼんやりとした光が灯っている。それはそこに、本来ならいるはずのない人がいることを示していた。


「心。こころ……」


 宵闇のもたらすしじまよりも静謐な声が漏れる。壁により掛かり、座り込む少女の口から発せられたものだった。


「心。気になる項目です。でも考えてもわからない。思考の材料が全然足りない」


 部屋に沈むこむ闇と同じ色をした髪が揺れる。瞳の青色も、暗闇の中に飲まれている。


「やはりもっと知りたいですね。……秩序を乱す自由な心というものが、いかようなものか」


 かたかたと、無機質なタイプ音が鳴り響く。わずかな電子音が、後に続く。


 少女の、アイの目の前に、光のキーボードが立体映像として出現していた。そこをタイプする両手の動きは正確無比であり、緻密かつ精密だった。暗闇の中に人工的な光を放ちながら浮かび上がるキーボードは、の産物でなかった。


「報告書の作成完了」


 かたん、という音を最後に、アイが呟く。かかった時間を逆算し、無駄が一切なかったことを確認する。幾つかのキーボードを叩くと、浮かび上がっていたキーボードが消えた。


「送信完了。文書による連絡は終わり」


 あとは、口頭の連絡が残されている。アイは隣に置いてあった、黒電話を手に取った。その黒電話は形状こそ地球に存在するものと似ているものの、地球にあるものでない。色は半透明で、中に複雑に絡み合ったコードや機械類が透けて見えている。


 受話器を手に取ると、ダイヤルを一回回した。その瞬間、何も置かれていない室内に、立体映像が発生した。アイの目の前に、顔ほどの大きさの模様が浮遊する。


 七つの角を持つ星形。その中央に鎮座する赤と青の二重のハート。


「こちら、ID134340」


 アイは立ち上がると、模様に向かって六桁の数字を淀みなく言った。


「繰り返します。こちらID134340。ダークマター、応答願います」


 ぶうん、と鈍い稼働音が鳴る。


『本人認証シマシタ』


 合成音声が流れた直後、七芒星の形が崩れ始めた。七つの角を持つ星は、幾つもの細かな幾何学模様となり、周囲に溶けていく。


 立体映像が、別の光景を映し出した。縦に細長い円卓が置かれた部屋。その部屋は俗に大会議室と呼ばれるものだが、そこにある席は、七名分しかいない。


「こんばんは。セプテット・スターの皆様」


 アイは背筋を伸ばし、腰から上を折った。角度は30度。手本のようなお辞儀だった。


「時間短縮を目的とした効率の重視により、報告の詳細は、ただ今送りました報告書をご覧下さい。それでは、口頭の調査報告に移ります」


 まず、とアイは今日一日の出来事を振り返った。記憶の回路が逆回転を起こす。


「今日一日で、対象者三名に接触することが出来ました。今まで接触が出来ていなかったミライさんにミヅキさんと対面し、会話を交わすことが出来ました。更にその後、ソラに会うこともできました」


 美月と穹と未來、この三名に一日で一気に出会ったのは、全く計算していないことだった。だがどのみち今日は、まだ接触を成功させていない、美月と未來を探すつもりでいた。結果、手間が省けた。


『そうか』


 一番奥に座る男性。サターンが、短く返答した。彼の前に浮かぶ小さなホログラム映像に書かれた文面をさっと読み、考え込むように両手を組む。「続けろ」


「はい。まずミライさんですが」


 一人がこちらを見た。未來という言葉に反応したようだった。マーズの赤い瞳が、好奇心を隠せていない。


「外で絵を描いている場所に遭遇しました。描いていた絵は……。……筆舌に尽くしがたいものがあり、現在私に登録されている言語では説明することが不可能と判断しました。今回は絵のデータを取ることは叶いませんでしたが、また近いうちに接触を試みて、絵を借り、そちらに送るつもりでいます。

その後近隣の科学館に連れて行かれ、常設展示コーナー内にある天体の写真を紹介してきました。その写真が、芸術だと力説していました」


 未來の輝く目を記憶から掘り起こす。言っている事はどれも抽象的で、アイの頭脳ではほぼ理解できなかった。


「人の心をわちゃわちゃのぐるぐるにする。それが芸術なのだと、ミライさんは仰っていました」


 突如飛び出した擬音に面食らったのか、七人はそれぞれ冷ややかな反応を取ってきた。


「紹介された写真に、心が写っている、と言っていましたが、私は写真に心の存在を認識することが出来ませんでした。また道中ミライさんは様々な被写体をカメラに収めていましたが、雲、虫、植物、無機物など、本来感情の宿らない相手に対して、感情があるという旨を話していました。見えていないだけで、全ての物体には心があるのだと」


 アイの口から、心の感じられない、寂々とした声が出ていく。今アイがいる部屋の四隅にも、窓から見える外の景色も、闇に閉ざされている。


「以上の事から判断するに、ミライさんはいわゆる、話が通じそうで通じない相手。彼女から崩していこうとしても、失敗する見込みが非常に高いです」


 明らかに未來に対して引いた空気になっている会議室内で、唯一マーズが、へえと感心深げな声を上げた。


『通じそうで通じないって……。あいつ……。滅っ茶苦茶に格好いいな!』


 彼女はがたんと立ち上がった。炎のような赤い短髪も震えているようだった。対照的に、隣に座る長い金色の髪の女性が、冷徹にため息を吐いた。


『格好いいというより電波なだけでしょ……。まあとにかく未來はやめておいたほうがいいでしょうね』

『はい。それに、彼女は動物的直感が鋭い。下手なことをするとばれるでしょうねえ。あまり近づかないほうが賢明でしょうよ』


 ビーナスとは反対方向にいる、マーズの隣に座るマーキュリーが笑った。位置的には、奥のサターンに近い席だった。


「次にミヅキさんの報告です。写真を撮りたくなったとミライさんが先に帰り、私はほんの少しだけ科学館に取り残されました。そこに、ちょうど科学館に来ていたとみられる、ミヅキさんと遭遇しました」


 アイは穹から、既に姉がいることを聞いていた。だが穹が美月についてあまり話さないことから、詳細を聞くことも出来なかった。対象の血縁者だというのになかなかコンタクトを取れないでいたが、無事に今日達成することが出来た。


「意図はいまいち不明ですが、私にアイスを奢って下さいました。冷たくて甘い食べ物でしたね。……この辺りの報告は今は置いておいて会話の内容ですが、私といる時のソラの状況を聞いてきました。これはそのままを伝えました。また、ミヅキさんは食べることが大好きなのだとわかりました」


 わあ、とジュピターが嬉しそうな声を上げた。体を弾ませたことにより、三つ編みにしている横髪が揺れた。


『だよね~! 食べるって良いよね~!』


 呑気な発言にサターンが批難するような目を向けてきたが、ジュピターは全く気づいていない。アイも報告を続けることにした。


「それとミヅキさんいわく、美味しいものを食べると“幸せー”となるそうです」

『ほわあ~! 僕、美月とは仲良くなれそう! お友達になろうかな、なってくれるといいなあ~!』

『……ジュピター』


 低い声音が投げられた。これにはさすがのジュピターも気づいたようで、途端に弱々しい顔つきになった。


『怖い顔しないでよ、サターン……。ごめんってば……』


 泣き出しそうなジュピターを見たビーナスが、情けないとばかりに吐息を零した。


「それとなくAMC計画に対して暗示してみたところ、皆同じことを考える世界は気味悪い、との返答が来ました」 

『抽象的すぎる意見ね』


 髪をいじりながら、ビーナスがばっさりとした切り口で言い切った。アイとしても、反対するならもっと論理的に反論するべきだろうと考えていた。そうでなくては説得力に欠ける。つまり、合理的でない。


「最後にソラですが」


 アイは一旦言葉を切った。今日会った穹の姿が思い出される。揺れる瞳で、震える声で言っていた台詞が。勇気が欲しい、の一言が。思考回路を通っていく。


「やはりマーキュリーさんの読み通りでした。接触しやすいこの三名に近づいた結果ですが、ソラが鍵となっているでしょう。彼は他者の心を恐れ、自分の心を嫌っている。今存在する複雑な構造である心という概念を、良く思っていない可能性が高いです。AMC計画に対しても、それこそ心の底から反対していない可能性が高いのでは」

『でしょうねー』


 マーキュリーがやや顔を伏せ、小さく笑った。


『あの自信のなさ、隠してても滲み出ている。見てて可哀想に思えて仕方ないですねえ。でも私には盾突く度胸があるのが不思議ですね。この私のどこがそんなに嫌なんでしょ?』

『あなたは嫌われる人にはとことん嫌われるタイプ。それだけのことですわよ』


 黙って紅茶を飲んでいたネプチューンが、カップを置くと同時にぼそりと言った。


 マーキュリーは、『あらら、なかなか傷つくことを仰る』あまり傷ついていなさそうに語る。その後、口元を片手で軽く押さえた。


『まあそれはともかく、彼は日常生活となるとてんで駄目になっていますね。……ふふふ、自信のない相手は本当にやりやすい格好の的だ。やはり崩していくなら、彼からでしょうよ。そうでしょ、サターン?』


 糸目がわずかに開かれ、隙間から黄色の瞳が覗く。サターンが短く頷いて返した。


『お前の読みが見事に当たったな』

『この前接触してわかりました。あの子供があのメンバーの中で、一番違う。。一度亀裂が出来たら早いですよね~。人の心も、人の繋がりも。亀裂そのものを生じなくさせるために、AMC計画はあるのですけれど』

『長期戦を覚悟していたけれど、思ってたよりも早くいけるかもしれないわね』


 ビーナスが一人言のように呟く。その横で、一度腰掛けたマーズが、再度音を立てて立ち上がった。


『こういうのって外堀を掘っていくっていうんだよな!!』


 しいん、と会議室が波打ったように静かになった。えーと、と珍しくマーキュリーが動揺を露わにした。


『……外堀を埋めていくと仰いたかったのですか?』

『掘ってどうするの』ビーナスが苦笑する。

『あれ? ん?』


 未だに自分が言い間違いをしていることに気づいていないマーズが、辺りを見回した。サターンの目が鋭くなった。


『無駄な会話をしている暇はあるのか』

『そうですわよ。煩わしいですわ』


 ネプチューンも同意し、カップを優雅な所作で持つと、口へと運んだ。


『……ネプチューン、なぜこの場でそんなものを飲んでいる』

『そんなものとは失礼な。これはわたくしの精神安定剤。例えサターンが禁止してもですね。わたくしは断固として無視致しますわよ!』


 あの、とこの中で一番背の高いジュピターの手が、とても控えめに上がった。


『サ、サターン。ウラノス君が寝てる……』


 ジュピターの隣に座っているウラノスが、いつの間にか机に突っ伏した姿になっていた。灰色の髪は今日も手入れされていなかった。


『道理で妙に静かだと思いましたわ』


 ネプチューンが冷静極まりないコメントを残した。サターンが一瞬頭を抑えた後、その手を離すと同時に勢いよく言い放った。


『ウラノス! 起きろ!!』

『……』


 空気が振動するような声量だった。どんなに深く眠っている人でもすぐに目を覚ますだろうとアイは分析した。だがウラノスは起き上がらなかった。頭だけ動かしてサターンのほうを気だるげな瞳で見やると、すぐ机に突っ伏した。


 指先一つ動かない様に、ちょうどウラノスの向かい側に座っているビーナスが冷静な声で言った。


『寝たふりね、これは』

『……!』


 サターンの目が一気に険しくなる。それを見ていたジュピターが、慌てた様子でぶんぶんと両手を振った。


『サ、サターン怒らないで! 平和に、穏やかに……! ウラノス君、きっと疲れてるんだよ。徹夜したって言ってたもの。そっとしといてあげて? ね?』

『……会議の内容は、あとで私がウラノスに伝えておきますんで』


 マーキュリーが浅く息を吐きながら続いた。どこか諦めたような声の響きに、これが自分の役割なのだと弁えていることが伝わってきた。


 サターンが目を閉じたのを見届けた後、アイは報告を再開した。


「この三人には接触できましたが、残りの人達に関しては、はっきり申し上げて厳しいです。ハル本人はもちろん、クラーレさんも難しいかと」

『あいつは無理だろお……』


 突然ウラノスが頭を上げた。ジュピターが起きたの、と優しく声をかける。だが、非情に無視をする。


『そもそもお前は地球人として潜入してんだ……。宇宙人のクラーレと会っちゃ駄目だろ……。会ったとしてもあの性格だ、警戒されて周りにも注意するように吹き込んじまって全部おしまいになるだろーよ……』

「承知しております」


 ネプチューンが静かにカップを置いた。考え込むように視線を一点に注ぐ。


『ハル本人に接触も無謀だと思いますわ。ロボット同士接触し合えば、察するものが生まれることでしょう』


 緑色の瞳が、アイのほうを見る。


『あなたは、人造人間。ロボットなのですから』


 アイの青色の瞳が瞬きする。はい、と短く頷かれる。そこに宿る光は、ただただ冷たく、人工的だった。


「ハルやクラーレさんとの接触はしないほうが懸命と判断。現時点では、ソラとの接触を続けていこうと考えております。では以上で、口頭報告を終了させて頂きます」


 ふと。サターンが顔を上げた。紫紺色の目が、真っ直ぐ貫くようにアイを見る。


『ハルの捕獲、mindの在処。その手がかりを、絶対に探し出せ。この宇宙に永遠の秩序が訪れる日を。mindが再びダークマターの元に戻ってくる日を。ハルを破壊たらしめるその日を。必ず、訪れさせるのだ』


 重々しい響きだった。アイは頭を上下させた。


「理解しております。必ずや、この潜入調査計画を成功へと導きます」


 うん、とサターンが念を押すように首肯する。


『〈プルート〉。お前の働きに、全てがかかっているのだ』

「はい。わかっております」


 ダークマターには、表舞台に立つセプテット・スターとは別に、黒子となる存在がある。


 宇宙を代表する企業。その幹部社員集団の業務を補佐する役割を与えられた、一切表に立たない、影から支えるロボット。その存在にのみ与えられるコードネーム。


 それが、〈プルート〉だった。


 地球の言葉では、プルートとは冥王星のことをいう。

 太陽系惑星から逸れた場所に位置する惑星の名称。


 彼女も、アイもまた、冥王星のように一歩離れた場所から、ダークマターに従属してきた。


 プルートのコードネームを持つアイは静かに、最初の時よりも更に深く、礼をした。


「──宇宙に永遠の秩序と平安を。ダークマターに、栄光あれ」


 口にした台詞は、ダークマターのもとで使われている標語だった。

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