phase1.1
未來はわあ、と一声上げたが、すぐに近づき、ハルの隣にしゃがみ込んだ。
指の関節で、頭のブラウン管テレビをコンコンと叩く未來を、美月はただ呆然と、青ざめた顔で見ていた。穹は横で、今にも死にそうなほどの青白い表情で震えていた。
なぜ、ハルは倒れているのか。
襲われたのか。
だがダークマターだったら、ハルを連れ去っているはず。
地球人の泥棒か何かに襲われたのか。でもそっちのほうがもっと考えにくい。
様々な憶測が浮かんでは消えてく中だった。むくりと起き上がったブラウン管テレビの画面が、こちらを見つめたのは。
美月と穹は叫んで飛び退いたが、未來は声一つあげずに、「ハルさん大丈夫ですか?」と顔を覗き込んだ。
立ち上がり、ぱんぱんとトレンチコートをはたきながら、ハルは頷いた。
「来ていたのか、三人とも……」
その声は、弱々しく掠れていた。
例えば台詞を喋るタイプのおもちゃが壊れかけたとき、音声が聞こえづらく、途切れがちに聞こえる。ハルの声は、それと同じ状態だった。
「ハルさん物凄い弱ってますけど、どうしちゃったんですか?!」
弾かれたように飛び出した穹に、ハルは一度うーんと唸ってから、画面に映る口を開いた。
「強いて言うなら、睡眠不足だ……」
ハルはテレビの上半分あたりを、片手で覆った。人間でいうと、ちょうど目がある辺りの部分だ。
「厳密には、メンテナンスなんだがな……。体内に異常が起きてないか、どこか不具合のある箇所がないか。調べて直す、そういう機能が自動的に行われる機能が、私にはプログラムされていて……。私は毎晩欠かさずそのメンテナンスをしていたのだが……。ここ最近は……」
ぐら、とハルの体が傾いた。
慌てた様子で穹が支えるが、両者ともおぼつかない。ハルは背が高く、体格も成人男性並だ。穹一人が支えられるものではない。しかし今、ハルはほぼ、穹に体重を預けていた。
ハルは謝りながら、穹から離れた。
「拠点の位置がばれた以上、すぐに移動しなくてはいけない。だが、あまり目立ちたくは無い。それにこの自然の多さが、上手いこと敵から目隠しをしてくれている。ミヅキとソラとミライが来やすく、これらの条件が揃っている場所と言ったら、この山しかなくてな……。宇宙船のクリアモードの機能を改造して強化しようと考えた。なんとか改造は出来たが……」
最初はいつものように淡々と喋っていたが、段々と聞き取りづらい、弱々しい声色になっていく。
「その為には、宇宙船の修繕をしなくてはいけない。だが敵にばれている今、ゆっくり事を進めている時間は無い……。だから、ここ最近、ずっと修理に明け暮れていた……」
また体が大きく傾き、壁に手をついた。頭についているアンテナが、三本ともしおれた植物のように、だらりと垂れ下がっている。
「おまけにセプテット・スターの本人が、直接攻めて戦ってきた理由がわからない……。相手が何を考えているのか……。ダークマターへの対策も、ずっと練っていた……」
その壁につけている手も、ずるずると下へ滑り落ちていく。
「そのうち、宇宙船に重大な欠陥も見つかって……。その対策も考えて……。気がついたら、メンテナンスを全然していなかった……」
言い終わった途端、ハルは床に崩れ落ちた。立ち上がろうとするハルを、美月達は急いで止めた。
「……はっきり言う。私は既に、活動領域の限界値を超えている」
「じゃあすぐに、そのメンテナンスっていうのしなよ!」
ハルが言わなくても、もう限界ぎりぎりというのは目に見えてわかる。
だがハルは、美月の言葉に首を振った。
「メンテナンス中は、何も出来なくなる。意識も薄らぐ。人間で言う、眠りについている状態になる。しかもだいぶ怠ったから、数時間程度ではすまない。最低でも24時間はかかる」
「四の五の言ってる場合じゃありませんって!」
穹も大きな声を出すが、ハルは静かに言い放った。
「その間、ココロとシロの世話が、出来なくなる」
あ、と美月と穹と未來の声が重なった。ハルの頭が、ぐったりと下を向いた。
ココロの世話は、ずっとハルがしていた。たまに美月達が手伝ったり、抱っこしたこともあったが、基本的にはハルがずっとしていた。
あるいはシロだけなら、美月達でどうにか出来るかもしれない。
だがココロの、赤ちゃんの扱い方など、美月達は何も知らなかった。
が。
美月は部屋を見回した。
室内は、いつ来ても、綺麗に片付き、掃除されている。
ハルはいつも、掃除を自分の手でこなしている。事実、何度かハタキやホウキを使っているところを見かけた。
掃除だけでは無い。その他の家事全般も、ずっと自分一人の手でこなしていた。
美月の目が、一点で止まった。
ソファの隣に置かれているハイローチェア。
そこには、これだけの騒ぎにも関わらず、すやすやと眠るココロの姿があった。シロも、チェアの脚元で、丸まって眠っている。
家事だけではない。
ココロの育児もしていた。シロの世話も。更に宇宙船の修理。そして敵への対策。
それらを、全て、担っていた。
キャパオーバーを迎えたのは、至極当然のこと。起こるべくして起こったことだ。
なぜ、そうなったのか。それは、無理をしたから。
なぜ、無理をしなくてはいけなかったのか。それは、自分達が、何の力にもなってやれなかったからだ。
「言ってる場合じゃないでしょう」
穹と未來が、驚いたような顔をしてこちらを見た。自分でもびっくりするほど、低い声だった。
顔を上げる力も無いのか、ハルはうなだれたままだった。
「このままハルが無理をして、壊れでもしたら、ココロはどうなるの?」
否定の言葉はなかった。遅かれ早かれ、このままなら、そうなる可能性があるということだろう。
「ハルさん、ノイローゼってやつでは?」
未來は思い出したようにその単語を口にした。
「辛いんじゃ……?」
おずおずと聞いた穹のほうが、よっぽど辛そうだった。
「私には感情がプログラムされてないから、辛いというのは無い。ノイローゼでもない」
「でも凄い近い状態なの!」
段々と苛立ってきた美月は、勢いよく人差し指を突き付けた。
「私は決めたの! ハルとココロを守るって。今も、いや今こそが、そのとき!」
穹が、はっと目を見開いた。遅れて未來も、美月の顔を見つめ、にっこりと笑った。何を言いたのかが伝わっていないのは、ハルだけだった。
「ハルはゆっくり休んでいて。その間、私が、私達が、ココロの面倒を見るから!」
美月は自身の手を、胸へと運んだ。
「任せなさいって!」
「駄目だ」
言われたことを理解するまで、二十五秒はかかった。
え、と美月が聞き返すと、ハルはもう一度、一回目と全く同じ調子で言った。
「駄目だ」
「なんで?!」
「理由はっ?!」
「どうしてです~?」
三人各自からの質問攻めに、ハルは抑揚のない口調で答えた。
「ミヅキにもソラにもミライにも、育児の経験が無いだろう。こんな風に言っては失礼だと承知の上だが、ココロの安全面から考えても、とても心許ない」
「……」
もっともな話だと、今度は三人とも押し黙った。
「でも、もちろん、私達だけでやるつもりは全然無いよ。なんとか誤魔化して、大人からの手助けも借りるから」
「ハルさんが一緒ならともかく、ココロ一人だけなら、むしろ怪しまれないかと」
「まさか赤ちゃんが宇宙人だとは、誰も思いませんって!」
このまま美月達が宇宙船を後にしたら、ハルとココロは冗談じゃなく共倒れになる。
目に見える確実な嫌な予感を前にして、美月達に引き下がるつもりはなかった。
うーんと腕を組むハルに、更に追い打ちをかける。
「ハル、休憩しなくて本当にいいの?」
「絶対に休んだほうがいいですって!」
「結局ハルさんが倒れたら、どのみち私達がココロさんの面倒を見ることになるんですよ?」
ハルもしぶとく悩んでいた。が、未來の一言が決定打となったのか。組んでいた腕を解き、「わかった」とテレビ頭を縦に振った。
「もう他に術はない。ミヅキ、ソラ、ミライ。ココロの事を、頼んだ」
美月が腰に手を当て、穹が頷き、未來がにこっと微笑んだ。
「引き受けました!」
その後、ハルからベビー用品がたくさん詰まった荷物を二つ、受け取った。ココロには地球で作られた製品を与えても害はないようだが、念のため、普段使用しているものを使うようにと、渡されたときに言われた。
諸々の注意事項を聞いた後、紙に纏められた分厚いマニュアル本も手渡された。
「24時間もあれば、大丈夫だ」
「……本当に?」
「足りないような気がします」
「嘘はよくないですよ~!」
「……いや、実は微妙だ。48時間もあれば」
目が覚めたココロを、美月が立候補して抱っこ紐で抱っこし、「じゃあゆっくりしててね!」と、軽く胸を反らした。
「……頼む。本当に、すまない……」
言うやいなや、ハルは床に座り込むと、壁に背中を預け、両足を投げ出した。かと思った次の瞬間、かくんと頭の力が抜け、そのままぴくりとも動かなくなった。
話しかけても触っても、なんの反応も示さない。
顔を覗き込んでよく見てみると、普段ぼんやりと光が灯って灰色になっているテレビ画面が、今は真っ暗になっていた。ハルの唯一ある顔の部位、口も見えなくなっている。
「……寝た。ハルの寝てるとこ、初めて見た」
「こんな風に寝るんだね。ベッドで寝たほうがいい気がするけどなあ……」
「いやいや、この頭で横になるのは凄く辛いでしょ」
「なんにせよ、せっかく珍しい姿をお目にかかれたんだから!」
未來は流れるようにどこかからデジタルカメラを取り出し、流れるようにぱしゃりと一枚撮った。
「撮る意味ある?」
「意味の無い写真なんてないんだって!」
首を傾げながら、美月はココロの背中を撫でた。
普段自身を抱っこしている人物ではないので、ココロは不思議そうな目をしていた。
美月のことを警戒はしてないようだが、ハルを探しているのか、きょろきょろと見回している。
「ココロちゃんのママは、お休み中なんだよ~」
腰を屈めてそう言う未來に、美月はいやいやと手を振った。
「ママじゃないよ、ハルは。パパでしょう」
「パパでもないよ」
寝ていたシロを揺り起こして抱え上げた穹が、首を横に振った。
「ハルさん、男みたいだけど、性別は無いんだってさ」
「え、そうなの?! 初耳なんだけど……」
「ずっと前に聞いたら、教えてくれたよ。ロボットに性別の概念は不要どうたらこうたら言ってた」
「ええ、じゃあなんていえばいいんだろう……」
美月は悩んだが、結局「ハルは今寝てるんだよ~」と、ココロに優しく言った。まだハルの姿を探している辺り、伝わってはいないようだが。
「それで、どうするの? 託児所とかに預けるの? それとも知り合い?」
穹の台詞に、美月は心外だとばかりに首を猛烈に振って否定した。
「連れて行く! うちに!」
「はあ?!」
「お父さんとお母さんとおじいちゃんには、知り合いから頼まれたって言う!」
託児所に預けても、どのみち夜には引き取らないといけない。また知り合いに頼むのも微妙だった。引き受けてくれそうなところが思い浮かばなかったというのもあるし、芽生えたプライドのようなものが、それを許さなかった。
「ハルから頼まれたんだもん。私がしっかり、面倒を見たいんだ! それに、一度ゆっくりココロと過ごしてみたかったし」
白い髪にピンクのハートの髪飾りが映えるココロは、誰の目から見ても可愛らしい。ことにくりくりとした、大きな赤と青の両方の目で下から見上げられようものなら、誰のハートも撃ち抜けられるだろう。
「でも姉ちゃん、赤ちゃんの面倒を見た経験は……?」
「無い!」
両手をココロの背中に添えたまま、腰を反らしてふんぞり返った。
「そうと決まればすぐ帰ろう!」
抱っこ紐が肩に食い込み、先程からかなり痛い。それに、赤ちゃんといえど、美月はまだ14だ。ずっと抱えていられるだけの筋力は、まだ育ちきっていない。
「未來もおいで!」
「良いの? やった~、初の美月と穹君のお家~!」
飛び跳ねる未來の横で、穹はいつにも増して、不安げな瞳を浮かべていた。
その腕の中でやっと目を覚ましたシロが、寝起き特有の声で「ピイ」と鳴いた。
「なんとかなるよ、絶対に」
穹に。そして自分に言い聞かせるように。美月は、この自分が好きな魔法の言葉を唱えた。
踏み出した一歩に、よほど力が入っていたのか。美月のポニーテールが、わずかに揺れた。
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