phase3.1

 商店街を抜けてしばらく歩き、穹はその場所に辿り着いた。


 記憶の中のそれらよりも少しだけ古びた見た目になっているが、面影は充分に残っている。

中央に位置する丸い時計も、全く変わらずにそこにあった。西日を受け、長い影が伸びている。


 子ども達が帰った公園は、一足早く眠りについたように静かだった。

あの遊具やその遊具は、こんなに小さかっただろうか。穹は園内を見回した。

あの頃はとても大きく、高く見えた時計も、今はもうそうでもなく見える。


 この公園は小さい頃、ほとんど毎日と言ってもいいくらい訪れた場所だ。

自宅近くにある住宅街の中の公園は遊具が全く無く、広場といったほうが正しい。

穹と美月にとって、一番近かった『公園』は、ここだった。

 美月と一緒に。ここに来て、時間も忘れて遊んだ。


 穹は公園の奥にあるブランコに腰掛けた。きい、と甲高い音が鳴る。


 このブランコは、いつも取り合いだった。大概が、押されてしまって美月が最初に乗ってしまうのだが。

 今は、待たずに好きなだけ乗ることができる。


 ゆっくりとした目線で、公園内にある遊具を一つ一つ、見ていった。


 ジャングルジムは怖くて、穹はいつも、美月が上っている姿を下から見ていた。


 滑り台も最初は怖かったけれど、何度か滑っていく内に慣れて、楽しくなっていった。


 シーソーに乗ると、上げ下げするのが最初は遊んでいたのが段々と本気になっていって、お尻がいつも痛くなった。


 ここの公園の鉄棒で、逆上がりの練習をした。

その時教えてくれた美月はかなりのスパルタで、お互い大泣きしながらの酷い喧嘩にまで発展した。が、穹が見事逆上がりを成功させたとき、美月は我が事のように喜んだ。


 公園内の、あちらこちらを見る度に、ここでの思い出が鮮明に蘇る。

何をして、どう過ごしたか。

今までは、思い出すことも無かったのに。思い出そうとしても、忘れていただろうに。


 穹はブランコを勢いよく漕いだ。風に乗って、何もかも吹き飛ばしてしまいたかった。

錆びた鉄の、規則正しく擦れ合う音が、ただ一つ誰もいない園内に響く。


 吹き飛ばすどころか、まるで体の中に冷たい風が絶え間なく吹き込んでくるような感覚がして、穹は漕ぐのをやめた。


 この感じはなんだろうか。空しさ、とでもいうのだろうか。


 穹は下を向いた。自分の作る影が目に入った。今にも沈んでいきそうなほど、濃い色をしている。


 ずっと美月は様子がおかしかった。流星群を見に行った日から、ずっと。

挙動から、何かを隠していることは明白だった。それもちょっとやそっとのものではない。でも、無理に聞き出すことは無いと、穹は深く追求しなかった。

いつか、言ってくれるのではと。その日を、待つことに決めたのだ。


しかし事態は、自身が考えていたよりも遙かに大きいものだった。


 美月は小さい頃から、後先考えず、大胆にも突っ込んでいくことが多かった。痛い目を見ても、懲りることを覚えずに、また同じように向かっていく。

めげずに突進していく美月を宥めようとしては、失敗して、突撃を許してしまっていた。


 いつも、怪我をしたり泣かされたりで、涙を流す美月を慰めていた。

大体穹の言葉じゃ無くて、自力で立ち直っていたように見えたので、上手く慰められていたかはわからないが。


 それを繰り返す内に、気づいたことがある。美月が泣くのは、痛い目を見たからではないことに。

 美月はいつも、悔しいから泣く。上手く出来なかった自分を、腹立たしく感じて。情けなく思って。自分への怒りで、涙を流す。


 美月は強かった。自分より遙かに。


そのせいで、姉弟喧嘩となっては穹のほうが圧倒的に不利だった。

どんなに気を強く持っても、いつも美月の迫力に負けてしまう。


 口喧嘩では言いくるめられてしまうし、それ以上となっては平手打ち一発で大体KOだ。

美月の渾身の平手打ちはかなり、凄く、痛い。


 不満はもちろんあった。もっと優しいお姉ちゃんが良かったと両親に言ったのも、一度や二度では無い。


 でもそのかわり、だ。

美月は穹が泣いていたら、いつも慰めてくれた。それは穹も美月にしていたが、違うことがある。穹が泣かされた場合、美月はその相手を撃退してくるのだ。


 犬に吠えられたとか、相手が動物だった場合は、悪態をついて終わりだが。

人の場合は、そうはいかない。


 穹の弱気で大人しい性格のせいで、幼い頃は同級生にからかわれていた。

その事実を見た、もしくは知った時、美月は黙ってはいないのだ。

間に入って、守ってくれる。相手を言い負かしてくれる。


 退けた後、穹は涙ながらに言った。弱いせいでこんなことに。どうすれば強くなれるのだろう。すると、美月は首を横に振ったのだ。


 無理矢理変わる必要は無い。穹は穹だから。そんな穹を守るのが、姉ちゃんの役目だよ。

 強くなれ。教師によく言われたその言葉を、美月は、言わなかった。

代わりに、守る。そう宣言した。


 美月は正義感が強い。その上お人好しだ。そしてそれ以上に、自分の欲に忠実だ。


 だから、今回のことも結局引き受けたんだろう。恐らく、自分がそうしたいからという、ただそれだけの理由で。

 見知らぬ……どころの騒ぎでは無いほど、とてもとても怪しい宇宙から来たロボットの頼みを。


 穹としては、守りたかった。だから、やめておいたほうがいいと反対したのだ。

危険から遠ざけたかった。いつも突進していく美月を止められなかったけど、今回ばかりは、なんとしてでも。


 身を以て恐怖を味わったこと、あえてきつく言ったこともあって、美月は一度飲んだ。

 しかし、美月は曲げた。決めたことを。そうなるに決めていたほうを、取ったのだ。

美月は頑固だ。物凄く。その頑固さを、すっかり忘れていた。舐めていた。


 美月は言っていた。私一人でやる、穹に迷惑はかからない。

戦うのは、自分一人でやる……。

 美月は守ってくれたのだ。自分のことを。また。昔のように。


 違うのだ。そうじゃないのだ。

確かに、守りたかった。危険から遠ざけたかった。


けれどもそれ以上に、これ以上、行ってほしくなかったのだ。

このまま放っておいたら、美月が、姉が、自分の手の届かない場所にまで

行ってしまうのでは。


そんな気がして、それがひたすら、怖かったのだ。



 穹は顔を上げた。じっと見ていた自身の影に、いよいよ捕らわれそうな気がした。


 その時、砂場が目にとまった。

小さなお城が建っている。さっきすれ違った姉弟が作ったのだろうか。


 砂場に限っては、今この状況じゃ無くても思い出せる出来事がある。


 砂場では、それぞれが一人で作りたい物を作るというスタンスだった。


 二人で作ろうとしても、性格が違うせいか、作りたいものの意見がどうしてもかみ合わないのだ。

それが原因で険悪になって以降は、お互い干渉し合わないということで意見が一致した。


 一度、時間をかけて頑張って作った力作のお城を、美月が誤って水をかけてしまって跡形も無く溶かされたことがある。

その時は、本気で怒った。というより、泣いた。物凄く。


 喧嘩となると必ず応戦してくる、というかふっかけてくることのほうが多い美月だが、その時ばかりは戸惑って、何も言い返してこなかった。


 こればかりはかなり引きずって、長いこと口をきかなかった。


でも、後日、美月が頭を下げてきたことによって、仲直りとなった。


 仲直りした後、二人でお城を作ろうとなった。でも、上手くいかなかった。

やっぱり、意見が合わなくて、せっかく仲直りしたのに険悪な雰囲気になってしまった。


(そういえばあの時、姉ちゃんどうやって謝りにきたっけ……)


 風が吹いた。肌を掠めた風は少し冷たくて、夜が少し含まれていた。

太陽は、熟れた柿のような身なりをして、西へと向かっている。

公園の風景が、赤く染まる。

影が伸びる。遊具の影が。真ん中にある時計の影が。


 入り口に立つ、人の影が。


「穹!」


 ああそうだ。あの時も美月は、こんな風だった。

ふてくされて、一人で公園に来ていた穹のもとに、走ってきたのだ。


回りくどいことは一切してこなかった。真正面に立って。真っ直ぐ目を見て。

そして、謝った。ごめんなさい、と。


「穹、ここにいたのね」


 影が近づいてくる。実際の身長よりもずっとずっと長い影が。


「心配してくれたんだよね、穹は。私のこと、守ろうとしてくれたんでしょう?」


 影は、ブランコの影の隣で、立ち止まった。


「ありがとう、穹。本当に、ごめんね」

 美月は、全く変わっていなかった。遠いところに行ってしまったと思っていたけれど、違った。そうだったとしても、変わっていなかった。

 穹は俯いたままだった。顔を上げることができない。影しか見ることができない。


 最初に変身したときのことを、今でも覚えている。

何が何やらでわからぬまま彷徨っていたら、見つけたのだ。

 大きくて、とっても怖そうなロボットと、一人で戦う美月を。


 追い詰められている姿を見たとき、気がついたら穹は飛び出していた。その時は、恐怖心も何も無かった。二回目であるこの前は、あんなに怖かったのに。


 違いは、何か。


 あの宇宙人二人を、あの怖い敵から守るのが美月の役目ならば。

その美月を守るのが、自分の役目なのでは無いか。

幼い頃、穹を守ってくれたように。今度は。


「……姉ちゃん」


 穹はブランコから下りた。きいっという音が一回だけ鳴って、周囲に溶けた。


「僕、言い過ぎた」


 西日を受ける美月は、柔らかい目つきをしていた。その額には、うっすらと汗が滲んでいた。


「僕こそ、ごめんなさい」


 言った瞬間、体の中に吹いていた風が、やんだ。

代わりに、何か別のもので、満たされ始めているような気がした。

暖かいような。それでいて、熱いような。


「でもね、姉ちゃん。やっぱり僕、見過ごすことはできないよ。こんな危険なこと」


 美月は、きょとんとした表情を浮かべた。

軽く頭を傾ける美月に、穹は手をぎゅっと握りしめ、口をきゅっと結んだ。


「だから決めた。僕、一緒に戦う。それで、守る。姉ちゃんのこと」

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