4-8


「機人、活動時間残り四分四十秒」

 その声を背後に黒江はつぶやく。

「第二位格のレーザーが残ってればよかったんだけど」

「すまない、あれは溶けてしまった」

「修は悪くない。仕方がない」

 彼女は機神を見上げ、数秒思案し、思いもかけないことを言う。

「私をおぶってくれる?」

「なぜ?」

「あいつに飛びかかって引きずり下ろす」

「無茶だ。君はあれに比べて軽すぎる」

「やってみないとわからない。考える間があったら動かないと」

 ティテュオス越しの彼女の視線は真剣だった。修はそれを信じて肩を貸す。黒江はそこからのぼっていく。

 ロボットを通じており、さらに装甲で覆われているが、妙な気分になる。結局、BMIを挟んではいるものの、修が黒江の体に触れているのに変わりはないからだ。でも、そんなことは何度もあったし、第三位格のときには濡れたまま抱きあった。とはいえ、普段はそんなことは口にしなかったのも事実だ。

 怪鳥は残虐ではあるが悲しさを催す声を上げ、あたりをますますびりびりさせている。黒江は修の肩の上に立つ。シーシュポスは何トンもの質量を支える。それでも、ティテュオスは思いのほか軽かった。どれほど精巧なBMIを持とうとも、巨大となっている身体は通常の肉体とは異なった感覚を持つ。スケールによって適用される物理学は異なる。顔に当たる雨粒も限りなく小さい。それは汗のように機人の表面を流れる。

 一瞬感じた肩への負荷、同時に彼女は飛躍する。大質量の機神は急に身をひるがえせない。彼女に脚を取られて引きずり降ろされる。建長寺に落下し、主要なものではないが、建物をいくつか巻き込む。円覚寺も揺るがし、門が崩れる。

 修はどうしても罰当たりに感じてしまう。もう神なんてほとんど信じていないのに、今までの習慣とは捨てがたいものだから。形の上だけとはいえ、そうしたものに頭を下げ続けてきた。かつては日々の祈りの言葉を唱えてきた。どれほど恨んでみても、幼いころから礼拝をしてきた事実は消えない。第二位位格のときも、明治神宮に直接の被害は出さなかった。だが、霧島は嬉々としてそれを報告する。

「勝利だよ、海原さん。機神によって宗教施設が破壊された。タカマガハラ族の面子も丸つぶれだ」

 黒江はその言葉に構わない。

「修、こちらへ。機神を動けなくして」

 駆け寄ってみると彼女は暴れまわる巨体を押さえつけようとしていた。大地に磔刑にしようとするようだ。巨神はすぐそばを走る線路まで引きずられ、その上でうごめいている。だが、翼を除いた部位だけでも機人と同じくらいの大きさで、彼女の力だけでは抑えきれない。今にも飛び上がりそうだった。

 修と黒江は二人して馬乗りになり、身動きさせまいとする。だが、機人の何倍もの大きさの強靭な翼に打たれて吹き飛ばされそうになる。まき起こす風や振動で、あたりの坂が建物ごと地滑りを起こして崩落する。土や埃が舞って視界が悪くなる。

 数えきれないほど翼に打たれながら、二人は何とかしてその翼を引き抜いた。全身の体重を支えていたとは信じられないほどあっさり外れた。途端に大量の血液のようなものが流れ、天地を揺るがす悲鳴が響き渡った。その血液は、神話でいう神の血であり、その声は世界の終わりを告げる災いの響きだった。汚れた液体が津波となって街路を覆う。

 羽を引き抜かれた機神はもはや無力で、横たえられた食肉用の鶏にも似ていた。あとは二度と動けないように解体してしまえばよかった。血の泡を吐き続ける機神の音の中で修は問う。

「黒江」

「どうしたの」

「機神にも、誰かが乗っているはずだ」

「……どうやら」

「第三位格のときに排出されるのを見たんだ。つまり、機神も機人も、大体同じような仕組みだということになる」

「おそらくは」

「僕は、この搭乗者を助けたい」

「戦いに慈悲は無用だと思うけれど」

「そうじゃない。ほたるの居場所を吐かせたいんだ」

「……なるほど」

「だから、必要以上に苦痛を与えたくない。搭乗者のいる部位を取り出したい」

「わかった。霧島さん、搭乗者がどこにいるか解析できる?」

「どうにか。位置としては心臓の真下だ。第三位格みたいに、既存の生物とは似ても似つかないものじゃないからありがたいね」

 修はその言葉に従い、爪で心臓を正確にえぐり出そうとした。だが、機神は反射的に身を起こす。電気が流れたカエルの脚のように、あるいは活け造りにされた魚のように、支える翼もないのに反射的に身を起こす。

 機神は見る間に体内の装甲を反転させ、内部から体液に濡れた翼を新たに取り出した。早回しにされた昆虫の羽化のようだった。ただし、現れた翼が三対ある。これが機神の真の姿であった。むしろ、この姿になるのを待っていたようだ。修たちはかえって真の姿を呼び覚ましてしまった。

 機神は血を吐きながら悲鳴をあげ、六枚の翼は猛烈な風を引き起こす。それは鎌倉五山一帯に暴風をもたらした。八幡宮の屋根もひどく揺れ、柱が砕ける。民間人の家屋の屋根も飛ばされる。

 その上、機神は微笑んだ。それは残虐な笑いとは違う、どこか悲しみをたたえた笑みだった。それが搭乗者の感情なのか、機神の神経に埋め込まれた情動なのかは判然としない。

 機神は立ち上がると真っ直ぐに修の胸に突進した。そこに痛みの神経の塊があるのではないか、というほど鋭い痛みだった。シーシュポスは悲鳴を上げる。機神はさらに腹を裂き、臓器を露出させようとする。遺骸をつつく鳥のようだった。


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