第25話
旬果は、へとへとだった。
何せここに来るまで女官の姿を見かけるたびに道を逸れ、廊下を駆け抜け、茂みに潜み、まるで盗人のような行動をとり続けてきたのだ。
(っていうか、ここはどこ!)
体感でおよそ一刻ほど何も考えないまま動き回った結果、ようやく人気の無い場所にたどり着けた。
(泰風と会える兆しも一切ないし……)
と、旬果はとある場所に目を引かれた。
それは朱塗りの門なのだが、他の門と違い、×の形に竹矢来が組まれ、閉鎖されていた。
ここに到るまで色々歩いたが、記憶を刺激してくれるものとはついに出会えなかった。
(ここ、明らかに何かあるって感じね……)
「よしっ」
旬果は少し助走をつけ、駆け出す。
「はっ!」
右足を踏み切り、塀にしがみつく。
腕の力を使って身体を持ち上げて乗り越え、門の内側に着地した。
(女官の格好をしてなかったら、乗り越えられなかったわね)
そこにはあったのは、黒くなった消し炭の塊。
元々ここにも離宮があったのだ。しかしそれが火災で焼け落ちた、ということなのだろうか。
目の前にあるのは、ただの残骸なのだが、旬果は目を離せなかった。
何かが頭の奥から、溢れ出すような兆しを感じる。
(私、ここを知ってるの……?)
肌が粟立ち、思わず身構えてしまう。
と、不意に視界が揺れる。瞬きした次の瞬間、一瞬前まで残骸だったものが、しっかりと形を成した黒曜石の瓦を葺いた朱塗りの離宮になる。再び瞬きすれば、それは残骸に戻る。
それは瞬きするごとに、残骸と建物とが往復する。
何かが起きようとしていると分かるのに、瞬きを繰り返すことをやめられなかった。
やがて二つの全く異なる景色が重なり、混ざり合う。
視界を覆い隠すように広がっていく粘り着くような不気味な色が、やがて頭の中の隅々をも塗り潰していく。
「……っ!」
目を開けた瞬間、顔を熱風が襲い、旬果は思わず顔を庇った。
緋色の火柱がうねり狂い、天井を舐める。
柱が倒れ、部屋の一画が崩れるけたたましい音がつんざいた。
濛々と立ちこめた黒煙が逆巻く中、少女が部屋の真ん中で臥している。
その子のことを、旬果は客観的に見つめていた。
――これ、知ってる……。
それは今でも本当に時々だけれど、見る夢だ。
この夢を見た後、旬果は全身を汗で濡らして飛び起きた。
両親にこの夢のことを話したことはない。心配した母にもただ変な夢を見た気がする、内容は覚えていないと言い続けた。
しかしまるで本当に炎に巻かれていると錯覚せんばかりの熱さと、窒息してしまいそうな狂おしさは、夢というには余りに生々しかった。
これが自分の失われた記憶と関係があるかもしれないと考えたことはあるが、まさか本当にそうだったなんて……。
――夢じゃなかったんだっ!
旬果は過去の自分を助けようと駆け寄るが、手は虚しく少女の身体をすり抜けてしまう。
何度やっても同じだった。
――誰か、助けて!
大人の旬果は叫ぶが、誰も答えてはくれない。
少女の瞼がゆっくりと下りていこうとしたその時、窓が外より割られ、外気が熱気を払う。旬果ははっとして、窓の方を見た。
――何!?
同時にチリン……。燃えさかる炎の世界とは余りにかけ離れた、涼やかな鈴の音が聞こえた。
――この音……。
その音は間違いなく、あの玉鈴の首飾りだ。
窓から誰かが飛び込んでくる。
しかし、それは人ではない。
艶やかに光る黒い体毛に総身を包んだ、人のようにすっくと立ち上がった狼の獣人――。
「旬果様、もう大丈夫ですっ」
獣人はそう告げ、昔の自分を横抱きにする。
――泰風……。
獣人の澄んだ眼差しは、真っ赤で、まるで宝玉のように綺麗だった。
少女――かつての自分は恐怖を微塵も感じないまま微笑み、獣人の泰風の胸元に顔を埋めた。
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