第11話 胸中
ブルーノは、病院でアルフレッドの失踪について話を聞いたあと、薄暗い空の下を呆然と歩く。ズキズキと痛む頭と心臓、重い体。決していいとは言えない身体的状況でなんとか足を動かす。
今くらいの時間は本来なら課業が終了する頃だろう。だが、ブルーノはまだ完了していない仕事がある。ならば一旦基地に向かうべきか。病院での状況を一応報告するためにも、その方がいいだろう。
しかし、基地に向かおうにも帰宅しようにも足取りがやたら重く、このまま道端に座り込みたい程だった。だが、流石にそれはみっともない。せめてきちんと座れるところに行こうと考え、バス停近くの公園に足を向けた。
もう夕方で人影も少ない。これなら少し休むにもいいだろうとベンチに腰を下ろす。はぁ、と大仰に溜息をつくと、遠方にいた幼い子供がちらりとこちらを見た。ブルーノを指をさす子供は、母親と思わしき女性になにかを話しており、やがて母親に連れられて公園から出ていった。
軍服姿の大の大人が一人で公園にいるのは異様に映ったのだろうか。下手に声をかけられなくてよかったと安堵しながら、地面をぼんやり眺める。
一人になったブルーノの気持ちは非常に澱み、思考が纏まらず鬱々とした気持ちが積もっていた。被害に対する悲しみと、犯人に対する怒りと、今後への不安。そして、自責の言葉と、アルフレッドが生きている可能性に対する希望と、また別の期待。様々な感情がごちゃまぜになって、ブルーノの頭を埋めつくし、どうしようもない重苦しさや頭痛となって体に悪影響を及ぼす。
ズキズキとした痛みについ眉間に皺を寄せて頭を抱えながら、ブルーノは病院で警察に言われたことをゆっくりと思い出していた。
『警察は全力で行方を捜査します。きっとお兄さんは見つかります。安心してください』――真面目そうな警官にそう言われて、ブルーノはお願いしますと力強く返した。アルフレッドは生きているかもしれない。無事見つかってほしい。心の底からそう思い頭を下げた。
だが、その気持ちとは別に、ブルーノの胸中にあったのは、根拠の無い自責の念以上に嫌な感情だった。
それは、このままアルフレッドが死んでいればいいのに――という、なんともおぞましい考えである。
この数ヶ月、ブルーノはアルフレッドの面倒をほぼ一人で見ていた。両親が生きていた頃は分担していたため今ほどではなかったが、両親が亡くなってからはずっと一人である。長兄は行方知れずで、妹達は皆嫁ぎそれぞれ家庭がある。そうなると独身の自分が面倒を見るのが一番妥当だ。とはいえ、たった数ヶ月といえども、それは大きな負担だった。
アルフレッドとまともにやり取りが出来るわけでもなく、病状は緩やかに悪化している。また、問題が起きれば勤務中でも連絡が入ることもある。すぐさま向かえば課業を中断し周囲に迷惑をかけることになり、向かわなければずっと不安要素として胸の内に残る。はっきり言えば悪影響だ。
そんな中妹達に協力を求めたが、直ぐに手助けは得られず、長妹にはやたらと罵られ根拠もなく責め立てられる始末。最近はサミュエルという協力者が増えて少し楽にはなったが、慢性的な頭痛等も相俟って、正直もうそろそろ限界が近かった。
『何故自分は次兄のせいでこんなにしんどい思いをしているのだろう』『次兄がいなければ、もう少し楽に生活ができるんじゃないだろうか』『このままずっと見つからなければ、もしくは死んでから見つかればいいのに』――そんな考えが頭に浮かぶ。決して思ってはいけないだろう感情が頭の中で浮かんで刻まれていく。
「…………最悪じゃ。アルに対してそがぁなこと考えるなんて……」
最低すぎる感情を拭い去ろうとするように緩く
やがてブルーノの脳内は自責の念でいっぱいになり涙腺が緩みそうになりながら、薄暗い空の下で頭を抱える。
いい歳した男がなに泣きそうになっているのか、なんて女々しく情けない――そう思い慌てて目元を押さえていたその時。誰かの気配と急ぎ気味の足音が接近しているのに気がついた。恐らく民間人だろうが、真っ直ぐこちらへ向かってきているだけに緊張は高まる。ブルーノは再度滲みかけた涙を拭い顔を上げてその先の人物に目を向けた。
そこで目にしたのは、カバンを手に重苦しい表情を浮かべ少々息を乱しているサミュエルであった。
「……サミュエルくん? どしたんじゃ、こがぁなとこで」
「あなたを、探しよったんですよ。見つかってよかった」
「……わしを探しょぉった? なんでぇ?」
サミュエルは呼吸を整えるとブルーノの隣側に腰を下ろし、自身が先程病院に行ったことを口にした。
喫茶店での勤務を終えたサミュエルは、アルフレッドの様子を見に病院へと向かい、そこで彼の失踪を知った。続けて少し前までブルーノがいた事を聞いて、どうしようもなく不安になったのだという。
今まで接してきた中で、ブルーノが生真面目で自罰的な思考であることや、困っていてもなかなか周りに頼ろうとしない性格であることは多少知ったという。例えば、先日の長妹との電話で言いがかりをつけられた際の『仕方ない』といった様子や、普段の会話からもそれは読み取れる。
だからこそ、もしかしたら、アルフレッドの失踪は自分のせいであると考えているのでは? と案じたのだという。
「ブルーノさんは、結構なんでもかんでも自分のせいって思ってしまう性格なんかなと思うんですよ。自罰的っていうか。そういう思考がすべて悪い訳ではないと思うんですけど……あなたは、ちょっと、過剰というか」
目線を斜め上に泳がせ、あれこれ考える素振りを見せながらサミュエルはそんなことを言う。落ち着かない心持ちで手を動かしながら、サミュエルは小さく唇を開き、しどろもどろに言葉を続けた。
「だから、その、もし、アルフレッドさんがいなくなったんは、自分のせいって思てはるなら、それはちゃうと伝えたくて……」
「……われは、優しいのぅ」
「そう、ですかね。……いや、そんなこともないですよ」
「わしゃぁ、大丈夫、じゃ」
自身の言葉に動揺し少し口調が固くなるサミュエルを見て、下手くそに微笑んだブルーノは、彼に向けていた目線を落とす。
そして、ブルーノは、ほぼ無意識のうちに、とても小さな掠れた声で今の自分の心境を口にし始めていた。
「……今、わしは言うほど自分のせいたぁ思うとらんよ」
「あ、そうなんですか? なら、いらん心配でしたかね」
「いや、気にかけてくれたなぁ、ありがたい。じゃが、わしゃぁもっと酷いことを考えてしもぉただけじゃ」
「酷いこと?」
「……だって、な、わしゃぁ、アルがこのまんま見つからなけりゃぁええのに、なんて、最低なこと考えとったんじゃけぇの」
その瞬間、苦い笑みを浮かべていたサミュエルが驚きに目を丸くし、微かに衝撃の声を上げた。
ブルーノの目線は今地面に向けられているが、隣に座る彼の動揺がありありと伝わってくる。ちらりと目を向けると、彼は眉間に皺を寄せ、どこか悩ましげな表情を湛えていた。何を考えているかは正確には分からないが、引かれていることだけは間違いないだろう。
ここで話すのをやめて、冗談と言って終わらせた方がいいのだろう。しかし、強烈な焦りや不安に駆られながらも、胸の内を吐き出すことをやめられなかった。
「数年前にアルフレッドが事故におぉて、んで、数ヶ月前に父親も母親も死んでもぉて。それよりもずっと前に一番上の兄貴が家を出てて。あと妹らは嫁いじゃけぇ、アルの面倒見るんはもうわししかおらん。……妹らは
文としてまともに成立していない言葉が口からどんどん溢れ出る。話しながら自分でも何が言いたいか分かっておらず、どんどん尻すぼみな言葉になる。こんな支離滅裂な言葉を聞かせて何になるというのか。分からないままに、混乱した頭と掠れた声で自らの胸の内を吐き出し、無意識に青い瞳からぼろぼろと涙を零し反射的に鼻をすする。いい歳した男のくせに何を泣いているのだろう、相当情けない姿だと自分でも思うが、取り繕う余裕などなかった。
やがてただ無言で涙を流すだけになった頃、ブルーノの言葉を無言で聞いていたサミュエルは、ポケットから取り出したハンカチを手渡す。そして、何かを決心した面持ちでブルーノにある提案をした。
「ブルーノさん、すぐ病院行きましょう」
「……へ? 病院?」
「そうです、早よ病院で診てもらわんと、大変なことになると思うんですよ」
サミュエルは真剣な目付きでブルーノを見据えるが、ブルーノは彼の提案の意図を理解できないまま、受け取ったハンカチを手に疑問を口にした。するとサミュエルは真剣さを表にしたまま緩やかに答える。
「アルフレッドさんのことで病院に行くんじゃないんです。あなたの事で行くんです」
「……は? なんで? わし、どこも悪ぅないで?」
ハッキリと口にされても未だに理解が追いつかないまま首を捻り、素直に自身は健康体であることを主張した。しかし、それを聞いたサミュエルは呆れた様子で眉を寄せる。
「いや、どこも悪くないって、それ、本気で言うてはります? 俺から見たら満身創痍ですよ」
「ど、どこが……?」
「どこがって……。まず顔色めっちゃ悪いですし、目の下のクマも酷いし、超不健康そうです。あと、さっきの話からしてあなた
「でも、仕事はしにゃあいけんし、アルのことやって、別に毎日つきっきりでもないし、もっと
「無駄に他人と比べない方がええです。限界はそれぞれちゃいますし、毎日つきっきりでなくてもこの数ヶ月ずっとアルフレッドさんの面倒を見とぉのは負担になってます。そら『この人がいなかったら』なんて考えたり、俺みたいな子供相手に弱音吐いたりもしますに。というか面倒見る相手が誰であれ疲れるもんは疲れますし、他人が手伝ってても
狼狽し弱々しい声を発するブルーノの隣で、サミュエルは真剣な声色と面持ちのまま話を続ける。
「とりあえず、ブルーノさん、あなたはばり疲れてます。その目のクマの感じからして、あんまり寝てはらんのちゃいます? なのでとりあえず強制的にでも休んだ方がええです。ということで病院に行きましょう。俺、ええ先生知ってるんです。うちの母さんの友達の方でして。今やったら診療受け付けてくれると思うんで、行きましょう、今から」
「…………え、今から?」
「あ、もしかしてこの後用事あります?」
「いや、課業はあるけど……」
「あぁ……それ、なんとか後回しにできません?」
「いや、いやいや、われなにを……」
捲し立てるような勢いで言葉を続けたサミュエルは、ポケットに入れていた懐中時計で時間を確認し急いでと言わんばかりに立ち上がって出発を促す。そこでブルーノは漸く彼の言葉を飲み込むことができた。ちゃんと聞いていたはずなのに反応が遅れて申し訳なく思うが、それよりも、今から病院に向かうという行動力に動揺した。流石に突然過ぎるのではないか、それに一旦基地へ向かったほうがいいんだが――それを口にすると、カバンを抱えたサミュエルが戸惑いながらも口を開く。
「あー、多分、今行かんかったら、あなたずっと病院行かん気がして……。だから、よっぽどの理由がない限り行った方がええかなと……そうしやんと
「……やたら病院勧めるけどわしのこと、病気じゃと思とるんか?」
無意識的に凄むような声色での返答になってしまったが、特に怯えることも無くサミュエルは否定する。
「そういう訳ではありません。それだけはちゃいます。でも、明らかに体調悪そうなんで、これは一回診てもらいよる方がいいって思ぅただけです。ただの疲労や風邪やとしても、素人判断で勝手にやると、えらいことになったりしますから」
「…………ほうかえ」
「その先生、結構厳しいですしちょっと怖いところもありますけど、ちゃんと信頼できる人なんで。あ、もちろんブルーノさんがいつも世話になってる先生がおるんでしたら、その人でもいいんですけど」
「前はおったけど、今は特におらん。……やで、その先生でええ」
疲弊した気持ちが更に萎えていく感覚がある。正直、ここ最近は自分のことで病院にかかるなど滅多になかったため気が重い。それでも、自分の事をここまで心配してくれるサミュエルの為にもと、鉛のように重い体でなんとか立ち上がり彼に案内を頼むことにした。
基地に戻るより先に診療所に向かう選択はどうかと思うが、もういい加減に限界なのは事実であった。
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