博物クラブ - 短編

灰色 洋鳥

その1 出会い

 タッタッタッタッ!

 小さな女の子が元気にかけていく。勢いよく立ち止まって振り向き声をかけてきた。


「おとーさーん。遅い!

 おかーさん待ってるよ」

「あまり急ぐと転んじゃうよ」

 娘のユキが焦れったいのか、プンプンと音が出そうな表情で待っていた。

「おいで」

 僕は、側によると抱え上げ肩に乗せた。

「わかったよ。

 でも走ると危ないからね」

「やった!」


 僕の肩に乗って嬉しいのかすっかりニコニコ顔だ。

 そのとき、ふと懐かしい香りに気がついた。鼻を刺激する煙っぽいんだけど、どことなく記憶を刺激する匂い。周りを見回すと遠くでステテコ姿のおじさんが一斗缶で火を起こしていた。


 木質のものが焼ける匂いなのだろう。

 思えばもう長いことこの匂いを嗅いだことがない。

 子供の頃は建築現場の焚き火や落ち葉焚きの煙などに出会う機会があったものだ。


「いや、もっと大きくなった頃に嗅いだ。

 あれは……」

  僕は十年近く前のことを思い出していた。僕の人生の大きな出会い。

 


   ―― ☆ ☆ ☆ ――



 いつもより遅い時間に駅で電車を待っていた。季節は秋口、布団を蹴飛ばしてお腹を冷やしたのか、腹痛でうちを出るのが遅くなってしまったのだ。学校には遅刻することは電話してある。

一限目には間に合わないのでのんびりと電車を待っていた。



 僕は、東雲真仁しののめまひと、高校二年の男子、彼女いない歴一六年。本人はフツメンと思っているがモテた試しがない。別に男子が好きだとか、自分しか愛せないとか、そんなことはなく普通のつもりだ。ただ、地味で女の子とうまく話せないので会話が続かないのだ。

 興味を持ってくれる子もいたけど、少し話しするといつの間にか話しかけられることがなくなっていた。男子とは普通に話せたのでハブられることはなかったが、クラスの周辺で目立たず話題にもなることのない空気のようなポジションになったのも当たり前だった。


 その日は登校時間が違うだけ。自宅と学校を往復するだけの当たり前の日のはずだった。



 ホームの際に立っていたのがいけなかった。いじっていたスマホから目を上げ、勢いよく振り向いた。飲み物を買おうと思ったのだが、周りが見えていなかった。振り向いた瞬間リュックに衝撃を感じ悲鳴が聞こえた。


「きゃあ!」

 続けて怒号が聞こえた。あんな焦った声を聞いたのは生まれて初めてだった。

「女の子が落ちたぞ」

「いやまだ落ちてない。急げ。引きあげろ」

「助けて、だれか!」

「じゃまだ!どけ」


 誰かに突き飛ばされた。助けに駆け寄ったサラリーマンにだった。慌てて振り向くと女の子がホームにしがみついている。周りでは数人のサラリーマンと思しき人たちが女の子に手をかけて引き上げていた。僕も慌てて駆け寄ったが、サラリーマンたちがじゃまで側で見ているしかなかった。


 女の子は数人の屈強なサラリーマンに引き上げられた。まだ電車が来るまでに時間はあったと言うものの見ていた人々の間に安堵の空気が流れたのは当たり前だった。僕も安堵のため息をついた。自分のリュックに当たって線路に落ちかかったのだから当たり前だ。


「ごめんなさい」

 僕の謝罪に女の子を助けてくれたサラリーマンたちの厳しい表情が少しゆるむ。もちろん睨まれたから謝罪したんじゃない。本当に申し訳ないと思ったんだ。僕はとにかく焦っていた。何度も詫びの言葉を述べていた。自分の浅慮せんりょで事故を起こしかけたんだ、当たり前ことだった。


 その頃になってようやく駅員が数名走ってきた。

 女の子に声をかけて無事を確認している。怪我もなかったようだ。

 僕はその時にやっと気がついた、女の子の制服が自分の高校の制服だということに。


「事情はわかりました。事故だということですね。

 記録を取るから、事務所まで来てください。

 君、学校は?」

「あ、あの、授業に遅れちゃいます」


 僕の抵抗は虚しかった。女の子と事務所に連れて行かれ、高校の名前や、なぜ通学時間が終わっているのに、ホームにいたのかとか。

 注意しなければダメだとか、何度もお説教をされた。

 理由を説明してもダメだった。授業をサボる不良のような扱いを受け、学校にまで問い合わせされた。学校からの返事と僕の説明が違ってなかったので、やっと言葉遣いが丁寧になって解放された。


 そのときには、一時間以上経っていた。

 僕がなんだかすっかり疲れ切ってしまったのも当たり前だった。

 女の子は被害者なので名前ぐらいしか聞かれていなかった。扱いの違いに仕方ないとはいえさすがにムカついていたが、やつ当たりする訳にもいかずムッとしていた。


東雲しののめくん。

 ごめんなさい、わたしもホームのギリギリを走っていたから。

 でも、貸し一つ!」

「えっ」


 僕はびっくりした、僕の名前を知っていることに。

 慌てて女の子の顔をよく見るとなんとなく見覚えがあった。長い黒髪をポニテに留めて眼鏡の奥の瞳にいたずらっぽい光がある。


「えーと、ごめん。

 同じクラス?

 名前覚えてないけど……楠本……さん?」

 駅員に答えていた名前を頑張って思い出した。

「うん、わたしクラスじゃ目立たないから」

 そう言って微笑む笑顔は屈託がなかった。

「すっかり遅れちゃったな」

東雲しののめくん。これから予定ある?

 暇なら付き合って!」

 僕の答えも聞かず手を引っ張り走り出した。


「えっ、えっ。どこ行くの学校は?」

「いいから、良いところ」


 ホームをさっき落ちかけた場所を過ぎ先へかけていく。彼女は止まらない。クラスでハブられて全然目立たない子とは思えないくらい積極的で元気だった。

 乗り込んだ電車はいつもの降車駅を過ぎ、知らない駅で降り立った。

僕は断ることができなかった。女の子と手をつなぐ!学校と自宅の往復じゃない!ワクワクしていたんだ。


 学校を休むなんて僕の当たり前じゃない。いつもの毎日じゃない!

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