◆警察と探偵とお喋り運転手。




「なぁ、警察に戻って来る気は無いか?」





「なんだ?お前らしくもないじゃないか。今になって僕の必要性に気付いたか?」





 僕が警察という組織に絶望した事実は変えられないし古巣に戻るなんて絶対に無い。


こいつが警察を変えるっていうのなら変えればいい。


それ自体は応援してやるが、もうそこに僕の居場所は無い。そこは僕の居場所じゃない。





「まぁ、そういう事だよ」





 …驚いた。


こいつがこんな風に素直に僕の力を必要とした事なんて、あの事件が最後だった。


僕等が袂を分かつ事になった最後の事件。





それからと言うもの坂本は僕を蔑んでいた筈だ。





「そんな目をするな。確かにあの時俺はお前を臆病者だと思った。こんな腐った場所だから、見限って逃げ出したお前を心から蔑んだ」





「おいおい。喧嘩を売られているのか僕は」





「勘違いするな。当時はそうだったって事だ。しかし今警察は変ろうとしている。少しずつだがいい方向に向いてきているんだ。お前の居場所だって俺が作ってやれる。何より、お前が居た方が解決できる事件が多いんだよ。だから…」





「…」





 坂本からそんな発言が飛び出してきた事に若干面食らってしまい、無理だよ。の一言がすぐに紡げなかった。


…が、だからと言って僕の気持ちも考えも変る事は無い。





「その顔は…ダメそうだな」





「解ってるじゃないか。僕は今の仕事が気に入っていてね。組織に縛られず自分で仕事を請け、報酬をもらう。僕の能力が直接報酬という形で支払われる。やるべき事じゃなくやりたい事をやって自分を商品として金を稼ぐ。僕はそういう生き方が性に合ってるのさ」





「…そうか。解った。さっきの話は忘れてくれ。そもそもお前という女が警察なんて組織の中に納まる訳がなかったな」





 そう。


警察という組織に在籍していたらやらなければならない事が山積みになってしまって、それこそ紅茶の出生の秘密や『お兄ちゃん』とやらの正体など調べる暇もないだろう。


僕はそういう自分が興味を引かれる物を求めているし、僕を惹きつける案件を求めている。


それで十分な稼ぎを得ているし、逆に金にならない場合もあるが楽しく仕事ができている。


僕はそういう自由な生き方をしていきたい。





「坂本…お前は昔から整理整頓が上手かったからな。警察の内部もその調子で頼むよ。影ながら応援させてもらおう」





「整理整頓、か…。確かにそりゃ俺の得意分野だ。まだまだ上へいくからな。その時戻ってきたいなんて言ってももう聞く耳持ってやらないぞ?」





 そう言って坂本は笑う。


そんな笑顔を見るのも久しぶりだ。


思えばいつも難しい顔をしていたように思う。


そんな坂本が笑うのは、事件が解決した瞬間。その時だけだ。





この男は笑えばいい男なのだ。


笑わないから未だに女っ気の無い独身人生を送り続ける事になる訳だ。





だが、僕は少し彼が羨ましくなった。


いつの間にそんな顔で笑えるようになった?





僕はやりたい事をやってやりたいように生きている。


毎日が楽しいさ。





だが、笑った事など…。





「なんだよ。俺が笑うのがそんなに不思議か?お前今すごい顔してるぞ」





「うるさいな」





 どんどん変っていくこの男が羨ましくもあり、妬ましくもある。


それは認めるしかない。





「お前も、いつか心から笑えるようになるといいな」





 何様だお前は。





「僕が笑わないのも笑えないのも昔からだよ。毎日ちゃんと楽しくやってるさ」





「…それならいいんだがな。お互いまた現場で会う事もあるかもしれない。その時はまた頼むぞ名探偵殿。それまでさらばだ」





 さらばだ、なんて言葉今時使うやついねぇよ。





「ああ。その時はきっちり報酬を頂くから覚悟しとけよ。じゃあ僕はまだやる事があるから」








…現場に背を向けタクシーを呼び止める。


大通りに面しているせいかタクシーはかなり多く走っていたため、現場からほんの数歩歩いただけで捕まえる事が出来た。





今はそれが非常にありがたい。





一刻も早くその場を離れたかったからだ。





イライラする。





何故そう簡単に変る事ができる?


いや、そうなるまでにはいろいろな紆余曲折があったのかもしれない。


だとしても一緒に仕事をしていたあの頃から僕は何一つ変っていない。


いや、もっと昔から、もっともっと昔から。





僕は、笑う事が出来ない。


笑うという事がわからない。





楽しい、嬉しい、そういう感情が無いわけじゃない。


だけど、楽しいと笑うのか?


嬉しいと笑うのか?





笑うって何だ?








僕にない物を手に入れた彼が今では憎くすら感じる。


警察を辞める時ですら、あいつは馬鹿だと思いこそしたが憎いなんて思った事は無い。





だけど、さっきの坂本の笑顔を思い出すだけで腸が煮えくり返りそうだ。





なんでこんな簡単に怒りの感情は手に入れる事が出来るのに笑うなんて誰にでも出来る事が出来ないのだろう。





別に笑いたいなんて思っているわけじゃない。


このままだって構わない。





だけど周りはどんどん変っていって、


僕だけはいつまでもこのままで。





周りは進化の余地がまだまだ沢山あって


僕は打ち止め。





そう考えると苛立ちが止まらないのだ。








…イライラすると言えば紅茶と縁もそうだ。





水江さんの話を聞いてから二人に群馬に行くよう指示をして、縁もそれに同意していた。


こっちにいるより危険は無いだろうし、地元に戻れば紅茶の記憶に何かしらの影響があるかもしれないと思ったからだったのだが、どうやらあの二人は遊園地で遊びほうけている。





縁のスマホに仕込んだGPSで居場所は手に取るように解った。


なぜそんなところにいるんだ?


さっさとやるべき事をやってから遊べよ。





…そもそも二人だけで行かせる事は正しかったのか?


万が一にも雨合羽男が二人を尾行していたとしたら?


その可能性は低いだろうと思う。


思うのだが、一度気になりだすと自分の判断に自信が持てなくなる。





こんな風に自分に自信が持てなくなる事などそうは無い。


それもこれも坂本のせいだ。





今の僕は気が動転して正しい思考ができていない。


大丈夫な筈だ。





が、今からでもいいから動くべきだろう。





あの二人が行かないのなら僕がいく。


こちらの事件を投げ出すのではなく、二人を確保し安全を確かめる為に群馬へ行く。


そのついでに気になる情報を仕入れてくるだけだ。





そう、それでいい。





今僕がすべきなのは事件の解決と、何より紅茶の安全の確保。





自分から遠ざけるべきでは無かった。





もともと縁一人を行かせるべきだったのに紅茶を一人にするわけにはいかないので一緒にと言い出したのは僕だ。


だったら自分の尻拭いは自分でしないといけない。





僕はそのままタクシーで駅まで向かい、すぐさま電車で群馬へと向かった。





こちらが電車移動を開始してしばらくすると、二人も遊園地を出て目的地へと向かい始めたようだった。





この調子だったら現地でスムーズに合流できるかもしれない。





大宮で新幹線に乗り換え高崎駅に到着した所でもう一度二人の居場所を確認する。


もう目的地に到着するようだったのでこちらも急いでタクシーを捕まえた。





群馬県に来るのは人生でまだ二回目だが、一回目の時も事件絡みだったのでほぼゆっくりできていない。


どうせ遠征するのならばゆっくり現地の美味しいものでも食べたいところではあるのだが今回もそんな暇はないだろう。





のんきに遊園地なぞに行っていたであろう二人が羨ましくなるのと共にあのイライラ感が蘇ってきた。





さらに運の悪い事に、乗ったタクシーの運転手が話好きというかマシンガンというか、こちらが無反応でもひたすら何事かを喋り続ける。いい加減うんざりして、ちょっと静かにしてくれと言っても、そんなつれない事言わないでよ~とか言って問答無用で会話を続けようとしてくる。


最後の方はもう喧嘩腰で対応していたのだが運転手はまったく動じる事もなく飄々としていた。


この心の余裕は見習うべきなのだろうか…。





目的地に着いた時には僕は相当に疲弊していた。





しかし、無理をして二人を追いかけてきた事はどうやら正解だったようだ。





 目的地である佐藤家の知人宅付近で縁の後姿を見つけて声をかけると、縁は慌てた様子で





「紅茶が危ない!一緒に来て!犯人がこの辺に居るかもしれない!!」





 と言った。





あの雨合羽男が二人の後をつけてきたという事だろうか?





とにかく今はあれこれ考えている場合ではない。


紅茶の安全を確保しなくては。





縁と二人で目の前にある坂を登るが、登りきる直前に、上からすごい勢いで下ってきた紅茶が坂の折り返し地点を曲がって突っ込んできた。


無事なのは良かったのだが、勢いが殺せずにそのまま縁に激突して坂を転げ落ちていったのには正直ヒヤヒヤした。





紅茶はそのまま意識を失ってしまったので、目撃したという変な人とやらがどんな風貌だったのかは聞けていない。





のだが、紅茶を担いでの帰路の途中で、そんな事がどうでも良くなってしまうような話を縁から聞いた。





二人が聞いたという紅茶の幼い頃の話。


そして、紅茶の様子がおかしくなった事。


さらに、聞いたばかりの話の一部が紅茶の記憶の中から綺麗に消えてしまっている事。





これは、面白い事になってきた。





水江さん、あなたからの依頼はやはりこの事件に無関係ではないかもしれない。


全ては繋がっている。





少なくとも縁の話を聞く限り、僕には確かめなければいけない事が沢山できた。





「縁、頼みがあるんだが」


「…今度は何したらいいのさ」





 簡単な話だ。


何もしないでほしい。





「僕はしばらく一人で調べなきゃならない事ができた。君らを無事に家に送り届けたらもう一度一人で群馬へ行く」





 既に僕らは新幹線を降り、大宮で乗り換えようとしていた。


本来なら二人だけで帰らせてそのまま群馬での調査を続けるのが一番手っ取り早かったのだが、今更二人を放り出すのも心配だったし何より紅茶があれからぐっすり眠りっぱなしなのだ。


さすがに同行しないわけにはいかない。





「とにかく家に帰ったら縁の家に二人で居るんだ。僕が帰るまで。おそらく一~二日で帰るからそれまで一切外出をせずに誰が来てもドアを開けない事」





「それじゃ学校は…?」


「休め。紅茶の母親とは面識があるからこちらから説明しておこう」





 水江さんとの接点がいろいろと役に立っている。


予期せぬ出会い、依頼だったがタイミング的には最良だっただろう。





何か、大きな流れが出来てきているような不思議な感覚だ。


こういう時は大抵上手く行く。





思った通りに動けばいい。


やりたいようにやればいい。





やはり僕はこの探偵家業というものが気に入っているし性に合っているのだ。



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