第75話・謝罪の行方
俺の向かい側に、椅子に座ったリューネ、レイアがいる。
モエは座らないのか、リューネの後ろに控えていた。
俺は何も言わず、リューネの言葉を待つ……リューネは、俺をチラチラ見ていた。
「あの、アロー……」
「ん?」
「その、いろいろと……えっと」
何を言えばいいのか、迷っているようだ。
いろいろ言いたいことはある。でも、俺は何も言わずにリューネに喋らせることにした。
すると、レイアは言う。
「お兄ちゃん、いろいろあったけどゴメンね。わたし、サリヴァンと別れた後、いろいろあってアーロンさんのところでメイドやってたんだ。お兄ちゃんに謝ろうと思って、こうして付いて来たの」
「……そうか」
「うん!! いろいろごめんね。許してくれる?」
「…………」
あっけらかんとしていた。
子供の頃から明るいとは思っていた。天真爛漫……そんな言葉がぴったりだ。
でも、今は違う。妙な『邪悪さ』すら感じていた。
「なあ、レイア。お前は……何を考えてる?」
「えー? わたし、お兄ちゃんに悪いことしたなーって。わたし、サリヴァンが甘い物くれたり、甘やかしてくれるのがすっごく気分良くてさ、お兄ちゃんよりサリヴァンと一緒のが楽しいって思ったの。でもでも、サリヴァンが笑わなくなって、毎日大変そうになってから、どうでもよくなっちゃった」
「…………」
ゾッとした。
善悪の判断が付いていないのか、自分さえ楽しければいい、そんな風に聞こえた。
子供の頃は無邪気で可愛い妹のように見えたが……今は違う。
レイアは、俺じゃなくていいんだ。自分を甘やかしてくれる『お兄ちゃん』が好きなんだ。
「…………わかった。お前の謝罪、受け入れる」
理解した。
レイアには関わるべきじゃない。納得させ、俺から離れてもらう。
こいつはもう、俺を『お兄ちゃん』と見てる。
「やった。えへへ、お兄ちゃん、またよろしくね」
「…………」
絶対に、レイアには近づかない。
ルナもこいつには近づけさせない。こいつは無邪気な邪悪だ。
そして、リューネが言う。
「あ、あの……アロー」
「なんだ?」
「その、あたし……アローに、謝りたいことが」
「うん」
俺は、どうでもよさそうな、冷たくも暖かくもない、平坦な声で言う。
怒り狂うでもない、無視するでもない、ただの返事。
「ご……ごめんなさい!! あたし、サリヴァンの言葉に踊らされて……ううん、あたしの意志で、サリヴァンのところに行った!! あんたを裏切って、酷いことして……本当に、最低だった!!」
「…………」
リューネは、立ち上がって頭を下げた。
まあ、全てをサリヴァンのせいにして、自分を守ろうとすることはなかった。そこだけは評価していい……はは、こんな感想が最初に出てくるなんて、本当に冷めているな、俺。
「だから、その……謝りたくて」
「わかった。謝罪を受け入れる」
「え……」
俺はモエを見たが、すぐに目を逸らした。
「じゃ、もういいか? 俺、仕事あるから」
それだけ言い、俺は立ち上がる。
ぽかんとするリューネに目もくれず、モエも、レイアも無視して部屋を出た。
部屋を出ると、すぐ近くにリアンがいた。
「ごめん、聞いちゃった」
「……謝罪は受け入れた。あとはもう知らん。それとリアン……頼みと言うか、交易に関して条件がある」
「なんだい?」
「レイア。あいつは二度とここに連れてくるな。リューネも、反省してるならいい」
「モエは?」
「あいつは仕事だ。俺と仲良くしたのも、裏切ったのも、メイドの仕事だ」
「……許すのかい?」
「許すというか、もう興味がない。俺が興味あるのは、サリヴァンの復讐と、マリウス領地の発展だ」
「……わかった。彼女たちは二度とここに近づかないようにする。セーレに置いておくのも危険なら、マルパス領地で働かせるよ」
「そうしてくれ。じゃあ村を案内するよ」
「うん、よろしくね」
俺はリューネたちの謝罪を受け入れ、リアンの案内をするのだった。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
リューネたちは、集会場でぽかんとしていた。
アローは謝罪を受け入れた。だが……それだけ。
許すとも、許さないとも聞いていない。まるで興味がないような、虫を見るような眼をしていた。
「お兄ちゃん、謝罪を受け入れるって。よかったね、お姉ちゃん」
「…………」
リューネは、何も言われなかった。
「……ああ、そっかあ」
リューネは涙を流した。
気付いてしまったのだ。アローはもう、リューネたちに嵌められたことなど、過去として割り切っている。そこに、怒りも涙もない……完全に、どうでもいいことだと思っている。
幼馴染として一緒に育った思い出。川遊びしたり、釣りをしたり、一緒のベッドで寝たり、泥遊びして怒られたり、一緒に勉強をしては逃げ出したり……リューネは、思い出があふれ出していた。
「あはは……」
色褪せない、鮮やかな思い出。
それらが───……濁っていく。
そもそも、謝ってどうするつもりだったのか? 怒鳴られたかったのか、許してほしかったのか、いっそ殺してほしかったのか。
何もなかった。
きっとアローは、今日のことなど忘れて、またマリウス領地のために頑張るのだろう。未来のために、前に歩き出すのだろう。
リューネは? 何のためにここまで来たのか?
「……あたし、やっぱ最低」
リューネは顔を押さえ、流れる涙を必死に止めようとした。
「すっごく醜い。あたし……アローなら、許してくれるかもって……小さな希望に縋ってた。アローを、思い出を捨てたのはあたしなのに……もう、最低」
「お姉ちゃん? どうしたの?」
「……もう、ダメ。あたし……ダメだ」
完全に、リューネの心は折れた。
ほんのわずかにあった、『アローが許してくれるかもしれない』という希望が、完全に折れた。
苛烈な言葉より、殴られるより、剣で斬られるよりも辛い……『無関心』が、リューネの心に消えない傷を刻んだ。
「…………」
リューネはもう、流れる涙を拭うのをやめ、静かに項垂れていた。
「お姉ちゃん、これからどうしよっか? お兄ちゃんの村に住む? あ、でもセーレのが発展してるし、安全だよね。アーロンさんならメイドとして雇ってくれるんじゃない? わたしの家に住んでもいいからさ、一緒にがんばろっ!!」
どこまでも明るいレイアは、泣いてるリューネに構わず嬉しそうに語っていた。
「…………」
モエは───……何も言わず、俯いたままだった。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
その日の夜。
夕食を終え、アテナと愛し合った後、俺は服を着替えて外に出た。
ダイアウルフたちは寝ていたが、俺が外に出るとユキだけが反応した。だが俺は手で制する。
そして、家から少し離れた川べりに、そいつはいた。
「……よう」
「……お久しぶりです、アロー様」
モエ。
不思議だった。アテナと愛し合った後は一緒に寝てしまうのだが、今日は眠る気になれず、そのまま着替えて外に出てしまったのだ。
なんとなく───……いるような気がしたんだよな。
「俺に用事か」
「はい」
「お前も、謝罪か?」
「はい。アロー様、この度はご迷惑をおかけしました。そしてもう一つ……アロー様のご命令通り、リューネ様たちの傍でお守りしました」
「…………命令、だもんな」
「はい。結果的に裏切ることになりましたが、全てはご命令通りでございます」
モエは頭を下げた。
そう、命令だ。俺は……モエに、リューネたちを頼むと命令した。
それは事実。そして、モエはやり遂げたのだ。
「…………」
「アロー様。私は……これから、どうすべきでしょうか」
これは、俺が言うべきなんだろう。
モエは俺のメイドだ。だから……俺は言う。
「……お前はもう自由だ。これから先の人生、お前の好きに生きろ」
「……はい。アロー様、今までありがとうございました」
「ああ……」
風が吹き、俺とモエの髪を揺らす。
怒りは沸いてこない。なぜこんなにむなしい気持ちでいっぱいなのか。
俺のせい───……そう、思ってしまった。
「リューネ様は、心を病んでしまわれました」
「…………」
「リューネ様は、ずっと打ちのめされていました。ほんの僅かな希望であった『アロー様への謝罪』を希望として、ここまでやってきました。そして、その結果が望むものではなかった……」
「…………」
「私は、リューネ様の傍にいます。残りの人生をかけて、お世話することにします」
「……そうか」
「もし、アロー様が許すなら……この地の片隅で、残りの人生を終えてもよろしいでしょうか」
俺は、拳を強く握る。
すぐに否定できない。
モエと対峙し、俺は思ってしまったのだ。
モエは、裏切ったんじゃない。俺の命令でリューネたちの傍にいただけ。そこにモエの意志はない……恨むのは、筋違い。
そんな馬鹿な話、あるわけがない。
でも、思ってしまった。そこに『無関心』になれない自分がいた。
「…………好きに、しろ」
それだけ言い、俺は逃げるように家に戻った。
◇◇◇◇◇◇
ベッドに入ると、アテナが言う。
「……非情になりきれないの、あんたのダメなところで、いいところだと思うわよ」
「…………」
「お疲れ様。アロー」
「…………うっ」
俺はアテナの胸に顔を埋め、震えるのだった。
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