愛人生活から始まる異世界英雄育成譚~DAWN~
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転 愛人契約終了
いやに甘い煙草の香りが室内を満たす。
ロッキングチェアを揺らしながら紫煙をくゆらすのは、『キツネ顔の男』だった。
吊り目だとか、面長だとか、そういう意味ではない。
まごうことなき、『獣人』。
アニメに出てくるような、人間に耳と尻尾が生えているだけのアレではない。キツネがそのまま二足歩行になった、正真正銘『けだもののひと』。毛むくじゃらの身体を質の良いガウンで包み、ただでさえ細い目をさらに細めて、事後の喫煙を楽しんでいる。
エリカはそれを横目で眺めながら、ベッドの上で蜜柑に似た果実を貪っていた。
日本では簡単に手に入るそれも、『この世界』では高級品である。こういう時にしか口に入らない。
「ところで、エリカ」
キツネが穏やかな声で話し掛けて来た。
「なに?」
裸を晒しながらエリカは答える。こいつが帰ったらシャワーを浴びるため、衣類をまとう必要性を感じない。
「我々の愛人契約は、今日でお終いだ」
唐突な宣告に、果実を喉に詰まらせ、むせる。
「なんで――」
「分かるだろう、妻がなぁ……」
言葉を濁すキツネに、思わず息を呑んだ。
奥さんにバレたのか。
裁判、慰謝料、そんな単語が頭に浮かぶ。いや、ここは日本じゃない。ということは、姦通罪とかなんとかいうやつか。もしかして重罪に問われる?
「――妻が、妊娠したんだ」
続いたキツネの言葉は、予想外だった。そこには歓喜の感情が目一杯詰まっていた。
妊娠を理由に『愛人契約』を破棄すると言い出した、その中途半端な愛妻心に驚きを隠せない。
「ふ、普通は、奥さんが妊娠したからこそ他所で発散するものじゃあ……」
そう言うと、キツネは面白そうに細い目を見開いた。
「おやぁ、お前の元いた世界では、それが常識なのかい」
おそらく、嫌味なのだろう。
「いや、そんなことはないけど……」
エリカは自分の中の下世話な思考を恥じ入り、俯いた。
しかし、キツネの言うことも納得いかない。真の愛妻家は、そもそも愛人など囲わない。
「あんたの奥さんラブっぷりはどうでもいいよ! それより、あたしはどう生きていけばいいの!」
するとキツネは視線を逸らし、紫煙を吐き出す。
エリカは、吐き気を覚えながらキツネの答えを待った。判決を待つ被告のような気分だ。
「安心しなさい、新しい職は見つけてある」
キツネの目がまた細くなった。これは笑っているのだと分かる程度には、長い付き合いをしている。
もちろん安心などできない。このキツネは強欲なやり手商人だ。風俗のようなところに落とされるのか、それとも異常性癖の男に下げ渡されるのかもしれない。
胃は重いまま。
長い沈黙に、口内に溜まった唾を飲み込んだ。
キツネは煙草を灰皿に押し付け、軽い調子で口を開いた。
「子どもを一人預かってくれないかね? 多分、十歳にも満たない子だ」
その答えは、意外に過ぎた。
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