第21話 第七章 悪意の寝床②
「あの」
「ハイ?」
「私、魔法の強い男の人が好きなの」
「そ、そうなんですか。へ、へえー」
顔を赤らめ、視線を逸らすデニスの頬に人差し指を当て、強引に前を向かせる。
「良かったら、見せてほしいな。高魔力の魔法。空に向かって放てば、そんなに危なくないし、盗賊団にも”ここにはこんなに強いヤツがいる。襲ってくると危ないぞ”ってアピールできるから、ね? 良いでしょう」
手を握り、シャツから覗く胸元を強調させる。デニスの顔は、トマトよりもまっ赤に染まり、酒に酔ったように体はふらついている。
「あ、そ、そうですね。盗賊団のヤツにアピールしないとですね。じゃ、じゃあ。宿の裏手で披露します」
カウンターからふらりふらりと出たデニスに付いて行きながら、彩希は悪い笑みを浮かべた。黒羽は、氷を脊髄に直接叩き込まれたような寒気に襲われ、一言呟く。
「女は恐ろしい」
数分後、夜空を埋め尽くすほどの火炎魔法がさく裂し、彼の疑いはめでたく晴れた。
「ハア、空振りだったわね」
戻ってくるなり、冷めた声で言った。
「調査のためとはいえ、デニスが可哀そうだな」
カウンターで、チラリチラリと彩希に視線を投げかけるデニスを見て、黒羽は同じ男として申し訳なく思った。
「何が?」
「いや、分からないならいいさ。それより、残る可能性はギルドマスターと冒険者だな」
「そうね。今ぐらいの時間帯だったら、ギルドも開いているでしょうし、今日中には調べておきたいわね」
宿を出ると、真っすぐにギルドへ向けて歩いた。
夜空には、始まりの世界と変わらぬ月が輝き、地には、それぞれの軒先に吊るされた光源石のランプが道を照らしている。
今夜は風がないのが残念だ。風が吹けば、ランプが揺れて、まるで蛍が飛んでいるような景色となる。
黒羽は、隣を歩く彩希を見ると、片眉を上げた。どことなく不安そうな様子。彼女らしくない。やはり、代弁者との一件は、不安に感じるものだろう。
心配になり、優しい声音で話しかけた。
「これから代弁者と会うかもしれないけど、大丈夫か?」
「え? あ、ええ。問題ないわ。ボコボコにしてやるわよ」
歯切れが悪い。どうやら、彼女の不安は別にあるらしい。黒羽にもそこまでは分かったのだが、それ以上はお手上げである。
(相棒が困ってる。どうにかしないとな)
懸命に頭を働かせ、原因を探っていこうと奮闘する黒羽に、彩希は恐る恐ると言った様子で問いかけた。
「あのね、秋仁。さっき、私がデニスに声をかけた時、どう思った?」
「え? どうって」
まるで質問の意図が分からない。戸惑う黒羽に、彩希は視線を合わせず俯く。
「その……私、デニスに魔法を使わせるために、色気で誘惑したでしょう」
「まあ、そうだな。それが?」
「だ、だから。自分を大切にしない女は嫌いだって言ってたでしょう。もしかして、私のこと見損なったかしら」
ハア、と黒羽はため息をつく。
「そんなことを気にしていたのか」
「そんなことって」
「確かに、手段としては褒められたものじゃない。でも、そのおかげですぐに、デニスが代弁者じゃないって分かったんだ。見損なったりしないよ」
「本当! 良かった」
嬉しそうに笑った彩希は、軽やかなステップで黒羽の前に飛び出したかと思うと、唐突に抱きついてきた。
「な、何だ!」
「別に。気にしないの」
「い、いや気にしないのって無理だろう」
甘い花のような匂いが、鼻腔をくすぐり、密着した体越しに温かな体温と、女性らしい柔らかさが伝わってくる。
美男子で通っている黒羽だが、女性との交際経験はない。ましてや、彩希のような絶世の美女に抱きつかれては、高鳴る鼓動と発火したような体の熱は、意思の力で止められるものではなかった。
「は、離れろって。歩いている人が、見てるだろう」
「……もう。分かったわ」
あっさりと離れていき、少しもったいなかったかな、と黒羽は思ったが、すぐに頭を振って雑念を追い払う。
「いきなり人に抱きつくのは良くないぞ。勘違いしたらどうするんだ」
「勘違い?」
妖艶な笑みを口元に湛え、背を向きざま
「どっちだと思う?」
と甘く問いかけた。
「おい、どういうことだ?」
話はこれでおしまい、と手をひらひらと振り歩みだす彩希の足取りは軽やかだ。一方の黒羽は、わけが分からずひたすら葛藤する。
(ん? ニコロに抱きついた時は、慰めるためだよな。じゃあ、今のは何だったんだ?)
脳内会議をどれほど繰り広げたところで、クエスチョンマークが飛び出すだけで、満足な答えは得られない。
結局、彼はもういい知らん、と半ば怒ったような様子で彩希の後を追い、通行人達は笑いを零しながらその背中を見送った。
「着いたわ。さあ、どうやって調べましょうか?」
「ギルドマスターと冒険者か。冒険者は、流れ者も多いし、正直誰もが怪しいな。とりあえずギルドマスターから確認してみよう」
「そうね。ちょっと、そこのあなた」
褐色肌に沢山の傷が刻まれた女性に、彩希は声をかけた。厳しい表情でギルド前に立っているものだから、取っつきにくそうだが、意外なほど明るい声で応じた。
「何?」
「あなたはプリウに来て長いの?」
「長いも何も、私は生まれも育ちもプリウさ。この町が好きでね。クソッタレ共を、成敗したくて冒険者になったみたいなもんさ」
「そう、それなら詳しそうね。ここのギルドマスター、リコって人だけど、どんな人かしら?」
「どんなって。陽気で親切な人よ。昔は、冒険者としてヤンチャやらかしてたらしくて、凄いって噂。
たぶん、そん時の経験があるからなんでしょうが、冒険者の気持ちが良くわかってる人で、金やコネでギルドマスターになったヤツに比べれば、随分マシ。……何、狙ってるの?」
首を横に振り、彩希はちょっと考えてから、質問を重ねた。
「最近、どこか変わった様子はなかったかしら」
「そーねー、元冒険者って変わってる人が多いから、その質問には答えにくい。ああ、そういえば最近物忘れが酷いって感じたよ。物覚えは良かったはずなのに、前に言ったことをまるで覚えてなくてさ。年かな、あの人も」
「そう、ありがとう。参考になったわ」
これは……と、思った彩希は、他の冒険者にも同じ質問をした。その結果、”物忘れが酷い”と感じている冒険者は他にもいるようである。
「秋仁、ちょっと怪しいと思わない」
「……ああ。ただ忘れっぽくなったのではなく、代弁者がギルドマスターに成りすましているとすれば、説明がつくな。でも」
黒羽は難しい顔で唸ると、自信がない様子で言った。
「代弁者とギルドマスターの背丈が違う気がする。リコって人は、俺よりも背が低かっただろ?」
「そうね」
「物忘れが酷くなったって話は、俺達が来る前からの話だ。となれば、代弁者がギルドマスターだった場合、俺達と初めて会った時は、すでに入れ替わっていたはずだ。でも、代弁者は俺と同じか、少し背が高かった。もちろん、代弁者と俺の距離は離れていたから、確証はないけどな」
「シークレットブーツを履いていたとか?」
黒羽はあきれ顔で笑った。
「また、テレビか」
「あら、悪い?」
黒羽は、「いいや、生活に馴染んでいるようでなにより」と、嬉しそうな口調で呟き、ギルドの奥へと進んで行った。
相変わらず人が多くて、熱気が凄まじい。じんわりと滲む汗を拭ってカウンターに辿り着いた黒羽は、周りを見渡した。
「アレ? すいません。ギルドマスターは、どこにいますか?」
小太りの男に問いかけてみると、彼は掲示板を指差した。乱雑に張り付けられている依頼書から逃れるように、右端の上部にA4サイズの羊皮紙が釘で止められている。
「ええっと、すいません。田舎者ですので、読めないんです」
「……そうか。出張のため、しばらくギルドを空けます。報酬はまとめて後払いしますので、依頼はご自由に受けてください。そう、書いてある」
それきり、男は黙り込む。黒羽は頭を下げて礼を言い、彩希へと振り向いた。
「困ったな」
「出張ねぇ。カウンターをちょっと探ってみましょうか?」
「あ、おい。勝手に入るのはまずいだろ……ああ、もう」
黒羽の制止を無視し、カウンターに入った彩希は不思議そうに首を傾げ、行ったり来たりを繰り返した。訝しむ黒羽の前に、カウンター越しに立ち止まると、姿勢を正し、やっぱりと頷いた。
「秋仁、ここのカウンターは床の位置が低いわ」
「……本当だ。お前の背が縮んだように見える。そうか、じゃあ」
「ええ。最初に会った時、リコはここのカウンターから私達に話しかけたわよね」
彩希が、カウンターから見て右側に位置する掲示板を指差す。確かに、その構図には黒羽にも見覚えがある。
「俄然、可能性が高まったな。問題は、どこに行ったかだ。彩希、カウンターに何かないか?」
彼女は、顎に手を当てると、チリ一つ見逃すまいと、隅々までカウンターをチェックする。険しい表情で、いつになく真剣だ。ふいに、彼女の視線が一点に止まり、黒羽を手招きした。
「早く来て」
「どうした」
彩希は、カウンターに入った黒羽にしゃがむように指示すると、床に手を触れた。
「ここに、穴があるわ」
壁寄りに、ちょうど指が入るくらいの穴が床に空いている。黒羽が床をノックすると、どうも奥に空洞があるような音の響き方がした。
「何かあるな。この床、もしかして開くんじゃないか?」
指を入れ、引っぱると、あっけないほど簡単に床は開き、地下道が姿を現した。
黒羽は彩希にアイコンタクトで入ることを伝え、自分から先に飛び降りた。
「凄いな」
胸ポケットから小さなペンライトを取り出すと、道を照らしてみた。カラリとした外とは異なり、ジメジメとしていて、苔むした壁が続いている。
「よっと、かび臭いわね」
後から飛び降りた彩希の足が、床に着地した瞬間、音が遠くの方まで残響していった。
「結構広そうだな。よし、調べてみよう」
頷きあった二人は、ペンライトで暗闇にメスを入れながら、地下道の探索を開始した。
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