第14話 第五章 思わぬ邂逅②

「おっせーよ、マジで遅い。おい、早くこっちへ来て、馬から降りろ」

 ベガサスから飛び降りたニコロは、黒羽が馬から降りるのを手伝ってくれた。だが、親切心といった感じではない。

(何か、コイツ焦ってるな。何で?)

「早くしろって。馬は……俺のカワイコちゃんが見張ってくれるから、木に結ばなくていい。こっちだ」

「おい? そんなに急がなくても、フレイムは逃げないって」

「フレイムだぁ! 今は花のことなんかどうでも良い。本当はあんたをおいてこうと思ったが、待ってやった。感謝しろ」

 一体何に? という問いは無視され、ニコロは風を肩で切るように、猛烈な勢いで森を進む。顔は気迫に満ち溢れており、ただ事ではないことが、その緊張感から伝わってくる。

「もしかして、代弁者がいたのか」

「シッ。あそこを見ろ。静かにな」

 彼が指差した場所は、川が流れていた。川幅は人間を二人分並べたほどのもので、大したことはない。

(一体、ここに何があるんだ?)

 川の流れる音と小鳥の鳴き声。特に注目すべきことはないように思われた。しかし、金属同士がこすれ合う音が聞こえ、黒羽は眉をひそめる。

「何だこの音は?」

「静かにしろって。良いか、あの場所だ」

 小声で話すニコロに合わせて、気配を絶ち、その一点を見つめる。すると、桜色のショートボブを揺らして、甲冑姿の女が現れた。一言でいえば、可愛らしい女性で、甲冑を着ていなければ、どこかの令嬢か、お姫様に見えたことだろう。

「こんな所に一人で? 騎士団の一員か」

「いーや。ウトバルク王国の騎士団は、あんなデザインの甲冑は着ねえよ。それにしても、何て可憐なんだ。彩希ちゃんとは違った美がある。最高だー」

 テンションがおかしいニコロから少し離れ、黒羽はつぶさに観察する。

 森は所々、前回の戦闘によって木々が剥がれてしまっている。こんな異常事態が発生している場所に、一人で来るだろうか?

 ――もし、敵だとすれば。

 黒羽は額の汗をぬぐい、喉を鳴らした。

 女性は、しばらく川を覗き込み、それから周りを確認しだした。何かを探しているのか? と黒羽が思った時、あろうことか彼女は鎧を脱ぎはじめた。

「ハ? ちょ、ちょっと待て」

「そこまでサービスしてくれるなんて、君はどこまで俺を喜ばせれば気が済むんだ!」

 水浴びの最中だったようだ。黒羽は大慌てで、ニコロの目を覆い隠そうとするが、彼の抵抗は並大抵のものではない。

「何をする」

「お前こそ、何を考えている。覗きなんて最低だぞ」

「バッカ野郎。覗きじゃない。アレは、彼女が俺達に見せてくれているんだ。サービスだよ」

「そんなわけないだろ。とっとと離れるぞ」

「何者だ」

 冷ややかな声は、すぐ近くから。胸元を片腕で隠し、鋭い視線を二人に投げかけている。

「ま、待ってくれ。誤解だ。わざとじゃない」

「お嬢さん。君にそんな視線は似合わない。笑ってくれ。俺なら、君をハッピーにしてあげられるよ」

 こんな状況で口説きにいくニコロに、呆れを通りこして尊敬の念さえ抱きそうになる。黒羽は、どうやって誤解を解けば良いのか必死に考えた。……だが、途中で思考を止める。

 彼女の瞳に、濃い殺意が宿ったからである。

「避けろ!」

 ニコロに体当たりをすると、斬撃が空間を切り裂いた。黒羽は、すぐさま彼女にニコロの非礼を詫びようとしたが、どうやらそのような感じではない。表情は凍りつき、純粋な殺気を纏っている。

「ニコロ、気を引き締めろ」

「ああ。へ、俺達はどうやら可憐なお嬢様じゃなくて、獅子を起こしてしまったようだぜ」

 黒羽は腰から、護身用のショートソードを引き抜き、構えた。彼は一度も彼女から視線を外していない。だが、目の前にいたはずの女性は、霞と消える。

「……ハ!」

 ゾワリとした感触を首に感じて、剣を水平に振るう。甲高い金属音が鳴り、刃が宙で鍔迫り合いを演じた。

「止めたか。人間にしては、なかなかだ」

 黒羽は眉をひそめるが、それどころではない。また、彼女の姿を見失った。

 喉が干上がり、心臓の鼓動がうるさくて仕方がない。ウロボロスを発動させた彩希よりも早く、動いた気配すら感じられないのは、いかなる魔法のなせる技か。

「死ね」

 火花が散り、黒羽は己の体勢が崩れたことを理解する。

「しま……」

 地面に転げ、仰向けになった黒羽の目に、やけにスローモーションで迫る刃が映った。

 ――まずい。

 そう黒羽が思った時、

「させっかよ」

 閃光の如き槍が、迫る剣を弾く。

「何だと」

「可愛いのに、もったいねえ。君は戦うより、愛に満ち足りた人生を送った方が良い」

「世迷言を」

 甘い言葉を切って捨て、彼女は猛然とニコロへ迫るが、彼の手の中で巧みに操られた槍が接近を許さなかった。

(チィ、器用に操るものだ。だが)

 真横から降る雨のような槍の連撃を、見事に読み切った彼女は、ギリギリで躱し、次の一撃で決めるつもりであった。

 けれども、それは叶わない。突き出された槍が、突如不自然に軌道を変え、彼女の喉元へ迫る。

「馬鹿な!」

 すんでのところで回避した彼女の心は、驚愕に染まる。手元は見ていた。明らかに、そのような変化が起こる手さばきではない。

 ――あり得ない。

 侮っていた人間が、俄然厄介な敵へと転じ、彼女のこめかみから一筋の汗が流れる。

 単調なリズムからの急激な変化。激流のような突きからの、緩やかな突き。

 一流の冒険家が、伊達ではないことを示す攻撃を次々と繰り出し、彼女の表情は苦々しいものへと変化していく。

「そらよ」

「グ! 人間のくせに。私が、本気で相手をしなければならないとは」

 変幻自在な槍捌きに対抗するべく、ウロボロスの濃度を上げた。

 桜色のウロボロスが、彼女の全身から解き放たれる。

「ウ、ウロボロス」

「ニコロ、下がれ。コイツはドラゴンだ」

 トゥルーの人にとって、ウロボロスは毒以外の何物でもない。辺り一帯に蔓延する桜色の魔力から離れた黒羽達は、木の影に姿を隠した。

「おい、どうするよ」

「どうするって。……このままじゃ、俺達二人は死ぬ」

「へ。半裸の美女を眺めて死ぬなら、悪かねえか。いや、あんたと一緒に死ぬのは勘弁だ」

「同意見だ。……ハア、しょうがないか」

 表情でどういうことだと問いかけるニコロに、黒羽は静かに、だがはっきりとした声で告げた。

「俺は、異世界人だ」

「ハア?」

「だからこそ、ウロボロスを使える」

 ニコロの驚きは数瞬のこと。すぐに納得したように頷く。

「で、そんなあんたなら、この状況どう打開できるんだ?」

「やけにあっさり信じるな」

「冒険者になると、不思議なことの一つや二つ経験済みだ。あんたのことは、はじめからタダ者じゃないと思ってたんだ」

「そうか。まあ、信じてくれるなら良いさ。それより方法はこうだ」

 耳打ちをする黒羽に、ニコロは楽しそうに笑う。

「へ、良いじゃねえか。乗った」

 黒羽は、ニコロと拳をぶつけると、木陰から飛び出す。ウロボロスが薄い場所を裂くように進み、近づいた瞬間に斬撃を浴びせた。

 アネモイは、意に介さぬといった様子で真っ向から受け止め、哀れな、と呟く。

「ウロボロスがこれほど濃いなかを、突っ込んでくるとは愚かしい。貴様は、戦いの駆け引きというものを分かっていないようだ」

「何だと。ウ!」

 ウロボロスが黒羽を包み、地へと倒れ込む。その様を、つまらなそうに見ていたアネモイは、大声で呼びかけた。

「そこの男。お前の愚かな仲間は倒れた。今、大人しく出てくれば、苦しまずに殺してやる」

「苦しまずにか。そりゃ、美女のお願いなら聞いてあげたい。けど、まだやり残したことがあるんだよね」

「そうか……残念だったな。無念のまま眠れ」

 悠然と歩むアネモイ。彼女は、約束された未来を確定させるように、疑いもなくニコロへと近づく。しかし、そっと目を開けた黒羽に気付くことができず、彼女は足払いをされてしまう。

「な!」

「ニコロ、今だ!」

「おうよ。〈風よ、くらませろ〉」

 ニコロの魔法によって巻き上げられた土が、大量の煙となってアネモイの視界を遮る。

「小癪な」

 己の手をうちわのように変化させたアネモイは、突風を発生させて、土煙を追い払うが、すでに黒羽達の姿はなかった。

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