第12話 第四章 束の間の平穏②

 暖かな日差しが降り注ぐ中を、数十分歩き続ければ、すぐに目的地の川に到着する。

 川幅はそれほどでもないが、釣り竿をレンタルする店があるおかげで、多くの人がいた。

 黒羽は、二本の竿をレンタルすると、なるべく人がいない場所を選んで腰かけた。

「ここ、空いてるぞ」

「ああ、っしょ。無駄に良い天気だぜ」

 慣れた手つきで二人は、エサを針に付けると、勢いよく川へ投げた。

「この川、セイクレッド・ブルー(ウト大陸西側の海一帯のこと)に続いているらしいな」

「そんなことくらい、この辺で旅してれば誰でも知ってるよ。あんた、文字が読めなかったり妙なことを言うよな」

「そ、そうか」

「もしかして、戦争孤児だったりするのか?」

 黒羽は首を振ると、川の音に耳を澄ませる。時折、水気を含んだ風が頬を撫で、人々の楽しそうな声が今朝の嫌な出来事を数瞬忘れさせてくれる。

「なあ、あんた」

 やや投げやりなニコロの言葉に、チロリと視線を向ける。彼は、竿をふらりふらりと揺らして問いかけた。

「あんたと彩希ちゃんは何者なんだ?」

 黒羽は竿を慎重に上下させ、答える。

「……経営者とスタッフ兼相棒。その答えでひとまず満足してくれないか」

「ひとまずときたか。正直、俺は刹那主義的な男でね。他人にはあまり興味がないんだが、あんたと彩希ちゃんは別だ。ファマのあの力は、どう考えてもウロボロスの力としか考えられない。そして、恐らくバーラスカは、心臓がヒュ―ンを生み出す働きを抑制する効果がある。発狂するという副作用がある代わりに、ウロボロスが操れる状態になるわけだ。だが」

 人差し指を黒羽に突き付け、

「あんたは違う。ドラゴンって感じもしない。なのに、何故発狂せずにウロボロスの力を使える? 彩希ちゃんを連れて逃げた時、天に昇った光は紛れもなくウロボロスだ。あんたが、ウロボロスの力を使えると仮定すれば、辻褄が合うんだ。さあ、答えてくれないか。この件に関しちゃ俺達はチームだ。あんたも、このまま手を引くつもりはないんだろう?」

 ニコロは言葉を矢継ぎ早に口からはき出した。

 黒羽は、竿を引き、魚に逃げられたのを確認すると舌打ちをした。緩慢な動きで、エサを針に付けながら言った。

「迷ってるんだ。この件は、彼女にとって見過ごせない事件だと思って、俺は首を突っ込んだ。でも、彼女を危険にさらしてしまったんだ。これ以上は、下手に深入りしないで、食材を探し終えたら帰ろうか、とも思っている」

「ハ? やられっぱなしで帰んのかよ。あり得ねえ。相棒の仇さえとらずに、尻尾振って逃げるってか」

 黒羽はニコロの胸元を掴み上げた。

「分かってるさ。お前に言われるまでもない。彼女は大切な相棒だ。その相棒を傷つけた原因とも言えるヤツが、まだこの辺りをうろついていると考えただけで、ムカついて仕方がないんだ。でも、もし万が一誰かが死んでしまったらどうする? 俺は軍人じゃない。命を失って、国のため、仲間のためだった、名誉だから誇らしい。そんな理由で納得できないんだ。だから、俺は……」

 人々が遠巻きに見ているが、気にしている余裕は二人にはない。しばらく、睨み合う時間が続いた時、真上から声が降ってきた。

「こら、何しているのかしら?」

 見上げれば、彩希の困ったような顔がそこにあった。

「お前、どうして? 宿で休んでいたんじゃなかったのか」

「宿のお兄さんから二人で釣りに行ったって聞いたもんだから、心配になってきてみたの。案の定だわね」

 突然、二人に拳骨を叩き込むと、彼女は大喝した。

「大人になってまで、周りに迷惑をかけない! それにね秋仁。私、ここで手を引くつもりはないわよ。代弁者って言ったかしら。そいつの鼻から、まっ赤なトマトジュースが噴き出るまで、殴ってやるわ」

 あまりの力強さに、周りの人々が拍手を贈り、彼女は手を挙げて応える。そして、黒羽に一冊の本を手渡した。

「な、何だ?」

「この辺で釣れる魚の辞典よ。上手な釣り方も書いているから、読んでから釣った方が良いわ。それに、あなたにはコレ」

 お金の入った袋をニコロに手渡した。

「え、俺、報酬いらねえって」

「助けてもらったし、役にも立ったからあげるわ。全額」

「ぜ、全額」

 勢いよく立ち上げる黒羽の頭をポンと優しく叩くと、ニコロにワザとらしい声で言う。

「その代わり。代弁者を探す協力と、この人の食材探しの手伝いをしてね。よろしく、では」

 嵐のように訪れ、ハヤブサのように去っていった彼女を呆然と眺めていたが、二人の口からは自然と同じ言葉が漏れ出た。

「勝てねえ」

 キョトンと顔を見合わせた二人は、腹を抱えて笑いあった。

「ハハハ、苦しい」

「フハハハハ」

 やっと落ち着いてきた時、黒羽の竿が、勢いよくしなった。

「お、きた。……ク、重い。手伝え」

「情けねえな。どれ、って重! ちょ、どんな大物だよ」

 男二人がかりでも、一向に水面に上がってくる気配がない。両足を踏ん張り、顔が真っ赤になるまで力を込めたが、結局釣り上げることはできず、あまつさえ真っ逆さまに川へと落ちてしまった。

 ※

 暮れていく空を眺めながら、カリムは痛む体をさすった。

 大きな窓から夕陽が差し込み、室内は燃えるように赤い。人一人が佇むには大きい部屋だが、内装は質素というほかない。大きなウッドデスクが、窓の近くに置かれているだけで、その他には家具らしき物が一切見当たらなかった。

「カリム様」

 ノックの後に、桜色の髪を揺らして女が入ってくる。

「アネモイ。その後、代弁者とやらの行方は」

「申し訳ございません。めぼしい情報はなく、目下捜索中です。それよりも、今はご自身の傷を癒すことだけをお考えください」

 カリムは、自身の体に巻かれた包帯を見ると鼻で笑った。

「こんな程度すぐにでも治る」

「そんなはずはありません。なんでしたら、人の魔法を使って治癒しましょう。ウロボロスを発動させずともよい、今のお姿でしたら、問題ないはずです」

「アネモイ」

 鋭い視線に、アネモイは頭を垂れる。自らの失言に歪む顔が彼に見えぬように、深く深く頭を伏せた。

「申し訳ございません」

「俺は、人が嫌いだ。アイツらの力で回復するなど、あってはならぬ」

 ――では、何故あなたはあえて人間のお姿でいることが多いのか。

 疑問に感じているが、カリムに聞くのは躊躇われた。それに、付き合いは長い。何となく、理由は分かる気がした。

「アネモイ、こちらを見ろ」

 そっと顎に手を当て、上を向かせる。体は火のように火照り、頬は赤く染め上がるが、アネモイは分かっている。彼にその意図はなく、ただ上を向かせたかっただけなのだ。だから……この胸の高鳴りから発せられる衝動は、抑えなくてはいけない。

「お前は、我らが仲間達の中でも特に優秀だ。期待している。どうか、俺の心を暗くするようなことは言わないでほしい」

「ハ! 申し訳ございません。カリム様、御身に代わって、私が後は代弁者を捜索し、抹殺いたします」

「危険だぞ。あの男は、ウロボロスの力を大量に、その身に帯びている。癪な言い方だが、戦闘能力が桁違いに高い。お前一人では太刀打ちできん。かといって、他の者は手が回せない状況だ」

 アネモイは、カリムの手に己の手を重ねると真っすぐな言葉を投げかけた。

「大丈夫です。あなたのアネモイは、きっと任務を果たして帰ってまいります。だから、どうかお任せを」

 カリムはやれやれと言った様子だったが、ウッドデスクに歩み寄ると、引き出しから一枚の用紙を取り出した。

「それは?」

「魔剣・聖剣のデータだ。コレは、そのなかでもお前に合いそうなものをリストアップしたものだ」

「よろしいのですか? 私にそのような大切な物を」

 カリムは戦闘時では決してあり得ないほど、優しく微笑んだ。

「当たり前だ。お前は俺の同士であり、大切な友人だ。これまで幾度お前の働きに助けられただろう。コレを使えば、代弁者にも負けないほどの戦闘力を得られる。遠慮せずに持っていくといい」

「ありがとうございます。数日中には、戻ってきます」

「ああ、頼んだぞ。くれぐれも無理は禁物だ。できないと判断した時は、すぐに戻ってこい。責めはせん」

 きっちりとした敬礼をし、アネモイは部屋を出た。規則正しい足跡を鳴らして廊下を歩みながら考える。

 カリムは素晴らしいお方だ。優しさと聡明さを兼ね備え、本気で世界のことを考えておられる。彼の優しさを踏みにじった人間と、仲間に加わらぬドラゴンは全て敵だ。一切容赦しない。それがたとえ、

「たとえ、カリム様の妹君であっても」

 揺るぎない決意を胸に秘め、彼女は力強く拳を握りしめた。

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