第百三十二話 竜の国へ家族旅行(その1)
空は快晴。熱い日差しに冷たい潮風。まさに絶好の船旅日和である。
ヤヨイの学校が連休となり、ミナヅキ一家は旅行に出ていた。
目的地は竜の国。フレッド王都から船に乗り、いくつかの国を経由しつつ到着するのは明朝――つまり丸一日かかる長旅なのであった。
にもかかわらず、ミナヅキたちはのんびりと過ごしていた。子供たちも退屈することなく、それぞれ楽しそうにしている。
「竜の国って、パパとママも行ったことないんだよね?」
「あぁ。リュートのほうから、ウチに来たことがあるだけだな」
ヤヨイとミナヅキは、船内にある冒険者専用の多目的作業場にいた。持参した簡易調合セットで、親子してゴリゴリと薬草をすり潰している。
要はいつもの調合作業をしているのだ。
その様子にアヤメが呆れ果てた表情をして、さっさとシオンを連れて作業場を後にしてしまった。
――なんで旅行に来てまで。
そんな呟きが聞こえた気もしたが、親子二人して華麗にスルーしていた。
「リュートさんに会うのもすっごい久しぶりだなぁ」
「最後に来たのは、シオンが生まれたばかりの頃だから、もう五年くらい前だ」
「うわ。もうそんな前だったっけ?」
ヤヨイやシオンからすれば叔父となるリュート。彼の年齢的に子供たち――特にヤヨイからすれば、年の離れたお兄ちゃんという意識が強い。
したがってヤヨイは、リュートのことを普通にさん付けで呼んでいる。ちなみにシオンは『リューにーちゃん』であった。
物心がついていなかったことから、シオンは今回の旅行が、リュートとの事実上の初対面となる。実際に『リューにーちゃん』と呼ぶことを楽しみにしていた。兄という存在がいないことも、楽しみに拍車をかけている。
「まぁ、元々フレッド王国からかなり遠い場所にある国だからな。そう簡単に行き来できないのは、当然と言えば当然だろう」
すり潰した薬草を煮詰めながら、ミナヅキが苦笑する。
「そりゃドラゴンにでも乗ればあっという間かもしれないけど、いつでもってのはできないらしいからな」
「特別な許可がないとダメってヤツかぁ……」
竜の国の中だけであれば自由に飛び回れるが、他国へ行く場合は特別に発行された許可証付きの身分証――地球で言うところのパスポート的な存在の取得が、必要不可欠となる。
もっともこれは、あくまでドラゴンに乗る場合に限られた話である。船で行き来する場合は、基本的に誰でも入出国が可能なのだ。
「あたしたちみたいなフツーの観光客なら、自由に出入りできるってことだね」
「まぁな。もっともそれはそれで、長い時間かけなきゃならんけど」
ミナヅキたちが出向く場合、どうしても長い船旅をしなければならなくなる。特にフレッド王国から竜の国まで一晩含む丸一日で行けるようになったのは、本当につい最近のことなのだ。
それまでは二日から三日かかるのは当たり前。加えて他国の事情や海の保安問題も相まって、なかなかスムーズに行き来できないのが普通であった。
まだ幼かったヤヨイと生まれたばかりのシオンを連れて訪れることは、どう考えても難しいと言わざるを得なかった。
「竜の国行きの高速船が、フレッド王都からも出るようになる――そのニュースが流れた時は、ホントあちこちで大騒ぎだったよね」
ヤヨイがその話を聞いたのは学校であった。クラスメートたちがこぞって興奮しながら騒いでおり、明らかに普通じゃなかったのを覚えている。
――これで俺たちもドラゴンを見に行けるんだ。もうヤヨイだけが見れる特別な存在じゃねーぜ!
クラスの男子の一人がそう豪語していた。
竜の国のドラゴン乗りが親戚にいる――そんなヤヨイを羨ましがる子供たちはたくさんいた。それこそ五年前、リュートがレノに乗って立ち寄った際も、ヤヨイのクラスメートを筆頭にこぞって子供たちが集まったほどである。
(あの時も相当な大騒ぎだったもんなぁ……)
かくいうヤヨイも、今回の旅行は楽しみにしていた。久々に親戚のお兄さんに会えるというのも勿論あるが、なにより竜の国という外の世界に行けることが、心を躍らせていた。
「ヤヨイ、瓶の用意しといてくれ」
「はいはーい」
ミナヅキの呼びかけで我に返りつつ、ヤヨイはポーションを注ぎ入れる瓶を手早く並べていく。
旅行先とはいえ、親子での調合はいつもどおりの手際であった。
すると――
「あ、いた! ミナヅキっ!」
「おとーさんっ!」
アヤメとシオンが慌てて入ってくる。その後ろから、魔導師が着るローブを羽織った青年二人が飛び込んできた。
「大変なことになったの。この人たちから話を聞いてあげて」
アヤメが青年二人を見ながら言う。どう見てもただ事じゃない様子。ミナヅキとヤヨイは数秒ほど顔を見合わせ、話を聞くことに決めるのだった。
◇ ◇ ◇
時は少し遡る――アヤメとシオンは、二人で大きな船内を散策していた。
「今度はそっちに行ってみるの?」
「うん」
トコトコと歩くシオンの少し後ろを歩きながら、アヤメは思う。
(やっぱり変なところは、お父さん譲りね)
シオンは走り回ることを一切せず、どこに何があるのかをくまなく見ている。まるで船の構造を全て把握しようとしているかのように。
そんな息子の姿に、アヤメは苦笑せずにはいられなかった。
行動的で魔法が使える点では、確かに母親譲りだろう。しかし今みたく黙々と調べる探究心は、父親譲りとしか思えない。
本当に血は争えない――そう思っていた時だった。
「もうすぐ魔法のショーが行われまーす! 是非見て行ってくださーい!」
魔導師が着るローブに身を包んだ青年が、チラシを掲げつつ歩いてくる。アヤメもなんとなくそれを受け取ってみた。
そしてチラシに書かれている劇団の名前を、アヤメが呟く。
「カルメーロ魔法劇団?」
「はい! 様々な国を渡りつつ、華麗な魔法のショーを開かせてもらっています」
青年は心から楽しそうな笑顔で頷いた。
「これからデッキのほうで行われますので、お子さんと一緒に是非とも!」
「えぇ。ありがとうございます」
アヤメもニコッと笑みを浮かべながら返事をする。そしてシオンのほうを見下ろしながら問いかけた。
「見に行ってみよっか?」
「うんっ」
シオンも興味を持ったらしく、目を輝かせながら強く頷いた。やはり魔法に興味があるんだなと、思わずアヤメはほくそ笑む。
その時――
「おーい、大変なことになったぞ!」
もう一人、魔導師が着るローブに身を包んだ男が、慌てて走ってきた。
「カルメーロさんが船酔いでダウンしちまった」
「なんだって!? もうすぐショーが始まる時間だぞ!」
チラシを持っていた青年が、目をクワっと見開いた。それに対して駆けつけてきた青年は、頭を抱え出す。
「酔い冷ましの薬を作れる調合師でもいれば、話は早いんだが……」
「そんな都合のいい存在なんていないだろ」
「だよなぁ」
頭を抱える劇団員の二人。突如襲ってきたピンチにどう対処したらいいのか、見当もつかないでいた。
すると――
「ねぇ、おかーさん。ここっておとーさんの出番じゃない?」
シオンが無邪気にアヤメを見上げて問いかけた。すると劇団員の二人も、目を丸くしながらアヤメを見る。
「あの……今、お子さんがおっしゃったことって?」
「えぇ。確かにウチの夫は調合師です。今なら娘と一緒に、この船の多目的作業場にいると思いますが――」
「お願いしますっ!!」
アヤメがそう言った瞬間、チラシを配っていた劇団員の青年が頭を下げる。
「是非ともお宅のご主人にお願いを……いえ、お会いさせてください! このままではショーが出来なくなってしまいますっ!」
「わ、分かりました」
そしてアヤメとシオンは、劇団員の青年たちとともに多目的作業場へ戻った。目論見どおり親子二人で調合していたところであり、青年たちからミナヅキに事の次第が説明される。
話を粗方聞いたミナヅキは、強い笑みを浮かべつつ頷いた。
「酔い冷ましの薬があればいいんですね。分かりました、今から作ります」
「あ、ありがとうございますっ!!」
ガバッと頭を下げる青年を尻目に、ミナヅキが調合を開始する。
アイテムボックスから必要な素材を取り出し、それを手早くすり潰し、沸騰させた調合水で煮詰めていく。
大雑把な過程だけ見れば、ポーションと殆ど同じだ。しかし素材の違いやすり潰す加減、そして煮詰める時間などは大きく異なる。
これまでポーションしか作ってこなかったヤヨイにとって、目の前で行われている作業は未知の領域に見えていた。
同時に驚いていた。父親の調合技術はこんなにも凄かったのかと。
もうとっくに知り尽くした気分となっていたというのに、まだ自分の知らない父親の姿が存在していたのかと。
そして――あっという間にそれは仕上がるのだった。
「コイツは即効性こそ高いですけど、あくまで一時的な酔い止めです。激しい動きをするほど、その効果も短くなってしまうとは思いますが……」
「いえ、十分でございます! 後は自分たちでフォローいたしますのでっ!」
劇団員の青年たちはぺこぺこと頭を下げ、調合薬を持って飛び出して行く。まるで台風が過ぎ去ったかのように、多目的作業場は静まり返っていた。
「……パパって、ホントに凄い調合師だったんだね」
「うん。なんかすごいカッコよかった!」
呆然としながらヤヨイが呟くと、素直に感激したらしいシオンが、表情を明るくさせながらはしゃぎ出す。
それに気を良くしたアヤメも、思わず笑顔を見せた。
「ふふっ、そうよー? お父さんはとっても凄い調合師さんなんだから♪」
家族三人から次々と賞賛をもらったミナヅキは、照れくさい気持ちに駆られ、視線を逸らしながら頬を掻いた。
◇ ◇ ◇
「見てシオン。凄い人が集まってるねー」
「うん。たくさん来てる」
ヤヨイとシオンは、デッキの様子を見下ろしながら呆けたように言う。こんなにもたくさんの人たちが乗っていたのかと、改めて驚いているのだ。
魔法劇団ショーの開演が迫り、乗客の殆どがデッキに集まっているといっても過言ではない。それだけならまだしも、乗務員も数名ほど、見回りなどの仕事を装って見物しようとしていた。
そんな中ミナヅキ一家は、他に誰もいない展望席でゆったりと座っていた。
「まさか、展望席を貸し切ってくれるとはな」
「カルメーロさんも、随分と思い切ったことしてくれたわよね」
展望席のベンチに腰掛けるミナヅキとアヤメは、揃って苦笑する。今こうしてここにいるのは、全てカルメーロがキッカケとなっていた。
ミナヅキが調合した酔い止めで、カルメーロは無事に元気を取り戻した。カルメーロも調合師であるミナヅキの名は知っており、あなたが居合わせていたおかげで本当に助かりましたと、涙ながらに感謝を告げられた。
――是非ともお礼をさせてください!
そう言われてカルメーロの名で用意されたのが、この展望席だった。
のんびりショーを見れるという点では、確かにありがたいことこの上ない。しかしミナヅキとアヤメからすれば、やはり戸惑いのほうが大きかった。
「元々ここで見る予定の人たちって、どうなったのかしら?」
「下のデッキに、急きょ特等席を作ったらしいぞ」
ミナヅキがデッキのショー会場を見下ろす。ショーは基本立ち見だが、先頭部分には椅子が並べられ、座って見れるよう配慮されていた。
「急ごしらえって感じが半端ないわね」
「だな。お客さんはそんな気にしてないみたいだけど」
確かに特等席へ案内されていた客も、最初は不満そうにしていた。展望席でゆったりしていたところを追いやられたのだから、当然と言えば当然だろう。
しかしカルメーロは、それも織り込み済みだったらしい。特等席のお客さんに話しかけつつ、ウォーミングアップがてらの魔法を披露していた。
結果、客の不満は見事解消。これから巻き起こるショーの盛り上がりに、胸を躍らせ始めたのだった。
いよいよ魔法劇団によるショーが開幕した。
センターに立つカルメーロを、周囲に立つ魔法劇団がバックアップ。色とりどりの鮮やかさ、ゆったりとした流れからのダイナミックな演出。最初は興味を示していなかった人でも、段々と食い入るように見ていった。
パフォーマンスは会場の心を掴んだ。視線は皆、一つに向いていた。
そして――第一幕が終了する。
『うおおおおおぉぉぉーーーーーっ!!』
拍手喝采。特等席は揃ってスタンディングオベーション。まさに大盛況という一言でしかない状態であった。
「凄いもんだなぁ」
思わずポツリと呟くミナヅキは、子供たちのほうを見てみる。シオンは目をキラキラと輝かせており、ヤヨイも驚きで言葉を失っている様子であった。
その一方でミナヅキは、カルメーロの様子を気にかけていた。
あくまで一時的な効果しかない酔い止め。見る限り不調再発の兆しは全く見られなかった。
(この調子なら、大丈夫かもしれないな――ん?)
ミナヅキがひっそりと安心していると、カルメーロたちに乗務員がこっそり何かを話しかけているのが見えた。
その乗務員は、酷く焦った表情を浮かべていた。
ミナヅキは表情をしかめたその時――
「た、大変です!」
別の乗務員がミナヅキたちのところへ駆けつけてきた。
「大きな魚の魔物が、東からこの船に近づいているとの情報が入ったんです!」
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