第百十五話 広くて美しい世界
――小さい頃、僕は生みの親に捨てられた。
神様と名乗る小さな男の子に助けられ、気がついたら兄夫婦の家で、温かい料理を一心不乱に食べていた。
そして神様はいつの間にかいなくなっていて、義理の姉が優しく抱きしめた。
温かかった。今まで誰かに抱きしめてもらったことなんてなかった。そして兄が優しく頭を撫でてくれた。これも凄く気持ち良かった。
傷ついたドラゴンの子供を助けたことが、人生のターニングポイントになった。
竜の一族と呼ばれる人たちが、新しい家族として出迎えたいと、頭を下げて頼み込んできたのだ。
その時は既に兄と姉にも懐いていたし、少し悩んだ。しかしすぐに決断した。
仲良くなったドラゴンの子供と一緒にいたい。その気持ちが強かった。兄夫婦の元を離れて、新しい家族とともに旅立つことを決めたのだった。
ドラゴンに乗って見守り役という名の旅をし、それから新しい家族に連れられて竜の国へ降り立った。
知らない土地、未知の文化の中での新しい生活。やはり不安は大きかった。
しかし一人ではなかった。連れてきたスライムと懐いた子竜が励ましてくれた。そして最初の一歩を踏み出すことが出来た。
初めて新しい両親を、お父さんお母さんと呼んだのだ。
――ああっ! リュートが……リュートが私のことをお母さんってえぇっ!!
新しく母親となった人は、そう叫びながら大泣きして抱きしめた。その際に周囲も温かい視線を向けてきていたことを思い出す。今にして思うと恥ずかしい限りではあるが、良い思い出でもあった。
故に頑張ることが出来た。幾度となく挫けそうになっては立ちあがり、必死に歯を食いしばって前に進み続けた。
――リュート、がんばれー!
突如としてそんな声が聞こえてきた。聞いたことがない声だった。
見えるのは、ポヨポヨと跳ねるスライムの姿。
――スラポン?
――ん? どうしたの、リュート?
至極当たり前のように返答してくる声。驚いて立ち止まり、新たな声が聞こえるようになったことを喜んだ。そのおかげでまたしても、周囲を大いに驚かせてしまったことも、今となってはいい思い出となっている。
――そして僕は、広い世界を知ることとなった。
小さな世界に閉じ込められ、右も左も知らなかった幼い子供は、広い世界の下で立派な青年へと成長した。
世界はどこまでも広くて美しい――それを魔物たちとともに味わってきた。
しかし、まだまだ知らない世界が山ほどある。少し海を渡るだけで、新しく仕入れられる知識がたくさんある。
その目で見るのだ。この果てしなく続く広い世界を。
まだまだ知らない世界を見てみたい――そう心から願っているから。
『リュート』
空を見上げながら物思いにふけっているところに、後ろから声をかけられる。振り向いてみると、一匹のスライムが佇んでいた。
『もうすぐ時間だぞ。準備はいいのか?』
「あぁ。抜かりはないよ、スラポン」
『流石はリュートだ』
スラポンはフッと小さく笑う。小さい頃はあれほどヤンチャだったのに、もうすっかり落ち着いたオジサンになってしまった。
そんなことを改めて思っていると――
『りゅーとー』
『あそんであそんでー』
二匹の小さなスライムが、ポヨポヨと跳ねながら向かってくる。スラポンの子供たちであった。
リュートが成長していくとともに、スラポンも良い相手を見つけたのだ。
もっともどういう仕組みで交尾が行われて子供が生まれるのか、それについては全くの謎のままではあるが。
『コラコラ。リュートはこれから仕事に行くのだぞ? 邪魔をするんじゃない』
『えー?』
『あそびたいー!』
『ダメだ。遊び相手ならベラもいるだろう?』
スラポンがため息交じりにそう言うと、小さなスライム兄弟は不満そうに体をポヨポヨと跳ねさせる。
『だってベラちゃん、おれたちのいってることつうじないんだもん』
『ぼくたちのいってることがわかるニンゲンって、りゅーとだけだもん!』
『……確かにな』
子供たちの意見にスラポンは言い返せず、頷くほかなかった。ベラもあれから成長を遂げ、レノ以外の数多くのドラゴンと意思疎通を可能とさせた。
しかしあくまでドラゴンだけであって、魔物全般の意思疎通は不可能である。故に未だスラポンとも、ちゃんとした会話をすることはできないのだった。
『リュートみたく、根っからの魔物調教師であれば良かったのだがな』
スラポンは小さなため息をつく。実際リュートが魔物たちの声を聴けるようになるのに、そう時間はかからなかったのだ。
会話ができるようになり、リュート以上に喜んだのは、スラポンとレノだった。そしてそれを機に、リュートの名が広まるようにもなっていった。
「ゴメンよ。今日は遊んであげられないんだ。ちょっと遠くまで行くからね」
少しかがみながら、申し訳なさそうにするリュート。それに対してスライムの子供たちは、しょんぼりしながらも、それ以上駄々をこねることはしなかった。
『……わかった。きょうはがまんする』
『かえったらあそんでよね?』
「うん。約束するよ」
リュートの言葉にはすんなり従う子供たちの姿に、スラポンは親として、なんとも言えない複雑な気持ちに駆られた。
生態系にもよるが、こういうところは人間も魔物も案外大差なかったりする。
「それじゃあ、そろそろ行こうか、スラポン」
『あぁ』
『いってらっしゃーい♪』
『かえりにおみやげかってきてねー♪』
スライムの子供たちに見送られ、リュートとスラポンは歩き出す。家の門のところで待っているであろうレノのところへ向かっていった。
「早いもんだよね。僕たちがエルヴァスティ家に来てから、もう十年だよ」
『そうか。もうそんなになるのか』
青空を見上げながら呟くリュートに、スラポンも飛び跳ねるように進みながら、感慨深そうに言った。
『リュートと出会ったのがついこないだのようにも思えるのだがな。まぁ、あれから私にも子供が出来たワケだし、それ相応の月日は流れたと思う他ないか』
「そーゆースラポンも、すっかりオジサンになっちゃったよね」
にししと笑うリュートに、スラポンは小さなため息をつく。
『当然だ。魔物と人間では年の取り方も違う。十年も経てば、立派なオッサンの仲間入りというモノだ』
少なくともスライムは、人間の倍の速度で成長することが判明している。リュートにとっての十年は、スラポンにとっては二十年分に換算される形だ。
ただし魔物によっては逆の場合もある。ドラゴンは特にそうだ。
子供から大人への成長は極めて速いのだが、そこから先はやたらと長い。竜の種類によっては、百年単位で生きる存在もいるほどである。
『まぁ、レノの場合は、そんなに変わらん感じだがな。特に中身が』
「体の大きさ的には大人なんだけどねぇ」
『とはいえ、ヤツらしいと言えばらしい気もする』
「確かに」
リュートが頷きながら前を見る。家の門のところにうずくまっているそれが、ゆっくりと起き上がった。
『あ、リュート! やっと来たねー!』
大人っぽい青年の、それでいて口調はまだまだ子供っぽい。そんなレノの声が聞こえてくる。
『僕、待ちくたびれちゃったよ。早く行こうよー』
「分かった分かった」
リュートは苦笑しながら、すっかりたくましくなったレノの姿を見上げる。
十年前は七歳の子供の肩にしがみつけるほどだったのに、今では十七歳の青年を軽々と背に乗せられるようにまでなった。
もっともスラポンの言うとおり、中身はあまり変わっていないのだが。
『そんなに慌てることもなかろう。まだ時間に余裕はあるんじゃないのか?』
「まぁね。とにかく準備もできたことだし、そろそろ――」
出発しようか――リュートがそう言おうとした時だった。
「待ってー、リュートぉーっ!!」
ドタドタドタとけたたましく駆ける音が聞こえ、バタンッと乱暴に家のドアが開かれた。
そこから出てきたのは、十年間一緒に暮らしてきた義理の姉であった。
寝間着姿であちこちに髪の毛が跳ねたボサボサ頭。誰が見ても、今起きたばかりだとしか思えない姿であった。
「酷いじゃない! お姉ちゃんに何も言わずに出かけちゃうなんてさぁ!」
「……いや、だってベラ姉ちゃん、まだグッスリ寝てたし」
リュートの言うとおり、行ってきますを言いに部屋を覗き見た時には、まだベラは夢の世界にいた。
どうしても起こさなきゃいけないワケでもなかったため、そのまま小声で声をかけてそっと扉を閉めたのだった。
その小声で、ベラの意識が覚醒したことに、リュートは気づく由もなかった。
「そんなの関係ないよ! リュートに行ってらっしゃいを言うのは、お姉ちゃんであるあたしに課せられた使命の一つなんだからね!」
「使命って……んな大げさな」
笑みこそ浮かべているリュートだったが、明らかに引いてもいた。
エルヴァスティ家の養子となって暮らし始めて十年。ベラの世話焼きお姉ちゃん度は衰えるどころか、むしろ年を重ねるごとに勢いが増していた。
否――むしろ悪化しているといっても過言ではないだろう。
「そんな態度じゃ、将来あたしと結婚した時もそっけない夫婦になっちゃうよ?」
事あるごとにこんなことを言う有様である。流石のリュートも、スッと表情から笑みが消え、ゲンナリとしたそれに切り替わっていた。
「……まだそれ諦めてなかったの?」
「当たり前じゃない!」
「いや、胸張って言われても……」
ベラのリュートに対する気持ちは、姉弟の枠を遥かに超えている。それはリュート自身も重々承知していた。
別にベラと結婚すること自体、問題がないと言えばない。
血の繋がりはないし、より良い血統同士が結ばれることも、竜の一族の間では特に推奨されていることでもあるのだ。
リュートは魔物調教師として、年々レベルを上げている。そしてベラもドラゴンの通訳係を中心に、竜の一族の仕事で日々大きな活躍を収めていた。
故にこの二人が結婚することに至って、反対する大人たちは殆どいない。
無論、全くいないかと言われると、そうでもないのだが――
「僕が姉ちゃんと結婚するなんてことはあり得ないよ。姉ちゃんとは、ずっと姉弟でいたいと思ってるんだから」
リュートがハッキリとそう告げると、ベラはスッと無表情に切り替える。
「……へぇ? そーゆーこと言うんだ? ふーん」
「ね、姉ちゃん?」
恐ろしく低い声に、リュートは凄まじい恐怖に駆られる。もう何度か聞いたことがあるのに、未だ初めて聞いたときのように身震いしてしまうのだった。
それに追い打ちをかけるかの如く、ベラは尋ねる。
「お姉ちゃんとはずっと姉弟っていうことは、リュートは他の女の子と結婚しちゃうってことなのかなぁ?」
「え、あ、うん。そのつもり……ひぃっ!」
真っ正直に答えると、ベラは更に凍てついた表情を見せる。気のせいか、背景が吹雪いているようにさえ見えてきてしまうほどに。
「リュートはおねーちゃんを置いて幸せになっちゃうんだぁ。ふぅーん、そっかそっかぁ。そーぉなんだねぇー?」
「ね、姉ちゃん? その……そこまで怒らなくても……」
「一体何のことかなぁ? どーしてあたしが怒らないといけないの? 心当たりがあるのなら、おねーちゃんに詳しく教えて?」
「いや、あの、その……」
「うん? どうしたのかな? そんなに怖がらなくていいよ?」
誰のせいだと思ってるんだ――と、リュートはツッコミを入れたかった。しかし残念ながら、そんな勇気はカケラも持ち合わせていない。しかしこの状況をどうにかして切り抜けなければと、そんな焦りに近い気持ちにも駆られてくる。
『またいつものアレが始まったようだな、レノよ』
『ホントだね。いつになったら、ベラの気持ちに決着がつくんだろう?』
『難しいだろうな。相手はあのリュートだぞ?』
『それもそーだよねぇ』
スラポンとレノが遠くから見守っている。加勢は無意味――それはもはや分かり切っていることであった。
それぐらい毎度のように繰り広げていることではあるのだが、今回は少しベラの圧が強いようにも感じられている。
それはリュートも同じくであり、余計に焦りが募っていたその時だった。
『よかったー』
『まだおでかけしてなかったー』
二匹の小さなスライムたちが、ポヨポヨと跳ねてやってくる。さっき別れたばかりのスラポンの子供たちだ。
『やっぱりおみおくりしたいとおもって、おいかけてきたの』
『まにあってよかったー』
「そうなんだ。どうもありがとうねー」
リュートはしゃがんで二匹の頭をそれぞれ笑顔で優しく撫でる。来てくれて助かったという、心からの感謝の気持ちが込められていることは言うまでもない。
そんなことを露知らず、気持ち良さそうな笑顔を浮かべるスライムの子供たち。実に微笑ましい光景であったが――
「くっ! リュートの頭なでなで……スライムとはいえ、羨まし過ぎるわ!」
約一名ほど、ハンカチを噛む勢いで嫉妬に駆られる者がいた。スラポンもレノも見ないフリをしており、リュートも気づいてはいたが毎度のことなので、もはや相手にする気もない。
むしろ冷たい表情が解除されている今、些細な問題とすら思えていた。
「こうなったら――ていっ!!」
「うわっ?」
しゃがんでいるリュートの後ろから、ベラが突然抱きついた。あまりの行動に、リュートも思わず驚いてしまう。
「ちょ、ベラ姉ちゃん! 一体何してんのさ!?」
「むふー♪ おとーとくんパワーをじゅーでんだよーん♪」
「充電って……」
さっきまでの冷たい表情はどこへ消えたのやら。甘ったるい笑顔を浮かべる義姉の姿に、リュートは脱力しかけていた。
「ベラ姉ちゃん……少しで良いから落ち着いてくれないかな?」
それはもう深い深いため息をつきながら、リュートは願い出る。しかしベラは気にも留めていないらしく、右肩から首の間を頬ずりしていた。
「んー? おねーちゃんは落ち着いてますよー? こんなに癒されてるし♪」
「じゃあさっきのは何だったのさ?」
「リュートが悪いんだよ。おねーちゃんの心を弄ぶから」
「人聞きの悪いこと言わないでくれないかな。てゆーか、そろそろ行かないと」
「ちょっとぐらい遅れても良いじゃん」
「いや、普通にダメだから」
一体いつからこの姉はこんなキャラになったんだろう――リュートの中でそんな疑問が、割と本気で展開されていた。
するとここで、レノが何気ない口調で尋ねてくる。
『てゆーか、リュートも抱きつかれるの慣れてきたよね?』
「そりゃ何かにつけてこうなってるからね」
『ふーん。だからシャーリーのお姉ちゃんに抱きつかれても大丈夫だったんだ?』
「ちょ、ま! それ言っちゃ――!」
ダメなヤツ――と最後まで言い切ることはできなかった。再び背中から、凄まじい冷気という名の圧を感じたからである。
リュートは小さなスライムたちを見下ろしたまま、恐る恐る尋ねた。
「ベラ姉ちゃん」
「なぁに?」
「心なしかちょっと首が締まってきてるんだけど」
「気のせいだと思うよ。もしそう思うのなら、きっとおねーちゃんの愛を感じている証拠だよ」
「うん。それは分かったから、ひとまず離れてくれると嬉しいんだけど」
「イ・ヤ・よ♪」
わざと作り上げたご機嫌な声とともに、ベラは更にギュッとリュートに抱きつく力を強めた。
首の締まりはなんとか免れそうではあるが、ますます離れそうにない。
「全く……あの子ってば、いつまでたっても弟離れできないんだから」
いつの間にか玄関から出て来てたミルドレッドが、呆れ果てた気持ちを深いため息として吐き出した。
隣に佇むバージルも、悩ましげな表情とともに首をかしげている。
「どうしてまた、あぁなっちゃったのかなぁ?」
「アンタが甘やかしたからだよ!」
「……すみません」
いつもの如くピシャッと言われたバージルは、項垂れながら負けを認める。その傍らでは、義姉弟同士の一方通行にも程があるじゃれ合いが、飽きる様子もなく展開されるのだった。
それをレノとスラポンは、なんてことない様子で見守っていた。
『レノ……さっきのシャーリーの件、ワザと言っただろう?』
『――てへっ♪』
『誤魔化すならもっとマシな誤魔化し方をしろ。全く……』
ちなみにシャーリーとは、リュートの知り合いである年上の女性の名である。
リュートからすれば姉のような知り合い。しかしシャーリーは、リュートに対して少し普通以上の感情を込めた視線を向けることが多い。
それは周囲から見て丸わかりであり、ベラも危険案件として認識している。
現にそれでひと悶着もあったりしたのだが、それはまた別の話――
「リュート、これからもお姉ちゃんとずっと一緒にいようねー♪」
「そんなことより離れてよ。マジで早く出発しないと遅れちゃうってば!」
「ムッ、なによぉ、そんなことって? 大体リュートはね……」
「お願いだから僕の話を聞いてよおぉーーーっ!!」
こうして、騒がしい日常が繰り返されていく。この広くて美しい世界の下で、平和な光景が展開されていくのだ。
リュート・エルヴァスティ――彼は今日も、賑やかな日常を送っている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回で第五章が終了し、次回からは第六章(最終章)を開始します。
アルファポリスで公開中の新作も是非ともご覧ください。
作品名:『勇者になれなかったけど精霊たちのパパになりました』
第12回ファンタジー小説大賞にエントリーしています。
(このため、アルファポリスのみでの公開とさせていただいてます)
なにとぞよろしくお願いします<(_ _)>
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