第三話 神様の加護
アヤメが問いかけると、ユリスはニヤリと笑った。
「ふぅん? ボクが仕組んだっていうのは、一体どんな感じで?」
「例えばそうね……神様だけが持つ特殊な力かなんかで、ミナヅキに普通の暮らしができるようにしたとかさ」
「よく分かったねぇ! 流石はミナヅキが選んだ奥さんだよ」
ユリスは心の底から感心するかのように、目を見開きながら言った。
「アヤメの見立ては間違ってないよ。むしろそのとおりさ。神であるボクが、ミナヅキに加護を与えたんだよ」
改めてハッキリと認めたユリスの潔さに、アヤメは驚きを通して感心の気持ちさえ抱いていた。
そこに追い打ちをかけるかの如く、ユリスが言葉を続ける。
「ついでに言えば、ミナヅキが突然この世界に迷い込んだキッカケを作ったのも、何を隠そうボクだったりするんだよね。理由は至極単純。ボクがヒマつぶしがてら地球を観察していたとき、たまたま見つけたミナヅキに興味を持ったからさ」
「…………」
アヤメは完全に言葉を失った。神様の気まぐれ的なモノで、彼の人生は決まったということなのか。
そう思ったアヤメは苦い表情を浮かべる。それを見たユリスは、しょうがないなぁと言わんばかりに肩をすくめた。
「なんて酷いことを、って思ってるのかもしれないけど、結果的には良かったんじゃないかな? だってボクが目を付けたときには、既にミナヅキの家庭は、完全に崩壊していたも同然だったし」
「……そうなの?」
アヤメが尋ねると、ミナヅキは苦笑気味に頷いた。
「それでも幼稚園の頃は、まだマシなほうだったけどな。ガチで酷くなったのは、俺が小学校に上がってすぐぐらいだったか」
「そうそう。ミナヅキの父親が女を自宅に連れ込んだところで、既に母親が男を連れ込んでたんだよ。しかも寝室のベッドの上で、それはもう汗をびっしょりとかくほどの、とっても激しい運動をしてたんだ」
「互いにそれぞれ愛人がいた。それが正式に発覚した瞬間でもあったな」
「うわぁ……なにそのベタな修羅場系不倫ドラマ?」
ドン引きするアヤメの反応に、ミナヅキもだろうな、と苦笑する。
「ちなみに俺は、たまたま学校帰りで道草を食っててな。いつもより帰る時間が遅かったんだ」
「じゃあ、遭遇はしなかったってこと?」
「そんな感じ。もっとも家の中は盛大に荒らされていたから、驚きはしたけどな。忘れたくても忘れられない思い出の一つだよ」
「いやいや、そんなにアッサリ言えるようなことじゃないでしょうに……」
呆れた口調でアヤメは言うが、それほど驚いている様子でもなかった。ユリスはそんな彼女を不思議そうな表情で見る。
「そーゆーアヤメの反応も、なんだかアッサリとしてるね?」
「ここまで散々驚かされてきたんだもの。これ以上小さなことで驚いてたら身が持たないわよ。それよりも続きを話してくれるかしら?」
「はーい」
ため息交じりに言うアヤメに、ユリスは間延びした口調で返し、そして言われたとおり話を戻す。
「元々、最初にミナヅキと会って別れる際、ミナヅキには加護を施したんだ。ボクたち神様だけが使える、特殊な魔法みたいなモノだね。それを与えて、ミナヅキに普通の生活を送れるようにしたのさ」
いくら神様の特殊な力とはいえ、加護も万能ではない。ミナヅキの家庭環境そのものを変えることはできなかったのだ。せいぜいミナヅキに対し、両親絡みの変な大人が近寄らないようにするのが精いっぱいだった。
将来、ミナヅキを異世界に移住させることを条件として。
もちろん加護を施した時点では、ミナヅキはこのことを全く知らない。いわば事後承諾という形だ。
もう少し彼が成長したら、改めてちゃんと姿を見せ、話さなければと思った。
しかしながら状況が大きく変化した。例の鉢合わせ事件である。
「流石にボクも見るに見かねた。ミナヅキが巻き込まれるのが嫌だった。本当はもう少し後になってから、改めて呼び寄せるつもりだったけど、少しだけ段階を早めることにした」
「それが、小学校に上がったばかりの夏休みということかしら?」
アヤメの問いかけに、ユリスはコクリと頷く。
「もしもミナヅキが、もう異世界にはいかないと言い出したら、ボクは無理やりにでも連れてくるしかなかった。けれどミナヅキは、この世界に移住することまで承諾してくれた。その点は本当に良かったと思ってるよ」
「まぁもっとも、すぐに移住することもできなかったんだけどな。あくまでユリスの力を借りずに生きることが条件だったから」
ミナヅキの言葉に、アヤメは納得するかのように頷いた。
「そっか。それでまずは、夏休みとかを利用して、少しずつこの世界に慣れていくことに決めたのね」
「うん。ミナヅキを連れて来るだけなら、ボクも協力できたから」
アヤメの中で話が繋がった。同時に少しだけ驚いてもいた。まさか本当に、加護という神様の不思議な力のおかげだったとは。
予想はしていたが、まだどこかで遠い空想話にしか思っていなかった。果たして自分の常識がどこまで通用するのか。
(でもこれで、色々と分かってきたかもしれないわ)
それとは別に、アヤメは自分の中で思っていることがあった。
最悪の家庭環境にもかかわらず、普通に学校生活を送ることができていたのは、全てユリスが加護を与えたおかげであると。
更に言えば、自分とミナヅキが普通に会うことが出来ていたのも、そして何事もなくこの世界へ逃げてくることに成功したのも、加護のおかげではないかと。
考えてみれば今回の駆け落ちは、何もかも上手くいき過ぎていた。
ミナヅキのことを実家が知らなかったとは思えない。むしろ調べに調べ尽くし、彼の家庭環境がメチャクチャであることも知っていた可能性が極めて高い。
それでもアヤメがミナヅキと会えていた。これだけならば強引に説明が付けられなくもない。
同年代の庶民との交流も大事だと両親が判断し、SPが遠くから見守るだけに留めておいて、見逃してくれていた可能性は十分にあり得るだろう。
彼の環境がアヤメにとって不利になり得ると判断した瞬間、どうとでもできると思われていた可能性はある。自分たちを無理やり引き離すことなど、実家の力ならば造作もないことだとアヤメは思った。
しかし、今回の件については、どう考えても話が別となってくる。
最後に二人で会うことはギリギリ見逃してくれていたとしても、駆け落ちを見過ごしてくれるとは思えない。
(私がミナヅキの提案に乗った瞬間、待機していたボディーガードが、無理やり私を保護してきてもおかしくない。でもそれらしき気配はなかった)
公園を出てから雑木林に入り込むまで、一切の邪魔らしき邪魔はなかった。
それらが全て、ユリスがミナヅキに与えた加護の効果だとしたら。
というかそれしか考えられない。もしかしたら、以前から自分たちが問題なく会えていたこと自体も、加護のおかげである可能性はあり得る。
一体どこまで加護の影響を受けていたのか。
色々と気にはなるが、こうして駆け落ちに成功した今となっては、そこまで深く考える必要性がないことも確かではあった。
なにより目の前に本人たちがいるのだ。アヤメは考えていることを明かしつつ、尋ねてみることにした。
「ねぇ、二人にちょっと聞いてほしいことがあるんだけど……」
アヤメはユリスとミナヅキに、自分の考えを話した。するとユリスは、腕を組みながら大きく頷き出す。
「確かにあり得ると思うよ。というより、それ以外にないと言っても良いかもね」
やはりそうかと、アヤメは思った。そこにユリスが何を思ったか、ニヤリとイタズラっぽい笑みを浮かべてくる。
「加護の効果は、本人以外にも影響を及ぼす場合があるんだ。特にその人が大切に思っている相手には、ね」
「……へっ?」
ニッコリ微笑むユリスに、アヤメは思わず呆けてしまう。
「じゃ、じゃあ私にも、その加護とやらの影響があったんだとしたら……」
「みなまで言う必要はないんじゃない? ねぇ?」
ユリスは再びニンマリとした笑みを、今度はミナヅキに向けて浮かべた。
ミナヅキが困ったような表情を浮かべていたところに、今度はアヤメがスッと目を細めながら見上げてくる。
「ふぅん、そっか。ミナヅキって私のこと大切に思ってくれてたんだ?」
「いや、まぁ、そりゃあな……」
「ふふっ♪」
照れくさそうに目を逸らすミナヅキを、アヤメは嬉しそうに頬を染めながらジッと見つめる。
甘い空気が流れる中、ユリスがどこか呆れたような視線を向けるのだった。
「全く、仲良しさんでなによりだよ。それじゃあ最後に一つ言っておくけどね」
その瞬間、どことなく空気が変わった気がした。息を飲むミナヅキとアヤメに、ユリスが告げる。
「ミナヅキとアヤメは、もうこの時点で移住に成功したこととなる。だからボクの加護が面倒を見るのもここまで。あとは全てキミたち次第だよ」
「あとは……」
「私たち次第?」
ユリスの言葉にミナヅキとアヤメが顔を見合わせる。ユリスは再び、満面の笑みを浮かべた。
「それじゃあね、ごりょーにん♪」
楽しげな明るい声とともに、ユリスは気配が瞬時に消える。ミナヅキとアヤメが振り向いたそこには、もう誰もいなかった。
「……消えちゃったわね」
「相変わらず神出鬼没なヤツだな」
「いつもこうなの?」
「まぁな。そんなことより、俺たちもそろそろ寝ようぜ。もう疲れちまったよ」
大して驚く素振りも見せずに、ミナヅキはいそいそと枕の準備をする。ユリスとの付き合いの長さを示しているのだと、アヤメは密かに驚いていた。
(慣れないといけないわね。きっとユリスとも長い付き合いに……あら?)
アヤメは体が急に重くなる感触がした。何も考えられなくなり、フラフラと吸い込まれるようにベッドに倒れ込む。
(眠い……柔らかいわ。もういいや、寝ちゃおう)
アヤメはうつ伏せ状態のまま目を閉じ、夢の世界へ旅立った。本人に自覚はなかったが、無理もない話だ。
高校の卒業式から実家とのひと悶着による家出。そしてミナヅキとともに、この世界へとやってきた。
これらはたった半日の間に起こった出来事なのだ。凄まじい疲労が襲い掛かったとしても何ら不思議ではない。
寝息を立てる彼女に、ミナヅキはそっとシーツを被せた。
「おやすみ」
そう一言だけ優しく告げ、ミナヅキはランプの明かりを消した。
◇ ◇ ◇
翌朝――ミナヅキたちは宿をチェックアウトし、外に出ていた。
「いい天気ねぇ。清々しい一日になりそうだわ!」
思いっきり両腕を上に伸ばしながら、アヤメが気持ち良さそうに言う。
そんな彼女に対して、ミナヅキは心の中で思っていた。恐らくこれは天気だけの問題ではないと。実家から解放されたことが、彼女をこんなにも晴れやかな笑顔にさせる一番大きな理由なのだろうと。
(勢いで実家を飛び出して後悔してるんじゃないかと思ってたが、どうやらそれは杞憂だったようだな)
むしろ清々しているようにしか見えなかった。強がっているだけという可能性もあり得るが、それにしては彼女の笑顔はあまりにも自然過ぎる。
――やはり未練も後悔もないというのが正しいだろう。
ミナヅキがそう思っているところに、アヤメはご機嫌よろしく話しかける。
「ねぇ、冒険者ギルドって、私でも登録できるのかしら?」
「できるぞ。登録するときに適性を調べてもらえて、どの職業に向いているかが分かるようになるんだ」
「この世界には、魔法も普通に存在するのよね……私にも使えると思う?」
「さぁな。適性さえあれば使えるが、そればかりは運次第さ」
肩をすくめながらミナヅキは答える。まずはギルドで登録しなければ始まらないというのはよく分かった。
とりあえず今は、その時を楽しみにしておこう。そう自分の中で納得しつつ、アヤメはミナヅキとともに表通りへと歩き出す。
「ところで、ミナヅキって魔法を使えるの?」
「いや、サッパリだ。あいにく俺は、魔法の適性が全くなかったんでな」
「じゃあ、アンタの適性は?」
アヤメが尋ねると、ミナヅキは待ってましたと言わんばかりにニッと笑った。
「生産関係。簡単に言うと、アイテムを生み出す感じだな」
「調合とか錬金とか、鍛冶屋さんとか?」
「正解。生産職の中でも、人それぞれ得意分野が分かれていてな。俺が一番得意なのは調合だ。回復ポーションや解毒薬とか作れるぞ」
それを聞いたアヤメは目を見開いた。
「流石はファンタジーな異世界ね。聞いたことあるアイテムもあるんだ」
「まぁね」
軽く肩をすくめつつ、ミナヅキは話を続ける。
「ちなみに生産職は戦闘を苦手としてはいるが、全く戦えないワケじゃない。アイテムを作るときに、魔物から狩り取れる素材も必要になってくるからな。一人前の生産職は、自分で素材を調達できるようになってこそ……そう教わったもんさ」
「……道理でアンタの体、妙に鍛えられてると思ったわ」
「もっとも俺の場合は、この世界で生きるという目標もあったからな。魔物は素材であり、貴重な食料でもあるから」
「確かにそれは重要ね」
アヤメは納得しながら頷き、そして小さくガッツポーズを作る。
「私も頑張るわ。早くこの世界の環境に慣れていかないとね!」
「おっ、気合い入ってるな」
「当然よ。昨夜ユリスも言ってたじゃない。あとは私たち次第だって」
言われてミナヅキも改めて思い出す。
実感こそないが、今までずっと守って来てくれていたモノはもう存在しない。これからは色々な意味で、気持ちを新たにしなければならない。
そう思いながらミナヅキは――
「……そうだな」
噛み締めるように一言、そう呟きながら頷いた。
するとアヤメが、表通りの中でもひときわ目立つ大きな建物に目が留まる。
「ところで、もしかしてあそこに見えるのが……」
「あぁ、冒険者ギルドだな。まずはそこで、アヤメの登録を済ませてしまおう」
「――うんっ♪」
アヤメは満面の笑みで頷き、両手の拳を胸のあたりでグッと力を込める。そして意気揚々と、二人でギルドに向かって歩き出していった。
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