駆け落ち男女の気ままな異世界スローライフ

壬黎ハルキ

第一章 異世界スローライフ開始

第一話 駆け落ち先が異世界だった件



「もう信じられないっ!」


 茜色に染まる公園のど真ん中で、少女の叫び声が響き渡る。そんな彼女の目の前に立つ少年は、戸惑いつつも両手を軽く掲げ、落ち着かせようと試みた。


「お、おいアヤメ。少しは落ち着けって……」

「落ち着けるワケないでしょ! ミナヅキに私の気持ちなんて分からないわよ!」


 涙目で激しく癇癪を起こすアヤメを見ながら、ミナヅキはどうしたもんかと頬を掻いた。

 この状況を第三者が見た場合、果たしてどのように思われるだろうか。

 恐らく若い男女の典型的な痴話ゲンカと見なされ、若くて良いねぇと微笑ましく思われることだろう。もしくは泣かせたんならさっさと謝れよこのバカ男が、とミナヅキに対して白い目を向ける展開か。

 恐らく殆ど後者だろうなと、ミナヅキはなんとなくそう思った。

 サラサラな黒髪ロングでスタイル抜群の美少女、背が高いことを除けばどこまでも平凡にしか見えない黒髪の少年。どちらに注目が行くのかは言うまでもない。そして自然とどちらに味方するかも容易に想像がつく。

 チラリと周囲を見渡してみる。現在この公園に、ミナヅキとアヤメ以外の人影は全く見られない。故にこのやり取りも聞かれている様子もなかった。


(他に誰もいなくて良かった。まぁ、そんなことはともかくとしてだ……)


 完全に泣きじゃくっているアヤメを見下ろしながら、ミナヅキはひっそりとため息をついた。


(えっと……そもそも何でこんな状況になったんだっけか?)


 面倒くさそうに頭をボリボリと掻きながら、ミナヅキはこの状況に至るまでのことを思い出す。

 今日は高校の卒業式だった。なんてことないごく普通の公立高校を、普通に三年間通って卒業した、それだけの話だ。

 クラスメート全員で記念撮影し、卒業証書を片手に学校を去る。これがアニメやラノベとかだと、何かしらのイベントがあったりする――そんなことを思いながらミナヅキは、公園の前を通りかかった、まさにその時だった。

 幼なじみであり、お嬢様でもあるアヤメから、突然声をかけられたのは。

 あからさまに泣きじゃくっていた表情は、彼女がそれ相応の深刻な事態に陥っているのだと予想できた。しかし無性に嫌な予感も感じた。

 そしてそれは、見事なまでに的中した。

 最後の最後でこんな面倒なイベントがどうして舞い込んでくるんだろうかと、未だギャーギャー騒ぐアヤメの声を聞きつつ、ミナヅキは空を仰いだ。


(卒業式。夕暮れの公園で、幼なじみのお嬢様と会う。少しくらいロマンティックな展開になっても良いだろうにねぇ……)


 現実はそう甘くはない。自分たちの都合など構うことなく、面倒事は容赦なく舞い込んでくる。

 そんな言葉をミナヅキは思い出したのだが、それでも声を上げて言いたかった。

 ――いくらなんでも、卒業式の直後に舞い込んでくることはないだろうと。


(そもそも幼なじみっつったって、そこまでマンガみたいな深い付き合いがあったワケでもなかったんだけどな)


 むしろお嬢様であるアヤメと、幼なじみの関係を続けてこれたこと自体、類い稀なる奇跡だったとしか思えなかった。

 家が近所という以外、共通点は一切なし。彼女はずっとエスカレーター式の学校に通っていた。ずっと公立の学校に通っていたミナヅキとは、当然の如く一度も同じ学校になったことがない。

 しかも互いが互いの家に遊びに行ったことすら、一度も無かったりする。

 一ヶ月から数ヶ月に一度のペースで、この公園でほんの数分だけ会って話す。ただそれだけであった。

 話す内容も他愛のない雑談が殆ど。将来について語り合ったり、何かを約束したりすることもなかった。お互いに生活環境がまるで違い過ぎたというのもあり、ある意味仕方がないことでもあった。

 それでも何故か二人の関係が途絶えることはなかった。まるで神様がそうさせているかのように。

 ――やはりこれは奇跡というほかないだろう。


「ちょっとミナヅキ! アンタちゃんと私の話を聞いてるの!?」

「あーうん。きーてるきーてる」


 涙を拭こうともせず声を荒げるアヤメに、ミナヅキはあからさまに脱力した声で答える。夕日に照らされているためか、彼女の真っ赤な怒りの形相が、更に際立っているように見えた。


「まぁ、要するに――」


 とりあえずこのままだとラチが明かないと思ったミナヅキは、アヤメが喚きながら言った内容を、確認がてら整理してみることにした。


「本当だったらアヤメは、この春からエスカレーターで内部進学することになっていた。しかしそれをお前の両親が勝手になかったことにして、アヤメをどこぞの御曹司と結婚させようとしていた……こんな感じで良いか?」

「えぇ、まさにそのとおりよ」


 やや落ち着いた様子を見せるアヤメに、ミナヅキは密かに安心した。そしてアヤメは拳をギュッと握り締めながらプルプルと震わせる。


「水面下もいいところよ。私だけが全くそのことを知らなかった。最高の卒業式が最悪の卒業式に切り替わっちゃったわよ。寝耳に水とはこういうことかしらね」


 思いがけない出来事に驚くという意味では、今もまさに同じかもしれない。そう思いながら、ミナヅキは問いかけた。


「抵抗はしたんだろ?」

「勿論したわよ。誰も聞く耳持ってくれなかったけどね」

「それで飛び出してきたってワケか」

「うん……そゆこと」


 指で涙を救いながら、アヤメはシュンと落ち込んだ様子で俯いた。

 どうにか泣き喚く状態から解除できたと安堵しつつ、ミナヅキは少し気になることがあった。


(それにしても静かだな。夕方の公園って、こんなに人がいないもんだっけ?)


 犬の散歩コースとしてもかなり人気の場所であるが故に、人っ子一人見かけないこの状況がどうにも不自然に思えてならない。

 しかし考えたところで分かることがないのも確かではあった。


(まぁ、いっか。それよりも今はアヤメのことだ)


 考えを切り替え、改めて落ち込むアヤメに視線を向ける。

 彼女の家については、ミナヅキもなんとなくながら知っていた。大きな会社を経営しており、政界にも顔が効くとのウワサだ。

 まさに絵に描いたような上流階級の家といったところであり、調べれば他にも色々と分かりそうではあったが、ミナヅキはそこまで興味があるワケでもなく、それ以上のことはよく知らないままであった。


(アヤメが怒る気持ちも分からんではないんだが……これはあくまで、他所の家の事情だからなぁ……)


 流石に赤の他人である自分が、どうこう言えるモノではない。家柄故の厳しい事情も、全くもって否定するつもりはなかった。


(とはいえ、このまま放っておくのも、それはそれで忍びないか)


 事情はどうあれ、小さな子供のように泣きじゃくる彼女の姿を見てしまった。それが自分の大切な幼なじみであれば、知らん顔はできない。

 ひとまず話を進めるべく、ミナヅキは改めてアヤメに問いかけてみる。


「そんなに知らない御曹司と結婚するの嫌か?」

「嫌よ! 絶対にイヤ! このまま世界の果てまで逃げたいくらいよ!」


 凄まじい剣幕で拒否するアヤメだったが、返事自体は想像できていたため、ミナヅキも特に驚かない。

 そして平然とした様子で腕を組み、頭に浮かべていた案を出す。


「俺、これから異世界に移住するんだけど、良かったら一緒に来る?」

「行くわ! アンタとだったらどこまでも行ってやるわよ! ついでに私の全部をアンタにあげる! 一生大事にしなさいよね!」


 その叫びに対しては、流石のミナヅキも顔をしかめずにはいられなかった。


「いや、別にそこまでしなくても……」

「するわよ! あの家から逃げられるんなら、それこそなんでもするわ!」

「女の子が『なんでもする』なんて言うんじゃないよ、全く……」


 軽くため息をつき、ミナヅキは公園の出口に向かって歩き出す。そして未だ突っ立ったままのアヤメに気づいて振り返った。


「何してんだ? 早く行こうぜ。俺と一緒に来るんだろ?」

「え、あ、う、うん……」


 戸惑いながらもアヤメが付いてくることを確認したミナヅキは、今度こそ目的の場所を目指すべく歩き出すのだった。



 ◇ ◇ ◇



 ばっさ、ばっさ、ばっさ、ばっさ――――

 草原に広がる夕焼け空のど真ん中を、羽ばたく音を響かせながら、巨大な飛行生物が集団で横切っていく。

 その光景は、大迫力という言葉では収めきれないほどだ。ましてや地球のどこへ行っても見ることのできない光景だからこそ、余計にそう思えてならない。それが彼女を連れてきた少年の、心からの気持ちであった。

 やがて感動が落ち着いてきたところで、ミナヅキは腕を組みながら首を傾ける。


「なーんで今日、こんなにドラゴンがたくさん飛んでんだ?」


 そう。目の前を飛んでいる巨大な飛行生物は、紛れもないドラゴンであった。

 日本はおろか地球上にはいない、物語などの空想上のみの存在。決して現実では見ることのできない存在。

 それが今、目の前に現実となって現れている。しかも大っぴらに。

 だからこそミナヅキの一歩後ろに控えて――もとい、逃げるように一歩下がっているアヤメの表情は、驚愕と恐怖で真っ白になったかのように、マヌケっぽくポカンと口を開けている状態であった。


「…………」


 アヤメはなんとか口をパクパクと開く。しかし言葉は出てこない。そこに再びドラゴンの咆哮が鳴り響き、アヤメはビクッと驚いて硬直してしまう。

 一方ミナヅキは、どこまでも平然とした様子で、壮大な光景を見上げていた。


「そういや今頃だったっけか。年に一回ある、ドラゴンの大移動ってヤツ……間近で見るのは初めてかもな」


 ミナヅキは納得するかのように頷き、全てのドラゴンが通り過ぎるのを待つ。アヤメはその間、言葉一つ発することなく硬直していた。

 程なくして全てのドラゴンが通り過ぎた後、ミナヅキは満足そうに頷いた。


「さーて、それじゃあ俺たちもそろそろ行こうか……って、アヤメ?」


 ミナヅキは振り向きながら、彼女の名前を呼んだ。

 表情からして、凄まじく驚いていることはよく分かる。ミナヅキは少しばかり後悔した。アヤメにとって、ドラゴンの大群は刺激が強すぎたかと。何せ地球上にいない生物が急に出てきたのだから、混乱の一つや二つはしてもおかしくないと。

 不可抗力とはいえ、驚かせたことはキチンと謝ったほうが良さそうだ。

 そう思いながらミナヅキがアヤメに向き直り、頭を下げようとした瞬間――


「な、なななな……!!」


 アヤメがミナヅキと去りゆくドラゴンを交互に見ながら、慌てふためいた。それをミナヅキは苦笑を浮かべながら宥めようとする。


「落ち着け。まずは深呼吸をしろ。で? 何が言いたいんだ?」


 ミナヅキの言葉に従い、数回ほど深呼吸をしたところで、アヤメが目をクワッと開いてミナヅキに詰め寄った。


「何なのよこれ! 一体ここはどこなのっ? そもそも私はどうなったの?」

「別にどうなったってワケでもないさ。ただ異世界に来ただけだよ」


 ミナヅキが苦笑すると、アヤメは体を震わせながら激しく狼狽える。


「い、異世界ってホントに異世界? 海外とかじゃないの?」

「正真正銘の異世界だよ。あれだけたくさんのドラゴンが飛んでて、地球であるワケがないだろ?」

「うん、確かにバンバン飛んでたわね。私もこの目でしっかりと見たわ。この世界が地球じゃない全然別の世界だってことも、正直認めるしかないと思ってる」

「なら良いじゃん」

「良いんだけど! 確かにそれはそれで良いんだけど、そうじゃなくて!」


 うがーっ、と唸りながら、アヤメは両手で頭をがむしゃらに掻きむしる。

 もはやお嬢様らしい部分が何一つ見られない光景に、今度はミナヅキが呆然としてしまうのだった。

 やがてアヤメが落ち着きを取り戻し、小さなため息をつく。


「はぁ……ラノベやアニメとかでしか見たことがなかった異世界が、まさか現実にあるなんてね。こりゃ流石に予想すらしてなかったわ」

「へぇー、アヤメもそーゆーの見てたんだ。ちょっと意外だな」


 普通に驚くミナヅキに、アヤメはジト目を向ける。


「……何よ? まさかお金持ちのお嬢様はそんなの見ないって思ってたとか?」

「うん。だからビックリしてる」


 アッサリと認めるミナヅキの声に、アヤメは思わず脱力してしまう。そして再びため息をつきながら、アヤメは腕を組んだ。


「まぁ、そりゃ確かにごく一部ではそんな感じの子もいたけど、大半の子はフツーに見てたわよ。実際私も友達から誘われて見たクチだし。大型の同人誌即売会イベントに毎回参加している子だっていたんだから」

「そりゃ凄いな……」


 ミナヅキは素直に感心する。事実は小説より奇なりとは、まさにこのことかと思ってしまった。


「それはともかくとして……」


 アヤメは強引に話を断ち切り、改めてもの言いたげな目をミナヅキに向ける。


「アンタが前々からこの異世界と地球を行き来していたってことだけは、なんとなく分かったわ。それについては間違ってないわよね?」

「当たり。ビックリさせちまったことは、流石に申し訳ないと思ってるよ」

「なら教えてちょうだい! アンタが異世界と地球を行き来するようになった、その経緯全てを!」


 苦笑するミナヅキに、アヤメは語尾を強めて申し出る。確かにまずはそこから説明しなければいけないかと、ミナヅキは思った。


「話すのは全然構わないんだが、その前に早いところ町へ行こう。日が沈むと結構危ないからな」


 ミナヅキと一緒にアヤメが空を見上げてみると、夕日は既に山の向こう側に消えかけていた。街灯が全くない平原を、星明りが照らしてくる。まさに満天の星空と言えるその光景に、思わず目を奪われてしまう。

 しかし、ミナヅキの言うとおりでもあると、アヤメは思った。

 夜が危険なのは地球も一緒だ。ましてやここは異世界。ドラゴンが当たり前のように空を飛んでいたほどだ。きっと他にも自分の想像のつかない何かが、普通にたくさんあっても、何ら不思議ではない。

 アヤメは改めて表情を引き締め、ミナヅキに向かって強く頷いた。


「分かったわ。町に着いたら話してよね。私としても、気持ちの整理を付ける材料がもう一つ欲しいだけだから、本当のことであればちゃんと納得もするわ」

「あぁ、りょーかいだ」


 そしてミナヅキは、北の方角に見える王宮がそびえ立つ町を指さした。


「ちょうどあそこに見えるのが、このフレッド王国の王都だ。夜遅くまでやってる店も多いから、買い物にも困らないと思う」

「それは助かるわ。着の身着のままで来ちゃったから、着替えとかどうにかしたかったのよね。早く行きましょ」

「おぅ」


 二人はフレッド王都へ向かって歩き出す。アヤメがようやく元気そうな笑顔を見せたことに、ミナヅキは心の底から安堵するのだった。



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