ミステリー作家になれるかもね

2019年8月18日。朝日新聞。

あいちトリエンナーレで、「表現の不自由展・その後」

が中止になった問題は、表現の自由の意味や

芸術の公的助成のあり方をあらためて問いかけた。

(以上、引用)


朝日新聞らしいんですが、

異なる意見に対して敵対的聴衆がいるからって

すぐに表現活動が制限できるわけじゃないそうで、

民主化が進んだ現代において、

国家が言論を抑圧することともあるけど

社会の「多数者」も抑圧的な存在になり得る、

と書いてあります。


自分が嫌悪する表現にも表現の機会を認めるのが

表現の自由である。

それは「不自然」なことかもしれないが

それこそが自由で民主的な社会を形作ってきたのだ、

と切々と言うのは、川岸さんという早稲田大学教授さん。


そんなこと言ってもね。机上の空論でしょ、それって。

配慮のない意見を言っては、ネット上で孤立しているわたしには、

「異質な意見」 と 自分の意見のどこが違うのかわからなかったりします。

キリスト教に無知な人間が、ひどいことを言ってくる。

それもひとりじゃないぞ、複数だ。(日本人って、どうして宗教にこんなに無神経なんだ?)

受け容れて認めたからって

自分が認められるとは限らないわけです。

不公平だよね。と思う。


要するに世の中って、ホンネでは話せない。

夫がわたしを、「愛嬌あってフレンドリー」 って褒めるけど

実際のわたしは違ってる。

お互いの認識がズレている。

お互いが大好きなのに、お互いのことがわからない。

ここに人間の孤独がある。


民主主義ってよくいうけど、理想論でしかない。

ひとりひとりの間には、暗くて深い河がある。

同じ人間だと思っていても、別な面を発見するのがミステリーだと

横山秀夫は言っていたが

だとするとわたしには、毎日がミステリーですわ。


もしかしたらわたし、ミステリー作家になれるかもね(笑)

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