これからの職業
二〇一九年二月六日のラジオ深夜便 室井滋の平成に向けて残す言葉。
平成は災害の年、ということが良く言われるけれど、
室井滋にとってはケータイ・スマホの年代で、
次の元号になったら昭和が大正みたいに、
遠くなるのがイヤだと言っていました。
滋さんは元号にしばられていますが、現代っ子たちはどう思っているのでしょうか。
わたしは平成の人間だからって言ってるのを、聞いたことがない。
朝日新聞にも、元号を意識しない人たちが増えているようなことが書いてありました。
元号は、世界でなにが起こったのか比較するときには不便ですので、なくそう、という論説のある中、
文化だから残すべき、というのが趣旨でした。
江戸時代の人たちは、元号をどう思っていたでしょう。
元禄や安政とか言ってたから、意識していたかもしれない。
戦後、GHQのせいで、日本への帰属意識が薄まっているから、
日本人が元号に愛着が持てない可能性がある。
元号は文化というよりわたしには歴史です。
明治時代というと、ああ、あんなことがあったなぁ、偉人がいろいろいたなぁ、
と思い浮かべることがたやすくなります。
ただ、教科書では、首都のあった場所を時代の区切りにしているようで、
平安時代とか、江戸時代とか言っていました。
いずれ200年ぐらい経ったら、明治時代から平成あたりまでは
「東京時代」 と言ってるかもね。
それはともかく。
未来になにが起こるのか、AIの登場で失われる仕事が増えるといいます。
日本人の、「いま」にしか関心のない無節操ぶりが気になったりします。
だって、20~30年まえには、OA化で女性が職を失うって問題になったときは、
男性は無関心だったもんね。
日本人は科学者というより芸術家なのだと、なにかの本で読んだことがあります。
確率と統計で行動を言い当てるAIが、日本人をどう変えていくのか。
日本人にしかできないことってなんだろう。
俳句や生け花といったものは、敷居が高いだろうけれど、
毎日ごはんをおいしそうにUPしている人もいる。
そこから、それを職業にできるような、その人ならではの個性といったものを提示できる、
プロデューサーみたいなことが出来るといいかも……
向いてないか、わたしは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます