十九 古墳内部での作戦会議
強忍社社長・越智彦四郎と矯志社社長・武部小四郎の両名が鹿児島へと一時的に亡命したために筑前の3政社は結集して十一学舎となり、大畠太七郎、川越庸太郎、大庭弘、山中立木、浜崎四郎などという人物たちがその間世話役を担当したらしいが、それほどかからず越智と武部の2人が福岡に戻ってこられた為、十一学舎は元々の政社のリーダーであった二人が指導者に返り咲いて両頭体制となった。
鹿児島方面の不穏から2月5日には出来て1月の十一学舎に早くも県当局から解散命令が出され、同時期に旧藩主の黒田長知も不平士族たちへの慰撫工作を乞われて帰郷させられていた。長知はすぐさま越智と武部の二人を黒田家の屋敷に招くが、彼らも理由はわかっているので応じない。長知候は再び呼んでみるものの、越智も武部も理由を作って参邸を断る。
この状況に心を痛めたのが内田良五郎であった。内田良五郎は平岡浩太郎の兄であり、また後に黒龍会の創設者内田良平となる男児内田良助の父親でもある。良五郎の三男である良助は明治7年2月11日の生まれだがその頃はまさに佐賀の乱真っ只中で、赤ん坊の父親である良五郎はそちらに送る筑前士族の部隊を編成するのに奔走していたため代わりに叔父にあたる平岡浩太郎が内田家を訪れて良助の名付け親になったという逸話もある。
内田良五郎は後に現代の全日本剣道連盟杖道や警視庁警杖術の元となる神道夢想流杖術の普及にも尽力し、西洋伝来のステッキを用いた洋杖術として内田流短杖術を考案した人物としても知られる。その他小野派一刀流剣術で免許皆伝を許された他、扱心流柔術と一角流捕手術、更には砲術と鎗術の免許を受けた武術の達人であり、黒田家福岡藩に武芸師範として取り立てられた。
戊辰の役でも功を上げ維新後の福岡藩の軍制改革を建議し、これが認められて軍事掛書記に任ぜられ、輜重・補給の敏活に図る重要性を説いたという。
つまり内田良五郎という人は越智・武部の両名と面識があって志士たちからの徳望も厚く、また旧藩主である黒田家への忠義も深いという、この件で両者を仲介するのにうってつけの人材だった。ついでに越智彦四郎(1849年生まれ)と武部小四郎(1846年生まれ)の2人よりも10歳近く年長(1837年生まれ)だったので尚更説得しやすかっただろう。
“不平不満があっても、大恩をこうむった殿様のお招きを二度までも断るというのは、さむらいの心を失った、道に欠ける行為である”
そう説かれて一応は旧家臣の礼として邸宅を訪れた越智と武部だったが、明治政府の意向が入った黒田長知の意見には確答を与えなかった。それに対して当局は次の一手として“一戸の建物に三人以上の集会を禁ずる”という厳しい規定の徒党集議禁止令を発するが、越智と武部は“薩南情勢の公開報告会”という名目で県庁の許可を得て不特定多数の士族を集め反応を測った他、比較的穏健な内田良五郎の屋敷へは当局の監視も寛大だった為、ひそかに暮夜内田邸に集まって謀議を重ねた。
丁度この頃、薩摩に留学していた内海重雄、あるいは黒田平六という人が帰福(「福」岡に「帰」還)し、早くも2月13日前後には西郷決起東上の一報が筑前士族たちの下にもたらされていた。越智と武部は実情を確認するため松本俊之助を送ると、彼は熊本へ行く途中の高瀬(熊本県玉名市)で鹿児島から来た大山県令の専使一行と出会い事実を確認。松本は同行していた山下虎走を方向のため先に福岡へ帰らせ、自らは単身熊本へ入り、川尻でいよいよ戦闘が始まったことを知った他、西郷軍に加勢する熊本隊の領袖である池辺吉十郎と意見交換を行ってから福岡に戻った。
(ちなみにこの池辺吉十郎の長男である池辺三山は陸羯南・徳富蘇峰と並ぶ明治の三大記者にして日本のジャーナリストの先駆けといわれ、大阪朝日新聞や東京朝日新聞の主筆を歴任した他、二葉亭四迷や夏目漱石を入社させて彼ら文豪の長編小説新聞連載に尽力し朝日新聞隆盛の礎を築いたひとりだという)
報告を受けた越智と武部は、吉田震太郎と十一学舎の世話役の1人でもあった川越庸太郎を西郷軍に送り呼応の意思を伝える。2人とも無事薩軍本営に到着し各地から集まる他の不平士族たちと行動を共にした。15日に鹿児島を出発した頃1万2千人だった西郷軍には旧士族の子弟たちが続々と加わり、22日には3万人の軍勢で熊本城の陸軍鎮台を包囲するまでに膨れ上がっていた。
2月19日。現在の福岡市南区寺塚・平尾山西麓、曹洞宗補陀山興宗寺の「穴観音」に同志たちが集められ、西郷軍に呼応するための作戦会議が開かれた。この穴観音というのは境内北側丘陵にある円墳で、古墳の横穴式石室内部壁面に作者・製作時期不明の阿弥陀如来像、観音菩薩像、勢至菩薩像が彫られ信仰を集めているという不思議な場所で、民家から離れていたために秘密会議にうってつけの場所だった。
さて、西郷に呼応するというところまでは心を一つにしていた筑前士族の十一学舎メンバーだったが、ここで佐賀の乱以来の越智彦四郎の夢想家・理想主義的気質と武部小四郎の現実主義的方針が食い違う。
武部は官兵の移動状況に注目していた。福岡に駐屯する陸軍歩兵第14連隊第3大隊は、各中隊が次々熊本へと出撃して20日・21日には福岡分営を空にする。そこを少数精鋭で急襲して兵器を奪い、県庁の高官を狙撃するなどゲリラ戦を始めるというのが武部案である。
越智は即座に反対した。大人数で真正面から福岡城を奪取し熊本へ進撃する官兵を食い止めるというのが越智案である。集まっていた志士たちの大多数が次々と越智の案に賛同した。細々した作戦もなくシンプルに正々堂々というのは鹿児島に行って意見交換した際に向こうの桐野利秋の方針とも合致することを確認していたし、何より彼らの精神性にぴったり合っていたらしい。
20日・21日。読み通りに手薄になった福岡分営は見逃されると、22日には海路で征討旅団主力が博多入りする。25日には陸軍中将山県有朋、26日には政府軍最高司令官にあたる「鹿児島県逆徒征討総督」として有栖川宮熾仁親王が福岡に入り征討本営が置かれた。廃藩置県の際に福岡県の知藩事を務めた有栖川宮親王は維新の時には東征大総督として西郷隆盛を参謀に就けていた。親王はこの世の皮肉を嘆じたともいわれる。
武部小四郎は征討本営に対して、27日参謀役の参軍職に任ぜられた山県を狙撃する作戦を計画するがこれも反対され実現しない。武部の意見が通りづらかったのは彼が社長を務めていた矯志社の多くの社員が投獄されていたのが一因とも言われる。28日には総督熾仁親王から九州全県下に征討の訓諭が発せられ、3月に入ると旧藩主黒田長知の説得と懐柔が始まり、勤皇派や穏健派の常識的な士族は沈静化させられ反乱部隊から離れていった。
越智と武部は西郷軍と緻密な連携を望み連絡を待ったが、薩軍の側にも最早そんな余裕は残っていない。3月19日にようやく2人は西郷軍との連携を諦めて、独自行動の方針を決めるために平尾村内穴観音での作戦会議を1ヶ月ぶりに再び開き、決起の詳細な計画を定めた。
決起部隊は越智彦四郎と武部小四郎を大隊長として2つの大隊に分かれる。大隊副長は久光忍太郎と舌間慎吾。小隊長に久世芳麿、加藤堅武(加藤司書の遺児)、大畠太七郎、村上彦十、輜重役には大野卯太郎と内田良五郎。各隊の間の連絡役に八木和一が任命された。
決行の日まで参加志望者を集め整理する募兵工作を西部地域では久光、久世、大畠、村上、吉安謙吉らが担当し、東部方面は舌間が受け持った。最終的に参軍予定者850人以上が集まり、越智隊が早良郡の士族を、武部隊が那珂川以東の士族をおよそ400人ずつ率いることとなった。
野心的で気宇壮大な越智彦四郎と堅実で慎重派な武部小四郎の両大隊長の意向が反映されたのか、越智派もいざ決行となると少し冷静になったのか、作戦には滅茶苦茶上手くいった場合の上策、次善の中策、福岡での挙兵が失敗した場合の行動指針として下策が策定された。
上策は越智大隊が福岡城の鎮台分営を攻撃して兵器弾薬を押さえ、武部大隊は県庁を襲撃して官金を奪う。さらに博多湾停泊中の軍艦を奪取して直ちに大阪へと航行し、実力行使によって政府改革を朝廷に上奏するという、後年の少年マンガかサスペンス小説かハリウッド映画を思わせるようなド派手な計画だった。
中策はもし軍艦が奪取不能の場合として、福岡城を占拠して官軍の糧道を絶ち、西郷軍の応援とするもの。
下策としてもし上策・中策の両方に失敗した場合は兵をおさめて大休山に登り、そこから肥後の南関に進撃して西郷軍と激突している官軍の背後を衝く作戦となっている。
またこの反乱が彼らなりの正義のための挙兵であることを人々に訴えるために、八木和一の起草した挙兵趣意書が清書されて何枚も用意された。
“それ政府の責任たるや、国民の幸福を保全するにあり。然り而して我が日本政府は二三の姦賊要路にあたり、上、天皇陛下の聰明を欺罔し、下、小民塗炭の疾苦をかえりみず、”
――(省略)――
“苛税重斂いたらざる処なし。ただ一朝の利害に眩惑し、万世不抜の大道を忘却して天理にさからい、人道にもとる。実に売国の賊といわずして何ぞや。
われら拙愚をかえりみず、敢て一死を以て大いに信義を天下に明らかにし、国家の蠧害を除却し、同胞三千余万の権利を維持し、永く日本帝国の康寧を祈らんとす。ゆえにこの檄文を有志の各位に伝う。
こいねがわくは、人民の義務、国家の衰頽を座視するに忍びざる微衷の在るところを諒察あらんことを”
そして末尾には“ここに軍令を定むること左のごとし”として、
“第一条 指揮官の命令に違反する者
第二条 みだりに人を殺害する者
第三条 民家に放火する者
第四条 人民の婦女を姦淫する者
第五条 窃盗する者
第六条 私に逃走する者”
と定め、違反者に厳罰を以て臨むことを明記し、軍規の徹底していることを内外に周知させるものとした。
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