第22話 飲み会③

 ぴたりと止まった手を無理やり動かし、ぎこちない動作でつまみを口に運ぶ。

 礼奈の名前を口に出した那月は、気にする様子もない。


「何で礼奈のこと知ってんだよ」


 遂に俺が訊くと、那月は暫し目を瞑った。

 やがて開いた瞳には、若干の後悔が映っているように見える。


「友達なの、私たち。大学からのだけど」


 礼奈は女子大だ。目の前の那月は同じ大学だと思っていたが、彼女も同じ女子大だということだろうか。

 俺の思考を否定する様に、那月は言葉を続けた。


「礼奈、このサークルの新歓に来てたの。選考落ちしちゃったけどね」


 周りを見渡す。この場に礼奈がいたかもしれなかったことに、純粋に驚く。世間は広いようで狭いと実感する。


「女子大って、うちの周り結構あるじゃんか。女子大ってサークルが少ないから、結構うちへの希望者が多くて。だから女子大には特に厳しめの選考がされてたみたい」


 基本的に同じ大学の人たちをサークルに入れたいという考えがあったのだろうか。

 その考えは分からないでもないが、それならば最初から断っておけばいいのにと思う。


「集団の中ではあまり喋らないけど、私と二人になる時はよく喋ってた。私だけこのサークルに入れるってなった時は、すごい迷ったけど」

「あいつは嫌がるだろうな。そういうの」


 記憶を引き出すと、自然と口をついて出た。

 那月は素直に頷く。


「良い子だったよ」


 言葉から滲む昏さから、彼女が俺たちの終わりのことを知っていることが判った。


「私、悠太と知り合うまで原因は彼氏なんだと思ってた。……もちろん、浮気する時点で駄目なんだろうけど」


 今の言葉は日頃から浮気の話を耳に挟む環境でないと出てこないだろうと思い、俺は苦笑いした。

 大学は浮気がそこら中で横行している──高校生の時はそう思っていたが、覚悟していたほどではなかった。

 もちろん浮気をする人もいるが、自分が付き合う人間の類でその数は大きく変動する。

 俺の周りは割としっかりしていたと思う。

 だからこそ俺が浮気された時は、友達も気を遣ってくれた。

 そして目の前にいる那月は、恐らく俺と違った環境に身を置いているのだろう。


「分かんなくなっちゃった。悪い人じゃなさそうだし」

「二日でそんなこと分かるかよ」


 那月は目をパチクリとさせた。


「あれ、怒った?」


 そんな態度に何だか馬鹿らしくなってしまい、息を吐いた。


「いや、ただのツッコミ」

「なんだ、びっくりした」


 那月はコロコロと笑い、残っていたハイボールを全て喉に流し込んだ。やはり酔っている。


「潰れんなよ」

「まっかせてよ。でも、ちょーっとトイレ行ってくるね」


 席から立ち上がって、畳を降りていく。入り口近くにあるトイレに辿り着くまでの足取りはスムーズで、飲み会の多いサークルに所属しているだけはあると思った。

 だがトイレから出ても那月は席に戻って来ず、別のテーブルで食事を始める。

 ちらりと俺に視線が向けられた気がしたが、それ以降その日那月と目が合うことはなかった。


 ◇◆


 疎らに点滅する街灯を潜り抜け、俺は自宅で寛いでいた。

 二次会にカラオケがあるらしいが流石に遠慮した。

 彩華が誘ったこともあってか皆俺に向ける視線は温かいものだったが、それとこれとは話が別だ。

 那月が別のテーブルに移動した後、一人になった俺に気を遣ってくれたのか何人かのグループがテーブルを囲んでくれたおかげで飲み会には随分満足している。

 向こうがお酒で気が大きくなっていたおかげか、煩わしい最初の気遣いもしなくて済んだ。お酒の席では仲良くなるスピードがやたらと早い。

 ただし、それが素面に戻った時に続いているかは別問題だが。

 一時間ほど語らったのにもかかわらず、向こうの記憶から俺が欠如していることは何度かあった。


 結局彩華とはほとんど喋らなかった。

 大勢の飲み会も楽しいが、やはり少人数の方が俺の性に合っているのかもしれない。

 そんな俺が自宅へ高頻度に招くのは、眼前に腰を下ろす志乃原だけだ。招くというより、押しかけて来ているのが実情なのだが。

『帰れ』と送ったにもかかわらず志乃原が自宅内に居るのは、こいつに合鍵を渡してしまったからだ。

 浅慮に渡した自分は、本当にどうかしていると思う。

 きっと少し気分が上がっていたのだろう。


 そんな志乃原に那月との会話を話すか迷った挙句、酔った勢いで話してしまった。

 志乃原が「洗い物が終わってから話の続きを」と言って、キッチンで溜まった食器を洗ってくれている。

 その間俺はソファに横になり、危うく眠りそうになる。

 ようやく志乃原がキッチンから離れる気配があり、俺は片目を薄っすらと開けた。


「ていっ!」


 ピシャリと頬にいい音がした。

 ヒヤリとした掌の感触が伝わってきて、志乃原が手を勢いよく置いたのだと分かる。


「──いでえ」

「あー、やっぱり本調子じゃないですね。普段の先輩なら怒鳴ってくるとこですよ、ここ」


 志乃原は俺の頬をさすると、口元を緩めた。


「酔った」

「見れば分かりますし、さっきの先輩の話を聞いても分かります。先輩って普段そういう踏み込んだこと自分から言ってこないですもん」


 俺は顔を背けたが、志乃原の手は離れない。

 気配が近付いたのを感じたので、きっと志乃原はすぐ側にいるのだろう。

 俺の片目はいつのまにか閉じていて、重くなった頭で本当に酔っているんだなと呑気に思った。

 こんな頭で那月との会話を説明できたのかは不安だが、冷えた志乃原の掌を直に感じているとそんなことも不思議とどうでもよくなってくる。


「先輩ー?」

「……気持ちいい」

「あ、はーい。そりゃあ食器洗ってましたからね」


 そういえば今日志乃原は此処で食事を取っていないはずだ。ということは、俺の食器だけを洗っていてくれたことになる。

 酔った俺を見て今日も家事がおざなりになるであろうことが分かり、代わりに洗ってくれたのだろう。


「ありがとう」


 お礼を言うと、志乃原は吹き出した。


「いつもこんなんですよ。言うなら日頃から言ってくださいよ」

「いつもは家賃代わりにということで……」

「もう、そこは分かったでいいんですよ」


 志乃原は頬を軽くつねると、またつねった場所を軽く撫でる。

 数秒無言の時間が続く。気まずいものではなく、その静寂はむしろ心地いい。

 志乃原は俺の話を聞いても、そのことについては触れない。

 俺としてはどちらでもよかったのだが、話しただけでも胸は空いていた。


「泊まるか? 今日」


 思わずそう言っていた。

 酔っていたのか、それともずっと家に泊めたかったのか。

 俺の提案を聞いて、志乃原は驚いた表情を見せている。


「私、着替え持ってきてないですけど。それでもいいなら」


 志乃原が返事をするのに、そう時間はかからなかった。

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