#4 千年皇都レグラーン

 コスバイア皇国首都レグラーン。千年以上の歴史を持つ由緒正しい都。一年中、うっすらと霞に包まれた、神秘的、幻想的な趣を感じさせる都である。

 コスバイアという国は、中央大陸の東部、中部に広大な領地を持つ、世界でも指折りの大国である。ゼナガ川流域の肥沃な平野は農産物を豊かに産出し、この国を世界でも一、二を争う農業大国に仕立て上げている。農業だけでなく、工業、商業も発展しており、世界でもっとも豊かな国のひとつである。

 今から千年以上の昔、大地母神の子孫を称するウヅホメ家がこの地を都と定め、コスバイア王国を建国した。そののち幾百年の時が流れ、コスバイア王国はいくつかの王国の連邦国家であるコスバイア皇国となり、国王は皇王と呼ばれるようになった。その後もレグラーンは都であり続け、最古の国家の最古の都となっているのである。

 レグラーンは水路、陸路の交差点に位置しており、その立地の良さから物流の中心地となっている。広大な国土から人や物がこの都に集まってくる。

 レグラーンの街はこの日も活気に満ちていた。

 マリアンヌがレグラーンに寄港したのは10月29日。港湾事務所で入国手続きなどを済ませた時には正午を過ぎていた。

「ここがレグラーンの街かぁ。うわさ通り、きれいな街ね」

 港から街に抜ける門を通り抜け、レグラーンの町並みが目に飛び込んでくると、彼女は感嘆の声をあげた。

 ディカルトの街と違い、レグラーンの町並みは整然と区画整備されている。煉瓦造りの家が規則正しく建ち並んでおり、石畳の通りも不規則に入り組んだりすることなく、まっすぐのびている。

 そのような町並みが薄もやの中で浮かび上がる姿は、確かにおとぎ話に出てくる街のようだ。マリアンヌは、ディカルトの酒場で船乗りたちがそんな話をしていたのを思い出した。

「嬢ちゃんや、セルの姿が見えんが、どうしたかね」

 カッサンドロスが尋ねてきた。

「セルは先に宿屋に向かったわ。あたしたちの宿を手配するついでに、宿屋で先に寝るんだって。疲れてたみたいだしね」

「ふん。この程度の航海で疲れるたあ、あいつも弱っちいもんだぜぇ」

「あなたが言うことじゃないでしょ、プット。セルはほとんど眠らないで船を動かしてたんだから。プットはずっと寝てたじゃない」

「なにもすることがないときは寝るに限るってもんだ。さて、俺様は先に行っとくぜえ」

 プトレマイオスはそう言うやいなや、がにまたでずんずんと歩いていった。マリアンヌはあえて行き先を聞かない。港についたら酒場に直行するというのが彼のおきまりのパターンだからだ。船員たちも彼についていく形でぞろぞろと街に向かっていった。

「セルはどこの宿を取ったのかな?」

「旅宿銀鯉屋じゃろう。ジョゼフ提督と航海をしていたとき、この街で常宿にしていた宿屋じゃ」

 カッサンドロスは答えると、自分の背負い袋を肩に背負った。

「さて、わしは荷物を置いてから、きれいなねーちゃんのいる店を探そうかの」

「ちょっと待って。じいさんに頼みがあるんだけど。……あなた、ちょっと来て。あたしとじいさんの荷物を銀鯉屋まで運んでおいてくれない」

 マリアンヌは若い船員を呼びつけると、自分の旅行かばんとカッサンドロスの背負い袋を持たせた。

「わしゃきれいなねーちゃんとよろしくしたかったんじゃがのう……。嬢ちゃん、頼みって何じゃね」

 色街に行き損ねて残念そうな顔のカッサンドロスが尋ねると、マリアンヌは対照的ににっこりほほえんだ。

「この街って世界の都って呼ばれているんでしょ。だから街見物に行こうと思うの。じいさん、街を案内してよ」

「それは別にわしでなくてもいいじゃろ」

「じいさん、この街に何度も来てるんでしょ。それにいろいろなこと知ってるから、この街のことたくさん教えてほしいし。こういうこと頼めるのじいさんぐらいだもん」

 そう言うと、彼女はカッサンドロスの手を引っ張って街に向かって歩き出した。

「いいじゃない、若い女の子とデートすると思えば。さ、早く行こ」

「強引じゃのう……」

 まるで孫に遊んでとせがまれるじじいだな。カッサンドロスはそう思って、仕方ないと言いたそうに苦笑して肩をすくめた。


 河畔の港湾地域に隣接する形で、交易所や倉庫などが建ち並ぶ商業地区がある。商都であるティシュリの商業地区も大規模でにぎやかだが、ここの商業地区もそれに変わらぬにぎわいと熱気がある。

 たいていの港湾都市がそうなのだが、港湾地域から商業地域、さらに住宅地のあたりまで堀割が巡らされている。港と交易所、また交易所と倉庫などを結ぶ運河であり、艀に貨物が積まれて運ばれる。大量の貨物を輸送するには、人力や馬車を用いるより艀をつかったほうが、一度に輸送できる量が多いので能率的なのだ。

 通りには人力の荷車や荷物を背負ったロバ、一頭立ての荷馬車が行き交い、商人体の男たちが交易所や問屋に出入りしていた。堀割には貨物を満載にした艀が、とぎれることなく何艘も行き交っていた。

「ここも大きな交易港なのね」

「コスバイアの商業の中心だからのう。ここにはコスバイア王国だけでなく、北大洋に面したラナウーク公国やアルガン王国、リッド山脈のヴァイツ王国、それにゲレイ大陸のライドール王国、そう言った各地から交易品が集まってくる。それを取り引きする商人も各地から集ってくる。人や物が交差する国際商業都市でもあるんじゃ。レグラーンが世界の都と呼ばれているのも、これが理由のひとつじゃよ」

「じゃあ、いろいろと珍しい商品があるかもね」

「そうじゃの。そう言えば、街見物するより、早めに取引に行ったほうが良かったんじゃないかね」

「ん? だって、今日から三日間、船員のみんなに休暇をあげたでしょ。だから三日間は出航できないのよ。急いで大麦を買い付けても、出航できなきゃあまり意味ないじゃない。だから、今日はあたしも休暇って事でよろしく」

「だったらわしも休暇と言うことで、きれいなねーちゃんのいる店へ……」

「ちょっとそれは違うなぁ。じいさんには仕事の上じゃなくて、個人的にあたしにつきあってもらってるのよ。だからこれも休暇のうちなの」

「全く強引じゃのう……」

 二人はそんなおしゃべりをしながら、商業地区と市街を隔てる堀割に架かる橋を渡った。商業地区内に巡らされていた運河が10ヤードないし20ヤードの幅だったのに対し、ここの堀割は40ヤードの幅がある。この堀は市街地を囲む外堀だとカッサンドロスが説明した。

「この堀が港と市街地の境界というわけじゃの」

「ふーん。ティシュリと違うね。ティシュリはどこまでが港でどこからが街かはっきりわからないもん」

「街の出来方が違うからの。ここは皇王のすむ都じゃから、宮殿が中心となって街が作られておる。港は街の付属物じゃ。ティシュリはまず港があって、それを中心に街ができあがったから、当然形に違いも生まれてくると言うわけじゃの」

 橋の真ん中あたりから、市街地の堀沿いをカッサンドロスは指さした。

「市街地の一番こちら側が、船乗り相手の酒場や旅宿の建ち並ぶ地区になっておるんじゃ。わしらが泊まるはずの銀鯉屋はあそこの建物じゃよ」

 カッサンドロスの指した先は、堀のほとりを走る道路に面した、煉瓦造りの三階建ての宿屋だった。なかなか立派な建物である。

「みんなが向かった酒場はどこにあるのかな」

「ここから数えて二つ目の筋から向こう側に、船乗り相手の大衆酒場が建ち並ぶ歓楽街があるんじゃ。プットはああ見えて酒に関する嗅覚が鋭いからの、うまい酒を飲ませてくれる場所を見つけているはずじゃよ」

 二人は橋を渡りきって市街地に入った。宿屋や酒場の立ち並ぶ歓楽街は、荒くれの船乗りたちや冒険者風の男たちでにぎわっていた。まだ日も高いのに、幾分酒のにおいを漂わせている。

 とはいえ、飲んだくれて路上で寝っ転がっている酔っぱらいや、路上でけんかをしたり、ものを壊したりする迷惑者はいないようで、そのあたりがティシュリの酒場街とは違う。都の気品がここにも影響しているのだろうか。

 歓楽街を通り過ぎ、二人は市街地をさらに奥に進んでいった。歓楽街に続いて住宅街があり、しばらくすると人でにぎわう大きな広場にさしかかった。広場は市場が立っているようで、小売業者が軒を連ねていた。

「ここはグルド広場じゃな。ここには食料品市場が立つんじゃ。この街にはほかにも何カ所か、市の立つ広場があるんじゃよ」

「にぎやかなところね。たくさんお店があるわ。服やアクセサリーの店あるかな。ねえ、見て回っていい?」

「視察や勉強のためだったら大いに結構じゃが、嬢ちゃんの好きそうな店はないはずじゃよ。ここは純粋に食料品市場じゃからのう。嬢ちゃんのほしそうなものを扱っている店なら、ここから西にあるランヌ広場とルグラン通りにあるわい。道具市が立っておるから、航海用具などもいいものがあるかもしれんのう」

 カッサンドロスはそう答えた。

「じゃ、そこに行こうよ」

「別にいいんじゃが、今からランヌ広場とルグラン通りに行って店を見て回るとなるとそれだけで夕方になるじゃろう。ここから4マイルくらい離れとるからの。それよりは、街のいろいろなところを見ておく方がいいと思うがのう」

「ほかのところ……あ、宮殿とかね。一番見てみたいのはやっぱり宮殿だしね。じいさん、つれていってくれない」

「うむ。この広場のもっと先じゃよ」

 カッサンドロスは彼女を先導して歩き出した。

 グルド広場は全体が300エーカー(約120ヘクタール。1エーカーはだいたいサッカーコート一面分に相当)ある大きな広場だ。石畳の敷かれた市の立つ広場に続いて緑地帯があり、そこは市民が散策などを楽しむ保養の場所になっている。

 この広場に続いて城壁と城門があった。城壁は高さが10フィート程度で、城塞の外壁としては高いほうではないが、よく磨かれた切り石で出来ていて、頑丈であるだけでなく壮麗な印象を与える。城門は望楼(見張り台)が設けられていて、兵士が城壁の外側を監視をしている。門のそばには、鎖帷子を着込み、槍を握った衛兵が直立不動で持ち場を守っている。

 ただ、望楼上の見張りにしろ門脇に立つ衛兵にしろ、皇都の要所を防衛するにしては人数が少ない。全員で十人程度なのだ。それはこの国が長らく戦争も内乱もない平和な状態であり、都自体、これまで一度も他国の侵攻にさらされたことがないゆえなのである。

「ここから内側がレグラーン府城になる。街の中心部じゃのう。宮廷貴族の屋敷や連邦加盟国君主の公邸が建ち並んでおるんじゃ。宮殿もこの中にあるんじゃよ」

「貴族の街だけ城壁で囲まれているの? それだったらなんだか不公平ね」

「一応、一般市民の住む部分にも塁壁があるんじゃが、要所にだけ設けられておるから全体を囲っているわけじゃないのう。この国は貴族社会じゃから、皇族や貴族といった特権階級が優先して権益を得られる。わしらの国ディカルトとは違うが、それもまたひとつの社会の仕組みというものじゃよ」

 二人は門をくぐって府城の中に入った。門を通るとき、衛兵が胡散臭そうな表情でこちらを見ていたことにマリアンヌは気がついた。

「なんかさっきの門番の人、こっちをにらんでたよ。感じわるーい」

「府城の中に外国の一般市民が入ってくるのが珍しいのかもしれんのう。まあ、中に入れてくれただけでもありがたく思えばいいじゃろう」

 府城壁の外の市街も区画整備のされた街だったが、府城の中は碁盤の目のように整然と作られた街になっていた。その中に建ち並んでいる屋敷も、一般市民の家とは比べものにならない立派なものだった。それぞれの屋敷に凝った作りの飾り窓やレリーフなどが装飾されている。

 街の通りには牛車が行き交っていた。コスバイアでは馬車より牛車のほうが貴族の乗り物として一般的で、格調高いと見なされている。特に白い牛の引く車は最高の格式であり、皇族のみが使用を許されている。

 徒歩の人間と牛車が通りを行き交うためか、この街の中は時間がゆったりと流れている感覚がする。時間にせかされない優雅さが漂っている。

「あれ? こんなところに酒場があるわ」

 マリアンヌは屋敷町の一角に酒場の看板を見つけて、それを指さした。「高級酒亭 黄月楼」と書かれている。

 大衆酒場のような粗雑な構えではない。むしろ貴族の屋敷のひとつ、迎賓館のようなたたずまいだ。その屋敷一軒が酒場になっているようだ。

「貴族や金持ちたちの社交場じゃろう。もしかしたら、船乗り相手の店よりもきれい所がそろっとるかもしれんのう。行ってみたいのう」

「おいしい料理とかあるかな。ねえ、行ってみない?」

「無理じゃろう。一般人が行ったら即刻つまみ出されるに違いないわい。たとえ入れたとしても、値段が高くてろくに遊べもせんじゃろうて」

「そうかなあ」

 その店に興味を持ったものの、まだあいている様子もなかったので、二人は宮殿に向かって先を進んだ。

 屋敷町を抜けきると、大理石のタイルで舗装された広場に出た。この広場はレグラーン宮殿の大手門に続いている。広場および宮殿の外周を走る道路と宮殿敷地は、大理石を積み重ねた白亜の城壁と、その外を囲む堀割で隔てられている。広場から、造りは堅牢、そして神獣や幻獣がレリーフされた壮麗な大手門には、柱廊になった石橋がかかっていて、そのたもとに甲冑で身を固めた衛兵が立っていた。

 二人は広場に立ち止まり、目の前に堂々たる威容で立っているレグラーン宮殿を正面から眺めた。

「うわぁ、おっきいなあ」

 マリアンヌはうわさで聞いていた宮殿を目の前にして感嘆の声をあげた。

 レグラーン宮殿は敷地から建物まで、万事に広く大きく造られている。城壁を隔てて見える宮殿の本殿は間近に迫って見えているわけではないが、それでもその大きさと美しさと迫力は圧倒的だった。

 レグラーン宮殿はウヅホメ王朝が創始された一千年前に建築されて以来、何代にもわたって改装と建て増しが繰り返されている。超巨大なバロック建築だが、本殿に付随する尖塔や楼閣などは赤い瓦が葺かれていて、東洋的な香りもする。

「レグラーン宮殿はおそらく世界で一番巨大な建造物じゃ。大庭園を含めた宮殿全体の敷地は2.5平方マイル(6.4平方キロ)、本殿の床面積だけでも247エーカー(約1平方キロ)あると言われておる」

「ふーん……て、それってどのくらい広いの?」

「そうさのう。ティシュリの市街地とほぼ同じくらいの敷地面積と言うことになるわい。床面積だけだと、嬢ちゃんの住んどる下町がすっぽりおさまる面積じゃの」

「それはすごいわ」

「中も荘厳でのう。部屋数も全部で千を越えるし、謁見の間や迎賓ホールは天井がとても高かったのう。壁や天井には装飾画が鮮やかに描かれていて、宮殿内で用いられる調度品も最高級品じゃったよ」

 マリアンヌはカッサンドロスの顔を見た。

「じいさん、宮殿の中に入ったことあるの?」

「五、六年くらい前かのう。ジョゼフ提督が先代の皇王にお目通りしたときに随行したんじゃ。外国人の船乗りがコスバイアの元首に謁見するのは異例のことじゃが、ジョゼフ提督は世界的な名声を得ていたからの」

「そうなんだ。やっぱりお父ちゃんはすごかったんだね。ここの皇王さまにも認められてたんだから」

「うむ。嬢ちゃんも、船乗りとしての名声を揚げれば、いつか皇王にお目通りかなうかもしれんぞい。そうなれば、ジョゼフ提督の域にひとつ近づいたと言うことになるかものう」

「うん、そうね」

 彼女は大手門に向かって歩き出した。宮殿をもっと近くで見たいと思ったのだが、当然のことながら衛兵に止められた。

「平民はここから先に立ち入れない。立ち去るように」

 特例のない限り、宮殿に出入りが許されるのは皇族、貴族、騎士といった階級の人々だけだ。一般市民で立ち入りが許されるのは御用商人など、君主の目にかかった一部の人々だけである。

「とってもきれいな庭園があるって聞いてたから一度見てみたかったんだけどなあ。残念残念」

 衛兵が立ち入りさせてくれないなら仕方がない。マリアンヌは堀沿いに宮殿の周りを巡ることにした。

 ここの堀は底が見える程度の水かさしかない。涼しげな流れの中で錦鯉が群れをなして泳いでいた。防衛用というより、涼感の演出と錦鯉を飼うために設けられている堀かもしれない。

 宮殿の周囲に寺院の集まった区画があった。それも大きな拝殿と僧坊を持つ大寺院だ。その多くは大地母神ガイアを信奉する教団のものである。コスバイアの皇王はガイアの子孫を称しているので、この街はガイア信者の総本山でもあるのだ。

 堀と道路を挟んで宮殿の隣に建つ寺院の敷地には、樹齢数百年にもなろうと思われる立派ないとすぎの木立があった。

「ねえ、あの木に登ったら宮殿が見渡せるかも。行ってみようよ」

「そこまでせんでもいいと思うがの。第一、寺院の中に立っている木は霊木として大事にされとるから、登っているのを見つかったら大ごとになるぞ」

「だって、せっかくここに来たんだから宮殿をもっとよく見たいんだもん。いやなら別にじいさんは来なくていいよ。あたしひとりで登って見てくるから」

 そう言うが早いか、マリアンヌは寺院の中に入り、とりわけ高いいとすぎの木に登り始めた。

 小さい頃から木登りが大の得意だった彼女にとって、木登りは造作もないことだ。それに、船乗りは高いマストの上に、細い索具を伝って上り下りするので、高所にも慣れている。さして時間もかからずにてっぺん近くにまで到達すると、彼女は枝に腰掛けて宮殿を眺めた。ここからなら城壁に邪魔されずに宮殿を見渡すことが出来る。

 宮殿の建物もさることながら、名高い大庭園の規模と美しさは圧巻だった。季節の花々が咲き誇る花壇。優美に整えられた木々の植え込み。国内のみならず世界中から集められた植物が育てられ、それを見渡すために回廊が設けられている。また、庭園に大きな池が設けられていて、船遊びをしながら花を愛でるという優雅な趣向もされている。

 彼女がしばらく宮殿をうっとり眺めていると、カッサンドロスが登ってきた。

「やれやれ、この歳になって嬢ちゃんと一緒に木登りするとは思わんかった」

 カッサンドロスは彼女の座っている枝の下にのびている枝に座った。そして、小型の望遠鏡をのぞき込んだ。

「ねえ、なにを見てるの?」

「現在の皇王は御名をシェレアーといってな、14かそこらの娘じゃが、絶世の美女だといううわさを聞いていての、もしかしたらどこかにいらっしゃるのではないかと思うての……おっ! あれは……おげぇぇ」

 彼は望遠鏡から目を離した。ひどくげんなりした表情になっている。

「どうしたの?」

「……うめぼしばーさんが着替えしとった。あー、きっついのう」

「あはは。のぞきした罰が当たったのよ」

 ひとしきり笑ってから、彼女はまたカッサンドロスのほうを見た。

「皇王様ってあたしと同い年なんだ。すごいなあ。あたしと同じ女の子がこの大きな国を治めてるなんて」

「嬢ちゃんや。わしは嬢ちゃんもシェレアー女皇に負けず劣らず立派だとおもっとるぞ。確かに今は小さな船を率いる提督だが、四海を股に掛ける、世界一の航海者を目指しているんじゃからのう。わしらは嬢ちゃんが世界の海に名を轟かせるのを見たいし、力のある限り助けるつもりじゃよ」

「ありがとう。そうだね、あたしも世界を相手にするんだもんね。がんばらなきゃ」

 彼女はほほえんでうなずくと、もう一度レグラーン宮殿を見つめた。ただ、その目はあこがれや畏敬とは違ったまなざしだった。


 夕方になって二人が港近くの歓楽街まで戻ってくると、インフィニティ号の船員が幾人か迎えに来た。

「提督、待ってましたぜ。さあ、早く」

「もうみんな集まってますぜ」

「どうしたの? なにかあったっけ?」

 マリアンヌがけげんな顔をすると、船員のひとりが答えた。

「航海の無事を祝って宴会をするんですよ。船員みんなで準備したんですぜ」

「ほほう、なかなか粋なことをするのう」

 カッサンドロスが感心すると、船員は頭をかいた。

「まあ、俺たちは場所を準備しただけで、勘定は提督持ちですがね」

「なによそれ。結局あんたたちが飲みたかっただけなんじゃないの。まあいいわ、みんなをねぎらってあげるのもあたしの役目だもんね」

「へへへ。とにかく、主役がいなくちゃ始まらないんで。早く行きやしょう」

 船員たちが先導して、一行は一軒の大衆酒場に入った。ティシュリにある星の水鳥亭と同じくらいの規模の酒場で、大河の主亭という看板が掛かっている。

 広い店内フロアの真ん中にプトレマイオスとインフィニティ号の船員たちがそろっていて、料理が広げられた大きなテーブルを囲んでいた。ただし、セレウコスは宿屋で眠っているらしく同席していない。

「おう、お嬢。待ちくたびれたぜぇ」

 酒盛りとあって上機嫌のプトレマイオスがマリアンヌたちを迎えると、彼女を抱え上げて肩車した。

「野郎ども、主役のお出ましだぜぇ」

 プトレマイオスがそう言い、マリアンヌが手を振ると、船員たちはいっせいに歓声を上げ、口笛を吹いた。

 彼女は船員のひとりからラム酒の入ったグラスを受け取った。

「みんな、ここまでご苦労さま。大麦を仕入れてティシュリに帰るまでが仕事なんだけど、とりあえずここで一段落すんだわ。じゃ、ここまでの航海の無事を祝って」

 彼女はグラスを高く掲げた。

「かんぱーい!」

「かんぱーい!」

 船員たちの声が店内に響いた。そして、あとは無礼講の大騒ぎ。一同は思うままに酒を飲み、並べられた料理を食べ、おしゃべりしたり歌い出したり踊り出したりと、かしましいほどにぎやかな宴会になった。

「おっ、かわいい娘発見。ねえちゃん、わしも一緒に踊らせておくれ」

 美女かいないか店内を物色していたカッサンドロスは、別の客の前で踊りを披露していた、一番きれいな酒場の踊り子のところに近づいていった。

 船員たちとおしゃべりしたり歌ったりしていたマリアンヌだが、だんだん酒が足りなくなっていることに気がついた。ラム酒が一樽用意されていたのだが、何せよく飲む荒くれ者たちである。おまけに、胃袋が亜空間につながっているとうわさされるほどのウワバミ男プトレマイオスもいるのだから、酒の減る量が半端じゃない。

「ほんとに飲み助ばっかりなんだから。もう一樽ぐらい買っておかなくちゃね」

 彼女はカウンターにいた中年のマスターのところに行った。子どものくせに酒にわりかし強い彼女だったが、久々に強い酒を飲んだからか少し足下がふらついていた。

「ねえ、マスター。ここのおすすめってなに?」

「そうだねえ。やっぱりウイスキーだな。この国で栽培された良質の大麦モルトから造られるから、こくがあって味わい深いよ。一度飲んだらほかのウイスキーは飲めなくなるね」

 マスターは自慢げに話した。

「ふーん。じゃあ一杯ちょうだい」

「はいよ。水割りにするかい、それとも、ストレートで?」

「うーんと、水割り」

 ティシュリの酒場星の水鳥亭にもウイスキーはあるのだが、一杯が高いのでマリアンヌは飲んだことがなかった。出されたウイスキーを彼女は一口味わった。

 芳醇な味わいが口に広がった。深いこくがあったが、上品な後味だ。

「おいしいね。じゃあ、ここのみんなに一樽あけてあげて」

 彼女はマスターに言った。仲間たちだけでなくここの客全員に振る舞おうとしているのは、宴会はなるべく大勢で盛り上がったほうが楽しいと思ったからだ。

「豪儀だねえ。おうい、このお嬢さんのおごりだ。一樽あけるから存分に飲んでくれ」

 マスターが店内の客全員に呼びかけ、ウイスキーの大樽が運び込まれると、店内の客は大歓声と拍手で迎えた。店内で大騒ぎしている外国人の荒くれ者たちを迷惑そうににらんでいた客たちも大喜びしている。

「ところで、これって一樽いくらだったの?」

「ウイスキーは180ターバルだよ。その前にあんたたちが飲んでいたラムは一樽80ターバルだ。料理も含めて全部で300ターバルだね」

「どひゃー、そんなに高くつくのぉ。やめときゃよかったかな」

 値段も確認せずに大盤振る舞いしたことを彼女は後悔したが、いまさら悔いても仕方がない。それに、仲間や船員、酒場の客みんなが喜んで、盛り上がるならそれでうれしいからいいや、と思い直した。

「さっきのウイスキー一杯はわしのおごりにするよ」

「ほんと。やったー」

 彼女はうれしそうに水割りに口を付けた。これ一杯の代金などたかが知れているのだが、彼女はそれに気付いていない。

「お嬢さんは商人かなんかかね? どこの国の人なんだね? この街にはなんの用事できたんだい?」

 マスターがいろいろと尋ねてきた。

「ディカルトからよ。この港に大麦を仕入れに来たの」

「ふーん、ディカルトからねえ。ずいぶんと遠いところから来たもんだ」

 マリアンヌはカウンターの席に座った。

「あたしの国が凶作になっちゃってね、ビールが造れなくなっちゃったのよ。ここは大麦が安くてたくさんあるって聞いたんだけど」

「そうだよ。ここは小麦や大麦といった穀物が特産だからね。今年は作柄が良かったと言うから、きっと安くなっていると思うよ」

「ふーん。やっぱりこっちに来て正解だったね」

「交易所は朝の七時頃からあいてるよ。穀物は特産品だけに買い付けに来る客が多いらしいから、早くから行った方がいいかもしれないよ」

 彼女がマスターから情報を仕入れているときに、酔っていい気分になっている船員がやってきて、彼女の手を引いた。

「提督、ひとりでそんなとこにいないで、みんなで飲みましょうぜ」

「うん、そうね。よーし、今夜はもう朝までぱーっと騒いじゃえ!」

「うぉーい、ラムの樽を開けてくれぇ!」

 プトレマイオスの大声が店内に響いた。

 大河の主亭は、日付が変わっても大騒ぎが続いた。


「それで、ゆうべはどれだけ飲んでいたんですか」

 マリアンヌの隣を歩いていたセレウコスが尋ねた。10月30日の朝。マリアンヌは今、セレウコスとカッサンドロスをつれて、街と港地区を結ぶ橋を渡っているところだ。時計は十時半を回っている。

「締めて1000ターバルだって。酒場から連絡が来てたわ」

 彼女は不機嫌そうな表情で答えた。

「あたしが帰ってからまたウイスキーとかラムとか追加したんだって。いくら何でも飲み過ぎよ」

「そう言いますけど、それを許したのはお嬢ちゃんでしょう。自分だけで宿屋に帰らずに、宴会をお開きにしてから帰れば良かったんです」

「うん……」

 深夜一時くらいになっていい加減眠たくなった彼女は、酒場女を口説いていたカッサンドロスを無理やり引っ張って宿屋に帰ったが、プトレマイオスと船員たちは本当に朝まで飲めや歌えの大騒ぎを続けた。大河の主亭の使いが今朝方旅宿銀鯉屋にやってきて、このことを話して飲み代を請求したとき、彼女は唖然としてしばらく言葉を失った。

 なお、プトレマイオスと船員たちは酒場の二階や宿屋に分かれて眠りこけている。おそらく夕方までは寝倒すつもりだろう。

「船員たちの慰労は必要ですが、やりすぎですよ」

「うん、わかってるわ。商売して何とか取り返さなきゃ」

「嬢ちゃんももう少し金の使い方を考えんとのう。ゆうべに限らず、宴会するのをもう少し控えてたら、新造船の一隻も買えるぐらいの蓄えになっとるぞい」

「わかってるってば。もううるさく言わないでよ」

 マリアンヌは悲鳴に近い声でわめいた。思わぬ大出費があっただけでも頭が痛いのに、その上にステレオで小言をつかれてはたまらない。

 三人は交易所の前に到着した。

 交易所は普段は交易商人と仲買人、小売り商人でごった返しているのだが、この日は人影がまばらだった。

「あれ、人がいないね」

「嬢ちゃんが起きてくるのが遅かったから、その間に取引が終わってしまったのかもしれんのう」

 カッサンドロスがからかい口調で言った。

「そんなはずないよ。でも、何でだろ」

 彼女は否定しながらも、少し不安になった。昨日酒場のマスターが、早い時間に取引に行くといいと言っていたのを思い出したからだ。

 彼女は交易所の店員をつかまえて尋ねた。

「あの、今日はもう取引が終わっちゃったんですか?」

「いや。今日は棚卸し日で休みなんですよ」

 店員の言葉に彼女はほっとした。

「なんだ、そうだったんだ」

「取引でしたらまたあしたお越しください。朝の七時が開市ですよ」

 店員はそう言うと、作業のために交易所の倉庫のほうに去っていった。

「今日は仕事がなくなりましたね。これからどうしますか」

 セレウコスが彼女に尋ねると、彼女は悩むことなくすぐに答えた。

「ルグラン通りとランヌ広場の道具市に行くわよ。昨日はショッピングが出来なかったんだからね。二人ともついてきてよね」

「また金を使うのかね。無駄遣いもほどほどにしないと」

「無駄遣いじゃないよ。それに……じゃーん」

 彼女はショルダーバッグから金貨の入った袋を取り出して二人に見せた。

「ビール組合の組合長さんからお小遣いをもらってたの。これで買い物するなら文句ないでしょ」

「それならかまいませんが、どちらにしろ無駄遣いは禁物ですよ」

「わかってるって。さ、行こうよ」

 彼女はまた街のほうに戻っていった。男二人は仕方なさそうな顔をして、彼女の後を追って街のほうに足を向けた。


 レグラーン府城の西側にある門はオスカード凱旋門と呼ばれている。府城の門の中で一番立派なこの門から、市街を突き抜けて街の西はずれにまっすぐ続く道がトレグランドゥ=ラ=メール大路というメインストリートである。ランヌ広場はこの大通りと、この都随一のファッション街であるルグラン通りの交差点にある。

 ランヌ広場は歴史ある都レグラーンの中でも古刹であるランヌ大聖堂という寺院の門に面しているため、そこで行われる市は門前市と呼ばれる。食料品市のあるグルド広場に比べると広場の面積はだいぶん狭いが、にぎわいはほぼ変わらない。

 ここの道具市にはバラエティーに富んだ店が掛け小屋に看板を立てている。骨董品や古道具を扱う店、道具屋や雑貨店、武器商人や鍛冶屋に研ぎ師、服飾品やアクセサリーを扱う店もあった。

「あっ、この翡翠のイヤリングかわいい。買おうかなぁ」

 さっそくアクセサリーの店をのぞき込んだマリアンヌが、翡翠のビーズをあしらったイヤリングを手に取った。自分の耳に付けて、カッサンドロスに見せた。

「どう、似合うかしら?」

「うむ、なかなか似合っとるわい。こっちのほうはどうかの」

 カッサンドロスは彼女に、大粒のターコイズをあしらったイヤリングを見せた。

「あっ、そっちもいいかも。でも、この翡翠のほうが好きだから、こっちを買うわ」

「そうかね。じゃ、これはわしが買うとしようかの。ふむ、この銀の髪飾りもいいのう」

「じいさんがアクセサリー買ってどうするの?」

「女性へのプレゼント用じゃよ。いい男は女性への心遣いを忘れちゃいかん」

「ふーん。でも、じいさんの場合、いい男ぶっても下心丸出しだから、心遣いが伝わらないんだよ。無駄な買い物にならなきゃいいけど」

 マリアンヌのチェックを聞き流しながら、カッサンドロスは買い物を進めた。

「あたしもおみやげ買わないと。えーと、友達のソーニャとソフィ、ケート、クララ。マーサおばちゃんと、いとこのリックにも何か買ってこなきゃね。星の水鳥のおやじさんとリディアにも買って、造船所のタイロンにも何か買ってやろうかな」

「それだけ買ったら小遣いがなくなるんじゃないですか」

 他人に聞こえるような独り言をしながら品定めをする彼女の後ろから、セレウコスが声を掛けてきた。

「あれ、セル。どこに行ってたの?」

「道具屋へ。上質のワセリンがありまして、5パイントほど買ってきました」

 セレウコスはワセリンの入った壺を持っていた。表情はあまり変わって見えないが、満足そうにワセリンを抱えていた。

「我ながらいい買い物をしました」

 ふだんと変わらない淡々とした口調ながら、得意そうに彼は言った。とはいえ、マリアンヌにワセリンの善し悪しは分からない。

「ふーん、よかったね。そうだ。セルにも新しいピアス買ってあげるよ。えーと……このカットクリスタルのピアスなんかいいんじゃない?」

 彼女は選んだピアスをとると、少し背伸びしてセレウコスの耳に合わせてみた。

「ほら、やっぱり似合うわ。セルはダイヤとかクリスタルとか、クリア系のジュエリーが似合うのよ。これを買ってあげるね」

「そんな気遣いは無用ですが」

 セレウコスは遠慮したがかまわず、彼女はそれも買い物に加えた。

 かなり多くなった買い物を紙袋に入れてもらって、一行はアクセサリー店を後にした。マリアンヌとカッサンドロスの二人が買った大荷物を、さも当たり前のようにセレウコスが抱えて歩くことになった。

 道具市をしばらく眺めながら歩いていたところ、彼女は変わった店を一軒見つけた。

 そこはほかの店より大きな掛け小屋を広げていたが、客はひとりも入っていなかった。店の軒先に小柄で貧相な店主が立っていたが、呼び込みをするわけでもなくただ立っている。まるで商売気のない店だった。

 彼女はその店の店主に近づいた。

「おじさん、ここはなんの店なの?」

「ここは飛竜屋だよ。見てみるかい?」

 店主は彼女を中に案内した。

 広い掛け小屋の中に、竹を組んで造った大きな檻があった。その中をのぞき込んでみると、貨物運搬用の大型馬を一回りも二周りも大きくしたような飛竜が寝そべっていた。

「すごい。飛竜なんて初めて見たわ」

「そうかね。この街から西にあるリッド山脈に、ヴァイツという小さな国があってね、そこから連れてきているんだよ。これはヴァイツ竜騎士団もつかっている飛竜だ。プライドが高くてなかなか人に慣れないが、馬力もスタミナもすばらしい最高の乗用飛竜だよ。もっとも、熟練しなければなかなか乗りこなせないがね」

「へえ、これに乗って空を飛んだら気持ちいいだろうなあ」

 彼女はしばらく空想の世界に入った。

「でも、高いんでしょう」

「そうだな。一頭が10万ターバルはするね」

「じゅ、10万もするのぉ? 新造のガレオンが買えるわ……」

 とんでもない高額だった。マリアンヌの全財産を出してもまだ足りない。

 とても買えないが、なんだかもの惜しそうに彼女は檻の中の飛竜を眺めた。目を覚ました飛竜が、彼女に向かって急にくわっと大口を開けた。

「きゃっ。あいでっ」

 彼女はびっくりして後ろに跳び上がった。その弾みで、天井からつるしてあった檻に頭をぶつけた。

 犬小屋ほどの大きさのその檻の中で、衝撃にびっくりした小さな飛竜がばたばた暴れた。マリアンヌは頭をさすりながら、その小さな飛竜をじっと見つめた。

 乗用の飛竜を小型犬程度に縮小したような外見だが、口先は丸く、顔立ちものっぺりしている。目はは虫類の冷たい目ではなく、子犬のようなくりくりした目だ。身体の色は艶やかなライトグリーンで、全体的に愛敬のある見栄えだ。

「おじさん、これはなあに?」

「それはミニチュアドラゴン、略してミニドラだ。知能が良くて、訓練すれば伝書竜になることが出来るよ。一昔前は愛玩用のペットとして人気だったけど、今じゃちっとも売れないね。これもここ二年ずっとつるし続けてるよ」

「これ気に入っちゃった。いくらなの?」

 彼女は店主に尋ねながら、勝手に檻を開けてミニドラを出した。

「そうだね。長いこと売れてない商品だから、100ターバルで売るよ」

「ちょっと高いね……でもいいや」

 実のところ、ちょっとどころではない。この世界で1ターバルは普通の労働者の一日分の賃金に相当する。100ターバルあれば一月あまり遊んで暮らせるのだ。

 彼女は代金を払うと、ミニドラを肩に乗せて店を出た。あるじが現れたミニドラは彼女の肩の上でちょこんとおとなしくしている。

 外で買い物を待っていたセレウコスとカッサンドロスの二人は、そのミニドラを見ると、あきれたような表情で彼女を迎えた。

「見て見て。あたしのペットだよ」

「嬢ちゃん、買い過ぎじゃよ。あれほど無駄遣いはするなと言っておるのに……」

「別にいいじゃない。あたしのお小遣いで買ってんだから」

 彼女は口をとがらせた。とはいえ、買い過ぎは買い過ぎだ。ビール組合の好意でもらった多額の小遣いは、もう後数えるほどの金貨しかなくなっている。

「そのペットは何かの役に立ちますか? 無駄飯食いになるようなら船に乗せるわけにいきませんよ」

 セレウコスがかなり厳しいことを言った。

「役に立つわよ。かなり賢いらしいから……たぶん」

「まあお嬢ちゃんが責任もって飼うならいいでしょう。それより、もう充分買い物もしたわけだし、いったん宿に戻りませんか」

 セレウコスの言葉に彼女は首を横に振った。

「まだまだよ。ルグラン通りの店も回らなきゃいけないし、その後にもやりたいことがあるもん。セルとじいさんも、晩までつきあってもらうからね」

「ふう……今日もまた嬢ちゃんの道連れか。今夜こそはきれいなねーちゃんのいる店に潜り込もうと思っとったのに……」

 カッサンドロスはいやそうな顔で愚痴をこぼした。

「お嬢ちゃんはなにがやりたいんですか。自分たちを晩までつきあわせて」

 セレウコスが尋ねると、彼女はにへへっと笑った。

「昨日じいさんと一緒に高級酒場を見つけたのよ。黄月楼って名前だったっけ。そこに行ってみようと思うの。おいしいお酒もあるだろうし、きれいな女の人もいると思うわよ」

「ほう、そりゃあええのう」

 手のひらを返したようにカッサンドロスが喜び、表情を崩した。

「セルも一緒に来てよ。昨日の宴会はセル参加してないし」

「お嬢ちゃんがそう言うなら」

 うまい酒を飲ませてもらうことに異存はない。セレウコスも承諾した。

「さて、その準備のためにもルグラン通りにいくわよ。あたしの服も買いたいし、二人の衣装も探さなきゃ。後は……かつら屋にもいかなきゃ」

 指を折りながら行動プランを立てる彼女を、男二人は、なにをたくらんでいるのかといぶかしそうに見ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る