[3-27] 憧れは理解から最も遠い感情だよ

 大霊樹に絡み付き、実ったようにへばり付いている部屋の一つ。


 そこには、魔法を交えた匠の技で枯れ木を細工した、人間社会に持ち出せば一財産になるような見事な机と椅子が数個、無造作に置かれているだけの部屋だった。

 とっぷりと日は暮れていたが、部屋の中は幻想的な明かりによって照らされていた。蔓草を編んだ籠の中に蛍のような発光する虫を詰め込み、草の皮で包んでちょうちんにしたようなものが照明になっているのだ。


 部屋の中で椅子に掛け、一人じっとしていたリエラミレスは、人の気配を感じてふと、顔を上げた。

 巫女装束姿だが、飾り物の一切を外しているクルスサリナが部屋の入り口に掛けられた獣の革のカーテンを押し開けて入ってくるところだった。


「祭司長様におかれましては、本日のおつとめもつつがなくお済みのご様子にて……」

「やめてよリエラ! あなたとふたりきりの時にまでそんな風に祭り上げられたら、私まいってしまうわ!」


 立ち上がって恭しく出迎えたリエラミレスに、クルスサリナは本気で嫌そうにしていた。

 リエラミレスはちょっと舌を出して、椅子を引いてクルスサリナに勧める。


 先代祭司長・サーレサーヤ。当代祭司長・クルスサリナ。そして部族の戦士の一人・リエラミレス。

 この三人はほぼ同い年で、子どもの頃、同時期に巫女としての教育を受けた関係にあった。

 才能を開花させたサーレサーヤとクルスサリナに対し、リエラミレスは結局巫女になれるほどの才覚は無く、戦いのための魔法を磨いて戦士となった。その結果として部族の中での地位には大きく開きが出来てしまったが、それでも三人は半ば腐れ縁的な友人関係にあった。


 この部族において祭司長は、概ね200歳から300歳という、寿命どころか肉体にも老いが見えない年頃の者が受け持つ。

 単純に魔力だけを言うなら積み重ねた修行の量がものをいうので歳経るほどに研ぎ澄まされていくものだが、魔法の儀式にも体力勝負になるものは多い。そのためにただ年長者を就けるのではなく、体力的に充実している年頃の者が務めることになっているのだ。


 白木を磨きに磨いて宝石にしてしまったようなポットから、リエラミレスは七つ用意されたカップのうち二つに薬草茶を注ぎ、残りのうち三つのカップにこつりとポットをぶつけて回った。

 このポットに入っているのは水の元素魔法で湧かしたお湯だ。森に住むエルフたちは概して火を嫌うため、水場沿いの調理を除いて日常生活で火を使うことは無いが、その分を魔法で補っているのだ。


「……お疲れ様。自由な時間を取るのも大変ね」

「副祭司長とは全く違うわ。

 すぐ傍でサーレを見ていたつもりだったのに想像以上だった。

 サーレの偉大さを……いえ、歴代の祭司長様方、皆の偉大さを思い知ったわ」


 優しい香りの湯気を立てる茶を飲んで、クルスサリナは重い溜息をついた。


「サーレならば……こんな時はどうしたのかしら」


 その一言でリエラミレスはクルスサリナの心中を八割方察する。


「同盟のこと、かしら」

「ええ。

 私は長老会議の皆様を深く尊敬し、信頼しているつもりだけれど。この件に関してだけは間違っていると思うし、考え直してほしいの」


 託宣についてはリエラミレスも漏れ聞いていた。

 帝国青軍との戦いよりも優先された"怨獄の薔薇姫"との戦い。その託宣を隠す長老会議。そして、公式には何も言われていないが、長老会議は"怨獄の薔薇姫"との同盟を決めたという噂……


 長老会議が、曖昧な託宣を受けて解釈をすることはよくあったし、今は戦争中という異常事態だ。

 それでもなお『思い切ったことをするものだ』とリエラミレスは軽い驚きと共に受け止めていた。


「リエラ。あなたの意見を聞いても?」


 縋るような視線に、リエラミレスは少し言葉を選んで答える。

 戦いの最前線に立つ戦士としては、喉から手が出るほどに味方が欲しい。しかもリエラミレスは"怨獄の薔薇姫"の軍勢に救われ、その驚異的な武力も目の当たりにしている。


「……"怨獄の薔薇姫"。の者の介入なくば、私は無念のうちに死を遂げていたことでしょう」

「それは……」

「でも、映し身となってまで偉大なる方々がおいでになるだなんて。

 それを無視していいとも思えない」

「そう。……そうね。

 だというのに長老会議は"怨獄の薔薇姫"との同盟を決めたわ。

 そして……みんな、それを歓迎している」


 クルスサリナは、部族が進む先に破滅が待ち受けているのだと確信している様子だった。だがそれを訴えても聞き入れてもらえない。

 しかし、孤独と焦燥に訴えて喚き散らすようなことは、祭司長として許されない。


「長老様方は、私を頼りなく思っているのかしら。

 私では皆の心をまとめることができないと……」


 祭司長として父祖よりの託宣を受け取り、それを部族の皆に伝えるのが祭司長としての仕事。

 だが、言葉を聞いてもらえない祭司長に何の意味があるのか?

 そんな懊悩がクルスサリナの声音に滲む。


「ねえ、クルス。真面目なのはあなたの良いところだと思うけれど、思い詰めちゃダメ。

 ……あなたはサーレじゃないんだから」


 『曲がらぬ枝は風に折れる』と言う。

 何事も一直線に真面目に考えることはクルスサリナの長所であろうが、それは苦しくもあるのだとリエラミレスは考えていた。


 しかし、クルスサリナの悩みも仕方の無いことだとリエラミレスは思う。

 サーレサーヤが祭司長となって50年。彼女は余りにも完璧すぎる祭司長だった。

 常に穏やかでありながらも厳粛さを併せ持ち、言葉の一つ一つが優しくも重かった。人格者とは、彼女のような者を指すのだろう。


 サーレサーヤは誰からも慕われ、尊崇されていた。

 彼女が皆を導けば、たとえ部族がどのような道を行くとしても皆の心はまとまっただろうと、そう思わせるだけの祭司長だった。


 この難局にこそ彼女の存在は皆の支えとして大きなものだった。

 だが彼女は死んだ。殺された。

 そして、託宣を下した『父祖たち』の中に彼女は還り、森と一つになった。


 死とは、大いなる生命の流れの中に還ること。決して忌避するべき悲劇ではない。

 だがそれでも、サーレサーヤという存在はこのような結末を迎えるべきではなかったし、今は彼女が必要だったのだと思わずにはいられなかった。


 クルスサリナはじっと、カップの中の水面を見つめていた。


 * * *


 契約を交わすにあたってサーレサーヤとルネが交渉した結果、魂の代価として定められた条件は二つ。

 第一に、サーレサーヤを殺した青軍兵(チェンシーが言うには石枕という名前らしい)の殺害。これはまあ当然と言えよう。

 第二に、青軍兵2万人の殺害。エルフを殺めた者たちに血で償わせ、遺された親に子に妻に夫に友にやるせない悲しみを刻むことで復讐とする。


 サーレサーヤは本当は『帝国青軍の撃退』を条件としたかったようだが、具体的な要件が定めがたく、戦況の変化によっては達成が困難になったり戦略的に退いていったりする可能性もあることから却下となった。

 2万人も殺せば青軍にとっては作戦続行不能な痛手になる可能性が高く、それでひとまず一旦、森は守られると思われる。でなくてもそれだけ殺せば血の報いとして充分だろうと、これが落とし所になったのだった。


 前線基地たる、土の城の一室。

 ポータブル人骨玉座を配置したコンパクトな謁見の間には、サーレサーヤの亡霊とルネが居た。


 青白く朧な姿をしたエルフの巫女姫は、亡霊になっても巫女装束だ。エルフたちの巫女装束は簡素な貫頭衣で、しかし生前身につけていたはずの装身具は消え失せていた。

 優しげで穏やかな雰囲気の顔立ち。エルフらしい痩身長躯ながら付くべき所に肉が付いた体型。

 彼女は宙に腰掛けてルネと目線の高さを合わせていた。


「じゃあ、あの……『映し身』? だっけ?

 あれに関してはとっくに分かってたのね?」

『はい』


 やや詰問調でルネが言うと、サーレサーヤは柔らかく応じる。


 サーレサーヤの魂はルネと契約を交わした瞬間からルネに紐付けられている。

 だからといって何ができるわけでもないのだが……自分が知る事について話すくらいはできる。

 しかしサーレサーヤは眠りについたかのようにじっと黙していた。ルネが『映し身』とやらについて探ろうとしていたのを、彼女は間違いなく見ていたはずなのに。


 そんな彼女は今になって饒舌に語り始めた。

 森に還った父祖が仮の姿を得て顕現する『映し身』現象や、ルネを倒せという託宣について。


「黙っていた理由を聞いてもいいかしら」

『今の私が名乗る資格は無いのでしょうけれど……

 私は、一度は祭司長として皆を統べる身でありました。

 生命の流れを否定し、この魂を貴女への贄として差し出そうとも、捨てきれぬものがあります』


 サーレサーヤは揺るがない。

 静かに優しく己の立ち位置を述べた。


『貴女を倒すことが、父祖より下されしご託宣。

 もし皆が貴女との戦いを選んだ場合のことを考えると、情報を与えることは得策でないと判断しました。

 それに、私が貴女に協力することは『契約』の内容に含まれておりませんよね?』

「ええ、残念ながらその通りよ」


 サーレサーヤはニッコリ笑う。

 純粋無垢そうな雰囲気をしながら、サーレサーヤはなかなかの食わせ物だった。


『ですが今となっては詮無いこと。

 我が部族が貴女と手を結んだこと、私としてはとても喜ばしく思っています。

 図らずも、私の勝手なワガママと皆の決断が同じ方向を向いたのですから』

「……ワガママなんて言い方はやめて」


 ルネはサーレサーヤから後ろめたさを読み取っていた。

 彼女はこの期に及んで尚、自らの恨みを肯定できていないのだ。

 ルネにはそれがもどかしかった。


「あなたは恨みを抱くだけの理由があった。だから恨んだ。それだけのことよ」

『そうかしら。……そうね、きっと』


 既に存在しない鼓動を感じようとしているかのように、サーレサーヤは胸に手を当てていた。


『私は祭司長として、ずっと自分を律してきました。恨まず、嫉まず、怒らず……良き導き手たらんとして……

 ですが……今こうして恨みを抱えていることは炎に焼かれるように苦しいのに、何故だか……とても、自由になった心地です』


 祭司長でなくなったサーレサーヤは、寂しく微笑んだ。

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