[2-43] 初恋は背徳の甘味

 山際から朝日が顔を出しかける時間。

 黎明の薄闇の中にカーヤは立っていた。


 彼女は既に鎧を着込んでいる。

 朝日に照らされて輝くのは、磨き上げられた、しかし随所に歴戦の証を刻んだ白銀の鎧。軽量で魔化に適したミスリル製だろう。

 ミスリルの武具は比較的手頃な値段だが、種々の魔化を施したミスリルの装備はとんでもない値段になる。カーヤの鎧はおそらく、そういった類いだ。

 インナーの上にタイツのような鎖帷子を着込み、さらにその上に胸甲やグリーブだけを着けた、昨日と同じスタイル。フルフェイスの兜の隙間から、細く長く、龍の息吹のように白い息が吐き出されていた。


 シエル=テイラの冬は寒く、普通に金属の武具を身につけていては身体が冷えて力を損なったり、凍傷になりかねない。

 そのため、何らかの手段で保温を計る必要がある。王宮騎士団で隊を率いていたカーヤは装備も相応のもので、ちゃんとした防寒の魔化が施されているに違いない。


 すらりと腰から剣を抜いて、カーヤはそれを虚空に向かって構える。

 そして、振るう。

 袈裟に振り抜き、踏み込んで掬い上げ、背後を牽制しつつ一回転して斬り付け、目にもとまらぬ速度で左右に突きを放った。

 誰かに見せるための『型』ではない。戦場で己が振るった剣の軌跡をなぞり、忘れないようにするためのものだと分かる。

 それは、剣舞と呼ぶには無骨で恐ろしく、しかし美しかった。溶け残った雪が剣圧で切り裂かれ、幾筋もの鋭い裂傷を負っていた。


 いつ果てるともなく続くかに思われた剣舞は、唐突に終わりを告げる。

 カーヤが剣を収めて振り返ったものだから、建物の影から見ていたキャサリンは驚いてしまった。

 なんとなく早くに目が覚めてしまったキャサリンは、宿の外にカーヤが居るのを見て、ケープを一枚羽織って様子を見に来たのだ。


「ご、ごめんなさい。おじゃまでしたかしら」

「いいえ。人に見られていた程度で集中を乱しては、騎士として失格です」


 兜の面覆いを持ち上げて、カーヤはキャサリンに微笑みかけた。

 汗一筋かいていなかったが、彼女が吐き出す息は雲のように白い。


「キャサリン様でしたね。そんなに私の剣技が興味深いですか?」

「……はい。家族も、お父さまの騎士たちも……剣を振るのは男の方ばかりでしたから」


 封建領主たる騎士たちは言うまでもなく男ばかりだし、(建前上は)実力主義の王宮騎士団もほとんど男だ。女騎士というと、魔法の才能のある者がそれを活かすために騎士になる稀なケースぐらいだろうか。

 そんな中、女でありながら剣の腕でのし上がったカーヤ・ランナーは人々の好奇の目を集め、ちょっとばかり有名な騎士だった。


 カーヤはキャサリンがこれまでの人生で見てきた、どんな女性とも違う気がした。

 強いて言うなら“竜の喉笛”の女僧侶プリーステス・ディアナと似通った部分があるかも知れないが。


 凜々しく、力強く。

 カーヤの剣は、凍てつく風を断ち切ったように、煮え切らない自分の気持ちも断ち切ってくれはしないだろうかと、そんな虫の良いことをキャサリンは考えた。


「あの、騎士さま」

「どうぞカーヤとお呼びください」

「……カーヤ。あなたは戦うとき、何を考えています?」


 カーヤは困ったように笑って首を傾げる。


「それは……問いの範囲が広すぎますね。時と場合によるとしか言えません」

「そう、ですわよね。ごめんなさい」


 キャサリンは己の拙速を恥じた。らしくない。

 これでは何を聞きたいのか分からないではないか。言葉は、過不足無く意図が伝わるよう選ぶものだと教わっているのに。


 少し考えて、キャサリンは言い直した。


「もし、あなたの敵が、なにか事情のある……憎むことのできない、かわいそうな相手だったとしても戦えます?」

「それが主命……いいえ、この国のためとあらば。

 ……などと格好付けても仕方ありませんね。納得できない戦いをすることもあるでしょう。

 それでも私は戦います。誰かが戦わなければならないのだとしたら」

「そうですの……」


 残念ながらそれはキャサリンが求めた答えではなかった。

 キャサリンは失望を押し殺していた。割り切れない気持ちを抱えたまま、戦う。結局のところそうするしかないのだろうかと。


「ありがとうございます、カーヤ。では、私はこれで」


 礼を言って立ち去ろうとした時だった。


「“怨獄の薔薇姫”。

 ……いいえ。ルネ・“薔薇の如きローズィ”・ルヴィア・シエル=テイラ」


 雪のように静かなカーヤの言葉。


 悲鳴を上げずに済んだのは、貴人としての教育のたまものだ。

 それでも動揺が顔に出ていないかキャサリンは判然としなかった。


「当たっていましたか? 彼女のことを考えていたものとお見受けしますが」

「騎士さま。その言い方は人が悪いですわ」

「失敬」


 カーヤは、茶目っ気を発揮したという感じだった。なぞなぞ遊びをする子どものように。


「カーヤ、あなたは……」

「私はこのシエル=テイラに剣を捧げた騎士。この国に仇なす魔物とあらば、たとえそれがエルバート王の遺児であろうとも手にかけるでしょう」

「ルネとは戦いたくないの?」

「彼女を襲った悲劇には同情致します。あまりおおっぴらに言えることではありませんが。

 そして、それを止めることができなかった己のふがいなさに恥じ入るばかりです」


 カーヤの言葉には、職業軍人としての一線を守るような慎重さがあった。


「相手を憎く思って心のままに戦うのは道に非ず。

 私は騎士です。戦うことが私の仕事であり、戦う必要があると思っているから戦うのです。そこに憎しみは必要ありません。

 私は、凶作の年に食い詰めて村ぐるみで山賊行為をしていた農民たちも、子どもにお乳を与えるためエサを探してさまよっていた母イエテイも憎むことはできませんでしたね」


 カーヤは騎士であり、国を守るために戦うことが仕事だ。

 まあ、何が『国』で何が『守る』に該当するのかは時と場合によって変わったりするわけだが、それはそれとして。


「ですが、キャサリン。あなたは騎士ではないのですから、戦う義務すら無いではありませんか。

 憎まなくてもいい、戦わなくてもいい。自分がどうしたいのかよく考えてみては?」


 続くカーヤの言葉にキャサリンははっとした。

 なんとなくキャサリンは、ルネを哀れむことが許されないように思って自分の心を自分で縛っていたのだ。


 ルネは多くの人を殺し、あるいは困窮させ、今も暴れ続けている。

 そんなルネを哀れむことは、殺された人々に、家族を喪った人々に、棲む場所すら失った人々に、申し訳が立たないような気がしていた。

 だけど、それでも、キャサリンはルネを哀れまずにはいられなかった。


「カーヤ。私、ルネがかわいそうなのですわ」

「そうですか……」

「私、ルネを助けてあげたい。でも、どうすれば助けられるのか……分からないの」


 ルネにとっての救いとは、なんなのだろう。

 復讐の戦いを完遂することなのだろうか?

 何者かの愛によって心の傷が癒やされることはあり得るのだろうか?

 あるいは、戦うことが彼女にとって辛いのなら、道半ばに倒れることさえも救いなのだろうか……


「聖気による攻撃で浄化し、魂を神の御許へ送ること。それがアンデッドにとっての救いなのだと神殿は説いていますが……」


 カーヤも断言はしなかった。


「私も迂闊なことは言えませんね。団長であれば私より、もう少し確かなことを考えられるかも知れませんが」

「団長……バーティル・ラーゲルベック様ですね?」

「ええ。団長も、あの戦いの中で“怨獄の薔薇姫”と言葉を交わしたのだと聞き及んでいます」


 今はテイラカイネへ身を寄せているという第二騎士団長。

 キャサリンがテイラカイネへ向かう理由でもある。

 あの日の王都を知るバーティルなら何か分かるかも知れないと、そう考えるとキャサリンは居ても立ってもいられなかった。

 バーティルの方からもキャサリンに会いたがっていると言うから、向こうも何か思うところがあるのだろう。


「団長は思慮深く、種々の学問・政治に通じ、人心の掌握にも長けておられる。

 戦場においても数手先を読み味方を動かしていくその手管は、軍という魔法を操る魔術師のごとし。

 あのような御方であれば、私には及びも付かぬことさえも見通しておいででしょう。

 ……ああ、誤解が無いように付け加えさせていただきますと頭脳ばかりではございません。腕を失った今、以前のようにはいかないでしょうが、剣腕もかつては第一騎士団長ローレンス・ラインハルトに次ぐと言われました。

 そういえば、かの第一騎士団長は吟遊詩人に『七夜の月を合わせたよりも輝かしい』などと謳われておりましたね。だとすると我らが団長はまるで緑為す夏の林のような御方かと。静かで控えめでありながら神秘と危険の薫りが漂う。その風貌のみを以てしても賞賛に値するでしょうに、なぜ人々はこれ見よがしに輝くものばかりに惹かれるのでしょう!」


 明後日の方向を見ながらやや早口で脱線しつつ誇らしげにカーヤはまくし立てた。バーティルなら何にでも答えを出してくれるはずだと信頼しきっている様子だった。

 カーヤを見てキャサリンは猟犬のような目つきだと思ったものだが、今の彼女は愛玩犬の目をしていた。


「カーヤ。あなた……」


 さすがにキャサリンもピンと来る。階級も年齢も問わず、女性たちの噂話としては不朽の題材なのだから。


「団長様をおしたい申し上げておりますの?」

「え……なんっ、えぇ!?」


 やや婉曲なキャサリンの問いかけに、カーヤはすぐに意図を察したようで、素っ頓狂な声を上げた。


「ごごごご冗談をおっしゃらないでくださいそんなことがあるわけないではありませんか!

 だいたい団長はいい加減なところがあるのですあのような男をどうこう思う方の気が知れずいえ別に私は団長が駄目な方だと言いたいのではなく理想の上官であるとは考えておりますがそれに私のようなとうの立った女などああいえ確かに団長は私より年上ですがやはり王宮騎士団の団長ともあろう御方が剣しか取り得の無い行商人の娘でしかない私を」

「ごっ、ごめんなさいカーヤ! もう分かりましたから!」


 真っ赤になったカーヤが裏返った声でまくし立てながら自分の兜をがんがん叩き始めたので、キャサリンは大慌てでそれを止めた。

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