[2-31] 1d10/1d100
小さな壺を覗き込んだら何故か底無しの穴があった、みたいな状態だ。人の心には収まりきらないはずの何かが覗く。モルガナの心の底が、何か別のものに繋がって虚像を映している。
それは『眼』だと、ルネは思った。
例えば人間の身体に接触するほどカメラを近づけて映像を撮影したら、何なのか分からない肌色が一面に広がるだけだ。
どれほど巨大な摩天楼であろうと、10cmの距離から撮影しようとしたらコンクリートの壁しか見えない。
つまり、モルガナの心が白く塗りつぶされた平面に思えたのは、ただそれだけのことだった。
今、そのカメラがほんの少し動いて、モルガナという扉の先に居る者をルネは見通した。
太陽そのものに思えるほどの光輝と圧力を持つ眼が、モルガナを通してルネを見ている。
人には理解できず、理解するべきでない圧倒的で強大な意志。
ルネの感情察知は、あくまでも思考ではなく言語化しにくい心の状態を見るだけのもの。
だが、その『視線』に含まれるあまりに膨大な情報量に、ルネはそれを声として認識した。
『 滅 せ よ 』
例えるならそれは、嵐の夜の雷鳴。
例えるならそれは、落石の立てる轟音。
『冷酷』と言えるほどの人間性すら介在しない。
ただルネを、道に落ちている小石のように邪魔に思っている絶対者の意志。
それは奇跡か、それとも呪いか。
心が、大神の意思を映すスクリーンになってしまった女。大神の望みを読み取り、人間の
それがモルガナだった。
「ふぇ…………」
ルネは、へたり込んだ。
脳髄を揺さぶられるような衝撃だった。
肉体をアンデッド化した際に膀胱の中に残っていたものが自動的に吐き出されてルネの足を濡らしていく。
「あ、あれ……? 姫様? 気配遮断の魔法、切れてない?」
あまりの衝撃に、恐怖も絶望もできなかった。
ただ放心することができただけだ。
「ちょ、もしもし? 中身抜けてる? ……わけじゃないよね。どうかしたの? ねえ!? 変な魔法でも受けた!?」
地を這う虫には人の哲学的思考など理解できまい。
それと同じように、人では理解できないほど高度な何かにルネは触れてしまった。
そんなものが存在するという事実。そして、そんなものが己の滅びを願っているという事実……
「まっずい……来てるし。ねえ、ボク契約のせいで姫様置いて逃げるの無理なんだけど!?
あーもー! 背負ってくよ!?」
佐藤長次朗の前に現れた大神は、威厳に満ちた爺様の姿をした小悪党みたいな詐欺師だった。
ルネの前に現れた邪神さんも、ひょうきんで怪しいセールスレディでしかなくて、大神はそれと同等の存在でしかないはずで。
「ふっははははははははぁ!! 見つけたぞ、“怨獄の薔薇姫”! あの日の屈辱を全て雪いでくれよう!」
「ねーぇエルミニオ。なんか様子が変じゃない?」
「うん? 言われてみれば……何をする気か分からんぞ。気を付けてかかれ」
「……やっば。ねえ姫様。あのヒゲの
てかこの五人相手に戦うのはどのみちボクじゃ無理なんですけど?」
ルネは、どこかで勘違いしていた。『神はその程度のものなのだ』と。
あれらは、ルネが見た姿は……人と接するため、人の認識レベルに合わせて顕現していたに過ぎなかった。
圧力が違う。意識の
「おい待て、貴様何者だ!? 人間か!? 何故そいつを背負って逃げる!? 貴様が“怨獄の薔薇姫”を倒したのか!?」
「守ってるようにしか見えねぇですが」
「なんだと! 貴様、人族でありながら邪悪なアンデッドの味方をするというのか! なればこの“果断なるドロエット”、容赦せん!
神の教えに背きし者よ! 正義の剣を受けるがいい!!」
「旦那ぁ、叫んでる間に追いかけましょうぜ!」
人には理解できず、理解すべきでないものだ。しかしルネは、それの意識に触れてしまった。
人の意識では処理しきれない膨大な情報量の精神に。
ルネは、己の無意味さを知ってしまった。
「捕まってたまるもんかっ」
「きゃああああ!」
「閃光弾……!?」
「くそっ、お前たち早く回復しろ!」
「≪
人はそれを『神』と呼ぶ。なんと幸せな幻想だろう。決して理解が及ばないはずの高次の存在に『神』という名を付けて理解したつもりになっている。
一種の矮小化だ。
だがそれで正解なのだろう。真理を知ってしまった者は、もはや何もできなくなる。
「いつまで逃げ切れるかな? 消し飛べぇ!」
「うわ、ちょ、ナニコレ!? 冗談キツ……」
「ちょっと、アタシまで吹っ飛ばさないでよね!?」
「先回りしろエドガー! 家を2,3軒崩してでも足を止めろ! 愚民どもが文句を言うなら私が金を出す!」
「あいあいよー」
ただ膝を突きひれ伏す以外に何ができるのだろう。祈ることすらできない。
全てが無為であるとルネは知ってしまった。
■■■としか言い表しようがない。
「そこだぁ!!」
「うあっ! ……う、っつぅ……!」
「よし、命中!」
「やーん! エルミニオ、さっすがぁ!」
「囲め!」
「お前はそっちだ!」
『 …… ……― ― ―― ……――……おや、繋がってしまいました。
ということは……
「こいつめ……!」
「げほ、げふっ!? な、なんだ! 発煙筒!?」
「毒煙幕でさ、お下がりくだせえ!」
「≪
「はぁーい! ≪
「……姫様、そこに居るなら応えてほしいんだけど……あのね、このままじゃ終わっちゃうけどいいの……?
とりあえずボクはやだ」
『ちょうどいいのでこのまま少しばかり調整してあげましょう。
意識を人の
大いなるものの声を聞き、その手に包まれたような気がした。
ルネは、冷たい石畳の上に自分が転がっているような気がした。
転がっていた。
そこはテイラカイネの街だった。夜で、寒くて。近くには何かの魔法で足を焼かれたらしいトレイシーが倒れていた。
ルネは何かを失ったような気がした。胸にぽっかりと穴が開いたようだった。
何物にも代えがたい重大な『智』を抜き取られてしまった、という喪失感だけが残っていた。
だけど、■■■を感じなくなった。
■■■? ■■■とは何だろう。先程までのルネはその概念を理解しかけていたが今は分からない。だが■■■が分からなくなったおかげで、ルネは今を見ることができた。
辺りには白煙が立ちこめていた。発煙筒みたいな筒から噴き出すのは毒の煙。道の両脇の建物が、爆弾か何かでも食らったように崩壊して道を塞いでいる。すり鉢状に閉じた中に毒煙が満ちている。魔法によって生み出された強風が吹き付け、毒煙を吹き払いつつあった。
「姫様、どうか……!」
ミアランゼの顔に変装したトレイシーが、倒れたままルネの方を見ていた。
血を吐いている。アンデッドであるルネに毒は効かないが、生身の人間であるトレイシーは違う。
「あれなら毒煙は20秒ももたねえはずっすわ。聖獣が追いつくのを待って仕掛けやしょう」
「うむ、そうしよう」
5人の冒険者がルネ達を包囲していた。
全身鎧の聖騎士ふたり。
太短い魔法の杖みたいなマジックアイテムを構えた髭面の
もはや下着にしか見えない姿の女
そして瓦礫の上に立って月を背負う虚栄の貴公子。
“果断なるドロエット”だ。
「実に惰弱。地に這うがいい下賤なるアンデッドよ。
だが光栄に思えよ。貴様はこれから、このエルミニオ・ドロエットの輝かしき武勲に名を連ねるのだ。
そう! この私の糧となれるのだ! 考えられうる限り最高の滅びであろうとも」
時間稼ぎの毒煙が晴れていく。
聖獣が迫る気配も感じる。
倒さなければ、倒される。
手が、足が、震えて思うように動かない。
だが手足を動かそうと思えただけ、さっきまでよりマシだった。
ルネは一瞬、大神について部分的に理解しかけていた。
だが■■■を■■■されたためにルネの意識はもはやその域まで及ばず、大神の強大さに恐怖し絶望するだけで済んでいた。
――あんな……あんなものに睨まれて、どうやって戦えって言うの……
でも。
――でもそれは……わたしが戦わない理由にはならない!
トレイシーが持ってきたのか、ずっと握りしめていたのかどちらか分からないが、呪いの赤刃はすぐ近くに転がっていた。
それを、拾い上げて。
「あ、ああああああああああ!!」
自らの左胸に突き込んだ。
「な、なんだぁ!?」
エルミニオの驚愕する声。
呪いの魔力はルネの身体を貫いて、本体にすらダメージを与える。
存在の根底をひび割れさせるような鈍痛。刃がこぼれ、しぶきとなって散った。
――戦え…………!!
痛みに縋るように、ルネは立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます