[1-45] 黄昏の葬列

 その日の夜、王城にて。


「……今、なんと言った?」


 執務室に駆け込んできた伝令の言葉を聞いて、ヒルベルトは驚愕の表情で聞き返した。


「ウェサラが壊滅しました!

 アンデッド討伐のため集結していた公爵旗下の騎士および農兵団が全てアンデッド化し市民を攻撃!

 殺された市民もアンデッド化して街を襲い初め、ついに街は壊滅。現在、周辺の村や街に避難民が流入している模様です!」


 報告する伝令兵自身も半信半疑というか、信じがたいし信じたくないという様子だった。

 騎士団が丸ごとアンデッド化するなんて悪夢と言うも生ぬるい。


 アンデッド。

 ヒルベルトはこの事態を、当然のようにとあるネームドモンスターと結びつけて考えた。

 かつてヒルベルトの姪であった者。この国の全てを憎んで憎んで憎み抜いているであろうもの。

 “怨獄の薔薇姫”……ルネ・“薔薇の如きローズィ”・ルヴィア・シエル=テイラ。


 ヒルベルトが絶句していると、業務報告のためちょうどその場に来ていたローレンスがこれに血相を変え、胸に手を当てて勇ましく吠える。


「王よ! 出撃のご裁可を! 第一騎士団を率いて討伐に向かいます」


 ローレンスもまたヒルベルトとと同じ考えであるらしく、アンデッド化した騎士団と言うよりは“怨獄の薔薇姫”を討伐に行くような調子だった。


「ご報告申し上げますっ!」


 ヒルベルトが何か言う前に、また別の伝令が部屋に飛び込んできた。


「今度はどうした!」

「王都より東、エドフェルト侯爵領テミナ付近に赤薔薇の軍旗を掲げたアンデッドのを確認! 総数は約4000!」

「……何だと!?」


 * * *


 宿場町テミナは街道の両脇に宿などが建ち並ぶ、宿場町として典型的な構造をしている。

 冬期はさすがに客も少ないのだが、数少ない旅人や、冬だろうとお構いなしに移動する冒険者、宝石やスノーローズの買い付けに来た商人などがちらほらと訪れていた。


 そんな宿場町のど真ん中を、堂々とアンデッドの大群が通過していた。

 残照の中、動く死体や骸骨たちが心持ち早足で、しかし整然と行進する。武装して整然と進むアンデッド達の姿はまさしく軍勢、軍隊であった。

 道いっぱいに広がったアンデッドの行列が数えるのもバカらしくなるほどに続いている。ゾンビ化したヒポグリフにスケルトンが乗っていたり、ゾンビ化した馬が何かの荷物を馬車に乗せて引いていたりもする。


 そんな陣列の中でひときわ目だったのは、輿だ。

 10体ほどのスケルトンに担がれ、周囲を騎士鎧姿のグール達(一体だけ着流し姿だ)に囲まれている、玉座を収めた天蓋付きの輿。

 御簾が垂らされていたが正面だけは開かれており、勇気を持って陣列を観察する者があったとしたら、輿に座す者を見ることができた。


 足を組み頬杖を突いて玉座に座っているのは、赤薔薇が染められた白いドレスを着て美しい銀髪を持つ……骸骨。大きさは子ども程度。虚ろな眼窩には銀色の光が宿っていた。

 少々不本意ではあったが、ルネは見られていることを意識して、あえておぞましい姿を選んだのだ。


 輿の周りにアンデッド達が押し立てる軍旗は、ずだ袋を引き裂いて作ったようなボロボロの布に真っ赤な薔薇が染められたもの。人の血で殴り描いたような旗は耽美で背徳的な美しさもあり、禍々しさもある。

 薔薇はシエル=テイラ国章の一部でもあるが、それは白薔薇だ。

 シエル=テイラ特産のスノーローズは雪の中で咲く白薔薇である。観賞用としても珍重され、輝くように美しい花弁はポーションの材料にもなる。

 ルネ・“薔薇の如きローズィ”・ルヴィア・シエル=テイラの名前も(すなわちそこから引いた“怨獄の薔薇姫”というネームドモンスター名も)、その銀髪銀目を白薔薇に見立てて名付けたものだ。

 だが、今彼女は鮮血の薔薇を軍旗として押し立てている。

 白薔薇の姫を血で染め上げた者たちに、その罪を示すように。

 あるいは、この赤こそが償いとして流されるべき血の証だとでも言うように。


 宿場町に居合わせてしまった者らは、いくつかに別れて固まり、じっと身動きせずに耐えていた。物音ひとつ、呼吸の音ひとつでも立ててしまったら殺されるとでも言うように。


「覚えてなさいよ」


 ルネは輿の上で呟く。

 誰に聞かせるでもなく。


「あなた達をここで殺さないのは、ただ単に時間が無いからよ。王都を陥とした後に、またわたしは戻ってくるわ」


 街道を王都に向けて西進するということは、途中にある街を通るという事でもある。それを全て潰していては余計な時間を食う。なので村や宿場町は突っ切り、街壁を持つような都市はちょっと迂回して通るようにしていた。

 それだけではなくルネはあらかじめ隠密行動に優れた部隊を先行させ、行く手にある街の通信局を壊滅させることで事態の発覚を遅らせるという手を取っていた。幸いにもアンデッドの侵入を許さないような探知・防衛体制を持っている大都市は最初に壊滅したウェサラぐらいのものだった。

 さらに冒険者のように屈強な者、神官のように魔法を使う者は先行部隊になるべく確保させて陣列に加えた。

 雑兵の数はウェサラで充分稼げたので、あとは限りあるルネの魔力を精鋭兵のために使いたいのだ。

 優れた戦士は雑兵の10人や100人を相手にしても平然と勝つことがある。アンデッドにするならば尚更だった。


 休憩も睡眠も必要としない異形の軍隊は、ほぼ止まることなく西を目指していた。

 ただひたすらに、王都へと。


 * * *


「な、なおアンデッドの軍勢がテミナを通過したのは約4時間前、夕刻とのことです……

 軍勢の通過後、テミナを所領とするエドフェルト侯爵配下の騎士が伝令を出し、エドフェルト侯爵から直接の緊急通信があったことで事態が発覚――」

「ウェサラとテミナの間には、街も宿場町もあったはずだが? そちらからの連絡は?」

「と、特に情報などは入っておりません……」


 最悪の予想がヒルベルトの脳裏をよぎった。

 行く道の途中にある街という街、生きとし生けるもの全てを殺戮しながら突き進む屍の群れの姿が。


「くっ……テミナ周辺各街の通信局と、誰でも良いから連絡可能な相手に通信を試みろ! エドフェルト侯爵からも話が聞きたい。通信室から向こうに連絡を入れて、なるべく早く通信局に来るよう伝えておけ」

「かしこまりました!」


 後から来た方の伝令が慌ただしく執務室を出て行った。


 とにかくまずは状況の把握に努めなければならない。

 4000ものアンデッドという報告は数を間違えているだけだと思いたいが、報告者は騎士と、その連絡を受けた領主。大量のモンスターが近付いているのは確かなのだから、こちらからも斥候を出して敵戦力を把握しなければならない。進路上の街や村には避難・警戒を呼びかけなければならないし……


 と、そこまで考えたところでヒルベルトは何かおかしいと気付く。


「……おい、そこの者。ウェサラの壊滅はいつだか聞いたか?」

「は……どの時点に虐殺が終了したかは定かでありませんが、最初にアンデッドが出現したのは本日およそ午前10時頃。その後、正確には分かりませんが少なくとも正午までは虐殺が続いていた模様です」

「それでもうこんなに迫って来ているのか!?」


 行軍というのは概して時間が掛かるものだ。それも、軍勢の規模が大きくなるほどに。

 街道の状態や天候などにもよるがウェサラからテミナまで4000の軍が移動しようと思ったら、普通はそれだけで1日掛けても足りない。ウェサラを出たのが正午だとしてもテミナまで来ているのは速すぎる。


「……全てアンデッドだというなら人間の行軍速度など参考にもなりませぬ。アンデッドには疲労の概念が無い。意思統一の必要も無い。

 それからアンデッドは夜目も利きます。おそらく……今も行軍は続いているものかと……」


 ローレンスが奥歯を磨り潰しそうな形相で言う。


 ヒルベルトは頭の中に国内地図を書き起こし、アンデッドの軍勢の進行速度を計算した。

 すぐに絶望的な計算結果がはじき出される。


「このままだと……明日の朝には王都まで来てしまうぞ!?」


 まるで見えない剣を突きつけられたようにヒルベルトは椅子から立ち上がった。

 まさか王都を素通りしてはくれないだろう。状況的に狙いは王都と見て間違い無い。

 “怨獄の薔薇姫”はヒルベルトを殺しに……シエル=テイラ王国を滅ぼしに来るのだ。


 戦いなんてものは普通、氷雨が雪を溶かすようにじわじわと事態が進行して始まるものだ。

 その間に対処するだけの……そして心の準備を整えるだけの猶予がある。

 4000の軍勢が突然出現して明日には攻めてくるなんて馬鹿馬鹿しい状況は理解の範疇を超えた出来事だった。


 半ば裏返った声でヒルベルトは叫ぶ。


「兵を集めろ! 近隣の領主に可能な限りの兵を出させるんだ! 寝ていても構うものか、国中叩き起こしてでも連れてこさせろ!

 神殿に連絡して神殿騎士団と神官を出させろ! 冒険者ギルドにも連絡を入れるぞ。相手がモンスターなら奴らも文句無いだろう。金ならいくら出してもいいからありったけの冒険者を……!?」


 そこまでまくし立ててヒルベルトはさらに絶望的なある事実を思い出した。


 冒険者は対魔物戦闘において軍人を上回る戦力となる。

 アンデッドの軍勢が相手だというなら、冒険者たちは大いなる助けになることだろう。高位のパーティーなら100や200は薙ぎ払ってくれるかも知れない。


 だが、最も頼りになる国内最強のパーティーは、今……


「“零下の晶鎗”はいつ戻る?」


 彼らは今、南方に現れたアンデッドの群れを駆除しに向かっている。

 ジェラルド公爵に推薦され、ヒルベルト自らが依頼クエストを出したのだ。


「まさか……あのアンデッドどもは陽動だったのか?」

「スケルトンチャンピオンを中心にハイグールやスケルトンヴァンガード、スケルトンアサシン……陽動と言えるような生ぬるい戦力では……いや、4000もの本隊を用意できるならあの程度は捨て駒の陽動にしても惜しくないやも」


 ローレンスは忌々しげに吐き捨てる。


 スケルトンチャンピオンは第六等級エリート相当の脅威とされる。第六等級エリートの冒険者ひとりに匹敵するという意味ではなく、第六等級エリート冒険者を含むパーティーで討伐に当たるのが適切であるという意味だ。これはあくまで冒険者の安全を第一に考え多少オーバーに危険を見積もった基準であるが、それだけ危険な敵だと言うことは間違いない。

 さらに、もし背後に“怨獄の薔薇姫”が関わっているとしたら半端な冒険者は行かせても無駄死にだ。突発的な事態に際しても解決、あるいはせめて情報を持ち帰れるパーティーを使う必要がある。“零下の晶鎗”を向かわせた判断は適切だったと言えるだろう。


 ――……適切だったのだ! このような事態になりさえしなければ!


「空行騎兵で“零下の晶鎗”を迎えに行けないか?」

「王よ、我が国の空行騎兵は全てヒポグリフにございます! ヒポグリフは皆、鳥目。魔法で暗視能力を付与しても夜間は本能的に飛行を忌避します。夜間飛行訓練を施していない現状、厳しいと申し上げざるを得ません。朝まで待てば迎えにやれますが……」

「……無理だ! それでは敵がここまで来てしまう! 空行騎兵無しでの防衛戦は……!」


 ヒルベルトは頭を抱えた。


「……仕方ない、ノアキュリオにも援軍を要請する。空行騎兵だけなら明日までにこっちへ着くだろう。すぐに出せるのは数騎だろうが……」


 絶望的な口調で、呟くようにヒルベルトは言う。


 これでもし生き延びたとしてもノアキュリオの前線基地にされるのは確実だろう。だが、この期に及んで先々の面倒ごとなど考えてはいられない。

 どれだけの貸しをどこに作ろうとも、使える札を全て使って生き延びなければならないのだ。


「街壁を盾に籠城する。ノアキュリオの援軍さえ来れば……」

「いえ、王よ」


 ローレンスが腰に佩いていたテイラアユルを鞘ごと取り上げ、それを捧げ持ってヒルベルトに示す。


「『奴』を討ち取りさえすれば全ては解決致します。

 連邦に国を売った愚王の娘。死してなお祖国に仇なす奸賊。もはや奴がこの地上に存在する一分一秒が御身の治世への冒涜!

 再び姿を現した今こそ奴の最期。このローレンスめが必ずや討ち果たしてご覧にいれましょうとも!!」


 力強い口調だった。


 アンデッドは魔力供給がなければ継続的な活動ができない。アンデッドを作成した術者が居るというなら(そしてそれは確実に“怨獄の薔薇姫”だろうが)術者を倒してしまえば4000の軍勢だろうが完全に無力化できるのだ。

 ローレンスが“怨獄の薔薇姫”を倒しさえすれば……戦いに勝てる。


 だがヒルベルトは、ひとつの可能性に縋って盲目的になるような事はなかった。ヒルベルトは慎重で思慮深く、行動の前にまず考える男だった。


「倒せるなら倒す。それが一番いい……

 しかし奴がノコノコとお前の前に出てくるとは限らんだろう。アンデッドの軍勢だけを延々差し向けてくるかも知れんぞ」

「……分かっております。アンデッドどもは補給の要らない軍隊。さらに死体を作っただけ数が増えるという馬鹿馬鹿しい性質も持ち合わせている。持久戦に持ち込んでくる可能性も十分あり得ます。

 ですが……機会さえあれば必ずや……」

「ああ。その時は……お前を頼るぞ」

「はっ!!」


 ローレンスの勇ましい敬礼に勇気づけられ、ヒルベルトはほんの少しだけ『なんとかなるんじゃないか』と思うことができた。

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