[1-28] 悪者どもが(悪)夢の跡

 雪雲によって月が隠された、滅入るような闇夜の中。

 魔力灯の照明を掲げ、雪によってかき消されそうな道を三騎の騎獣が駆ける。

 シロクマと鹿の中間みたいな、大きな角を持ち豊かな白い体毛を持つ獣だ。ウェンディゴという魔物の中でも気性が穏やかな種類のものを飼い慣らした騎獣である。雪中での行動に向き、馬よりもずっとスタミナがある。

 ウェンディゴを駆るのは装備の上から防寒着を着た3人の冒険者。イリスを除く“竜の喉笛”のメンバーである。


「しかし妙だね、一度反応が消えたのは絶対に妨害符ジャマーだと思ったんだが。なんで解けたんだ?

 人目に付かない旧道を移動するなら気兼ねなく探知阻害を使えるだろうに」

「さあな。落として壊したとかしたんじゃねえ? あれ割と脆いし」


 ウェンディゴを併走させながらディアナとヒューが声を交わす。

 3人はディアナの探査に従い、イリスの身柄が旧道を移動していると察知して追ってきたのだ。


 ヴィネに辿り着いたところで探査魔法が一旦通じなくなった。探知阻害を掛けた上で移動しているものと思われ、こうなると探して追いつくのは絶望的だった。しかし少し時間をおいて再度探査を行ったところ、隣領へ向かう旧道の辺りに反応が出たのである。

 3人はパーティー資産のほぼ全てをなげうち追跡用の騎獣を用立てた。高級な騎獣だが、商都ヴォネとあらば3匹ぐらいは掻き集められた。

 そして雪が降る中、たった3人で旧道を突っ走っているのである。


「待て!」


 先頭を行くベネディクトが急に叫び、ウェンディゴを止めた。


「どうした?」

「血の臭いが……」


 ベネディクトの言葉にディアナが血相を変えた。


「誰の血の臭いだ!?」

「落ち着け、人間の男だ。たぶん大人で……複数かも知れん」


 続く言葉にホッと息をつくディアナ。

 とりあえずイリスの血ではないようだ。

 だがそれも気休めにしかならない。この先で流血沙汰が起きたのは確実なのだから。


「イリス……無事でいておくれよ」

「急ぐぞ。視界がきかないからな、何が突然出るか分からないと思って気配を探れ」

「了解」

「言うまでもねえ」


 少しだけスピードを落として3人はまた走り出した。

 だが、そう行かないうちにウェンディゴの上でディアナがうめく。


「……っつぅ……!」


 胸元を押さえるディアナ。乗り手の異変を感じ取ったウェンディゴが減速し、残るふたりもディアナの様子に気付いた。


「ディアナ?」

「どうした?」


 ディアナが胸元を押さえていた手を開く。

 防寒着の下、豊満な胸部を包む僧衣の谷間部分に、じわりと血がにじんでいた。


「おい、血が……」

「気にしないどくれ、そういう体質みたいなもん……ああもう、いいや!」


 舌打ちしたディアナが何かを思いきったようにナイフを抜く。

 そして僧衣の胸元を切り裂いた。


 これにはベネディクトとヒューが少し驚いた。彼女はこれまで手と左足と顔以外、かたくなに肌を露出しようとしなかった。男であるベネディクト達だけでなくイリスにも肌を見せないというので、何らかの戒律によるものだと思っていたのだ。


 優美な曲線を描く胸元が露わになる。

 そこには、魔方陣の一部のような紋様が刻まれていた。そこから血がにじんでいた。


 ウェンディゴから飛び降りたディアナは、その紋様をなぞりながら周囲を歩く。そして、雪が盛り上がったように積もっている道脇を指さした。


「この下、つい最近ろくでもない死に方した奴らが埋まってるね」

「はあ……? わ、分かるのか?」

「ああ。そういうやつなんだ」


 忌々しげに言って、腕に巻き付けていたシルバーアクセサリーらしきものをディアナはほどいた。


 ディアナの指先が魔力光を放つ。すると銀の奔流が舞い、一連ねの刃へと組み上がっていった。

 いくつかのアクセサリーとして分割されていたそれは、今や、聖印を模した柄に有刺鉄線のような長いチェーンが付いた銀色の鞭となっていた。

 ディアナがひゅるりと頭の上で銀色の鞭を振るうと、ホタルの飛翔するような光が宙に描かれる。


「【聖気増強紋ブーストスティグマ励起アクティベイト……≪聖光の矢ホーリーアロー≫!」


 銀色の鞭の光跡から、数十本の光の帯が放たれた。

 空中で複雑かつ幾何学的な軌跡を描いた光の矢が、雪の塊へと降り注ぐ。

 光輝の奔流は、もはや光の滝のようだった。


 弾け飛んだ雪で、辺りは煙幕を炊いたように真っ白になった。


「な、なんだ今の威力は!? お前こんな魔力があったのか!?」

「説明は後だ! とにかくこの中を見な!」


 白い雪煙の中でベネディクトが吠え、ディアナが怒鳴り返す。


 ディアナが魔法によってどけた雪の下からは奇妙なものが掘り出されていた。

 あるものは切り裂かれ、あるものは焼け焦げた馬ソリ。積み荷も無残な有様となっていた。

 かつて人であったものがいくつもあった。切り裂かれたバラバラ死体があり、炭化した死体があり、一見無傷なのに苦悶の表情で事切れている者もあった。

 ……それら全てが折り重なり、透き通った巨大な氷の中に閉じ込められている。

 まるで虫を閉じ込めた琥珀のように、あるいはボトルシップのように、氷塊の中に惨劇の光景が閉じ込められていた。


「なんだこいつは……?」


 ベネディクトとヒューが目を見張り、息を呑む。


 ディアナの魔法を受けて氷塊は部分的に割れ砕けデコボコになっていたが、あまりに大きいがために大部分が無事だった。


「あり得ない。こんなもんを作れるのは最低でもレベル6くらいの魔法の使い手だよ。そうそう居やしないはずだ」


 魔法は習得難度によって便宜的にレベル分けされている。

 レベル6と言うと、才能に恵まれ長年修行を積んだ一流魔術師の領域だ。宮廷魔術師だって務まるだろう。その辺にゴロゴロしているレベルではない。


「この死体は……」

「たぶんナイトパイソンの連中だ。ヴォネの拠点を引き払って逃げるとこだったんだ」


 先刻、ヴォネの衛兵隊がナイトパイソンの拠点の異変を察知して踏み込み、もぬけの空になっているのを確認した。明日、伯爵の手勢が到着するのを前に逃げを打ったらしい。

 その強制捜査に“竜の喉笛”も同行していた。イリスの反応が途絶えてしまったため、何らかの形で隠されてはいないかと一縷の望みを託したのだ。

 イリスの反応が旧道に発見されたことで、ナイトパイソンがイリスを伴って逃げているものだと思い、追いかけてきたわけなのだが……その結果がこれだ。


「でも、誰がナイトパイソンを殺すってんだ?」


 ヒューの疑問には誰も答えられない。


 ベネディクトは氷塊へよじ登ると、魔法で削られた断面から露出した死体の臭いを嗅いだり、あちこちから見て様子を確かめていた。


「どうなってる。これは氷の魔法で死んだわけじゃないぞ。死んだ後に氷づけにされてる」

「何故だ?」

「分からん。まさか保存食でもなさそうだ。……ニオイ消し、か? 埋めるだけなら犬や俺には分かるが、氷づけならそうもいかない。

 血の臭いがここらでぶっつり途切れてたんだ。≪消臭デオドラント≫も使われたかも知れん」

「だとしても何のためだよ」


 ディアナは目の周りを撫でながら辺りを見回していたが、やがて首を振る。


「死人の魂も祓われてるね。かと言って『弔われた』とか『浄化された』って気配は無し。たぶん力尽くで吹き飛ばされたんだ。

 こいつはあれだね。ナイトパイソンの連中をぶっ殺した誰かさんは、ここで殺戮があったこと自体を隠そうとしてるんじゃないかい?

 視覚的にだけじゃなく、嗅覚や、ご丁寧に霊視まで誤魔化して」

「それこそ何のためにだよ。それも、まるで……俺らが来るのを知ってて、俺らから隠そうとしたみたいに……」


 ヒューが言う通りで、戦闘の痕跡を隠すなら普通ここまでする必要は無い。雪の中にでも埋めておけば充分だろう。

 だが“竜の喉笛”相手にそれだけでは誤魔化しきれない。コボルトであるベネディクトの鼻は血と焼死体の臭いを敏感に嗅ぎ分けるし、僧侶プリーステスであるディアナは死人の魂を見る。

 それに対応した隠し方がされているのだ。


「ディアナ。イリスの反応はこの中じゃないんだな?」

「ああ。多分、最初に反応が見えた時点でここより先だったはずだ」

「じゃあ……あいつは何に連れられて移動してるんだ? ナイトパイソンを殺した奴らに保護でもされたのか?」

「だとしたら、ナイトパイソンを相手にするより厄介なことだよ。あるいは……」


 ディアナは険しい顔をして氷塊を睨み付けていた。

 そして、指の節でこつりと氷塊を叩く。

 彼女が指し示す先には、一見無傷のまま死んでいる死体があった。


「ベネディクト。一滴でいいからこいつの血が欲しいんだ。どうにかなるかい」

「それが、イリスを助けるために必要なんだな?」

「……ああ」


 躊躇いがちに言ったあとで、ディアナは独り言のように付け加える。


「まだ間に合うとしたら、だけどね。……居ちゃいけない奴が居る」

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