第13話
「おいおい花卉ちゃん、急に近づいちゃまじで危ねえぞ」皿と箸を用意する立石は注意する(ン? ナンダ?)。
「あ、あ、あのぉ、柳君ですか?」花卉の右手は自らの口を覆い、テキーラの大瓶を握る左手は細腰の裏に隠れている。テキーラの胴には茶色の髪留めゴム、黄緑色した小柄なアルミ製カップがぶら下がる。
「はい柳です! えっ? 誰ですかいきなり、あああ、あああ、梶井花卉さん! 梶井花卉さんだ! ええぇ? 花卉さんじゃないか、急に背後から現れるからびっくりしたよ、ああ花卉さん、本物の花卉さんだ、ええ、ずいぶんひさしぶりだ、たしか、十二年と五ヶ月振りかな? ちょっと待って、今詳しい数字をはじき出すから、中学の卒業式以来目にしていないから、ほんと、生きて再会できるなんて思うどこ、えええ? こんな肉臭い、いや生臭い場所で会うなんて、なんか、ほんと奇遇って言っちゃえば、ほんとそのとおりだけど、いやそもそ……」
「おまえ、本当に花卉ちゃんのこと覚えてんのぉ? 治も真理藻も忘れてたくせに、つごうの良い人間だけは、はっきり覚えているんだな? ああ、花卉ちゃん、早くそいつから離れて、ここに……」
「わたしのこと覚えているんだ、えぇ、覚えているんだ、そう、そうなんだ、わたし、柳君と話したことないから、てっきり、蚤〈のみ〉ほどの記……」
「まさか! ある、話したことあるよ、花卉さん、ぼくも、その、いつ話したか忘れ、いや覚えているけど、そんなことどうでもいいよ、どうでもいい! 見て見て、たくさんの海の宝石達! ああ、臭い臭い、匂いにつられて、なんて臭い言葉を吐いてしまったんだ! 違う! いや違わない! 花卉さん、ああ! 柴田君がカキさんって言ったのは、花卉さんのことを……」
「えっ、話したことある? あるの? えぇ? じゃあ、わたしが忘れていただけ? そうなのぉ? わたし、ごめん、今まで柳君と話したこと……」
「花卉ちゃん、そいつ適当なこと平気で言うから、全然気にしないでいいぜ。大体、中学の時の柳は極度の内気に侵されていて、中年の女性教師とさえ一言も話せないへたれだったからな、男の前じゃべらべらしゃべるのによぉ、なにせ筆談だぜ? 当時の花卉ちゃんじゃ、おそらく話したことね……」
「あああ! 立石君のはげ頭! 中学の時なんてどうでもいいじゃないですかぁ! 大切なのは過去じゃありません! 現在および、現在のみです! ええ、ぼくは花卉さんと話した記憶を、たった今保持しているのですから、それで十分です! ああ、花卉さん、突然大声を出して驚いた? 見て、カキだけじゃなくて、サザエやアワビもあるよ、花卉さん、ねえ、花卉さんは魚介類は好き? これぼくのクーラーボックス、……じゃないけど、菅田君、そう菅田君を覚えているよね? あの、モアイの頭部が肥大した、たしか、中学二年生の時は、花卉さんと同じクラスで、そう、一学期の最初の席で、花卉さんの四席うしろの右隣にいた、そう、ポリネシア系の顔した……」
「ふふ、モアイって、菅田君でしょ? 覚えているよ」目尻に微かな糸を寄せ、手の位置を変えずに笑う。
「そう、その奇形モアイがね、好きなだけ食べていいって言ったからさぁ、ねえ花卉さん、いや、花卉さんって呼ばずに、花卉って呼んでいい? なんか、そう、そうそう、このあとも、ぼくは花卉さんの名前を繰り返し呼ぶことになるから、さんなんかつけて呼びたくないし、煩〈わずら〉わしいばかりじゃなく、ぼくの話を、やっぱりすこしでも妨げるだけじゃなくて、それに、さんづけで呼んだら、ひさしぶりに、そう約十年ぶりだよ? そう、細かい数字なんてどうでもいい! とにかく長すぎず短すぎない年月を経て、偶然に再会したんだから、仰々〈ぎょうぎょう〉しいさんづけなんて、まったく必要ないんだ」
今までの細い目つきが嘘のように、柳は男らしい視線を花卉に送る。
「おまえは急ぎすぎるんだよ! もっとペースを抑えろ!」立石は馬鹿にした笑い声を挙げる(コイツ、マジ調子良イヨナ)。
「えっ、やだ、あっ、いやじゃなくて、そんな、急に呼び捨てなんて、まだ会ったばかりなのに……」
「ほらぁ、花卉ちゃんもいやがってんじゃねえか!」立石が喜んで口を挟む。
「いやじゃない! あっ、そうじゃなくて、あのぉ、柳君も立石君も、そのぉ、誤解しないで、あっ、柳君、わたしカキ大好き、カキ食べたい」視線を辺りに泳がせてクーラーボックスを指差す。
「柳君、焼いてよ」柴田がさりげなく声をかける(ナンカ柳君、別人ノヨウダ)。
「もちろんです! よくぞ言ってくれました柴田君、カキ焼きます。卑劣な髪型の立石君、君にもちゃんと焼いてあげますからね、ええ、アワビが欲しいですか? 平等ですよ、平等、共産主義の精神が刷り込まれたぼくは、誰に対しても平等に接しますからね、ほら、花卉、立ってないでイスに座ってよ、そこ、そこの席がいいよ、ほら、ここに座って」
柳は真理藻の座っていたアームチェアを手繰〈たぐ〉りよせて、菅田の座っていた隣にぴったりつける。
「えっ、でも、ちょっと」花卉は両手を後ろにまわし、おろおろ周囲を見回す。
「ええ? なに? なんか気に入らないことある? なんでそんなにうろたえているの? ええ? ぼくが、なんか変なことをしたの? ああ、わかった、イスが気に食わないんだね? そうだよね、あの家畜、いや、誰だっけ? 名前忘れたけど、やけに食い意地の張ったあの女の、菅田君の頭よりもでかい尻を乗せたんだもんな、汚れて座れないよね、ええ、他人の使ったあとの便座だもんね、ああ、比較にならないか、立石君! タオルとアルコール消毒液ありますか? ぼくとしたことが、そんなことも気がつか……」
「おお、あるぜ、ちょっと待ってな」立石は立ちあがり、ピクニックテーブルに手を伸ばす(サスガ俺、用意ガイイゼ)。
「違うの違うの、ちょっと、そのぉ、柳君、一番大きいサザエは、えぇ、どれかなぁ?」慌ててクーラーボックスを指差す。
「そうだねそうだね、最初に大きいのを食べよう、サザエだけじゃなくて、カキもアワビも、まず一番食べごたえのある大物から……」
柳がクーラーボックスを覗き込む隙に、花卉は持っていたテキーラの大瓶を手から離し、「うん、大きいの食べたい」音を誤魔化すよう柳に話しかける。同時に、大瓶は小石にぶつかり、耳に刺さる音を鳴らした。
「花卉さん、何か落としたよ?」一部始終を見ていた柴田が素直に口に出す(アレ? 今ワザト落トシタノカナ?)。
「おお、花卉ちゃん、相棒のテキーラちゃんが地面に落ちてるぜ?」プラスチック容器に入ったアルコールと、オレンジのタオルを手に持ち、立石が近づいて言う(ホント、花卉チャン、スゲエノ持チ歩イテルヨナ)。
「ええっ? ええっ? テキーラ? ええっ? ええっ?」青白い顔にほのかな桃色染めたまま、立石と柴田の顔を何度も見直す。
「テキーラだ! テキーラじゃないですか、立石君、なんでこんなところにテキー……」
「ああ、ああ、違う、違うの、それは……」
「そのテキーラちゃんは花卉ちゃんのだぜ、なあ花卉ちゃん? 花卉ちゃんはなぁ、化粧道具と一緒に、常にテキーラを持ち歩いているんだよ。仲間のあいだじゃとびきり有名な話だぜ、ほら柳、アルコールとタオルだ、これで花卉ちゃんの為にイスを消毒してやれ。そうそう、くれぐれも花卉ちゃんにアルコールを渡しちゃだめだ……」
「アルコールなんか飲まない! 柳君、ち、違うの、これ、そのぉ、あの、あのね……」
「花卉さんは本当に凄いよ、いくら飲んでも、酔った素振りを見せないから」茄子を箸で切りながら(ンン、焼ケテル?)、柴田はひっそりつぶやく。
「花卉ちゃんイコール二日酔いの神だぜ? パーティーに花卉ちゃんの姿を見たら、つぶれる覚悟しねえとな、おしとやかに見えても、肝臓は誰よりもタフネスだぜ? まじ、酔っ払った姿なんか、一度も見たことねえよ。まじめな顔して狂った量のテキーラを飲み干し、平然ともじもじしているからな、不思議なことに、花卉ちゃんの飲む姿を見たやつは、勧められもしないのに、進んで飲みたくなってよぉ、勝手に酔いつぶれるんだぜ。まじ、花卉ちゃんはテキーラの女神だぜ? なあ柴ちゃん、花卉ちゃんに何回つぶされたか、数えきれねえよなぁ?」
立石は落ちていたテキーラを拾い、汚れを払って花卉に差し出す。
「ずるい! ずるいですよ立石君、と柴田君、ええぇ? 何回つぶされたんですか? ええ? なんですか、自慢ですかぁ? そんなにテキーラにつぶされたんですか? ぼくの知らない間に、そんなに酔いつぶれていたんですかぁ?」
立石からテキーラを奪い、柳が文句を言う。
「えっ? ずるい? 柳君、テキーラ好き? テキーラ好きなの?」溺れ慌てふためいていた花卉が、浮き輪を見つけて話にすがる。
「もちろん大好きです! テキーラといえば、死人もよみがえる太陽の酒です! ええ、鬱状態の人も、強烈な躁へと担ぎあげる、爆竹の酒です! いや、たとえが悪いですね、あっ、違う、たとえが悪いんじゃなくて、ええ、話し方が悪くて、その、テキーラは良いし、カキに合うし、そう、花卉にもいいし、んっ? そう、花卉がいい! 花卉が好き! 花卉も好き! 花卉に恋してる! テキーラ以上に花卉を、あああ!」
柳の言葉に苦笑いを浮かべて聞いていると、花卉はすかさずテキーラの瓶をひったくり、ちょこんとアルミ製カップを柳に投げつけ、首を振り振り、舞う髪扇と闇へ去る。鼓動のドラムは太く谷を揺るがし、激しく唸〈うな〉って速度を上げ、枝葉をふるふる振るわせる。
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