第5話

「まったくよぉ、ファンキーな格好どころか、ファンキーなやりとりもするじゃん、柳は相変わらずやべえな。けどよぉ、治に対してすこし配慮が足りなかったんじゃねえ? まあ、二人の関係を知らないんじゃ無理もねえけど、にしても、女に対しての口の利き方は全然変わらねえな、聞いていた俺もむかむかしたぜ?」愉快に笑いながら、立石はピクニックテーブルに近づく(マダマダ、ビールハタクサンアルシナ)。


「配慮も何も、長年外の空気に触れることなく、ひたすら内面の生活をしていたぼくに、円とあの見知らぬ男がつきあっていることなんて、わかるわけがないじゃないですか。どこでそんな情報を事前に知ることができます? ああ、できますね、そう池田君に、現在つきあっている円の男について、訊ねておけば良かったんですね、そう、そうすれば、あの男に胸ぐらをつかまれることも、いや、でも、そんなことできないですよ、事前に知っている全女性の男女関係を集めておくなんて、コンピューターを超える性能を持ったぼくの記憶力では、それはもう、膨大〈ぼうだい〉な数の男女関係を収集しなけ、いえ、そんなむっつりと女性のことばかり思っているわけじゃなく、ただ、あたりまえのように生きていれば、必然と女性と知り合う機会があるので、そう変な意味で勘違いしないでください、ほんとお願いです、ただ時たま、鎖骨をつかみたい、膝っ小僧を叩き割りたい、ええ、ほんと違います、そんなフェチズムは、ぼくは持って、フェチズム、フェチズム、なんかフェチズムって、みょうに勃起らし……」


「うるせえ馬鹿! 突っ立てないで座れよ」迷彩柄のアームチェアにどっかと座り、菅田は声を出して話を遮〈さえぎ〉る。


「ああ、空いているイスに適当に座れよ、おいみんな、ビールでいいだろ?」テーブル脇のクーラーボックスを覗き込み、立石は銀色のビール缶を手に取る。


「うん」柴田は自〈みずか〉ら用意したアームチェアに座り、子供らしい返事をする(柳君ノ話、ホント可笑シイナ)。


「ああ、きんと冷えたやつをくれ」タバコに火をつけながら菅田が返事する。


「ビールですか? 立石君、ビールしかないんですか? いえ、べつにビールが嫌いっていう意味じゃないんですが、ただ、ぼくは胃腸が極端に弱くて、凍〈い〉てついたビールを飲むと、腹をすぐにこわすんですよ。ええ、ビールが嫌いじゃなくて、むしろ大好きなんですけど、ほんと困ったことに、そう、わがまま言うわけじゃないですが、安っぽい発泡酒なんかは特に腹をこわすんです。これは胃腸の弱さに加え、個人の嗜好〈しこう〉が大きく関わり、まあストレスといえば手っ取り早いのですが、ビールの出来損ないである発泡酒を口にすることで、ぼくの自律神経に混乱をきたし、でも鬱病じゃないですよ? 鬱病と一緒にされると、ほんと困ります。これは、『ビール飲む?』と聞いておきながら、実際には発泡酒を手渡すのと同じで、自律神経の不安定も、単純に鬱病と解釈し……」


「つべこべ言わずに飲めよ」菅田が煙を吐きながら言う。


「大丈夫だって、今日だけなら腹もこわれねえよ」柳の話を聞き流して、立石は冷えた発泡酒を差し出す(冷エテナイビールナンテ、ウマクネエジャン)。


「あのぉ、ほんと、うれしいんですが、立石君、ぼくの話を聞いていましたかぁ? もうしわけないんですが、ぼくの嫌いな、いえ、そんなに嫌いってわけでもないんですが、ぼくの腹をもっとも悪くする、最悪な発泡酒じゃないですか、ええ、これ発泡酒ですよ。ねえ、立石君、ぼくの話をほんとに聞いていましたか? これじゃあ、あてつけもいいところで、ぼくに対してのいじめ、おおげさに言えば傷害ですよ、傷害、わかります? ぼくの肉体が傷つくのを知っておきながら、あえて極悪に発泡酒を差し出す、これで……」


「柳君、ウイスキーあるけど飲む?」柴田がポケットからウイスキーの小瓶を取り出す。


「ああウイスキー、ウイスキーですね、柴田君、飲んでもいいんですか? 冷えてないならぼくは文句を言いません。添加物たっぷりの料理酒を差し出されても、冷えた発泡酒を飲むよりかはいくらかましです、ええ、ほんと冷えた飲み物はぼくの天敵でして、毎日熱い茶を飲んで、腹をこわさないように気をつけていたのも、たった一本の缶ビール、いえ、片端酒によって、すべて台無しです。たった一本の偽物が、一夏我慢し続けて保った健常な胃腸を、風船を刺す針のごとく、破裂? 破裂ですかぁ? 破裂じゃないですね、そんな景気よく裂けるものではなくて、むしろぬか石、ぬか石ってなんですかぁ? ああ、違います、ほら、もっと重くて、長期にわたって影響を与えるような物、そうですねぇ、たとえば菅田君の頭部を切り離して……」


「俺の頭がなんだよ! 切り離すなんて物騒じゃねえか!」煙を勢いよく噴き出して立ち上がる。


「柳、菅田の頭なんてやめろよ、こんな顔じゃみっともねえぞ」開けた発泡酒を一飲みして、背もたれに体を預ける。


「立石君、顔はかまわないんですよ、べつに顔の良し悪しは関係ありません、言ってしまえば、超前衛な幻想アートとでも言うべき、火山の噴火して下痢の固まった顔をしていてもいいんです。重要なのは一目で圧殺する体積と、それ以上に息詰まる重量感です。ええ、だからといって、シュルレアリスムと呼ぶには滑稽〈こっけい〉すぎるし、現実的強迫観念優〈すぐ〉れる菅田君の顔が、いえ、そんな大層な顔じゃないですね、アカデミックですね、ただの鉛ですね、青い金属、そう、悪い意味にとらないでくださいよぉ、見た目から重苦しい割に、意外と柔らかい、そうです、菅田君らしい性質を表した金属です。菅田君の頭は鉛です! 立石君、ちょっとこの発泡酒冷たすぎるので、網の上に置いていいですかぁ? 冷たくなければ、ぼくは発泡酒もいけるので、いえ、むしろ、アルコールという頭を狂わせる成分が入っていれば、喜んで体内に摂取したいぐらいで、ああ、摂取、摂取ってなんか、とても勃起な感じが……」


「てめえ、俺の頭が鉛だとぉ? ふざけんなよ、おめえなんて、柳って名前の通り、枝垂〈しだ〉れた頭してるじゃねえか!」コンロの網にビール缶を置く柳へ指差し、菅田は仁王立ちする。


「はあぁ、つまらないですね、柳って名前だから、柳みたいな頭をしているですって? やめてくださいよ、頭じゃなくて髪じゃないですか、べつにぼくは、菅田君と茶化し合いたいわけじゃないんですから、ほんと困ります。ああわかりました、謝ればいいんですね、菅田君、ごめんなさい。でも、君の頭に対して謝っているわけじゃなくて、ただ謝っているだけで、べつに大した意味があるわけじゃなくて、ああ、でも謝っているんですよ、心から謝っているんですよ、そこを勘違いしないでくださいね、ほんと……」


「柳君、はい、好きなだけ飲んでよ」さりげなく口を挟み、柴田はウイスキーの小瓶を手渡す(ダメダッテ柳君、チョット言イ過ギダヨ)。


「ああ、柴田君、ありがとう、好きなだけ飲んでいいってことは、もしかして、一滴残らず飲んでもかまわないってことですね? ですよね? そういう意味ですよねぇ? じゃなきゃ、今みた……」


「おい菅田、柳の言葉を正面から受けることねえよ、まともに受けてたら、身がもたねえぜ?」突っ立つ菅田を見上げて、立石は語尾を延ばして言う(ホント、柳ノ口ハ変ワッテネエナァ、ムシロ、サラニ酷クナッタンジャネエノ)。


「それぐらいわかってんだよ、ただな、あまりにひさしぶりだから、ついかっとなっちまってな、でも本気じゃねえぜ? 本気だったらとっくにぶっ飛ばしてるぜ?」口元を緩めて弁解する(アア、モチロン本気ジャネエヨ、ムカツクヤツダケド、コイツハソウ悪イヤツジャネエ)。


「そうですそうです、菅田君が本気を出していたら、ぼくはこんな口の利き方なんかすることできず、とっくのとうに舌を噛み切っていたと、ええ、そうです、意味わかります? 勘違いしないでください、自分で舌を噛み切るわけじゃないですよ、じゃなきゃ菅田君の本気なんか意味ありませんし、菅田君の本気は、そりゃ、菅田君の本気ですから、ええ、要するに、ぼくがこう話している最中に、菅田君は体勢低くして、突然火中の栗に負けじと爆発して頭突きするんです、想像してください、ひどい大惨事を引き起こします。菅田君の頭がすっ飛んで、いえ、すっ飛びません、爆〈は〉ぜる、ああ、違います、ロケット、そうですロケットのように、真っすぐぼくの下あご目がけて飛んでくるんです、どうなると思います? 阿鼻叫喚です。油断していたぼくの舌は歯に強く挟まれたせいで、すぱっと切り離されてしまい、巨骨な鉛頭部のてっぺんに、ちょこんと乗っかるのです、ははは! 想像してください! なんて滑稽極まる光景なんでしょう? セックス! もはやセックスです! 中身の足りない頭に、冗漫な働きしか知らない舌が融〈と〉けて、それはもう……」


 体勢低くすることなく、魔人と紛〈まが〉う威圧感を醸〈かも〉し、重い一歩を踏み出した菅田を見て、柳はイスから飛び跳ね、細い後ろ姿を晒〈さら〉してその場から離れた。


「痛そうだ」柴田の目尻に短い皺〈しわ〉が寄る──爪ノ先マデ真ッスグニ腕ヲ伸バシ、太腿ノ横ニ手ヲ据エ、空気抵抗ヲ避ケタ体勢ノママ、柳ノ顎ニ突進シタ。頑丈ナ鋼〈ハガネ〉ノ頭部ハ下顎ニメリ込ミ、深ク陥没シテ、顎ハ消エ失セ、頬〈ホオ〉骨カラ下ハ消滅シタ。蜥蜴〈トカゲ〉ノ長細イ舌ハ鋭ク切リ離サレ、菅田ノ頭ニ転ガリ落チルドコロカ、宙ヲ横切リ、立石ノ頬ニヘバリツイタ──。

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