第3話
山峡には薄い靄〈もや〉が立ち込め、音の出所から射す緑のレーザーは縦横無尽に走りまわり、目眩〈まばゆ〉い光の線は辺りに刻みつけられる。瑞々〈みずみず〉しい山気はブースの前に蠢〈うごめ〉く人々を潤し、早く長く踊れるようにと手助けする。平時は森閑とする谷間も、今夜だけは明〈さや〉かに響く電子音に間借りされ、思い思いに場を楽しむ人々を溢れさす。
砂利の多い坂道を下っていくと、所々平らな場所にテントが建てられている。話しながら先頭を歩く池田と菅田の後ろについて、柳は落ち着かない様子で周囲を見回していた。ランタンの灯〈あか〉りが、久しく見ていなかった人々の姿を浮かび上がらせ、異様な生き物として柳の目に映る。サイケデリックな色を顔に塗りたくった人や、同じ彩色した道化のようなズボンを履く人を見て、まず柳は嫌悪した。
「柴田君、柴田君、あれなんですか? あれは人間ですか? ぼくと同じ種の生き物ですかぁ? 長いこと外に出ていなかったせいか、あの人たちがとても奇態に見えてしまいます、おかしいですか? おかしくても笑わないでくださいよ柴田君、なにしろ、ぼくの部屋ではあんな生き物は存在しないんですから、もちろん存在するわけがないんです、いたら困ります、殺虫剤をぶっかけます、いえ、そんなことではなくて、なんなんですかあの人達? 一体何を考えて生きているんですか? あれは何十年も前にアメリカで流行した、カウンターカルチャーの色ですよね? そうですよね? ぼくは間違っていないですよね? あの人達は化石ですか? シーラカンスのような、太古の形を保ったまま現代に生きる、進化を忘れた化石ですか? それとも色の違ったコックローチですか?」
鋭い目を柴田に向けたり向けなかったり、柳は腕をこまねいたまま話す。
「えっ、よくわかんないけど、パーティーピープルじゃないの?」柴田は目遣いを変えず、下顎をわずかに締める。
「パーティーピープル! パーティーピープル! ディープパープル! なんなんですかその名前、あの人達はパーティーピープルと言う人種なんですか? ぼくは、ディープパープルは知っていますが、パーティーピープルなんて知りませんよ。なんですか、じゃあ、ぼくが外の世界に出ていない間に、ああいう新人類、いや、旧人類が生まれ出てきたわけですか? 喜ばしき人類の退化ですか? ええぇ? ディープピープルですかぁ? それとも、ぼくが単に知らなかっただけで、昔からああいう人……」
「いえぇい! 楽しんでいる! いえぇい!」柳の視線の先から、土気のジャンベを抱えて踊る男が手を挙げる。
「ええ? ええ? ええぇ? しっ、しっ、柴田君、あれは、ぼく達に話しかけているんですか? ぼくはあんな人知りませんよ、なんですか、柴田君の知り合いなんですか、柴田君の知り合いですか? 知り合いだったら困ります! いえ、べつにそんな、そう悪い意味じゃなくて、勘違いしないでください、急に知らない人と話すなんて、その、ぼくは人付き合いを絶っていたので、そうです、突然に知らない人と話したりすると、衝撃で心臓麻痺を起こすか、もしくは、精神に障害を残す傷を受けかねないんです。ええ、あの人が嫌いだとか、悪い人だとかそう思っているわけじゃありません、ただ、ぼくの常識の範疇〈はんちゅう〉を超えた、ああいう人は刺激が強すぎて、ほら、わかります? 突然標高の高い場所に来た人は、高山病にかかるじゃないですか? それと同じですよ、ぼくも、ほら、あの、その、とにかく刺激が強すぎて……」
「いえぇい! いえぇ! そこの髪の長い兄さん、いかしてるね、イマジン意識?」ジャンベを腕に抱えながら、乱れた衣服の男が声をかける。
「あのぉ、柴田君、あれ殺していいですか? いえいえ、違います違います! ほんとやめてください、ぼくに話しかけないでください、ほんと困ります。ああ頭痛がする、ああ薬飲まないと、やめてください、ほんと殺しますよ、ほんと違います、柴田君、早く歩きましょう」
頭を振って髪をおどろに振り乱すと、柳は柴田の影に隠れて男の視界から逃れる。
「柳君大丈夫?」心配そうな声を出すも、柴田の表情は変わらない(柳君、ズイブント病ンデイルンダ)。
「どうした柳! 尻の大きな女でも見つけたか?」後ろを顧〈かえり〉みた菅田が声をかける。
「君、うるさいです! いえ、なんでもないんです、なんでもありません、ちょっと顔が、いえ頭が痛くなって、ああ、ああぁ」顔を俯〈うつむ〉かせたまま、垂れた前髪の合間から菅田をちらと見て、慌てて手を振る。
「おい菅田! いつ来たんだよ!」菅田の右前方から男の声がする。
「おおお! 立石!」
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