夜空を見上げる
夜空を見上げるのが好きだったわけではない。ただ正面を見つめていると息が詰まって窒息しそうだったからだ。名前も知らない人の群れ、私の知らない欲望と知らない酒の匂いが渦巻いて、奔流となって私を襲う。真正面から立ち向かえば私は流されて押しつぶされて存在できなくなるだろう。私はこの社会に必要ない余ったピースなのだということを信じたくなくて目を向けることが恐ろしくて私は夜空を見上げている。
地面でネオンがキラキラと瞬いているためか、やはり都会の星空はおとなしい。唯一元気な一番星だけが暗く澱んだ夜空に儚げに命を燃やす。
深海に住むクラゲもこういう風に見えるのかなと、ふと思った。もう過ぎ去った夏休みのことを思い出していた。生物の調べ学習、生物の神秘について調べて来なさいと静かに響く先生の声。
結局サボり癖のある私はやらず終いだったのだが、それでも謎の多い深海には興味を持っていた。いつか深海を覗けたら、画面越しにしか見ることのできないクラゲを覗けるのだろうか。真っ暗で何も見えないひとりぼっちの深海、そこに光る深海の花火たちそれを眺めたらなんと綺麗なのだろうか。
夜空の一番星を眺めていると、不思議に右手が伸びていく。不意に夜空の一番星にリンの瞳が重なった。長い睫毛に二重の瞼、大きく開いた瞳はとても綺麗だった。
それに、あの混濁した瞳。感情を混ぜ込んだ何色とも言えない瞳、きっと近づいても近づいて見てもいつかは断絶されてしまう予防線が張られているように奥底が覗けなかった。だから彼女はあの時の彼女は少し孤独に見えて、とても儚げだったのかもしれない。だから断絶される一歩手前で行うソレはとても心地が良くて、きっと私たちは一つになれていたのかもしれない。お互いの特別になれていたのかもしれない。
リン、綺麗だったな。
クラゲに似ている彼女はとても綺麗だった。みんなに慕われていて、いつも誰かとともに笑っている、どこか包容力に溢れた笑みを浮かべる人。そんな学校での印象をかき消すほどに昨夜の彼女は綺麗だった。
そんなリンの姿は、私しか知らない。少しだけ胸の奥が疼いた。
彼女の怪しげな笑みを眼球が焦げそうなほどに覚えていた。
綺麗だから眺めてしまう。私は深海魚だった、醜い造形で人々を困惑させるような、食事時にテレビで映されたら食欲が失せてしまうような深海魚だった。だからこそ深海でもキラキラと光るクラゲが私にとって特別なものに変わっていく。
きっと私にとってリンは特別な存在だった。きっと私はクラゲに憧れた深海魚だった。
「ねぇ、お嬢ちゃん」
だからこそ。
「私と遊ばない?」
あなたにはここには来て欲しくなかった。
あなたに私を買って欲しくなかった。
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