第186話 猫ネコ狂想曲前編

本能寺。


1582年に織田信長公が明智光秀によって攻められ討たれた、日蓮宗の寺院である。


現代では焼失してしまったが、四条界隈に広大な寺地を有し、大伽藍と三十もの子院があったという。








希美は、まさにその本能寺にいた。


目の前では、織田信長と明智光秀の仁義なき戦いが繰り広げられている。




明智光秀がくつくつと笑いながら、信長に言った。




「殿、ご油断召されたな。『下克上』に御座る」


「ぬ、ぬおおおお!!おのれ、十兵衛!わしを謀(たばか)りおったなあ!?」




「そこは、『是非に及ばず』じゃないんかい!」


希美は思わず信長に突っ込んだ。






信長達の前に散らばるのは、希美お手製のカードだ。


一から十三までの漢数字と、四種類のマークが書かれたそれは、もちろんトランプである。


光秀の前には、綺麗に並べられた四種類のマークの『嫡男』のカードが四枚。漢数字は『十一』とある。




主人に『下克上』して勝ち誇るその顔は、完全に『本能寺の変』だ。


信長は、使えぬ手札を全て切り捨て、強キャラの『一』と『二』の二枚のみを残していたのだ。


だが、『下克上』が成れば、強キャラは屑キャラと化す。


観念して『敦盛』を一差し舞おうとする信長に、「殿、今お助けしますぞ」と林秀貞がビシッと四枚の札を突きつけた。




『お方様(十二)』四枚。




「林パイセン、ハーレム野郎だったのか……」


希美は驚愕し、光秀は「くそっ」と拳を畳に叩きつけた。


『三分天下』であった。


ちなみに、『殿(十三)』の『下克上』は無い。何故なら、菱形の『殿(十三)』は、希美が持っているからだ。


光秀の手から『三』の足軽札が一枚だけ、こぼれ落ちる。


ここに、光秀の討死が決定した。




「でかした、佐渡!」


「殿は、詰めが甘いので御座る。ご油断召されぬよう」


秀貞が、信長に天下を取らせようと、『五』を一枚、場に置いた。




「そうですぞ。殿、慢心すれば、ほれ、このように」


希美は秀貞の『五』を『二』で流し、『殿(十三)』で容赦なく一抜けした。


「な、なんじゃとおっ!?」


「権六!殿を差し置いて天下を取るとは、何事じゃ!」


信長と秀貞が声を荒げるが、希美は「油断大敵ですぞ?」と逆に言い返している。


その隙に、そっと上杉輝虎があがった。


「殿、すんませんっ」


「彦右衛門、お前もか!」


輝虎の次の滝川一益が、『十』一枚でしれっとあがる。光秀は動けない。『三』しか持っていない光秀は、既に討死だ。


その次の信長は、複雑な表情であがる。


秀貞も然り。


光秀は、


「順逆二門に無し。大道心源に徹す……」


などと、なんか辞世の句っぽいものを呟き始めた。


妙に穏やかな表情を浮かべる光秀に、希美は容赦なかった。


「じゃあ、『ド貧民』は十兵衛な!おらっ、次は私に強札二枚の年貢を納めるんだぞっ」






そう。信長達は、『大富豪』ならぬ『征夷大将軍』に興じていたのである。








希美達が京の都に入ったのは昨日の事だ。


一応大名らしく、小隊ほどの手勢を連れて京に入った信長を、都の人々は、どこの大名だ?と衣や持ち物の紋を見た。


そして、誰かが「織田の木瓜紋じゃ!織田の殿様じゃあ!」と声を上げた瞬間、民衆が群がってきたのである。




「織田の殿様、新しい羅城門の資金をありがとうございます!」


「お強いし、京の事まで気を配ってくれるなんて、どっかのバカ猫とは大違いだよっ」


「織田様は、あのえろ大明神様をも従えておられるしな!」


「えろ大明神様の元恋人らしいぞ」


「あれが、えろ大明神様じゃないかい!?」


「「「「「えろえろえろえろ……」」」」」


「えろ神様ー!朝倉様はご一緒じゃないんですかー?」


「ちょっと、柴田様のお隣にいらっしゃる僧衣のお方は、ご側室の上杉様よ」


「何言ってるの!上杉様が正室で、朝倉様がご側室でしょう」


「はあ?『朝×柴』が常道でしょ?」


「「「「「えろえろえろえろ……」」」」」


「上杉様の方が先に柴田様のものになったのよ?ご身分から言っても、正室は上杉様でしょ?上×柴が、本道なのよ」


「上×柴は脇道でしかないわよ!朝×柴こそ、揺るぎない天道なの!」


「なんですって!?」


「ちょっと待って!何故、朝×柴なのよ!後朝の衣を渡したのは柴田様からなのよ?柴×朝でしょーが!」


「「それは、ない」」


「「「「「えろえろえろえろ……」」」」」




馬上の希美達は、このカオスな状況に驚き戸惑っていた。


「何やらとんでもない言葉が聞こえた気がするのじゃが……」


信長は眉根を寄せて、希美を振り返った。


「そ、側室?わし、側室なの?」


驚きのあまり、輝虎が意味不明な発言をする。


希美は、嫌な汗が止まらない。


(そ、そういえば、『朝柴物語』ってあったな……。まさか、京にまで広がって……?しかも、なんで、殿やケンさんまで?!)




何かが起こっている。だが、詳しく知るのも怖い。


「宿所の本能寺まで、全速力で逃げましょう」


現実から目を背けたい希美は戦略的撤退を進言し、信長もそれを受け入れた。




そうして、希美達は一目散に本能寺へと駆け込んだ。


本能寺で、足利御所への先触れのために既に京に来ていた光秀から、義輝との会談日程を確かめた信長は先程の民衆の騒ぎを思い出し、二日後の会談まで本能寺の宿坊でゆっくり過ごす事にしたのであるが……。




暇をもて余した信長を見かねて、希美がトランプを作成した結果が、このプチ謀反劇であった。








さて、場面は『征夷大将軍』終了後に戻る。




「わしが『足軽』……」


「権六っ、もう一番じゃ!はよう、手札を配れ!」


『足軽』身分の信長がショックを受け、『貧民』身分の秀貞は熱くなっている。


「はいはい。ちょっと待って下され。今準備しますから……」


そう言って『征夷大将軍』の希美が札を集めていると、部屋の外から「日承に御座いますが、入ってもよろしいですかな」と声がした。


「構いませぬよ」


信長が答えると、カラリと襖を開けて、品の良い老僧が顔を覗かせた。


本能寺貫主の日承上人である。


元は伏見宮邦高親王の御子であったらしい。


彼はえろ大明神である柴田勝家に対しても、特に気にするでもなく鷹揚おうように対応できる、政治のわかる人物である。


信長もこの僧を気に入っているようだ。






その日承上人は、中の様子を一瞥し、希美の持つトランプを見るや、興味深そうに声をかけた。




「なかなかに面白そうな遊びをしておいでのようですなあ。廊下にいても、楽しそうな声が聞こえましたぞ」


信長が項垂れていた頭を上げ、日承に目を向けた。


「貫主殿も混ざりますか?」


日承は首を横に振った。


「混ざりたい所ですが、残念ながら、織田様にお客人で御座いますよ」


「客?誰ですか?」


「細川兵部大輔様に御座います」


「兵部大輔?ああ、細川与一郎殿か」


「お通ししても?」


「構いませぬ。お通し下され」




日承は、それを聞いてこの場を離れると、少しして、なかなかに渋いイケおじ武士を伴って戻ってきた。


幕臣細川与一郎藤孝である。




藤孝は苦り顔で「御免」と室内に入ると、信長の前に腰を下ろし、挨拶の口上を述べた。


その後に、ふぅー、と一つ息を吐いた。


信長は尋ねた。


「どうされた、細川殿。急な訪(おとな)いにその様子。もしや、公方様の身に何か?」


藤孝は答えた。


「あったといえば、あり申したな」


「ほう……、何が御座った?」


「『ほう……』では御座らぬ!全て、そこもとのせいに御座るぞ!」


急に声を大きくした藤孝に、織田方の面々は驚いた。


信長は、訝しみながら問うた。




「わしのせい、とは、一体何があったので御座るか?」


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