第184話 三好家の行く末
芥川山城の一室に、身なりを整えた若い男が信長と座して対峙している。
三好家当主、三好義興その人である。
義興の頬はこけ、やつれてはいたものの、血色は良さそうだ。
いや、良さそうに見せているのだ。
今回、えすて屋の美容部員が化粧品の売り込みに三好家に来ているので、彼女が施したのだろう。
えすて屋の白粉は、肌を白く、そして健康的な色合いに見せるための配色がしてある。
さらに『うる艶リップ』は、チークにも使えるクリームチークリップだ。義興の頬や唇、うなじまでがほんのり赤いのは、チークリップを馴染ませたからに他ならない。
ただ顔や首は健康的な色合いに見えるが、袖から覗くその手の甲は、浮腫んで黄色みを帯び、微かに震えている。
本来は床についていなければならぬのを、無理して座しているのだ。
そんな義興を傍らで心配そうに見つめるのは、息子である義興とおそろのリップを使う、三好長慶だ。
長慶の隣には、穏やかそうな風貌をした希美より少し年下の男が座っている。
恐らく一門衆の人間だろう。
長慶等と反対側の隅の方には、えろ医師の曲直瀬道三が控えている。
入口付近には、松永久秀と希美(勝家)と同年代の男。そして僧衣の老人が座っている。
松永久秀と座っているのだから、筆頭家老あたりの重臣達であろうか。
皆、唇がうるうるしている中、僧衣の老人だけが渋い顔でかさついた唇をさらしている。
希美こそが『うる艶リップ』の開発者にして、販売促進のために武士をターゲットにした張本人ではあるが、久しぶりに常識人に会った気がして、なんだかほっとする。
(誰かは知らないけど、大切にしたい。このおじいちゃん)
希美は老僧に笑顔を向けたが、老僧は鼻に皺を寄せてこちらを睨んだ。
希美は、きゅんとなった。
そんな希美のマゾ心をよそに、信長と義興の会談は順調に進んでいた。
ある所までは。
「では、織田と三好は互いに戦を仕掛けぬ、という事でよろしいか。織田殿」
「それは、構わぬ。だが、一つ、我が方から条件がある」
「条件?」
信長の不意の言葉に、義興が訝しげに聞き返した。
同盟に関して、ある程度の内容は事前に使者を通じて確認しあっている。
先日先触れにやって来た明智某という織田家中の者は、特に何も言っていなかった。
(織田で何か起きたのか?)
義興はとっさに考えたのである。
信長は、眉一つ動かさず、当然のような面持ちで新たな追加条件を口にした。
「堺から手を引いていただこう」
三好側に動揺が走った。義興は少し考えて、探るように口を開いた。
「どういう事でしょうか。堺は、元々公方様の直轄地に御座る。その実態は『商人の持てる町』となっております。我等は……」
「方便はよい。堺公方と細川・三好による堺の政所は無くなったが、堺における三好の力は未だ大きい。堺も、三好家と大坂本願寺、どちらとも持ちつ持たれつで、自治を維持してきたのであろう」
「それがわかっていて、織田が堺に入り込むと?」
「状況が変わったのじゃ」
そう言って、信長は視線を希美に移した。
「この権六うつけがやらかしおった。堺の会合衆は、織田の支配を望んでおる」
「「「は?」」」
義興を始め、皆がぽかんとなる。
入口の老僧が声を荒げて立ち上がった。
「ば、馬鹿な!あれほど自治に拘る堺商人共が、武家の支配を望むわけがない!わし等の支配をも突っぱねた奴等じゃぞ!」
それを長慶が戒める。
「落ち着け、日向守。えろ大明神様だぞ?何を為してもおかしくはない。織田殿、どのような奇跡が起きたのか、そこの所、詳しく!」
「修理大夫殿の権六こやつへの信頼は何なんだ……。まあよい。実は、堺の南蛮人共が、悉く柴田家の家臣となった。そうなると織田領ではない堺に家中の者を置いていくわけにはいかぬで、当然堺から南蛮人が消える。それを聞いた商人共は、南蛮人の移動を防ぐため、織田領となる事を望んだのじゃ」
老僧の隣に座る男が、驚きの声を上げた。
「な、な、南蛮人が悉く柴田家に!?」
「えろえろえろえろ……」
松永久秀が五体投地をきめている。
義興等他の者は、驚きのあまり言葉が出ないようだ。
長慶は叫んだ。
「さ、流石はえろ大明神様よ!まさか南蛮人までをも帰依させるとは……。さらに堺までも、えろの町に!南蛮人と堺の者共が、羨ましいっ。神よ、いつかわしも家中にお加えいただけませぬか?これでも、わしは天下の執権経験もありますぞ?」
その言葉に、五体投地中の久秀がガバリと起き上がった。
「あっ、ずるいですぞ!その時はわしも、家中にお取り立てをっ。わし、えろには自信ありまする!」
「な、何いっ!わしとて、えろには自信あるぞ!聞いて下されっ、わしは女を攻める時にはまず乳を……」
「おい、止めろっ!これから修理大夫さんの顔を見る度に、その性癖を思い出しちゃうだろ!」
希美は慌てて長慶を止める。
長慶の隣で、義興が酢を飲んだような顔をしている。
誰だって、親の生々しい性癖を聞くとこんな顔になるはずだ。
とにかく、話を信長に返さねば。
希美は会話の流れを、信長に向ける事にした。
「修理大夫さんが乳から攻めるタイプだという事は把握した。だけど流石に修理大夫さんがうちへ移籍するのはまずいから!三好家、どうすんのよ。……後、松永久秀は、もっと他に売り込むポイントなかったの!?えろに自信ニキな奴、雇いたくないわっ。ね、殿!」
「わしに振るな!おのれ、三好修理大夫殿までおかしくなっておるではないか!お前は、大物の変態おじさん武将集めが趣味か何かなのか!?」
キラーパスがブーメランしてきた。
確かに思い起こせば、希美が集まってきた変態おじさんを、なんだかんだで受け入れているのは事実だった。
(な、何も言えねえ……)
その時、入口の老僧が急にシャウトした。
「もう、我慢ならぬっ!何故名門三好家がこのような田舎大名に堺をやってまで、不可侵の同盟など結ばねばならぬのじゃ!」
「ああっ、なんかおじいちゃんがキレた!」
「日向守殿、落ち着かれよ。客人の前じゃぞ」
久秀が立ち上がっている老僧を見上げて嗜める。
老僧は、ぎろりと久秀を睨んだ。
「客人?こやつ等は、敵じゃ。それも、間抜けな敵よ。態々向こうから死にに来てくれたのじゃからな」
「どういう意味じゃ……。ま、まさか!」
青くなる久秀に向かい、老僧はニヤリと嗤って、入口を開け放った。
「者共、かかれい!!」
ジーワジーワジーワ、ジワジワジワジワ……
蝉の鳴く音しかしない。
「あれ?板東?若槻?……だ、誰かー!!」
老僧はおおごえでなかまをよんだ。
しかしたすけはこなかった!
「な、何故誰も来ぬ……何故じゃ……」
老僧は、こんらんしている。
信長は呆れた眼で老僧を見た。
「わし等が何の手立てもせず、この間まで敵だった者の城へ来るわけが無かろう」
「手立て……?」
戸惑う老僧の頭の上の天井板が外れ、老僧の後ろに、そーっと頭巾姿の多羅尾四郎右衛門が逆さまに下りてくる。
気付かぬ老僧以外の三好方は、ギョッとして口を開きかけたが、希美にジェスチャーで沈黙を指示され、口を閉じた。
四郎右衛門は『大成功』の文字が書かれた紙を懐から取り出し、胸の前で広げると、老僧の背中をつんつんした。
老僧が振り返る。
至近距離に、多羅尾四郎右衛門。
「ふはあああん!?」
老僧は、腰を抜かした。
「「「「大成功ーー!!!」」」」
途端に、庭から、廊下から、一部壁が裏返り、頭巾姿の忍者達がわらわらと飛び出てきた。
忍者達は整列し、全員でバク転をした後、思い思いにポーズを決めた。
「シバターズ・デーモンの皆さんでしたー!皆様、盛大な拍手を!」
希美に促され、戸惑いながら拍手する三好家の人々。
忍者達は礼をすると、あっという間に元の場所へと戻っていった。
遠くの方で、「なんで忍びが人前に出ていくんすか!?多羅尾様も藤林様も、忍んで下さいよお!」などという声が微かに聞こえた。
滝川一益の声によく似ていたが、気のせいだろう。
信長は、こめかみを押さえながら、老僧に告げた。
「あー、あ奴等は、見ての通り忍びじゃ。お主の部下は、あ奴等に鎮圧されたのであろうの」
「そ、そんな馬鹿な……!五十はいたはずだ!」
「なら、五十を倒したんじゃなーい?」
希美は、老僧に軽い口調で話しかけた。
そこへ、長慶の厳しくも悲哀を含んだ声が響いた。
「日向守よ。わしはお前が頭を丸めてまで「反省した。柴田様との架け橋となりたい」というから、前回、お前が柴田様を石牢に閉じ込めて害そうとした件を不問にしたのじゃ。それなのに、何故……!」
「何故じゃと?わしは三好家のために……」
長慶は、一喝した。
「愚か者!!時流を読めぬばかりか、結果も想像できなんだとは。三好日向守長逸、蟄居(ちっきょ)を申しつく!取り押さえよ!」
「大殿!?」
老僧三好長逸は、久秀ともう一人の男に押さえこまれ、憎しみの目を希美に向けた。
義興と長慶は、信長に土下座した。
義興が苦しげに声を絞り出した。
「申し訳御座らぬ。早速同盟の約定を違えてしまい申した」
信長は、長逸を見て鼻を鳴らした。
「ふん、愚かな男じゃ。本来なら近江での事は織田の勝ち戦。じゃが、死病の当主とこの権六に免じて、わしは不可侵の同盟を受け入れた。それをお主が台無しにした。わしは面子を潰され、三好を蹂躙する道を選ぶだろう」
信長が厳しい表情で立ち上がる。
「どうか、お待ち下されっ」
義興は動かぬ体の代わりに、なんとか声で押し留めた。
「三好は、織田に恭順致しまする!」
長逸が叫んだ。
「馬鹿な!!何故!」
信長は、長逸に告げた。
「そりゃ、わしと戦をすれば、三好は滅ぶからであろう。当主は死病。先代も病がち。周囲は敵ばかり。跡取りで三好は割れような。そんな中で、わしに勝てるわけがあるまい!!」
「!」
長逸もまるきりの馬鹿ではなかったようだ。
ようやく、事態が呑み込めてきたのか、青ざめている。
信長は、義興に問うた。
「お主はそれで良いかもしれぬ。だが、他の重臣等はどうじゃ?お主が死んだ後で、それでも織田に恭順できるか?」
「説得してみせまする!そうせねば、三好の行く末は無いのですから」
長慶が、よろめきそうになっている義興を支えた。
「わしも口添えする。お主だけに働かせはせぬぞ、息子よ」
「父上……」
長慶の隣にいた男も、共に義興を支えた。
「わしも、殿を支持する。安心いたせ」
「安宅の伯父上……」
義興の目から、涙が溢れた。
信長は、それを見やると「行くぞ、権六!」と希美を促し、さっさと歩いていく。
希美は、(あわわ……)と焦りながら、慌てて信長の後を追った。
その信長は、出入口の辺りで立ち止まり、何かを言いかけようと口を開いた。
「後みっ」
ドムッ
だが信長は、後ろから来た希美に追突され、廊下に吹っ飛んでいった。
「ああっ、殿!急に立ち止まるからーー」
信長は室内に舞い戻ると、懐からバラ鞭を取り出し、希美を最高に激しくしばきあげた。
その後、信長は仕切り直して、義興等三好勢に言葉をかけた。
「後三日の内に、恭順か戦か決めよ。決めたら、知らせよ。わし等は京にて知らせを待つ」
「は、はいっ」
信長と希美は、いよいよ苦しげな義興の返事を背に受けて、部屋を出たのであった。
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