第170話 宣教師の楽園

めりり……




オノマトペにすると、まさにそんな音だろう。


希美が、宣教師の尻に顔をめりこませる音は。




男が女の尻にうっかり突っ込むのなら、それは大変喜ばしい事だろう。


しかし、希美が突っ込んだのは、おじさん外国人の尻である。




ラッキースケベ?


そんなはずはない。


これが、幸運であるはずがない。




幸運こううんどころか、うんこだ。『Shit!』な事態だ。




何故なら……。








「くっせえええええ!!!」




中世のこの時代、風呂は贅沢行為だ。人々に毎日風呂に入るような習慣はない。


せいぜい、毎日の行水や濡れ手拭いで体を拭くくらいのもので、多くの人々は、まあまあ匂うのは当たり前であった。


だが、希美の相手は肉食文化の外国人。


それも、『入浴は生気を失う邪悪な習慣』と教えるカトリックの宣教師だ。


おかげで、この時代のヨーロッパ人は風呂嫌いなのである。


そして、希美の鼻はダイレクトに、ヨーロピアンおじさんの尻とドッキングしている。


当時はトイレットペーパーもウォシュレットも無い。




……わかるな?




「外国人のおじさんの尻、やべえ!あれだ。洗ってない犬が雨に打たれた後の生乾き状態でひり出した、うんこの匂いだ!!」


希美よ、それは結局、『うんこの匂い』だ。


だが、その認識は恐らく間違っていない。




希美は、宣教師の体を引き寄せると、その黒衣をくんくんと匂い、顔を背けた。


「くっせ!服もくっせ!おい、いつから服を洗ってないんだっ。いや、その前に、ちゃんと体を洗ってんのか!?」


宣教師は、頭を横に振った。


「風呂ハ、病ノモト。日本ニキテカラ入リマスガ、旅ヲシテマシタノデ、シバラク体ヲ洗ッテイマセーン」


希美は、宣教師の頭をはたいた。


「逆だ、馬鹿っ!!体を清潔にしないと、病気になるぞ!」


宣教師の男の顔が、『ハッハーン?』みたいな表情になる。


「私ハ、医師デモアリマスガ、ソンナコトハ聞イタコトナイデース!」


「お前が知らんだけだ。とにかく、体を洗うぞ!」




そう言って立ち上がった希美は、部屋の出入り口まで行くと襖ふすまを開けた。


「おーい!誰かいるー?」


「はい、お呼びで?」


背中に『えろ』の文字入りハッピにふんどし頭巾の従業員がかけつける。


「この部屋、湯殿がついてたよな?湯の準備を頼みたいんだが」


「ああ、それなら、もう入れるように準備はできております。助兵衛さんが、『きっと二人でしっぽり湯に浸かられるに違いない』と……」


「あの野郎……!だが、ちょうどよかった!」




希美は、宣教師の元へ戻ると、嫌がる体を押さえつけ、裸にひん剥いた。


そして、脱がした服を従業員に手渡し、石鹸で『つけ置き洗い』するように命じると、自身も裸になり、暴れる宣教師を抱えて湯殿に向かったのである。






**********




《希美視点》




湯気が立ち込める湯殿の洗い場で、希美は必死に宣教師のおじさんを洗っていた。


いつもは手拭いに石鹸をつけて、体をごしごしと洗うのだが、部屋で全裸になった際に、手拭いまで置いてきたらしい。


希美が元女でありながら、全裸になる事に抵抗が無くなり過ぎている悲しい事態はさておき、先ほどの従業員は呼んでも訪れず、脱衣場にも湯殿にも手拭いらしきものは無かったため、希美は仕方なく『手』でいく事にした。




両手を駆使し、洗い残しが無いよう、隅々までしっかりと洗う。


宣教師のおじさんが、何やら苦しそうに耐えている。


(まあ、おっさんに体を洗われるとか、嫌だよな。だが、この汚れを綺麗にしなければ、絶対に湯には入れさせんぞ!)




「……おっと、危ないっ」




希美の手が、宣教師おじさんのデリケートゾーンを避ける。


ここが最も汚い所だが、ここはカトリック的に触れてはならない禁忌の場所である。


もちろん、希美としても、断固拒否だ。




宣教師は、ため息を吐いた。


(変な所を触られずに済んで、ホッとしたのか。私だって、触りたくないっての!)




ざばりっ。




湯桶に溜めた湯をかけてやる。


湯は宣教師の体に当たると、薄茶色く変色して床を流れていく。


だが、宣教師の体は……。


「糞っ!まだ汚れがついてやがる!」




希美は、また手に石鹸をつけ、宣教師の体をゴシゴシと洗う。


耐える宣教師。


時々ため息を吐いている。


そして、湯をかける。


これを何度か繰り返し、ようやく湯に浸かってもよいボディになった。……一部以外は。




最後に希美は、宣教師の男に石鹸を差し出した。




「デリケートゾーンは、流石に自分で綺麗にしてくれ」




「Por queーーー!!?」




宣教師は、何故か絶叫した。






**********




《宣教師視点》




私は、悪魔に無理やり裸にさせられ、この背徳の泉へと連れて来られた。


地獄の熱気と湯気が、私の生気を奪おうと絡みつく。




悪魔は、私を弱らせ堕落させるつもりなのだ。


私の体にシャボンを塗りたくり、その手で体を撫で回している。




悪魔は両手を駆使し、時に手のひらで激しくこすり、時に指でひねるように、その大きな手が私の肌の上を縦横無尽に滑っていく。


なんと絶妙なタッチか……!思わず悶えてしまう。


だが、耐えねばならぬ。


情欲を覚えて、悪魔に堕落させられるわけにはいかな……




「……おっと、危ないっ」




「!!」


悪魔の手が、後少しで私の楽園に……。


危なく、禁断の果実を味わう所だった。


そう、後少しだった。


はああ……。


思わずため息が漏れる。




い、いや、このため息は、安堵のため息だっ。


決して、残念な気持ちなどありはしない!




ざばりっ。




湯をかけられた。


なんだ。これで、終わりなのか……。




「糞っ!まだ汚れがついてやがる!」




悪魔は、また手に石鹸をつけ、再度私の体を撫で回し始めた!


く、糞っ!いくらでも来るがよい!私は、負けないっ。


ああっ、また楽園をギリギリで……。はあ……。


湯をかけられた。終わりか。




いや、また洗う気だ!


よしっ!今度こそ、私の楽園を暴くのだろう?


そして、私を堕落させようと……。


おのれっ!また回避しやがった!


私を堕落させる気があるなら、ここを攻めないでどうするんだ!?


……湯をかけられた。次こそはっ!




だが、悪魔は私に石鹸を差し出した。




「デリケートゾーンは、流石に自分で綺麗にしてくれ」




「なんでじゃあああーーー!!?」




私は心の底から、絶叫した。






**********




希美は戸惑っていた。


何故か、宣教師の男が、希美に食ってかかってきたのだ。




「Por que!?ドウシテ、私ノ楽園ヲ攻メナイノデスカ!ココヲ攻メサエスレバ、私ハ、即座ニ堕落スル用意ガアルノデスヨ!?」


「ら、楽園??デリケートゾーンの事?いや、そこは死守しなよ!私も、そこまでは面倒見切れないよ!」


「アンタ、悪魔デショー!クリスチャンヲ堕落サセルノガ、仕事デショーガッ。仕事シナサイヨ!」


「誰が悪魔だっ!お前は、私にどうして欲しいんだよ!」


「堕落サセテホシインダヨオオッ!!!」




「え?」


「ア……」




時が止まった。


希美は、宣教師に告げた。




「はい、ギルティ。もう、この時点で堕落してますよね」


「……Meu Jesus(神よ)!」






宣教師は、動かなくなってしまった。


濡れた体が、冷え始めている。


放っておいたら、風邪をひきそうだ。


湯に入れてやりたいが、彼の楽園は汚れている。




希美は仕方なく、動かぬ宣教師の手に石鹸をつけると、その手を手拭い代わりにして、楽園を洗ってやった。


直接触るなど、絶対嫌だったからだ。




そうして、体を抱えて湯に入れてやる。


「介護かよ……」


ため息を吐きながら、希美も湯に浸かった。


湯は少し冷めてしまっているが、熱めに入れてあったせいか、まだ充分温かい。






隣で、宣教師がポツリと呟いた。




「私ハ、クリスチャンノ資格ヲ失イマシタ。改宗シマース」


「え?!改宗って、何に?」




驚く希美に、宣教師は頭を垂れた。


「アナタノ悪魔教ニ。私ハ今カラ、悪魔ノ徒。欲望ノ限リヲ尽クシテイキマース」


「…………」






宣教師は、完全に堕落してしまった。

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