第93話 牢の中の混沌(カオス)
ピチョン……
カサカサ……
薄暗く狭い石室の中で、三人の男の声が響いている。
「ヒィヤア!なんか、虫!虫がいるっぽい!ととと殿っ!助けて!」
「阿呆!罰で牢に繋いでおるのに、助けるわけが無かろう」
「ねえ、某ちゃんと『ごめんね』したよね?せめて、手首の鎖は外して下され!逃げないから!でないと、私が虫さんから逃げられない!!」
「ふふふ……可愛う御座るぞ、柴田殿……大丈夫。某がずうっといっしょに過ごしまする。柴田殿に近付く虫は、某が全て捕らえて喰ろうてしんぜましょう。柴田殿の目の前で、ね」
「殿お!このドS鬼畜授乳野郎!!なんて恐ろしい罰を考えやがるんだ!目の前で虫を食べる闇米(にわながひで)と水入らずで牢の中!そして、私がふんどし一丁!」
「ははははっ。鎖で繋がれておる故に、催したら毎度衣の着脱が面倒であろう?何、垂れ流しにはさせぬ。そこの五郎左が、嬉々として世話を焼く故な!鎖を引きちぎるなよ。お主が言うたのだからな、上杉の助命嘆願のために、どんな罰でも引き受ける、とな」
「地獄ぅ!」
実に楽しそうな信長と、嬉しそうに真っ黒な瞳で微笑む長秀、そして裸で両手を鎖に繋がれ、絶望的な表情を浮かべる希美は、箕輪城の石牢の中にいた。
あの日、輝虎と箕輪城に戻った希美は、信長等に詫びを入れた。
そして、各所と連携を取り、戦後処理を行っていった。
数日後、希美の処遇が決まる。
今回の出奔騒動の罰と、輝虎の助命嘆願のために、十日間ほど丹羽長秀と牢に入れられる事になったのである。
ただ単に牢に繋ぐだけではない。より心をえぐってくる信長の懲罰プランである。
(おのれえ、第六天魔王!いつか絶対、『本能寺の変』ドッキリしかけてやる!!観念して敦盛ダンスキメてる所へ、『ドッキリ大成功!』のプラカード持って爆笑しながら出ていってやるわ!)
それを見た明智光秀さんにとっても、ドッキリだろう。
恨み骨髄で復讐を誓う希美に、信長は告げた。
「上杉領の取り分けが決まった。武田は魚津城、天神山城、松倉城などの越中にある上杉方の城を、北条は箕輪城から南の上杉方の城を、松平は今回協力する事で、武田と今川攻めの協定を結び、遠江の権利をわし等全員で認めた。武田が協定を違反すれば、北条と織田が武田を攻める。まあ、同盟じゃな」
(これで、三方原の戦いが消えたな!武田が越中に侵出すれば、神保氏とぶつかるからそっちに集中するし、私達を敵に回してまで遠江侵攻はしないでしょ。て事は、三方原での家康の脱糞事件も消えたか)
だが、脱糞事件は既に森部で起こっている。
つまり、脱糞は家康の運命だったのだろう。
そして希美も現在、他人事ではない。
「芦名は?上杉方の家臣が越後に『主が柴田のペットになったよ』って伝えに行く時に、いっしょにうちから『休戦よろ!』の伝令送ったで御座るよね?」
酷い言い種だ。
越後で留守番中の上杉家臣はさぞ混乱しただろう。
信長は、『芦名』と聞いてニヤリとした。
「当然取り分けのおこぼれを預っておるわ。越後の雷城、神戸城を取るそうな。今、来ておるぞ。その方に会いたい、とな」
希美は慌てた。
「なんと?!ならば、すぐ支度せねば!」
「いらん」
「は?」
「そのまま、会え」
「は?え?某、裸で鎖……牢の中……」
「くくく……その情けない姿を見てもらえ。『えろ』などというおかしな夢から目が覚めるやもしれぬ」
希美は唖然とした。
相手は、戦国大名だ。失礼だろう。
いや、この男、希美を貶める事を心から楽しんでいる。
最高の笑顔の信長が非常にしゃくにさわった。
そりゃ、嫌みの一つも言いたくなるというものである。
「まあ、いいですよ?殿がそれでいいなら。芦名殿からしたら、殿は、家臣を裸で鎖に繋いで喜ぶ変態にしか見えないでしょうけど」
「な、なんじゃとお?!」
「事実じゃないで御座るか!こんな高度なぷれい、某だってした事ないし!」
そりゃ、そうだ。ご家庭に、石牢など無い。
「お、おのれ、憎まれ口を……そこに直れ!」
(『そこに直れ』も何も、繋がれてるから動けない……)
信長が池田恒興の名を呼んだ。
すると、牢の外から恒興が馬鞭を持って、やって来た。
(指示されてないのに、既に馬鞭を!恒興さんのお役目、馬鞭係!)
希美が驚いて見ていると、恒興は信長に馬鞭を手渡し、さっと上半身を脱いで四つん這いになった。
(お前が打たれるんかい!?)
だが、信長はスタンバイしている恒興を完全に無視し、希美に向き直った。
(あ、あれえー?)
希美は恒興の背中を観察した。
刀傷などはあるが、打たれた跡はない。
(ま、まさか、いつも、馬鞭を期待させられて、この状態に?!)
希美は思わず、長秀を見た。
長秀は、目で微笑みながら、こくりと頷いた。
(くっ!池田恒興……なんと哀れな!)
だが、長秀は首を振った。
そして、目線を恒興に向けて、くすりと笑った。
希美は恒興をもう一度見た。
よく見ると、肩が上下している。
ふーっ、ふーっ、と荒い鼻息も聞こえた。
(あ……、放置の方ね)
ドMの世界は奥が深いぜ……
希美は決して足を踏み入れない事を心に誓い、信長に言った。
「鞭はもっと変態に見える」
「おのれ!権六め!おのれえ!!」
ぴしぴしと鞭で叩かれるが、特にダメージは無い。
(ぷぷ、ちょっと涙目になってんの。そんなに熱くなる事かよ?)
希美は、少し可笑しくなった。だが、次の言葉を聞いて、笑いが止まった。
「よくもわしを置いて出奔などと!裏切りおって!」
「あー、うん。それはごめんなさい」
「許さぬわ!次は無いからな!次やったら、その方が守るもの全て、根絶やしにしてくれるわ!」
「ええ……じゃあ、殿も根絶やしになるんですが……」
「わ、わしもか……そうか。ならば、わし以外じゃ!」
「はいはい。わかり申した」
(ちょっと嬉しそう。そっか。裏切られたと思って、寂しかったのか)
この魔王は、案外身内に甘くて寂しがり屋だ。
パワハラは凄いが、こういう所が愛すべき希美の主である。
多少はおとなしく、鞭でしばかれてやろう。
そんな風に希美が考えていた時だ。
「あったかい!!」
気がついたら、長秀が火のついた蝋燭を近付け、溶けた蝋が希美に垂れていた。
「何やってんの」
「殿のお手伝いを。牢内は薄暗う御座るので」
「鞭と蝋燭のコラボはいけない!さらに変態度が増したぞ!」
長秀はそれを聞くや、嗤いながらより一層蝋燭を近付けた。
牢外から声がした。
「芦名止々斎様をお連れ致しました」
牢に足を踏み入れた男が見たものは、
ふんどし姿のまま鎖に繋がれた男。
ふんどしの男を鞭でしばき回す男。
ふんどしの男に蝋燭の蝋を垂らす男。
その傍で、裸の背を見せ四つん這いになっている男。
混沌(カオス)であった。
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