20

一週間、二週間、一ヶ月経っても、校内の雰囲気は暗かった。たまに校長が僕達のクラスに来たけど、授業なんてできなかった。僕達の中でも会話は少なくなっていて、あの頃が懐かしかった。今ではお茶会をしていたなんて思い出せない程だ。空気が重苦しいからと外に出ても、僕に居場所はなかった。こんなことになるなら、出てしまった方がいいのだろうか。ここよりもっと外に……。

何をして過ごしていたのかあまり記憶にない。やることがなくて、まるで子供の頃に戻ったみたいだ。ここには本も古いものが少しあるだけだし、育てるような生き物もいない。絵を描いてみても、手紙を書いてみようとしても、それはすぐにゴミ箱行きになった。

薄暗い世界。息苦しくて、出られない場所。そんな中で何故、人が消えたりするのだろうか?

夕食の時に玻璃がいないと騒いだ灰蓮が、叫んで出ていった。玻璃だって一人になりたい時があるさと、僕達は楽観的に考えていた。いや、もうあの時は考えるのが面倒だったんだ。恐ろしい悪夢に襲われる日も、他の生徒に恨まれる理不尽さも、自分達を蝕んでいた。みんな疲労していたんだ。そんな中で走り回って探しに行くのは、体が重かった。

一気に味のしなくなった食事を口に押し込んで、僕は立ち上がった。座って待っているのは落ち着かなくて、その空気に耐えられなかったからだ。ぞろぞろと黒のみんなは外に出た。

「灰蓮はどこに行ったんだろう」

「教室の方かしら」

「僕達は寮やこの周りを探してみようか」

「瑠璃も、玻璃がどこに行ったか知らないよね」

ランプを取りに戻って、それぞれに別れた。僕は裏に回って、小さい影が隠れていないか注意深く探した。

「次は教会かな」

紅玉が右を向く。まだ夜になったばっかりなのに、もう真夜中のような錯覚を起こした。上にある月がいつもより大きく見えて、何だか恐ろしかった。

月の明かりは教会を青白く照らす。扉を開ける手が震えた。柘榴が後ろから肩に手を置いてくれたおかげで、少し静まる。それに頷いて、開いた瞬間。あんなに心臓の音がうるさかったのに、全てが消えた。目が一直線にそこに向かう。

「……玻璃?」

マリア像の下、長い机に横たわっていたのは玻璃だった。冷たい石の台で、何かに祈るように指を組んでいる。首には十字架をかけていた。近寄ってもただ寝ているだけのように見える。もう一度名前を呼ぶ。紅玉が、そっと頬に触れた。

「……つめ、たい」

こんな夜に寝ているから。上着も着ずに、ブランケットの一枚も用意しないで……だから、冷えただけ。温め、なくちゃ。寒そう、可哀想。

手を上から被せて、呼びかける。起きて玻璃。

「……起きて」

「月長」

僕の名前を柘榴が呼んだ。僕は振り返らずに、玻璃に呼びかけ続ける。

「玻璃、ごめんね……早く温めなきゃ」

「月長っ」

無理やり、肩を掴まれた。僕は泣いていたらしい。柘榴に頬を拭われて気がついた。

「玻璃はもう……起きない」

「嘘だ……っそんな訳、ない」

だって顔も体も綺麗なままだ。血も付いていないし、苦しんだ様子もない。僕を騙しているんだろう。いつものようにイタズラ顔で笑って……。僕をからかうんだ。でも僕はそれが不思議と嫌じゃなくて、笑って双子とその兄を追いかけるんだ。

白も緑も、こんな気持ちだったのか。大事な仲間がいなくなってしまうのは。あんなに睨まれていたのも、今では仕方ないと思う。僕だってこんなに悲しい。絶望で目の前が暗い。今までも辛かったのに、身が引きちぎれそうだ。

灰蓮の絶叫が響いてから、記憶がない。出てくる涙を拭うのも億劫で、シーツが濡れていた。眠ってしまえば、もう何も考えなくていい。そう思うのに目は覚めたままだ。僕が安全なところでこうして横になっていることが、玻璃に対して申し訳ないような気がして、背を起こす。僕が眠ろうと、起きてようと、玻璃は帰ってこない。僕が食事をしようと、道を歩こうと、それを怒る人はいない。僕は生きていてもいいのだろうか。玻璃がいなくなってしまったのに、玻璃がもう二度とできない体験を僕がする権利は、価値はあるのだろうか。

僕が生きていて何になる。今日も食料を無駄にした。僕の為に犠牲になっている動物以上の価値なんて、僕にある訳ない。

初めは些細な怪我だった。不器用で起こしたものだ。今ではこの包帯を巻いた手の方が落ち着くようになった。柘榴にも見てもらえる。わざと傷を増やした。そんな汚い欲に染まったこの手のひらで、触れて良いものなんてない。そう思ったら、お腹が空かなくなった。喉も乾かない。誰かが部屋の前まで来たけど、動けなかった。シーツに包まって、ただどこかを見つめる。変化があったのは窓の外だけだった。

僕はこのまま何も消費せず、迷惑をかけずに生きていけると思ったけど、結局そんなものは無駄だった。僕はどうしたって、玻璃が死んじゃったって、生活をしなければいけなかった。これこそ拷問だと思うけど、心と裏腹にぐうとお腹が鳴った。いっそのこと刺してやろうかと思ったけど、近くにナイフがなかった。それだけの理由でやめた。自分自信に真底呆れて、許せないのを通り越したら、無になった。ただ何かを腹に詰め込んで、その他はベッドの上でぼうっとしていた。

後から聞いたら、そんな状態になっていたのは僕だけでもないらしい。僕は自分に酔っていただけかもしれないと、恥じてまた苦しくなった。

みんなと顔を合わせたのは、意外な理由だった。紅玉が部屋に来て集まってと言われた時、反射的にここに残ってると言ってしまいそうになった。僕が一人で悩んでいたって、それは僕以外にとってはただ迷惑なだけなんだ。

「先生が来たらしい、新しいね。とりあえず顔ぐらいは見にいこう」

自分が幼稚に思えた。僕に反抗なんてできない。

「分かった……行く」

せめて素直に、馬鹿みたいに最後までみんなのことを信じよう。それが達成できたら少しは自分が好きになれるだろうか。


新しい先生の第一印象は、白の担任に少し似ている。顔とか、雰囲気が。あの骸骨みたいな人よりは肉がついてそうだけど、眼鏡の奥の瞳が鋭いところはそっくりだ。

「不幸があったと聞いたが、これで生徒は全員か?」

「後二人……います」

灰蓮達兄弟が来ていなかった。紅玉が一歩前に出て、先生に向き合う。

「何をしているんだ。全員挨拶に来るのは当然だろう。事件が起きたのは三ヶ月も前だ。どうしてきちんと連れてこない」

叫んでいるわけではないのに、僕は縮こまって動けなくなった。じわじわと、首を絞められているように呼吸がし辛い。前にいる紅玉は大丈夫だろうか。

「……すみません」

「まぁいい。ところで君たちは碌に勉強もしていないようだが、時間割りなどは決まっているのか? 見たところ教科書すら所持していないようだが」

「ありません……教科書も、きちんとしたものは」

呆れたようにため息を吐き、わざとらしく後ろの時計を見上げた。

「明日の開始は七時だ。遅刻した者は廊下に立たせるので、遅れないように」

こちらの意見は聞く気もないようで、さっさと出て行ってしまった。みんなの体から力が抜ける。

「早すぎるわよ、いきなり無茶だわそんな」

「先生なら誰でもいいってことじゃないんだけど、校長に言っても仕方ないか……」

後ろを振り向くと、柘榴と目が合って微笑まれる。僕は少し気分が晴れた。

「紅玉……っ、だいじょうぶ?」

「ふふ、ありがとう月長。僕は平気だよ。……みんながいるからね。ほら、今こそあれを試すときじゃないかな。前は使い損ねちゃったから」

「そうね。あたしも平気な気がして来たわ。大事なみんなを廊下に立たせるなんて、絶対にさせないから。あんなナメクジみたいな奴の話を聞く価値なんてないわ」

「……っうん、僕も、あの人は良い人じゃないって思う」

「準備は整っている。後は実行するだけだ」

翠、琥珀、黒曜は何も言わなかったけど、考えていることはきっと同じだろう。みんなの力が集まれば何でもできる気がした。でも、僕はやっぱりまだ甘かったんだ。

あの日から生活はバラバラになっていて、朝食に間に合えばマシなレベルだった。大半は昼まで寝ていて、夜更かしをしている。灰蓮はほとんどを教会で過ごしているし、いつ帰って来ているのかも知らない。

僕は凄い音で目が覚めた。ドアを叩くなんてものじゃない。壊そうとしている。

起き上がってそこから離れた。耳を塞いでいる琥珀を起こして、部屋の隅で縮まった。

「なにっこれ……」

息を押し殺して、音が止むのを待つ。恐ろしくて、強く琥珀の手を握ってしまった。

音が止んでからも動けなくて、蘭晶の声が聞こえた時にようやく足が動いた。部屋から出ると、全ての扉がズタズタに傷つけられていた。

「あの男、頭がおかしいわ」

「……もしかして、先生?」

「先生なんて呼ばなくていいわよ。ほんっと信じらんない! 何考えてるのかしら」

「ああ、二人とも無事だった?」

やれやれと言いたそうな紅玉がこちらに来た。その後ろにナイフを持った蛇紋が立っている。

「参ったね、まだ七時から十分程じゃないか。先生は電波時計か何か?」

「眠れないって軽く拷問だよね。ストレスで痩せちゃいそう」

なんで紅玉も柘榴もこんなに余裕そうなんだろう。まぁ二人が弱っている姿は見たことないけど。

「ああ……可哀想に。怖かったでしょ、やっぱり私と部屋を同じにするべきだった。今日から一緒に住む?」

「えっと……このままで、いいよ」

「そう? 琥珀も来ていいんだよ。ねぇ蘭晶?」

「ええ、そうね。目が届く場所にいてくれた方が安心だわ」

「まぁ今夜のことは後でだ。とりあえず全員集めよう。それから校長のところに行くよ」

あまり期待はしていなかったけど、それでも一応校長だからと、職員室に向かった。彼は困ったように頭を抱えていたが、僕らの姿を見ると愛想笑いを浮かべた。

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