第二話 君の想いに近づけ
2-1 デートってこういうものですか?
女の子と歩くときは車道側を。歩くペースや歩幅も男女で差があるため、できるだけゆっくりと歩く。
そんなデートの基本的ハウツーを、ネットで見たことがあって良かったと、今以上に思ったことなどなかった。もちろん、見たのは春待の恋愛を助けるためだったけれど――いや、正直に言えば、少し興味はあったんだ。好奇心というやつだ。読んでから、その夜は少し悲しくもなったけれど、人生無駄なことなんてないものだ。
夕顔さんは小柄なせいか、隣を歩く速度が特に遅く感じられた。ふだん、春待がパタパタと早歩きなため、余計にそう感じるのかもしれないが。少しヒールがある靴を履いているせいか、足取りも不安定に見えた。
「えぇっと……それで、どこへ行こうか」
「うんと。あたし、行きたいとこあるんだけど。良いですか?」
もちろん、と頷くと、夕顔さんはまたにこにこと短い手足を一生懸命動かした。
「行きたいところって?」
「えへへ……それは、お楽しみ」
にこにこと、楽しげに笑う夕顔さんを見ると、なんだかつられて口角が上がってくる。春待の笑顔とは種類が違うよな。夕顔さんは、純粋に子どもが楽しくて笑うときのに近いって感じで。見ていると、こっちまで楽しくなってくる。
夕顔さんに案内されるまま、街中を歩いていく。夕顔さんはたまに自分のスマホを覗き込みながら、道を確認している様子だった。
僕も、あまりこの辺りは来たことがなかった。小さい頃から、気がつけば暇なときは春待と遊ぶことが多く、必然的に春待山の方面へ行くことの方が街へ出るよりも多くなった。
だけど――だんだんと変わっていく景色に、僕は少し肩をすくめた。明るい印象の表通りから一転して、薄暗い裏通りへと入ってしまった。今の時間帯は閉まってるが、怪しげな看板の店も多い。こんなところを、果して女の子に歩かせて良いものだろうか。
「あの……道、こっちであってるの?」
「うん。そのはず、なんですけど」
きょろきょろと、画面と周囲を見比べながら、夕顔さんは進んでいく。僕はなんだかむず痒さを覚えて、うつむきかげんに歩き続けた。
「あ――あった! ここだ」
不意に、夕顔さんの嬉しそうな声が聞こえた。立ち止まっている夕顔さんの隣で慌てて僕も足を止め、顔を上げると――そこにあったのは、いわゆる「ラブホ」というやつで。
「あの……夕顔さん?」
「ほら、行こうよ南くん!」
きらきらと曇りなく輝く笑顔でそんなことを言ってくるものだから、僕はどうしたら良いか分からず完全に固まってしまった。
だって。そんな。まだ会うのも二回目で。付き合ってもなくて。手すら繋いでいないのに。ラブホ。え、そんな。そういうのはほら、もっと、大切にしないと。
混乱する僕を置いて、夕顔さんはずんずん進んでいく。その後ろ姿を見ながら、完全に固まっていると。
「どうしたの? こっちこっち!」
言って、夕顔さんが指し示したのは。ホテルのすぐ横の脇道だった。
「ここを登れば、すぐだって!」
「は、はぁ……」
どこに?
どこにすぐなの?
僕の気も知らずに、夕顔さんは脇道を歩いていく。細く暗い脇道は、道というよりもただの隙間に見えたけれど、どこかにはちゃんと続いているらしい。
上がりきった心拍と呼吸を整えて、僕もそのあとを追う。残念なんかじゃない。本当に、残念なんかじゃないぞ。
脇道は進んでいくと、途中から土が露出し、どんどん足場が悪くなっていった。ついには斜面を登るような形になり、ヒールを履いている夕顔さんは、かなり辛そうだ。
「あの。大丈夫?」
「大丈夫、です」
明らかに強がりなんだけど。これだけ頑張っているのに、「そんな無理しなくても」だなんて言えなくて。そこまでして、この先になにがあるのか――僕は斜面を見上げた。地面の傾きは途中からかなり急になり、街中にちょっとした山が現れたようだ。
「よい……しょっと。――あーやっっとついたぁ!」
ようやく斜面を登りきると、そこはかなり開けた高台になっており、夕顔さんは両手を上げて万歳をした――かと思うと、すぐに屈んで自分の足を擦り出す。やはり、ヒールを履いた足にこの道のりは、よほど負担だったようだ。
「足、大丈夫?」
「あ、えっと。大丈夫、大丈夫、です。それより!」
わたわたと手を振って、夕顔さんは立ち上がると、キョロキョロと見回してからひょこひょこと駆け出した。
「見て見て! ほら、あれ」
そう言って指差したのは――春待山だ。
山は椀をひっくり返したような形をしていて、周囲の山々より一際高い。その様が、ここからだとよく分かった。
「へぇ……すごい景色だね」
「だよね! ほんと、よく見えるなぁ」
夕顔さんはにこにこしながら、くだけた口調で何度も頷いた。その目が、きらきらと輝いている。春待の目の輝きとは違う――なにかを心底、楽しんでいる人の顔だ。
「前から一度来てみたかったんだけど……嬉しいなぁ」
「ここって、そんな有名なの?」
確かに、街中を一望できるし、遠くの山々もよく見える。だが、それこそ街中に建つ高層ビルにでも登れば、さほど珍しい景色でもない気がするが。
僕の質問を聞いた途端。夕顔さんの目の輝きが、強まった気がした。
「ここはねぇ。実は――昔、春待山の上空を飛ぶ未確認飛行物体がよく目撃された場所なんだ」
おおっと。話の雲行きが怪しくなってきたぞ? 僕は努めて平静を装いながら、「へー」と平淡な相づちを打った。
「ここからだと、山はずいぶん離れてるけど」
「昔って、江戸とか明治の頃の話だからね。今みたいに、街の明かりもなかったから、夜はよく見えたんだと思うよ」
なるほど、そうか。そういうものなのか。夜の光なんて、月や星の他は、松明や提灯などの明かりしかなかった時代。未確認飛行物体の光は、よほど目立ったんだろう。
「あ――大丈夫。あたし、春待さんたちのこと、誰にも言ってないから。安心して」
「え? あ、うん。それは、心配してないって言うか」
それは本心だった。夕顔さんはそういうタイプではないと、前に会ったときの様子からは感じられた。そもそも、春待が自分の正体については、割りとルーズな態度をとっているため、僕がその機密性を心配するのもお門違いな気がする。それでもまぁ、変に知れ渡らないに越したことはないと思うけど。
「って言うか、夕顔さんってそういう話好きだよね……前にも思ったけど」
「え? あ、えへへ……」
途端、夕顔さんの顔が赤くなり、「そうかな」とくねくねする。そんな。前回、キャトられたいとか言ってたくせに、急にそんな恥じらわれても。
「あたし。昔から身体が弱くて。あんまり外で遊べなかったから、漫画とか本ばっかり読んでたんだよね。小説とかも好きだけど、そういう、超常現象の話って、なんかワクワクするって言うか。自分が知らない世界を知った気持ちになって、ドキドキするんだ」
「へぇ……」
なんと言うか。それこそ、なんて言ったら良いのか。迷うことが、今日は多過ぎて、頭がもう追いつかない。
「……なにか、そういうので他に面白い話とか、ある?」
「面白い話? えぇっとね……あ、今日待ち合わせた場所とか」
待ち合わせた場所? あの、うんこ――じゃなくて、えぇっと。
「《天使のラッパ》って像なんだよ、あれ。知ってた?」
「あ、うん。今日、名前見て初めて知ったんだ」
僕が頷くと、夕顔さんは満足そうにまた笑った。
「天使のラッパって、可愛いイメージあるじゃない。なんかこう、小さい天使がラッパを吹いて祝福、みたいな」
「あー、なんか。女子が好きそうな雑貨とかのモチーフによくなってるよね」
少女趣味、とでも言うのだろうか。夕顔さんも「そうそう」と頷く。
「それで市も、あそこの像を恋愛スポット的にプロモーションしたいみたいで。それで、冬はあそこから春待山のスキー場への直通バスも出して、街コンみたいなのを企画もしてるみたい」
「へぇ……」
よりによってあのスキー場を絡めるのか。とは言え、確かに他所から観光客やらを呼び込もうとしたら、あそこくらいしかこの辺では名所もないのかもしれない。
「そういうことも詳しいんだね、夕顔さん」
「あ、ちがくて。これはこの前、無垢さんに聞いた話で」
「え? 無垢姉さんに?」
予想外の名前がポンと出てきて、僕は思わずまばたきした。
「あれから、またスキー場に行ったの?」
「そういうわけじゃないんだけど……ちょっと、頼みごととかあって。――それより」
急に勢いづいて、夕顔さんがこちらに身を乗り出してくる。
「《天使のラッパ》の続きなんだけどね。天使がラッパを吹く場面っていうのが、聖書にもあるの」
「聖書……」
聖書と言われても、全く縁がないためイメージがわかない。讃美歌なら、クリスマスの時期に「シュウワッキマッセェリー」という曲を聞くけれど。
「聖書は聖書でも、新約の方なんだけどね。新約聖書。そこに、ヨハネの黙示録、っていう聖典があって。そこに、天使のラッパが出てくるの」
聞いていることの半分くらいは頭に入ってこないけれど、それとは反対に夕顔さんの目は更に輝いてきて、口調も勢いづいていく。楽しそうなので、まぁ良しとしよう。夕顔さんは続ける。
「神様にラッパを与えられた七人の天使が、順にラッパを吹くんだけどね。それは、終末への合図なの」
「しゅうまつ……」
「終末。人の世の終わり。キリストの再臨。要は……簡単に言えばだけど、神様の国が始まるから、今の人間の世が終わって、選ばれた人だけがそこに行けるよってこと」
「選ばれなかった人は?」
「それこそが、天使のラッパで始まる災厄なの。雹や火が降り注いだり、毒の彗星が落ちたり、太陽や月が壊れたり――引き返せない破滅の始まりが、天使のラッパによって引き起こされるの」
「はぁ……それで、選ばれなかった人たちは滅びちゃうわけだ」
聖書って、そういう話も載っているんだ。オカルティックと言うよりは、漫画とか、ゲームの世界観だ。
「でも、そんな合図の印が、恋人の待ち合わせ場所にされるってのも、なんだかおかしな話だね」
「でしょ? まぁ、一般的なイメージは、やっぱり可愛い感じだから仕方ないんだけど――やっぱり、ちょっと面白いよね」
明るく笑いながら、夕顔さんは大きく伸びをすると、「よしっ」と軽く飛び跳ねた。
「見たかった景色もよく見れたし、満足。降りよっか」
「そうだね」と僕が頷きかけたときだった。「ひゃっ!」と悲鳴を上げて、夕顔さんがよろけた。
「大丈夫っ!?」
反射的に抱きとめると、柔らかい身体を全身に感じた。
(あれ……?)
どきりとすると共に、一瞬。なにか違和感を覚えた気がした。けれど、それがなんなのかを確認する前に、「ごめんなさいごめんなさいっ」と真っ赤になりながら、夕顔さんは離れて行った。なんだか下心を見透かされた感じがして、僕も一緒に赤くなりながら「あ、や」とわたわたしてしまう。
「ごめんなさい。あたし、ちょっと張り切っちゃって慣れない靴履いたりしてきたから。よろけちゃって」
「だ、大丈夫だから。え……っと」
僕が手を差し出すと、夕顔さんは眼鏡の奥の目をぱちくりとさせた。きょとんと、差し出された手と僕の顔とを、交互に見てくる。
僕はなんだかいたたまれなくて「いやあのねそうじゃなくて」と早口で言った。
「帰り、下り坂だし。転んだら大変だから。その、怪我したり、服が汚れちゃったりしたら大変じゃない」
「あ……えっ……と。……はい」
おずおずと握られた手は温かい。春待の手とは、大違いで。その体温に、余計に恥ずかしさを覚えて、僕は急に自分の手汗が気になったりして。
「い、行こうか」
「お願い、します……」
僕らはまるでロボットかなにかのようなぎこちなさで、並んで坂を下り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます