戦狂い大暴走

 戦狂いの怪物明智定明に名指しで処刑宣告された鷹司たかつかさ政光まさみつは、恐慌をきたし、脱兎のごとく逃走を開始した。


 だが、そうとう頭が混乱していたのだろう。あろうことか、織田勢の柴田隊に駆け込み、「た、助けてくれでおじゃる!」と懇願していた。


「なぜ敵軍の我らに助けを求める! おぬしは馬鹿なのか? さっさと死ぬ!」


 柴田勝家に斬りかかられ、政光は「うひぃ~!」と悲鳴を上げながら馬首を返す。だが、振り向けば、定明がすぐそこまで接近してきていた。


「き……綺羅星丸きらぼしまる! どこでもいい! どこでもいいから逃げるでおじゃる! 戦狂いに殺されてしまう!」


「うろちょろと逃げるな、鷹司政光! よくも我が愛馬に毒を盛ってくれたな! お前の馬を俺に寄越せ!」


 定明は、筋肉隆々の右腕を伸ばし、綺羅星丸の尾をむんずとつかんだ。


 疾走中に尻尾しっぽをわしづかみにされ、綺羅星丸は驚いて「ひ、ヒヒーン‼」と強くいななく。


「な、何という滅茶苦茶な奴でおじゃるか。人間が馬の馬力に勝てるはずがないでおじゃる。綺羅星丸、この戦狂いを引きずり殺してやれでおじゃる!」


 政光は馬腹を蹴ってそう命令した。


 しかし、その直後に、政光はあることに気づいて顔面蒼白になった。


 すでに、引きずられていたのである。強靭な脚力を誇る綺羅星丸のほうが。


 定明は、大地に根を張った巨木のごとくピクリとも動かず、途方もない馬鹿力で馬の尻尾をぐいぐいと引っ張っていた。綺羅星丸は嫌がって前に進もうとしているが、抵抗虚しく引きずられ、完全に力負けしてしまっている。


 荒馬すら屈する、人智を越えた怪力。信じがたい光景だった。政光だけでなく、織田軍の柴田勝家や佐久間さくま盛重もりしげも、驚愕のあまり呆然と固まっていた。


「そ……そんな馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿――」


「とっとと下りろ」


 定明は、左手に握っていた血吸ちすいの槍で政光の尻をブスッと突いた。

 政光は短い悲鳴を上げ、綺羅星丸から転げ落ちる。

 落馬した政光を定明は「邪魔だ、どけ」と言いながら軽く蹴り、彼の太りぎみな体を数間ほど向こうへ吹っ飛ばした。


 化け物並みの怪力を持つ定明に蹴り飛ばされたら、普通なら死ぬところだが、政光はそうとうしぶとい男なのだろう。血反吐ちへどを吐きながらも配下の兵たちの手を借りて何とか立ち上がり、「て……撤退でおじゃる。あの怪物から早く逃げねば……」と指示を下していた。愛馬の綺羅星丸はもう取り返しようがないので見捨てていくつもりらしい。


「逃げるだと? 何を申しておる。お前も、お前の兵たちも、ここで俺が皆殺しにしてやると決めたのだ。それが、抜け駆けをしたお前に対する罰だ。大人しく、我が血吸の槍の餌食えじきとなれい!」


 顔面血みどろの定明はそう怒鳴ると、綺羅星丸にうわっと飛び乗った。


「よく聞け、今日からお前は俺の馬だ。綺羅星丸などという悪趣味な名は気に食わぬゆえ、『星影ほしかげ』と名づけてやる。言うことを聞かなかったら馬刺しにして食うゆえ覚悟しろよ。……それ行けッ‼」


「ひ……ヒヒ~ン!」


 この馬は人語が分かるらしい。定明にまたがられた直後は嫌そうに首を振っていたのに、「馬刺し」という単語を耳にすると、途端に従順になった。定明の命令に従い、つい一分前まで主人だった政光めがけて猛然と駆けだす。


「こ、こら! 馬鹿息子! やめぬか!」


「兄上! 正気を取り戻してくだされ! 鷹司隊を攻撃してはいけませぬ!」


 遅れて駆けつけた明智勢の頼明よりあき老人と定衝さだひらがそう怒鳴って止めたが、怒り狂っている定明の耳にはその諌止かんしの声は届かない。ひたいから血をピュッピュッと噴き出しながら、「うわーはっはっはっーーーッ‼ 皆殺しじゃぁぁぁぁい‼」と雄叫びを上げている。


「……権六ごんろく。あれは止めたほうがいいぞ。割って入ろう」


 戦場の混乱カオスをしばらく黙って見守っていた佐久間盛重が、勝家にそう言った。


「敵将のあのおじゃる野郎を助けるというのですか?」


「別にあいつを助けるわけではない。だが、今ここで明智定明が斎藤家の武将と同士討ちを始めたら、利政としまさ道三どうさん)が『明智隊が裏切った』と判断して、慌てて撤退するやも知れぬ。我らの作戦を遂行するためには、利政に今の時点で逃げてもらったら困るのだ」


「なるほど。仰せの通りでござる。ならば、我らで美濃の怪物を止めましょう」


 勝家が盛重の言にうなずくと、両将はそれぞれの得物を振りかざし、明智定明に突撃を試みた。




            *   *   *




「明智定明! 血迷った真似をいたすな!」


 定明と鷹司隊の間に割って入った勝家は、そう怒鳴りながら定明に斬りかかった。


 定明は、勝家の刃を血吸の槍で易々やすやすと受け止め、「邪魔じゃ! 後で遊んでやるから待っておれ!」と吠える。


「聞け、定明。おぬしたち明智家は、半刻(約一時間)ほど交戦した後、我らが斎藤軍の本陣へと突撃するための道を開くと約束してくれていたではないか。それなのに、こんな戦の序盤でおぬしが斎藤方の武将を殺せば、利政は明智隊の造反に驚いて早々に退却してしまうぞ。利政を討つ我々の計画が台無しになるが、それでもよいのか」


 勝家は、鷹司政光とその兵たちに会話の内容が聞こえぬように、声をおさえて定明にそう言った。しかし、やはり定明は聞く耳を持たない。


「鷹司政光だけは絶対に殺すと決めたのだ。そこをどけ。どかねば、この三条宗近作の血吸の槍がお前の生き血をすすることになるぞ」


「……チッ。造酒丞さけのじょう殿からとんでもない戦闘狂だとは聞いていたが、予想をはるかに上回る狂いっぷりだな。やれるものならやってみろ。この柴田勝家は強いぞ? 俺を殺すことができたら、好き勝手に暴れるといい」


「ほほぉ~う。お前、いま言ったな? 強いと自ら宣言したな? 俺を殺してみろと挑発したな? 戦狂いのこの定明の前で。そう豪語するからには、俺を楽しませてくれよ? ……五合も持ちこたえることができねば、お前の兵を皆殺しにしてやるからな‼」


「面白い! さあ来い!」


 戦闘狂とは、えさを鼻先に吊るされたら夢中で走り出す馬のようなものである。目の前に強者が現れると、ぜひとも殺し合い腕比べがしたくなる。まんまと挑発に乗った定明は、政光のことをすっかり忘却して、勝家と刃を交え始めた。


 逃げる隙ができた政光は、配下の兵たちに「い……急ぐでおじゃる! 撤退じゃ!」とわめきつつ、逃走していった。定明はそのことに気づいていない。というか、勝家との殺し合い腕比べに興味が移り、おじゃる野郎のことなどもうどうでもよくなっていた。


「おりゃゃぁぁぁーーーッ‼」


 雷鳴のごとき気合いの声を上げ、定明は血吸の槍をごうと振り下ろす。

 勝家は馬上で巧みに身をひねらせてそれをかわし、反撃を試みたが、定明がすぐさま次の攻撃に移ってきたため、慌てて槍の刃を太刀で受け止めた。


 定明の槍さばきは単調だが、まるで稲妻が走るかのごとき驚異的な速さである。また、一撃一撃が非常に重く、固い。定明の突きをまともに受け止めてしまった勝家は、巨岩に叩きつけられたような衝撃を身に受け、危うく太刀を落としそうになった。利き腕がビリビリとしびれ、しばらく太刀を振るえそうにない。


(こ、こいつ、怪物と呼ばれているだけのことはある! ほんの少しでも気を抜いたら、一瞬で殺されてしまう!)


 勝家がそう驚いている間にも、血吸の槍は敵将の紅き血を吸わんと襲いかかってくる。


 刃の嵐が吹き荒れ、轟々ごうごうと風がうなり、苛烈な連続技が火を噴き続ける。


 顔面めがけて飛んで来た強烈な突きを紙一重で回避したが、その凄まじい一撃が起こした風圧で勝家の頬肉が大きくしなった。


 右手が痺れて太刀が使えない勝家は、ひたすらかわし続けるしかない。電光石火の槍技に勝家は翻弄される一方だった。


 こんな化け物と半刻も戦っていたら、確実に死んでしまう。明智隊が約束している「裏切りの刻限」まで、絶対にもたない。たまらなくなった勝家は、


「お、おい! 織田方に内応しているくせに、俺を本気で殺しにかかるつもりか! ほ……本当に半刻経ったら我らに内応してくれるのだろうな⁉」


 と叫んでいた。


「ああ、してやるさ‼ だが、利政は猜疑心さいぎしんかたまりのような男だ‼ 戦狂いとして知られるこの俺が手心を加えて織田勢と戦っていたら、すぐさま明智家の二心を看破するに違いない‼ それゆえ、俺は約束の時間が来るまでは本気でお前たちを殺す‼ 殺して殺して、殺しまくる‼ だから、お前たちも必死に抗って殺されぬようにいたせ‼ うわーはっはっはっ‼」


「く、くそっ! 六角ろっかく義賢よしかた殿はなぜこんな面倒臭い奴を調略したのだ!」


 勝家はそう愚痴を叫びつつ、ようやく回復した利き腕を振るい、定明に斬りかかる。だが、あっさりと怪力の一閃いっせんで弾き返され、再び腕が痺れてしまった。


「勝家、少し休め! 次は俺が怪物の相手をしよう!」


 勝家の危機に、佐久間盛重が駆けつけ、定明の背後から金砕棒かなさいぼうを振り下ろした。

 鉄鋲てつびょう付きの八角棒を背中に喰らい、定明は「ぬお⁉」と驚いて攻撃の手を止める。しかし、鋼鉄の肉体を持つ彼には致命傷にならなかったようで、


「痛いではないか、金棒使い。何だ、今度はお前が遊んで欲しいのか。いいぞ、いいぞ。お前はなかなか強そうだから、楽しめそうだ。お互いに死ぬまで殺し合おう」


 口から血を垂らしつつ子供っぽい笑顔でそう言い、血吸の槍を猛烈な勢いで横払いに叩きつけてきた。


 盛重は金砕棒を前に突き出し、その一撃を真正面から受け止める。盛重の豪腕は定明の怪力に何とか耐え、槍をはねのけた直後に第二撃を放った。


 ほぼ同時に、定明も槍を再び繰り出す。両者の武器は、互いの敵の左肩に命中した。血吸の槍の刃が盛重の肉をえぐり、豪傑の紅き血を吸う。盛重は「ぐっ……!」と苦悶の表情を浮かべた。一方、金砕棒も定明の左肩に大きな損傷を与え、定明は二度にたび吐血した。


 だが、盛重が痛みで顔をゆがめているのに対して、定明はニヤニヤと楽しそうに笑ったままである。強敵との刺激的な殺し合いたわむれに激しいエクスタシーを感じている彼の脳は、痛みすら快感に変わってしまっている。それゆえ、傷つけば傷つくほど定明は生死の境で戦う悦楽に酔い、ますます凶暴性を増していくのである。まさしく、死ぬまで殺し合う怪物だった。


「楽しい……楽しいぞ! うわははは! 金棒使いよ、おぬしの名はなんと申す?」


「げほっ、ごほっ……。さ……佐久間盛重じゃ」


「おおーっ! 佐久間盛重! 最初槍はなやりの勇者ほどではないが、おぬしと戦うのはとても楽しい! 気に入った! 最初槍の勇者がここにやって来るまでの間、仲良く殺し合おう! 死ぬまで殺し合おう! がーはっはっはっ‼」


 定明は気が狂ったように笑いながら、血吸の槍を大上段に構えて再び突撃してきた。額と左肩からびゅっびゅっと血が噴き出しているが、ぜんぜん気にしていない。


 対する盛重は肩の負傷で動きが鈍くなってしまっていた。「チッ!」と舌打ちしながら振るった金砕棒に勢いはなく、定明の胴に命中しても美濃の怪物はけろっとしている。


「こいつ……! 金砕棒を三度も喰らって平然としているとは、おぬしはまことの化け物じゃな!」


 そう吠えつつ、盛重は定明と火花を散らして戦い続けたが、定明は倒れない。攻撃を喰らえば喰らうほど元気になるので、打撃力の強い金砕棒の痛みは定明をさらに超人化させるだけだった。この男はもしかしたら殺しても死なないのでは……と盛重は金砕棒を振るいながら思った。


 体力を回復させた勝家も激闘に加わり、二対一で挑んだが、定明の烈風のごとき槍さばきはとどまるところを知らない。血吸の槍を何度も大旋回させ、盛重と勝家は怪物に近づくたびに裂傷を体のあちこちに負った。





「ち、父上。そろそろ兄上を止めたほうがよろしいのでは? 織田方の猛将が二人同時に殺されたら、織田軍の士気が一気に下がりますぞ?」


 三人の死闘を少し離れた場所から見ている明智定衝が、心配げにそう言う。


 定衝と頼明老人は、斎藤利政の目をあざむくために、明智勢を佐久間隊・柴田隊の兵たちに突撃させ、約束内応の時間が来るのを待っている。だが、定明が盛重と勝家を討ち取ってしまったら、両将の手勢は散り散りに逃げてしまうだろう。それでは織田軍が利政を討つ好機が失われる。あのまま放っておいてよいのですか、と定衝は父に問うたのだ。


「……やむを得ぬ。今ここで定明を止めても、約束の時間までに、我慢できずまた暴れ出してしまうだろう。とにかく今は好き勝手やらせておいたほうがいい。織田の将を相手にあれだけ大暴れしていたら、まむしもまさか我らの裏切りを疑うまい」


「さ、されど……」


「む? 定衝よ。織田の新手の兵が現れたようだぞ。あの軍旗は何者じゃ」


 頼明老人が、砂塵が舞い上がっている南方の方角を指差すと、定衝は「あれは……」と呟きながら目を凝らした。


「あれは、織田家中で最初槍の勇者と呼ばれている――」


「おお、織田造酒丞か。なるほど、あの者が、馬鹿息子が『もう一度戦いたい。死んでもいいから戦いたい』と言っていた織田家最強の男……。馬鹿息子の子守をしてくれる武将が、ようやく来てくれたか」


 頼明はそう言ってホッとため息をつくと、配下の兵たちに素早く命令を下した。


者共ものども、こちらに迫りつつある新手の敵将は攻撃するな! 道を開き、黙って通せ! あれは、定明が用のある男じゃ!」








<明智定明の怪力と血吸の槍について>


 明智定明が綺羅星丸の尻尾を引っ張って新しい愛馬をGETしたという小説内の創作は、『明智物語』(元明智家家臣が口述したと伝わる軍記物)に記されている逸話を元に描写しています。


『明智物語』によると、定明は三十人ほどが乗った渡船を川から陸へ引き上げたり、猛々しい曲馬くせうまの尾をつかんで引き留めるなど、物凄い怪力であったと語られています。


 ちなみに、定明の「血吸の槍」ですが、以前に解説で「実在したかどうかは不明」みたいなことを書いていたけれど、実際にあるみたいです(*^^*)

 後年、血吸の槍は定明から明智光秀へ、そして土岐定政(定明の子。徳川家康の命で土岐家を復興し、沼田藩土岐家の礎を築く)へと受け継がれ、現代にも伝わっているようです。大河ドラマ『麒麟がくる』の放映に合わせて沼田市歴史資料館などで展示されていたそうです。(今はどうなっているのかは分からないですが……)


 とにかく、血吸の槍は実在した!!!°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

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