敵地強行
創建当初の寺院は五年前に
初代住職は臨済宗妙心寺派の高僧・
* * *
「道家殿、大丈夫か。しっかりせい、南泉寺はもうすぐだぞ」
「い、いたた……。造酒丞殿、世話をかけてあいすまぬ。こ、腰がまだ痛くて……」
美濃国に潜入して三日目。造酒丞と尾張守は、ようやく南泉寺の目前までたどりついていた。
一日目は幸運にも斎藤家の兵に見つからずに済んだが、二日目にとうとう遭遇してしまい、戦闘となった。
長良川にたどり着くまでの道中でも、街道を巡回中の兵士たちを幾度も見かけた。
「そこの怪しい者たち、名を名乗れ! 尾張か越前の間者だな!」
「たとえそうであったとしても、
造酒丞は「
「あの兵たちの死体がどこかの川岸に流れ着いて他の美濃兵に発見されたら、領内に侵入者がいることが
「おお。……だが、さっきの戦闘で腰を痛めてしまったようだ。は、走るのが辛い……」
二人は必死に駆けたが、尾張守は途中で腰に激痛が走ってぶっ倒れてしまった。「腰痛持ちの尾張守一人に行かせるのは心配だ」という
結局、その日はほとんど移動できぬまま、三日目の朝を山中で迎えた。一晩寝て尾張守の腰痛も少し落ち着き、再び走り始めたのだが……。やはり、前日にほとんど移動できなかったことが祟ったようである。
忍びの心得が無い二人は、警邏中の兵たちに「そこの怪しい奴ら! 止まれ!」とあっさり呼び止められてしまった。しかも、悪いことに、その美濃兵たちの中の数人が戦場で造酒丞を見かけたことがあったらしく、
「あっ! あれは尾張の猛将、最初槍の造酒丞だ! あいつを捕えたら大手柄だぞ! であえ、であえーッ‼」
そう騒ぎだして、有無を言わさず攻撃してきたのである。
「ど、どうする、造酒丞殿。二十七、八人はいるぞ。たった二人で相手にするのにはさすがに数が多い……。これでは大桑城下の南泉寺に近づけぬ」
「どうするも何も、奴らは拙者の顔を知っておるのだ。ここで逃げたら、侵入者が尾張の手の者であることが
「おぬし、今は槍を持っておらぬではないか」
「敵兵から奪えばいい。さあ、参るぞ!」
造酒丞はそう叫ぶや否や、ワッと躍り出て美濃兵に斬りかかった。
電光石火の速さで走りつつすれ違いざまに斬っているため、斬られた兵が血を噴き出して
兵士たちは「ば、化け物だ、こいつ‼」と驚愕の声を上げたが、悲鳴を上げていた兵たちも次の瞬間には首無しになっていた。ポン、ポン、ポーンと、天高く蹴った
「我が
「お……おい、待て! 一人で突っ込むのはさすがに危険すぎる!」
尾張守が痛む腰をおさえながら、追いかけて来て怒鳴った。
しかし、敵に隠れてこそこそ任務を実行するという一番嫌いなことを二日もしていて鬱憤がたまりにたまっていた造酒丞は、狂戦士と化している最中である。「それ、それ、それーーーッ‼」と喚きながら、奪った槍をブンブン振り回して美濃兵たちを虐殺していく。尾張守がようやく追いついた頃には、三十人近い死骸が街道に転がっていた。
「どうだ、ここの道を封鎖していた奴らは全員片づけたぞ。強行突破成功だ。寛近の翁様からもらった地図によると、このまままっすぐ行けば南泉寺のはずだ」
「さ、さすがは最初槍の勇者……。滅茶苦茶すぎる。というか、こんなにもあっさりと敵の囲みを突破できるのなら、最初から隠密行動などしなくてもよかったなぁ……」
造酒丞の規格外の強さで血路を開いた後、二人は南泉寺へと続く街道をひた走った。途中で尾張守の腰が再び悪化したが、造酒丞は「もう、そなたの腰が治るのを待ってはおれん! 拙者が運んでやる!」と言い、敵兵から分捕った槍を放り捨てて尾張守を背負った。
そして、とうとう南泉寺の門が見えるところまでたどり着いたのであった。
* * *
一方、造酒丞たちが目指す南泉寺では――。
「
修行僧たちへの説法を終えて
「あっ、これは仁岫和尚。お騒がせして申し訳ない。実は一大事が
偉丈夫は、一大事が起きたと口にしつつも、呑気そうにニッと笑いながら年老いた高僧にあいさつをする。大熊のごとき体格と髭面に似合わず、まるで少年のように快活な笑顔だった。
胸のあたりまで豊かな髭を生やしたこの巨漢の名は、明智
ここ最近、定明は
帰蝶は夫を失った後、父・斎藤利政の居城である稲葉山城に身柄を戻されたが、夫を殺した父と毎日顔を合わせることを嫌って亡夫の
「この近くで賊が現れたらしいという連絡があったので、我が手勢に寺の周りを見張らせておるのです」
「賊……。織田か朝倉の隠密であろうか」
「それが、隠密にしてはなかなか賑やかな奴でして。美濃兵をあちこちで惨殺しているようなのです。その賊を目撃した兵たちは皆殺しにされているので何者なのかは不明ですが、きっと戦い甲斐のある猛者に違いない。もしもこの寺がその賊に襲撃されたら、是非とも手合わせしてみたいですな。わっはっはっ」
「……これこれ。貴殿は姫様の護衛なのだから、嬉々とした顔で物騒なことを言うでない。それに、寺を血で汚されたら住職の
「あっ、そうでした。アハハハ、申し訳ござらぬ。近頃戦場で良き敵将と出会っていないので、つい血が騒いでしまって」
「相変わらず、
「お……おお、そうであった。寺の警備にかまけて、姫様を快川紹喜殿に任せっきりにしてしまっていた。いかん、いかん!」
かれこれ一刻(約二時間)以上、快川は帰蝶と部屋で二人きりになっていた。心を深く病んでいる帰蝶の相手を一人でするのは、坐禅で精神の修練を積んだ僧侶でもさすがに大変だろう。定明はそう考え、二人がいる部屋へ慌てて向かおうとした。
帰蝶と快川紹喜――この二人の交流が始まったのは一年前からである。亡き頼純が親しく付き合っていた快川のことを帰蝶も尊敬していた。夫亡き後も三日に空けず南泉寺を訪れているのも、快川に傷ついた心を慰めてもらうためだった。快川も実の父によって夫を殺害された幼い姫を哀れみ、彼女が寺に来るたびにその嘆きを親身に聞いてやっていたのである。
とはいえ、快川にも僧としての修行がある。帰蝶のそばに四六時中いるわけにはいかない。快川が修行で忙しい時は、師の仁岫和尚か定明が帰蝶の話し相手になっていたのだった。
今の帰蝶は目を離したら自害をしかねないほど病んでいる。一瞬たりとも一人にはしておけない状態であった。
「殿! 門前に怪しき者たちがいます!」
帰蝶の元へ向かおうとしていた定明をそう言って呼び止めたのは、明智家の兵だった。定明は「怪しい奴らだと? どんなふうに怪しい?」と問うた。
「快川紹喜様の同族の者と名乗り、快川様との面会を求めているのですが……。時おり言葉に尾張
「尾張訛りだと? 今、美濃の諸街道は封鎖されて旅人の出入りはできぬはずだぞ。そいつは美濃兵を殺して回っているという侵入者に違いない。ウハハ、ちょうどそいつと戦いたいと思っていたところだったのだ。よーし、叩き斬ってやる」
定明は愉快そうに笑いながら拳をベキボキと鳴らし、山門へと駆けて行った。
仁岫和尚が言っていた通り、定明は味方の武将たちですら手を焼くほどの戦狂いである。すぐ近くに手強き猛者がいるかも知れないと思うと、矢も楯もたまらずにその尾張人らしき不審者の元へとすっ飛んで行ったのであった。自分がさっきまで帰蝶姫のところに行こうとしていたことも、すっかり忘れていた。
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