敵地強行

 土岐とき頼純よりずみが創建した南泉寺なんせんじという寺は、現在でも岐阜県山県やまがた市にある。


 創建当初の寺院は五年前に斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)の軍勢によって放火され、焼失している。頼純が美濃に帰還した一年前に現在地である大桑おおが城の南に再建された。


 初代住職は臨済宗妙心寺派の高僧・仁岫じんしゅう宗寿そうじゅである。美濃に潜入した織田造酒丞さけのじょう道家どうけ尾張守おわりのかみが接触を図ろうとしている快川かいせん紹喜じょうきは、この仁岫和尚の高弟として南泉寺にいた――。




            *   *   *




「道家殿、大丈夫か。しっかりせい、南泉寺はもうすぐだぞ」


「い、いたた……。造酒丞殿、世話をかけてあいすまぬ。こ、腰がまだ痛くて……」


 美濃国に潜入して三日目。造酒丞と尾張守は、ようやく南泉寺の目前までたどりついていた。


 一日目は幸運にも斎藤家の兵に見つからずに済んだが、二日目にとうとう遭遇してしまい、戦闘となった。長良川ながらがわを渡河するために舟を探していたところ、小舟で川沿いを警邏けいら中だった美濃兵たちに発見されたのである。


 長良川にたどり着くまでの道中でも、街道を巡回中の兵士たちを幾度も見かけた。寛近とおちかおきなが言っていた通り、斎藤利政はずいぶんと躍起になって美濃国内に厳戒態勢を敷いているらしい。土岐頼純を殺害したという噂は、紛れもない真実であるという証拠だった。


「そこの怪しい者たち、名を名乗れ! 尾張か越前の間者だな!」


「たとえそうであったとしても、うぬらに馬鹿正直に名乗るものか。悪いが、我らの姿を見たからには全員ここで死んでもらう。参るぞ、道家殿ッ」


 造酒丞は「最初槍はなやりの勇者」の異名を持つ猛者である。尾張守も腰が不調でさえなければ豪傑と言っていい実力がある。美濃兵数人を相手にすることなど造作もない。二人は敵兵たちを皆殺しにしてしかばねを川に放り投げ、奪った舟で長良川を渡った。


「あの兵たちの死体がどこかの川岸に流れ着いて他の美濃兵に発見されたら、領内に侵入者がいることがまむしめに気づかれてしまうであろうな。さらに警戒が厳しくなったら面倒だ。道家殿、全力で駆けて南泉寺へ向かうぞ」


「おお。……だが、さっきの戦闘で腰を痛めてしまったようだ。は、走るのが辛い……」


 二人は必死に駆けたが、尾張守は途中で腰に激痛が走ってぶっ倒れてしまった。「腰痛持ちの尾張守一人に行かせるのは心配だ」という内藤ないとう勝介しょうすけの心配が的中したのである。


 結局、その日はほとんど移動できぬまま、三日目の朝を山中で迎えた。一晩寝て尾張守の腰痛も少し落ち着き、再び走り始めたのだが……。やはり、前日にほとんど移動できなかったことが祟ったようである。大桑おおが城下へと繋がる街道のほとんどが大勢の美濃兵によって封鎖されていたのだ。昨日二人が殺した兵たちの死体が早くも発見され、美濃国内に侵入した間者を捕えるべく利政が警戒態勢を強化させたのだろう。


 忍びの心得が無い二人は、警邏中の兵たちに「そこの怪しい奴ら! 止まれ!」とあっさり呼び止められてしまった。しかも、悪いことに、その美濃兵たちの中の数人が戦場で造酒丞を見かけたことがあったらしく、


「あっ! あれは尾張の猛将、最初槍の造酒丞だ! あいつを捕えたら大手柄だぞ! であえ、であえーッ‼」


 そう騒ぎだして、有無を言わさず攻撃してきたのである。


「ど、どうする、造酒丞殿。二十七、八人はいるぞ。たった二人で相手にするのにはさすがに数が多い……。これでは大桑城下の南泉寺に近づけぬ」


「どうするも何も、奴らは拙者の顔を知っておるのだ。ここで逃げたら、侵入者が尾張の手の者であることがまむしに知られてしまう。こうなったら奴らを全員ほふって、強行突破するしかあるまい。なぁに、任せておけ。この最初槍の造酒丞が自慢の槍さばきで血路を切り開いてやるわ」


「おぬし、今は槍を持っておらぬではないか」


「敵兵から奪えばいい。さあ、参るぞ!」


 造酒丞はそう叫ぶや否や、ワッと躍り出て美濃兵に斬りかかった。


 白刃一閃はくじんいっせん、先頭にいた兵は瞬く間に首無しの死体となった。続けざまに二人目、三人目と斬殺した。

 電光石火の速さで走りつつすれ違いざまに斬っているため、斬られた兵が血を噴き出してたおれている頃には、造酒丞はすでに数歩後ろの兵に斬りかかっている。一瞬たりとも立ち止まらない。返り血を浴びる暇もなく、敵部隊の奥深くへと突進していく。


 兵士たちは「ば、化け物だ、こいつ‼」と驚愕の声を上げたが、悲鳴を上げていた兵たちも次の瞬間には首無しになっていた。ポン、ポン、ポーンと、天高く蹴った蹴鞠けまりのように、美濃兵たちの首が空中を舞う。


「我がいくさの信条は、速攻・強行・不退転なり。突風が吹き荒れるかのごとく敵陣に突撃し、どんな難敵も強引に押し切って倒す。敵兵を避けて通る、退却するなどという臆病なことはけっしてせぬ。それ我が生き様じゃ。いつまでも美濃兵から逃げ回っていたら、我が武名に傷がつくというものよ!」


「お……おい、待て! 一人で突っ込むのはさすがに危険すぎる!」


 尾張守が痛む腰をおさえながら、追いかけて来て怒鳴った。


 しかし、敵に隠れてこそこそ任務を実行するという一番嫌いなことを二日もしていて鬱憤がたまりにたまっていた造酒丞は、狂戦士と化している最中である。「それ、それ、それーーーッ‼」と喚きながら、奪った槍をブンブン振り回して美濃兵たちを虐殺していく。尾張守がようやく追いついた頃には、三十人近い死骸が街道に転がっていた。


「どうだ、ここの道を封鎖していた奴らは全員片づけたぞ。強行突破成功だ。寛近の翁様からもらった地図によると、このまままっすぐ行けば南泉寺のはずだ」


「さ、さすがは最初槍の勇者……。滅茶苦茶すぎる。というか、こんなにもあっさりと敵の囲みを突破できるのなら、最初から隠密行動などしなくてもよかったなぁ……」


 造酒丞の規格外の強さで血路を開いた後、二人は南泉寺へと続く街道をひた走った。途中で尾張守の腰が再び悪化したが、造酒丞は「もう、そなたの腰が治るのを待ってはおれん! 拙者が運んでやる!」と言い、敵兵から分捕った槍を放り捨てて尾張守を背負った。


 そして、とうとう南泉寺の門が見えるところまでたどり着いたのであった。




            *   *   *




 一方、造酒丞たちが目指す南泉寺では――。


明智あけち殿。何やら先刻より外が騒がしいようだが、何かあったのですかな」


 修行僧たちへの説法を終えて法堂はっとうから出て来た住職の仁岫じんしゅう宗寿そうじゅが、境内の庭をウロウロしていた偉丈夫の武士をつかまえてそう問うていた。


「あっ、これは仁岫和尚。お騒がせして申し訳ない。実は一大事が出来しゅったいしまして」


 偉丈夫は、一大事が起きたと口にしつつも、呑気そうにニッと笑いながら年老いた高僧にあいさつをする。大熊のごとき体格と髭面に似合わず、まるで少年のように快活な笑顔だった。


 胸のあたりまで豊かな髭を生やしたこの巨漢の名は、明智彦九郎ひこくろう定明さだあきという。土岐氏の支流にあたる明智氏の当主・明智上総介かずさのすけ頼明よりあきの長男である。


 ここ最近、定明は帰蝶きちょう姫の護衛として南泉寺に詰めている。

 帰蝶は夫を失った後、父・斎藤利政の居城である稲葉山城に身柄を戻されたが、夫を殺した父と毎日顔を合わせることを嫌って亡夫の菩提寺ぼだいじである南泉寺にいることが多かった。帰蝶の母・小見おみの方は、明智家の出であるため、一族の定明に娘の護衛……そして彼女が自害せぬように見張る役目を頼んでいたのである。


「この近くで賊が現れたらしいという連絡があったので、我が手勢に寺の周りを見張らせておるのです」


「賊……。織田か朝倉の隠密であろうか」


「それが、隠密にしてはなかなか賑やかな奴でして。美濃兵をあちこちで惨殺しているようなのです。その賊を目撃した兵たちは皆殺しにされているので何者なのかは不明ですが、きっと戦い甲斐のある猛者に違いない。もしもこの寺がその賊に襲撃されたら、是非とも手合わせしてみたいですな。わっはっはっ」


「……これこれ。貴殿は姫様の護衛なのだから、嬉々とした顔で物騒なことを言うでない。それに、寺を血で汚されたら住職のわしが困る」


「あっ、そうでした。アハハハ、申し訳ござらぬ。近頃戦場で良き敵将と出会っていないので、つい血が騒いでしまって」


「相変わらず、いくさ狂いの御仁じゃのぉ……。そんなことより、姫様のご様子を見て来てあげなさい。頼純様を亡くされて以来、姫様は時おり発作を起こされる。紹喜がそばにいるゆえ大事ないとは思うが、心配じゃ」


「お……おお、そうであった。寺の警備にかまけて、姫様を快川紹喜殿に任せっきりにしてしまっていた。いかん、いかん!」


 かれこれ一刻(約二時間)以上、快川は帰蝶と部屋で二人きりになっていた。心を深く病んでいる帰蝶の相手を一人でするのは、坐禅で精神の修練を積んだ僧侶でもさすがに大変だろう。定明はそう考え、二人がいる部屋へ慌てて向かおうとした。


 帰蝶と快川紹喜――この二人の交流が始まったのは一年前からである。亡き頼純が親しく付き合っていた快川のことを帰蝶も尊敬していた。夫亡き後も三日に空けず南泉寺を訪れているのも、快川に傷ついた心を慰めてもらうためだった。快川も実の父によって夫を殺害された幼い姫を哀れみ、彼女が寺に来るたびにその嘆きを親身に聞いてやっていたのである。


 とはいえ、快川にも僧としての修行がある。帰蝶のそばに四六時中いるわけにはいかない。快川が修行で忙しい時は、師の仁岫和尚か定明が帰蝶の話し相手になっていたのだった。


 今の帰蝶は目を離したら自害をしかねないほど病んでいる。一瞬たりとも一人にはしておけない状態であった。


「殿! 門前に怪しき者たちがいます!」


 帰蝶の元へ向かおうとしていた定明をそう言って呼び止めたのは、明智家の兵だった。定明は「怪しい奴らだと? どんなふうに怪しい?」と問うた。


「快川紹喜様の同族の者と名乗り、快川様との面会を求めているのですが……。時おり言葉に尾張なまりが混ざっておりまして。恐らく、尾張から来た者たちではないかと」


「尾張訛りだと? 今、美濃の諸街道は封鎖されて旅人の出入りはできぬはずだぞ。そいつは美濃兵を殺して回っているという侵入者に違いない。ウハハ、ちょうどそいつと戦いたいと思っていたところだったのだ。よーし、叩き斬ってやる」


 定明は愉快そうに笑いながら拳をベキボキと鳴らし、山門へと駆けて行った。


 仁岫和尚が言っていた通り、定明は味方の武将たちですら手を焼くほどの戦狂いである。すぐ近くに手強き猛者がいるかも知れないと思うと、矢も楯もたまらずにその尾張人らしき不審者の元へとすっ飛んで行ったのであった。自分がさっきまで帰蝶姫のところに行こうとしていたことも、すっかり忘れていた。

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