美濃討ち入り
織田・朝倉連合軍と
斎藤利政側の兵力は、いっさい不明である。対する織田・朝倉連合軍の兵数は、総勢二万五、六千だったという記録があるものの、この時期の戦国武将の動員兵力にしては大きすぎる。
しかし、
九月に入り、織田信秀率いる尾張軍と朝倉
尾張軍の先陣は、犬山城主の織田
この兄弟は、尾張上半国守護代・織田
「信秀殿。我ら兄弟が美濃の諸侍たちを調略しておきましたので、木曽川を渡河するまでは安々と進軍できますぞ。ふぉふぉふぉ」
美濃に討ち入って数日ほど経ち、稲葉山城まで間近に迫ったある日の夜。軍議の席で、寛近の
「うむ。寛近殿の調略はまことに見事でござる。ここまで、無人の野を行くがごとく進軍できている。本当にありがたい」
信秀は、「白髪三千丈」という言葉を思い起こさせるほど長い白髭をたくわえた老将に微笑みかけ、礼を言った。
寛近の翁の詳しい年齢を知っている者は、尾張の武士たちの中でもほとんどいない。弟の宗伝ぐらいだろう。なにせ、寛近の翁が父の家督を継いで武将として活躍を始めたのは、記録によると今から六十九年前――文明七年(一四七五)のことなのである。信秀たちにしてみたら生きた化石のような存在だった。自然と、この老人に対しては誰もが丁重な話し方になる。
「……しかし、兄上。少し妙だとは思いませんか? 美濃に討ち入って数日経つが、ここまで抵抗らしい抵抗にあっていない……。斎藤利政は稲葉山城に引きこもったままで、出撃してくる気配すらありません。いったい、何を企んでいるのやら……」
慎重な性格の信康が、信秀にそう言った。信秀も、
信秀の弟たちの内、冷静な判断ができる信康と、「一段の武辺者」という異名を持つ信光のことを信秀は最も頼りにしている。今回、信光には三河で異変が起きた時に備えて留守番してもらい、信康だけを連れて来た。謀略家の斎藤利政を相手にするには、危機を察知する能力が高い信康にそばにいてもらったほうがいいと考えたからである。
「信康の言う通りだ。あの蝮のことだから、何らかの罠を仕掛けている恐れがある。ここまで快進撃を続けてきたが、これからはもっと慎重に進軍しよう。おのおのがた、いかがかな?」
信秀はそう言い、諸将を見回した。
信秀はこの軍の総大将だが、彼らの主君ではない。だから、「同僚のくせに上から目線で指示を出しやがって……」と彼らの反発を買わないように、事あるごとに意見をたずねるよう注意しているのである。
信秀とは
僧衣の武将である宗伝も、静かに首をたてに振った。ただ、
「戦の方針は、陣代である信秀殿にお任せいたす。されど、我が軍に保護を求めてきている
と、注文を一つだけつけてきた。宗伝は僧侶なので、美濃国内の由緒ある寺が戦火に巻き込まれないように配慮しているのである。
戦国時代、兵士たちは敵地において食糧を奪い、富を奪い、人を奪った。これを、
「
という。収穫前の稲を刈り取り、民家に押し入って金目の物を強奪し、さらには女や子供などの
兵たちの凄まじい「乱妨取り」の被害から免れるために、村々や寺社は戦が始まると戦国武将に保護を求めた。武将たちは味方に回った村や寺社に禁制を発令して、身の安全を保障したのである。
……といっても、禁制を出した武将が安全を保障したところで、絶対に安全とは言えなかった。他の武将の兵士に襲われたり、場合によっては味方の兵士が略奪に来ることもあったりしたのだ。
「もちろん、心得ておりまする。味方についた者たちを襲うのは、我ら尾張軍の信用を地に落とす行為ですからな。その点は、言われなくてもこの場にいる皆々が心得ていることでしょう」
「……いいや、俺は不承知だ」
さっきから不機嫌そうに黙りこんでいた因幡守達広が、吐き捨てるようにそう言った。
またこいつか、と思った信秀は眉根を寄せながら「何が不承知なのだ、ケシカラン殿」と問う。
「これ以上、慎重に軍を進めることも、兵たちに乱妨取りを我慢させることも、両方だ。なぁーにが快進撃だ。蝮ごときを恐れて、ちまちまと進軍しやがって。ケシカラン!
「乱妨取り、乱妨取りとうるさい男だなぁ……」
「おぬしのように大きな港を二つも持っている裕福な武将に、わずかな銭で兵士たちを養わねばならない貧乏人の気持ちが分かってたまるか。何度でも言ってやるわい。乱妨取り! 乱妨取り! 乱妨取りぃーッ!」
達広がヒステリックにそう
「げほっ、ごほっ……。信秀殿は、朝倉軍の到着を待っているのだ。尾張と越前の両軍が一丸となって蝮を
「む、むむぅ……。骨左衛門のくせに生意気な……」
今、朝倉宗滴は美濃と近江の連絡路を絶つべく赤坂(現・岐阜県大垣市赤坂町)近辺の諸城を攻めている。稲葉山城を攻撃している最中に近江の
「……ええい、もうどうでもよいわ。好きにしろッ」
寛故に言い負かされた達広は、投げやりぎみにそう答えるのであった。ただ、心から納得しているようには見えない。信康が(独断専行をやらかさないだろうな……?)と心配になって兄の信秀を見つめると、信秀も同じことを考えていたらしく、首を横に振りながらハァ……と憂鬱そうにため息をついていた。
達広は信秀にとって同僚である。信秀がいくら軍事指揮権を武衛様から託されていたとしても、戦場で勝手な行動を取った同僚を厳罰に処するのは難しい。もしも信秀が達広を罰したら、反信秀派の
(頼むから、戦場で俺の足を引っ張るような真似だけはやめてくれよ。尾張軍の将兵たちの命がかかっているのだからな)
そんなふうに祈ることしかできない自分の地位の低さが、信秀には歯がゆかった。武衛様や主君の前では大それた地位や身分はいらないとは言ったものの、「せめて守護代の家に俺が生まれていれば……」とたまに考えないわけではなかった。
「……ケシカラン殿もこれで同意してくれたな。寛近殿はいかがでござるか。何かご意見はありますか?」
信秀は、憂鬱と不安を頭の外へと無理やり追い払うと、ちょっとわざとらしい元気な声で寛近の翁に話しかけた。
しかし、寛近の翁はうつむいたまま何の反応もない。そういえば、少し前ぐらいからピクリとも動いていないような気がする。
(まさか、こんな所で逝かれたか)
一同が同じことを思って焦りかけた直後、スースー……という寝息が聞こえてきた。
「な、何じゃ、寝ておるだけか……。紛らわしい……」
驚きのあまり腰を浮かせかけていた達広がそう呟く。信秀たちもホッと安堵の息をもらした。その瞬間、
ズダーーーン‼
天を裂くかのごとき轟音が、すぐ近くでしたのである。
「て、敵襲か⁉」
諸将の間に、緊張が走った。寛近の翁はまだ眠っている。
※織田与十郎寛近は、かなりの高齢だと思われますが、生没年不詳です。
ただ、この物語の時点(1544年)から2年後の1546年に寛近の母親が亡くなっている(翌年に一周忌を行った記録がある)ことと、信秀が死の病に取りつかれた時期に信秀の政治(主に外交方面)の代行をやっていてまだまだ生きることを考えると、現時点で70代後半~80代前半ぐらいかなぁ~と……(^_^;)
もしも信長が家督を相続した時期まで生存していたら、90代に達していたかも知れません。いつ亡くなったのか不明なので、物語のどの時点で退場させるかは未定だけれど……(汗)
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