完食。


 あれから9日ほど経った金曜日。


 緋蜜庵には長蛇の列が出来ていました。

 校内に特集記事を出したのが月曜日、口コミで評判が広まって今に至ります。

 二列に並ぶ人達は殆ど女子高生ですが、蓬ヶ丘高校の制服は多くありません。

 我が校の生徒は月火水の三日間で押し寄せて、日毎に減り、今は他校の方が多い。その中に混じるよも高生は狂信的なリピーターと言えるでしょう。私を含めて。

 隠れ家的名店は、すっかり表に引きずり出されていました。


「来たな、お節介記者め」

 順番が来て店に入るなり、お客様とは思えない扱いを受けます。

「商売繁盛。いいことじゃないですか」

「お前なあ、他人事だと思って」

 アナさんは苦笑して、小さな牙を見せました。



「ほれ、食ったらさっさと帰れよ」

 卓に注文の品を置き、アナさんはシッシッと手を払いました。

「ひっど。記事にしますよ。この不良店員」

「おうおう書け書け。そんで減らして欲しいもんだ、この客入り」

「あの初雪のような真心はどこに?」

「心を失うと書いて、忙しいと読む。……それにほら、お前一人に座敷を使われるのはな」

「なんです?」

「回転率が落ちる」

「あーあー、全く嘆かわしいことです。こうも容易く商業主義に染まってしまうとは」


 人の心は移ろいやすく、人情は儚い。

 変わらないのはフルーツあんみつのお味だけ。


「んふふ、おいひぃ……」

「お前ホント、幸せそうに食べるよなぁ……」

「んぐっ?! な、なんです? 忙しいんでしょう? どうぞお構いなく」

「そのちっこい体のどこに消えてるんだ?」


 アナさんは並べられた8つの特盛りあんみつを眺めて言いました。

 ――――大きなお世話です。

 仕切られた座敷の中、人目を気にせず甘い物を頬張れるのも緋蜜庵の良いところの一つで、だからこそ、こうして足繁く通っているのです。なのにそれをずっと見られてたら、意味ないじゃないですか。


「ホントに一人で使い切るつもりなのか、あの枚数を」

「いいんです、今日は。お祝いですから」

「お祝い?」


 訊ね返され、私の口元は自然に綻んでしまいました。

 分かっているのですが戻せません。……甘くて美味しすぎるのも考え物ですね。

 アナさんが「なんだよ。早く言えよ」と急かすので、私は尚更「んふふ」と勿体ぶりました。

「――――見たいですか?」

「じゃあ別にいい」

「あぁんっ、待って! いけず!」


 自慢する相手が欲しかったのです。私の努力の結晶を。

 コバルトブルーに輝く神秘の雫、それが閉じ込められたガラスの薬瓶を渡します。

 それを光に翳して、アナさんは「ほぅ」と声を漏らしました。


「なるほど、見事だが――――これは?」

「メイさんと一緒に集めてて、昨晩やっと完成したのです」

「裏側の品か。……確かに、私ぐらいにしか見せられんな。……で、何に使うんだ?」

「部長を治せるんです、やっと――――」

「なんだ惚気か」

 ぺいっ、と小瓶を放るアナさん。

 私はダイビングキャッチを決めました。


「な、なんてことするんですか!!」

「んな小細工しなくったってな、チューしときゃ治るぞ、チューしときゃ」

「はぁ~?! なに言うんですか、このお婆ちゃんはっ! お伽話じゃあるまいし!」

「いやいや、お伽話とバカにするなよ? 火のないところに煙は立たない。逸話があるから伝承になるのさ」

「……そ、そういうもんですかね……」

「まぁ、効果があるのは『真実のキス』だけだけどな。お前からチューするなら、こう言ってるのと同じだ。――――『耕太郎さん、あなたこそ運命の相手ですっ』て」

「し、しませんっ! しませんったら! もう! もう!」

「はははっ、真っ赤じゃないか。今更何を恥ずかしがってるんだが。人ん家の暗がりでイチャイチャしてた癖に」

「やっ、やめてください、誤解を招く言い方はっ」

「ホラー映画なら開始5分で死んでたな」

「吸血鬼の言っていい台詞じゃねーですよ」



「しかし丁度良かったな。練習台が8つもある」

 アナさんはあんみつを指して、よく分からないことを言いました。

 首を傾げる私に続けます。

「ん? 知らないか? サクランボの茎を口の中で結べると、キスが上手いって。昔テレビでやってたぞ」

「もう! 発想が全部古いんです、あなたは!」


 不良店員を追っ払います。

 これでやっと落ち着いてあんみつが楽しめるというもの。

 ふと、サクランボが目に付きました。

 …………いやいや、バカらしい。食べ物で遊ぶなんて、そんなことは……。


 ・


 ・


 ・


「んぇ……、難しいですね、意外と」

 舌先に乗せたサクランボの茎を確認して、思いました。

 かなり捏ね回したはずなのに、全然全く、よじれてもいないのです。

 これを結ぶだなんて、牛のような舌の持ち主でもなければ不可能でしょう。

 ――――などと考えていると、横から視線を感じました。

 アナさんがニヤーと目だけで笑いながら、こちらを覗いてるのです。


「うっさいですね……」

「まだ何も言ってないぞ。まだ」

「ほらほら、行ってください。サボリはダメですよ」

 着物をUターンさせ、背を押して追い出します。

 その最中、帯からパサッと、二つ折りの紙が落ちました。


「ん?」

 アナさんが拾って広げ、その内容に眉根を寄せたようでした。

 ぴっ、ぴっ、と千切ってしまいます。

「……え。それ、なんです?」

「なんでもない。ただの悪戯だ」

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