うそつき

「どうでした? 初めて化け物を目にした感想は」

「安心したよ。皮肉を言う元気はあるのだね」


 公園の施錠された休憩室の裏で、声をひそめて喋ります。巡回するパトカーと検問を避けてここに辿り着いたのです。全員が化け物かどうかは分かりませんが、先程の二匹を見た後で接触する気にはなれません。……それに、緊急避難とはいえノーヘルですし。寝間着ですし。


 くしゅっ、と、くしゃみすると、そっとライダージャケットを羽織らされました。

 モコモコした裏地は既に体温をたっぷりを含んでいて、寝起きの布団の中のような、誘惑的に優しいぬくさが地肌を撫でます。体の震えが少しだけ治まりました。


 しかし騙されてはいけません。彼はこんな夜更けにグールの動きを監視していた超弩級の変態的オカルト狂いなのです。まともな人間のやることではありません。

「酷いな。大きな動きがあったらアラームが鳴るようにしてただけだよ。先日、初動を見逃したからね」

 彼はタブレットで検問のないルートを調べながら答えました。

「似たようなものじゃないですか。しっかり寝ないと体に悪いですよ」

「だったら我輩も言わせてもらうが。キミとて体に良くなかろう、下着で寝るのは」

「な……っ、下着じゃありません! こういうパジャマです! ちゃんと見てください!」

 ジャケットを開いてみせると彼はぎょっとしてそっぽを向いてしまいました。……なんですか、その、まるで私が恥ずかしいものを着ているかのような反応は。失礼な。中学生でもあるまいし、大人の女性はこういうものを着るものなのです。母だって着ています。普通です。普通ですよね? ……おかしいですか?


 ……彼の反応のせいで急に変な汗が噴き出します。暑くてジャケットなど着ていられませんが、今脱いだら間違いなく風邪をひくでしょう。仕方なしに袖を通してジッパーを閉めます。

「……部長のすけべ」

「あ、芥屋さんが勝手に見せてきたんですよ?!」

 そして、なんだか気恥ずかしい沈黙が流れました。


「……あの、耕太郎さん」

「なんだね?」

「どうして私の家の場所、知ってたんですか?」

「…………」彼は黙したまま、何も答えません。

「……も、もしかして、昔送り届けたこと、覚えてて……?」

 彼はそっぽを向きました。それが答えでした。

「い、いつから!? なんで黙ってたんです!?」

「いや、キミが隠そうとするから。いじらしくてね。協力してやろうと……」

 ジャケットの中がカァッと暑くなりました。

 彼の服をわなわなと握り締めます。

「じゃ、じゃあ、あれもこれも! 全部! 分かっててわざと――――!?」

「バレたか」

 そう言って意地悪に笑うのです。

「よ、よくもっ! 私のこと、からかって……っ!」

「キミだってバカにした。お互い様だろう?」

「くぅぅぅ……っ! もっと優しい人だと思ってました!!」

「昔のキミは大胆だったな、『お兄さん、私が16歳になったら』――――」

「――――あああああっ?! 言うなっ! 言ったら酷いですよっ!?」


 取っ組み合ってるところにサイレンが響きました。二人して竦み上がります。

「……一度、我輩の居城に戻ろう」

 彼は自分のハーフヘルメットを私に被せながら、そう呟きました。


   ◇


 250ccの白いバイクは力強い走りを見せて、暗い夜道をグングン進みます。

 行き交う人も車もありません。そのようなルートを選んでいるのです。

 ぼんやりとした初夏の星空、点在する街灯が流れ星のように後方へ流れていきます。


 田舎から見たら都会で、都会から見たら田舎、私達の街はそんな感じです。

 いわゆる地方都市。港を有した臨海部は急速に再開発が進められていますが、そこから離れると一気に田舎の風情が出てきます。

 私達が走っているのはそんなところ。

 なだらかな裾野に広がる疎らな住宅地を、風を切って進みます。


 目の前に見える山の頂上には、そのむかし、お城が建っていたそうです。

 鬱葱とした森と切り立った崖、そして豊富な湧水を擁するあの山は、守りやすく攻めづらい天然の要害で、内外に張られた罠は万を超え、あの家康公も軽々に手を出せなかったと、以前『私達のヨモギ野市』という記事の中で書いた覚えがあります。


 そんな難攻不落のお城も今は城址だけになっていて、小学生が毎年ハイキングコースに設定しています。蒼然たる石垣も、彼らにとってはお弁当を広げるのに丁度良い椅子でしかありません。気安いものです。

 一度崩れた牙城なんていうのは得てしてそんなものなのかもしれません。


「部長、風、冷たくないですか?」シャツ姿の彼に声を掛けました。

「んん? ああ、問題ないぞ。我輩は鍛えているからな」

「どこをどう鍛えてるんですか」ひょろひょろの体を見上げて言います。「嘘は駄目ですよ」

「心を鍛えているのだ。心頭滅却すれば火もまた涼し」

「寒くなってるじゃないですか」

 私が呆れると、彼は返事代わりにクシャミを一つ。

「仕方ないですね」自分の体を懐炉に見立てて、寒そうな背中に張り付きました。「私が暖めてあげます」


 彼の肩がビクンッと跳ねて、しかしそれから徐々に小刻みな震えは収まっていきました。

 思いついてやってみましたけれど意外と恥ずかしい。

 でも部長の照れた気配は背後から一方的に分かるので、なんとなく勝った気分になります。

「……はっはっは。殊勝な心掛けではないか、芥川君」

「あ、可愛くない反応ですね。……さては無理してるでしょう?」

「……小動物に懐かれた程度で、心を乱す我輩ではないよ」

「ふーん。それにしては心臓の音、早くないですか? 心頭滅却できてませんよ?」

 彼の背中に耳を付けてやります。この体勢は圧倒的に私が有利なのでした。

「我輩は元々、そうなのだ」

「……これが平常時?」

「無論」

 トクトクトク、と。

 彼の心臓はやや早いペースでビートを刻んでいます。


「……部長は、どうしてそんなにオカルトを見たがっていたのですか?」

「何だね、藪から棒に」

「いえ、この状況で会話したら、嘘ついても分かるかな、と思いまして」

「我輩を実験台にするんじゃない。全く」

 それから少し走って、彼は言いました。

「……でもそうだね。芥川君には話しておこうかな。――――僕には好きな女性ひとがいまして」

 えっ、聞いてませんよ? なんですか藪から棒に。あまりにも急な告白に言葉を失っている私を置き去りにして、彼は続けます。

「彼女には妖怪が見えるらしくてね」

 ……そんな不憫な方が。

「幼い僕の願いに付き合って、あちこち連れ回してくれたんです」

 ……中身が子供の自覚あったんですね。

「僕には何も見えなかったけれど、楽しかったです。新聞部の活動は」

 ……、……それ、該当者1名しかいませんよね? こ、これって、あれじゃないですか? そういう意味ですよね? 迂遠にやろうとして直球になってませんか? 吊り橋効果なんて効きませんよ? 大丈夫ですか? いまどんな顔で喋ってるんですか? こっち向いてください。……あ、やっぱいいです。前見てください。運転中ですもの。こっちを見てはいけません。……頭の冷却が必要です。落ち着きましょう。すー、はー。私にも選ぶ権利という物があります。仮にですよ。ここでノーと言ったら、この後どうなるんですか? ギクシャクしたままお家に招かれるんですか? それともここに置いてけぼりですか? 断る選択肢がありません。全く酷い人です。一択しかないなら仕方ないというか消去法というか――――。


「だから新聞部に入ったんです。僕も彼女のように妖怪を探そうと思って」

「……えっ? 何? 何の話ですか?」

「オカルトを見たがってた理由の話ですが……」

「好きな女性ひと、というのは……?」

「昔、近所に住んでいた蓬ヶ丘高校の先輩です。8個ぐらい年上くらいかな」

 ……な、なんだよもう! わざとか!? わざとですか、このやろう!

「子供の頃の僕は周りの子を見下してまして。今思えば幼稚というか、感じの悪い子供だったんですけど。一人で機械弄りしてることが多かったんです。彼女はそんな僕にしつこく絡んできてね、ある日、魔法を見せてくれたんです」

「……魔法、ですか?」

「そう、魔法。彼女は魔法使いで、これは秘密のことなんだって。……あ、もう時効だといいんですが。……芥屋さんが見たら、きっと手品って言うと思います。……ともかく、僕にとっては曽祖父以外に尊敬できる、初めての生きた人間でした」

「それから、どうなったんです?」

「彼女が妖怪を退治した武勇伝を聞いたり、新聞部の活動に無理やり付いて回ったり、楽しかったですよ。……、妖怪は見られませんでしたけど」

「……部長は、今でも、その……好き、なんですか? 彼女のこと……」

「好きですよ。憧れです。あの人のように快活に振る舞えたら、格好いいな、と」

「ふ、ふーん……。……8つ上なら、今26歳ぐらいですね。……もうご結婚されていたり?」

「さぁ、どうなんでしょう。大分前に引っ越してしまって、それっきりですから」

「……そうなんですか。寂しいですね」

「今はもう、自分の新聞部がありますから。オカルト探しは僕にとって楽しいことだったんです。見えても、見えなくても。……それが、こんなことになってしまって、ごめんなさい」

「え、いや、あの、それは……。私もその、助けてもらいましたし……」

 もにょもにょもにょ、と彼の背中に声を押し込みます。

 ――――やっぱり納得いきません! 彼のことは百万回ぐらい助けてますもの! それでお礼言われたことないんですよ! 一回も! 彼には見えてないから! 私だけがお礼を言うのはおかしい! だからこれは、今回のこれは、トントンです!


「……ところで芥川君。実験はできたかね?」

「実験?」

「我輩の嘘を当てるんだろう?」

 私は、はた、と気が付きました。

「――――今の話、全部嘘なんですか!?」


 彼は背中を揺らして、くつくつと笑うのでした。

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