111 放課後、学園では


 真也がなるべく他人に迷惑をかけないようにそそくさと教室を出た後、レイラは首をひねりながら真也の席を見つめていた。


「……なんだった、んだろう」


 今日の真也はどこかおかしかった。自分を避けるように行動していた。

 胸元を……ブラを見られたことで、感情のままに『バカ』と怒ったことは良いことではなかったかもしれないが、その後、これほどまでに避けられるとは思わなかった。


「……明日、謝ろう……かな」


 レイラは真也の机に、すっと指を滑らせる。

 自分は『被害者』だったが、別に真也が『加害者』だったわけではない。


 それにもかかわらず、バカと言って会話を打ち切ったのはやりすぎた。

 こちらから謝ることに納得できるかと言われれば、納得はしかねるが……それでも、真也に避け続けられるのは、レイラにとって苦痛だった。


 口下手な自分が、彼にしっかりと謝れるだろうか?


 レイラは、どのような言葉が一番良いかと考えを巡らせる。

 頭の中にぽつぽつと謝罪の言葉の候補が出てきた頃、1ーAの教室が、けたたましい音とともに開かれた。


「押切先輩! いますかァ!!」


 爆音といっても差し支えない音とともに教室に大声を響かせたのは、まひるだった。

 急に飛び込んできて大声を出す中等部の少女に、クラスが固まり、そして小さくざわめく。


「……まひる、どうしたの?」


 ドアの音もそうだが、普段のまひるとはあまりにも違うその様子に驚き、レイラはまひるに声をかける。


「レイラさん! 押切先輩は!?」

「……ボクに何の用? 間宮妹」


 丁度帰ろうとしていたのだろう、カバンを背負った伊織がまひるとレイラの元にやってきた。


「押切先輩、この後、おひまですかッ!」


 まひるの言葉は丁寧だったが、その声には明確な怒気が含まれていた。


「え? 別に用事はないけど」

「なら、ちょっとラウンジまでお付き合い願います!!」

「……私も、行く」


 まひるの怒り心頭といった様子に、レイラは提案する。

 何か喧嘩にでもなろうものなら……仲のいいまひると、そして最近少しづつ話すようになった伊織が仲違いしてしまうのはレイラにとって喜ばしいことではなかったからだ。


「レイラさん……」

「まひる、構わない?」

「まって、ボクは構う。レオノワが来るとか以前に、なんで間宮妹とわざわざラウンジまで行かなきゃいけないわけ?」


 伊織の、心底めんどくさそう、と言わんばかりの言葉にまひるが噛み付く。


「今日のお昼、私のクラスメイトがお兄ちゃんと押切先輩の……お、おひ……『あるもの』を見かけたと聞きまして!」

「ああ、アレか」


 真也にお姫様抱っこをさせたのを多くの生徒に目撃『させた』伊織は、まひるがわざわざ一年棟まで殴り込んできた理由を察する。

 伊織は異能の耳によって、以前からまひるが真也に対して兄妹以上の想いを抱いていたのは気づいていた。兄に近寄る者に対しての、攻撃反応だろう。


「ちょおっと、お話を窺えれば、と!」

「ふん、構わないよ。その話題なら、もう1人、一緒にラウンジに来てもらう必要があるな」


 伊織は、ぐるりと視線を回す。


「ふぇ!? ななな、なんですかぁ!?」


 どう見ても『厄介ごと』の匂いしかない案件に自分が投げ込まれた美咲は、恐怖の面持ちで3人を見返した。




 アンノウンのラウンジに集まった4人はテーブルを囲むと、まひるがレイラと美咲に今朝のことを説明し、それに伊織が補足を加える。


「獅子座で、B型、だから……?」


 話を全て聞いたレイラは、脱力しながら真也がラッキースケベを繰り返した原因とされた内容を呟く。

 それに対して、同意の眼差しを向けながらも、伊織は笑いかけた。


「って、間宮は言ってたよ」

「そ、そんなことって、あるんですねぇ……」

「非科学的……」

「でもまあ、現実には、さっきボクが話した内容が実際に起きたわけだし。

 日ごとの占いなら、明日には普通になってるんじゃない?」

「うむむ……そんな理由で?」


 釈然としないレイラは、自分の胸をぐっとつかむ。ふにゅり、と揺れた胸には、今日真也に目撃された白いブラがつけられていた。


「それで、ですね。なんで押切先輩がお姫様抱っこされてたのか、って話ですよ!」

「占いの結果じゃない?」

「押切先輩、男ですよね!?」

「ま、そうだね。……見た目は女っぽいからじゃない? なんでかなんてボクが知るわけないだろ」


 指摘を聞き流す伊織に、まひるはさらに詰め寄る。


「そこに押切先輩の意図はなかったんですかねぇ……?」

「まあ……あ、そうだレオノワ」

「なに?」

「ボクがこの話したこと、間宮には内緒にしといてくれる?」

「別に構わない」

「さんきゅ」

「まって、何その密約!」


 伊織はまひるに『レイラにラッキースケベを黙る代わりにお姫様抱っこさせた』という事実にたどり着かれる前に、話題をそらす。


「で、そんな理由でボクを呼び出したわけ?

 妹なのに、えらく過保護だね? どうでもいいけど」

「だって、変な噂が流れたら、押切先輩だって困りますよね?」

「……ふん」


 伊織の耳には、彼女の持つ感情が聞き取れ、そしてそれは、自分に向けられたものではなかった。

 真也を取られるかもしれない『不安』、そして『怒り』。


 言葉はうまく選んでいたが、その本心は『お前は、真也を狙っているのか』一色だった。


 そこまで把握した伊織は、まひるに対して答えを返す。


「別に。他人がどうこう言おうが関係ない。ボクは、もう他人に振り回されるのはヤメにしたんだ」

「……そうですか。それについては、おいおい話し合いましょう」


 伊織は、今までと打って変わって冷静なまひるに、彼女が的確に自分の言葉を理解したと把握する。

 あまりにも冷静すぎて不気味なほどだったが、伊織の知る限りかの少女の頭脳の回転と並行演算の素早さは、その異能が示している。


 淀んだ目の奥では、いったいどれだけの思考が渦巻いているのか。伊織が自分の耳に集中したその時だった。


「っていうか!」


 ばん! とテーブルを叩いたまひるは、『普通の少女』の様子で、今度は美咲へと噛み付く。


「喜多見先輩も電車の中でそんなことしてたんですか! 持つ者の特権ですか! おっぱいはパワーですか!!」


 急に自分に矛先の向いた美咲は悲鳴をあげる。


「ひっ、ひゃぁ!? すすす、すいませぇん!」

「まひる、おちついて。意味がわからない。おっぱいはパワーって、なに?」

「ぐるるるるる……」


 まひるは唸りながら、目の前の巨大な胸をにらみつけ、自分の胸を掴む。掴むというより、摘む。


 混沌とした場を落ち着かせるため、レイラは席を立ち、まひるの頭に手を置く。

 急に動いたレイラに、まひるは「ぐる?」と半分獣のような状態だったがレイラに注目する。


「それよりも、この後。もしも、占いのせいと、仮定、すれば……いや、馬鹿らしいとは、思うけど」


 オリエンテーション合宿でも発揮した、小隊長向きのレイラの性格。それは、不確かなことや過去のことに引っ張られずに、未来を見て行動するというもの。



「日刊占いの場合。帰宅後、まひる、辱めを受ける可能性が、ある」



「辱め、って。レオノワはっきり言うね」

「……なら、被スケベ」

「被スケベ」


 あまりのセンスに、伊織は鸚鵡返しに呟いた。


「……被スケベ、避けるためにも、まひる、避難。私の家に」


 レイラの提案に、まひるは驚く。


「そ! それは……悪いし……帰るよ?」

「ダメ。今日はうちに、泊まりに来て」

「え、そんな、悪いから! 大丈夫大丈夫っ! むしろ困る! 被スケベ、問題ないから!」

「困らない。問題ある。私は構わない。来て」

「行くべきだね」

「そのほうが、いいと思いますぅ……」


 3人全員一致の答えに、まひるはたじろぐ。


「うっ……私、枕変わると眠れないんで……」

「言い訳下手か」

「そ、それよりも! 今後についてです!

 お昼休みに、学校内の本屋さんで雑誌を買いました! これにも、占いが載ってるんですよ! 朝のニュースの占い担当の人と同じやつ!」

「すり替え下手か」


 伊織の容赦のないツッコミにも、まひるは言葉を止めなかった。


「そ、それで、5月の占いにはこうあります!」


 さすがに、ここまでくると、3人ともまひるの次の言葉を待つ。

 それは、占いの内容が気になるというのもあったが、それよりもまひるの必死さに3人が折れた結果だった。


「獅子座、9位!」

「微妙に悪いな」

「微妙に悪いですねぇ……」


 まひるは、こほん、と咳払いをして占いの内容を告げる。


「人生が変わるような、大問題が起こる可能性あり!」

「な、なんでしょうか……人生が変わる、ってぇ……」

「ある意味今日のことで人生狂ってる感あるけどね。一位の結果だけど」

「それですむなら、いいですけど……お兄ちゃんが心配で……」

「5月で、っていうと、選挙ですかぁ?」

「文化祭の準備、5月から。そこで、何かあるの……かも」

「でも、文化祭自体は6月でしょ、関係ないんじゃない? っていうか、まじめに占い考察するのやめない? 馬鹿らしい……」


 伊織が疲れたように、ぼそりと呟く。それと時を同じくして、ラウンジの奥の扉が開いた。


 中から出てきたのはアンノウンの隊員の1人であり、苗の同級生である、ルイスだった。


 運動しやすそうなタンクトップ。大きなタオルを肩から羽織っている。先ほどまで体を動かしていたのだろう、全身が汗によって湿り、光っていた。ルイスは大きな雄牛の意匠が踊る顔をタオルで拭きながら、3人に声をかける。


「おや、皆さん、どうされたんですか?」

「レンバッハ先輩!」

「いたんですね」

「ええ。私の強度でも利用可能な器具がここにしかないので、奥のトレーニングルームで鍛錬を」


 ルイスはエンハンスド9という強大な身体能力を持つ。

 そのため、彼がトレーニングを行うための器具はエンハンスド異能者専用のものでなければ実用に足りない。

 特殊性ゆえに学園には設置がなかったが、アンノウンのラウンジには、他でもない彼のために器具が用意されていたのだった。


 ルイスはまひるの姿を認めると、思い出したように口を開く。


「そういえば、間宮さん、苗さんの選挙補佐してくださっているとか」

「は、はい!」

「同じ2ーAから3人、会長候補が出ていますから、私のクラスからは誰も選挙補佐をしないということになってまして。

 お手伝いできなくて申し訳ないですが、苗さんをよろしくお願いします」

「い、いやー、そんな……頭を下げなくても……」


 邪な気持ちで選挙補佐に参加したまひるは、ルイスのまっすぐな言葉に視線をそらす。


 ルイスは頭を上げると、(ほぼ)女性陣が囲むテーブルの上に置かれた雑誌に気がつく。


「ん? 占いですか?」

「はい」

「ふむ、良ければ私は何位でしょう? 獅子座なのですが……」


 獅子座、という言葉に反応し、その場にいた全員が動く。胸元を抑え、スカートを抑え、一挙手一投足をも見逃さぬという瞳に貫かれたルイスは、なぜか自分が変質者になったような錯覚を覚え、無意識に一歩下がった。


「……どうかしましたか?」

「いえ、なんでも、ねい、です」

「ねい? いや、なんでもなくはないご様子ですが……」

「ちなみにレンバッハ先輩、血液型は?」

「Aマイナスです」


 ルイスの血液型がBではないとわかると、4人はそれぞれ、少しづつ警戒を解く。


「あ、レンバッハ先輩、9位ですよ今月」

「微妙に悪いですね」


 伊織に告げられた順位にルイスは冗談交じりに顔をしかめて、言葉を続ける。


「そういえば、苗さんも獅子座なのですが……選挙に響かなければ良いですね」

「え?」


 ルイスの言葉に大きく反応したのはまひるだった。


「苗先輩の、血液型は……?」

「日本の方は、本当に血液型占いがお好きですね。……苗さんはBプラスですね」

「獅子座のB型ぁっ!?」

「ま、まひるさん? どうかされましたか?」

「今日、この後、お兄ちゃん苗先輩と稽古って……」

「そ、それは、ヤバい組み合わせですよぅ! ヤバい足すヤバいですよぅ!!」


 まひるの混乱が美咲へと伝わり、慌てふためく2人に伊織がため息をつく。


「っていうか、どんだけ獅子座多いのさウチの部隊」

「私、いく!」

「まひる、ダメ。今日は私の家に」


 レイラは、真也の元へ駆け出そうとしたまひるの首筋をつかみ、動きを制する。

 肉体強度で劣るまひるは、ジタバタと体を動かしながら、それでも抜け出すことはできなかった。


「い、いやだぁー……このままじゃお兄ちゃんが! お兄ちゃんと苗先輩が! くんずほぐれつぅ……!!」

「くんずほぐれつ、ってはじめて口語で聞いたよ。……間宮妹って、意外と耳年増?」


 逃げようとするまひると、抑え込むレイラ。焦りながら、それでも動けない美咲に、ニヤニヤとしながら、まひるの行く手を阻む伊織。


 騒がしい女性(?)陣を側から見るルイスは、完全に置いてけぼりだった。

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