108 男子高校生的に割とラッキーな1日の結末


「間宮……これ、は……」


 ぎり、と光一が奥歯を噛む音が聞こえた気がした。みるみるうちに眉が釣り上がり、鋭い眼光が真也を貫く。


「ひぃっ!?」


 真也は光一の形相に恐怖し、目を瞑る。次の瞬間、真也の周りに黒い棺の盾が浮かんだ。


 急に現れた黒い大盾に光一は少し驚いたように目を見開き、そしてため息をつく。


「……そう怯えるな」


 真也は恐る恐る目を開けると、そこにいたのはいつも通り冷静な表情の光一だった。


「別に攻撃せん。しまってくれるか? これでは道場に入れん」

「す、すいません……」


 こんこん、と光一は真也の盾をノックするように叩き、真也は急ぎ異能を解除する。


「……見たのか?」


 短い言葉。『何を』見たのか明言していないものの、真也は一瞬で何のことを言っているのか理解した。


「その、すいません、まさか苗先輩が着替えているとは知らずに入っただけなんです……」

「そうか」


 冷静さを取り戻した光一は、後ろ手に戸を閉めながら道場へと足を踏み入れ、光一は冷静な口調で短く返すとそのまま道場の戸の鍵を閉める。


 小さな「カチャリ」という鍵のかかる音は、真也にとって絶望の音だった。


「……それで、なぜ抱きついている」


 光一の言葉に、苗がびくりと体を震わせる。

 蛇に睨まれた蛙のように身動きができなかったのは苗も同じだった。


「あ、あの、その、肌を見られては、逃すわけには、と……」


 『肌を見られた』。苗の言葉に、真也は固まる。

 九重家は家の雰囲気や、光一、苗の様子から古風な一族に思えた。そんな家の娘の裸を見てしまったのである。


 しかも、その様子を光一に見られてしまった。


 真也で言えば、家に帰ってみたらまひるが下着姿で透と抱きついていたようなものだ。

 想像の中ですら、その様子に真也は殺意を抱き、そして同時に、今自分がおかれた状況に恐怖した。


 一方の光一は話の途中には歩み出し、指でメガネをずり上げて眉間を揉みながら、道場の壁側に荷物を降ろす。


「そういうこと……にしておこう。もう、そういう理由以外の言い訳は俺も思いつかん」


 冷や汗を流し、苗に抱きつかれている状況に別の意味で危機を感じていた真也に、光一から声がかかる。


「そんなに身構えるな。ちゃんと説明する。間宮にはいずれ教えようとは思っていたからな。

 ……それが、このような形になるとは思わなかったが」

「は、はあ……」


 とりあえずは、すぐさま問題にならなそうだと感じた真也は、胸をなでおろす。


「それよりも、苗」


 真也に声をかけた時とは違う、辛辣な声が光一から発せられ、苗が真也に回した腕の力が、少し強まる。

 そして、苗の腕が少し震えているのが真也の体に伝わってきた。


「は、はい」

「いい加減に抱きつくのをやめて服を着ろ。あと、二度と道場で着替えるな」

「……はい」


 ここに来てようやく、苗は真也からおずおずと離れ、服を着始めた。


「少し、電話する」


 光一はそう言うとポケットからスマホを取り出し、どこかに電話する。

 真也は、その先が警察署や、弁護士でないことを祈った。




 3人は、稽古するどころの空気ではなくなり、道場の中央に座していた。


 苗は道着へと着替え、光一の横に座り、それに相対するよう、真也は縮こまって正座した。


「さて、どう話したものか」


 口火を切った光一に、真也は責められる前に謝るべきだと大急ぎでまくし立てる。


「あ、あの、本当にすいませんでした!

 ちがうんです! 占いのせいなんです! 占い……いや、その悪いのは俺なんですけど!

 でも俺は、その、いやらしい感じで覗いたとかじゃなくてですね! ほんと! 偶然なんですよ!」


 いまや殺生与奪を握る光一に必死に弁明する真也。光一はメガネをカチャリとあげると、一言だけ返す。


「それはもういい」

「ですよね! ……え?」


 真也は思いもよらぬ光一の言葉に唖然とする。


「苗が道場で着替えていたのだろう? それをたまたま間宮が見た。

 間宮の非は、道場に入る前に声をかけなかった点くらいか? しかし、そのような事、普段はせんからな」

「はい……今回のことは、全面的に私に非があります……申し訳ありませんでした、間宮さん」


 苗は意気消沈ぎみに、光一の言葉に同意した。

 たしかに、現実起こったことはそうだろう。

 しかし、女性の体を見てしまった、というのはそういった『仕方ない要素』があったとしても、それでも気のいいものではないはずだ。


 真也は苗の謝罪の言葉に、ぶんぶんと腕を振って応える。


「い、いえいえいえ、俺は何もそんな、謝られるようなことは!

 いずれにせよ、その、女性の着替えを見てしまいましたし、しかもその……変なことを……」


 苗の着替えを見たこともそうだが、真也にとって一番の問題はガン見からの「綺麗だ」発言だった。


「変なこと?」

「い、いえ! 兄さん、特に何もありませんでした!」


 疑問から眉をひそめる光一に、苗が割り込む。

 流石に痴態を広げていた内容に足を踏み込むのを躊躇したのか、光一は一つ咳をすると、それ以上その点には触れなかった。


「そうか……、ならば、本題に入ろう。

 ……まず、今から話すことは、決して口外しないでほしい」


 いつになく真剣な様子の光一に、真也は無言で頷く。光一は真也の真剣な表情を認めると、言葉を続けた。


「まずは、見てもらったほうが早いか」


 光一はメガネを外し、左目を触る。瞳に触れていた手が退く。


 その下には、縦に長い瞳孔の、金色の瞳。


 威圧感すら感じる瞳が、真也をじっと見つめる。光一の手には、カラーコンタクトが乗っていた。


「え……」

「この目を見て貰えばわかると思うが、俺も苗と同様に、蛇のエボルブドだ」


 光一はそう続けながら、もう一つのカラーコンタクトも外す。

 両方が金色の瞳となり、エボルブドらしい、人から『進化』したような差異が顕著に感じられた。


「代々九重家は、蛇のエボルブドの家系なのだ」


 そのまま光一が道着の上着をはだけさせると、光一も苗と同じように、脇腹に沿って蛇の鱗が走っていた。


 異能の中で、「エボルブド」の才能は遺伝しやすいと、真也は学んでいた。

 しかし、いくら遺伝しやすいからといって、本来はオーバードに覚醒する確率自体が低い。

 そして、覚醒した上でも、誤差数パーセントから10数パーセントで、親と同じエボルブドになりやすいだけなのだ。


 この世界に少しずつ慣れ、知識を得ていた真也は九重兄妹の『2人共がオーバード』であり、『同じエボルブド』であることに驚いた。

 まひると真也のように、兄妹ふたりともがオーバードであることすら珍しいのに、それよりも、この九重兄妹は珍しい存在だった。


 真也の驚きを意に介さず、光一は言葉を続ける。


「このように、体の一部に鱗を持ち、鱗部分は脱皮もする。

 しかし、蛇の部分を隠し、瞳の色を誤魔化せば、エンハンスドのオーバードと何も変わりはない。

 これは一門でもごく限られた者にしか知られていない内容でな。

 あとは……九重家と交流の深い一部の官僚たちくらいか」

「そう、なんですか」


 光一の蛇の体をまじまじを見ながら、真也は相槌を打つ。

 苗は、真也が特になんとも思わない風に蛇の肌を見ていることに少し驚き、同時に少し顔が赤くなったが、真也はそれに気づくことはなかった。


「でも、なんで秘密にしてるんですか?」

「……我々は、毒を作り出すことができる」


 別に、蛇のエボルブドで、それを隠せるからといって秘密にしておく理由にはならないだろう。真也はそう思い疑問を呈したが、それに対する光一の言葉は、衝撃的なものだった。


「毒……」


 真也がぼそりと呟くのと、光一の携帯が鳴ったのは、ほぼ同時だった。


 メッセージを確認した光一は立ち上がり、道場の戸へと向かう。


「九重先輩?」

「これ以上先は、私からは話せん。九重家にとって、『蛇のエボルブド』であることは、秘中の秘なのだ。

 ……だからこそ、来てもらった」


 光一は道場の戸の鍵を開け、扉を引く。


 戸の向こうに立っていたのは、引き締まった肉体に上等そうな紺の着物をまとった、精悍な顔つきの40代ほどの男性だった。光一に似た目で、真也の本質を見抜くかのようにじっと見つめている。


「……君が、間宮真也くんか」

「は、はい」


 低く、それでいて透き通るような声に、真也は無意識に、ほぼ反射で言葉を返す。

 一瞬にして、男の持つ荘厳な空気に飲まれていた。


「初めてお目にかかる。私は、九重衛護(ここのええいご)。光一と苗の父であり、現、九重家当主だ」


 真也をじっと見る九重衛護の瞳は金色に輝いており、彼もまた、蛇のエボルブドであることを示していた。

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