103 苗からのお願い(下)


 昨日の苗からの言葉を反芻しながら、真也は光一の背を見送る。


「生かされている……か」


 複雑な家庭環境という言葉で片付けるには恐ろしすぎる言葉だった。

 真也が頭を悩ませていると、不意に背中に衝撃を受ける。


「……うわっ!?」


 驚いた真也が振り返ると、そこにいたのは妹のまひるだった。


「こらー! お兄ちゃん! パンフレット全然配れてない!」


 真也よりもかなり少ない量のパンフレットを手に、まひるはわかりやすく口をすぼめて怒っていた。こういう時のまひるは本当に怒っているわけではないことを真也は知っていたが、それでも一応申し訳なさそうに口を開く。


「ごめんごめん」


 真也がまひるの手元を見ると、最初は同じ量を渡されていたはずだが、まひるは持ち前のコミュニケーション能力を発揮し、次々とパンフレットを配っていたようだった。


「もー、お兄ちゃんが苗先輩の手伝いする、って言ったんだよ? 頑張って!」




 昨日の稽古の後にまひるに翌日から生徒会選挙の手伝いをすると伝えたところ、まひるはわかりやすく眉をひそめ、『……まひるもいく』と不服そうに口を開いたのだった。


 真也はその旨を苗にメッセージし、苗からは『構いませんが、間宮さんにお手伝いいただくだけで十分です』といったメッセージが返ってくることになる。

 まひるにメッセージの内容を伝えると、まひるは苗の電話番号を半ば無理やり真也から聞き出し、長電話ののちに『参加権を勝ち取った』と真也に告げてきたのだった。


 『勝ち取る』の意味はよく分からなかった。


 怒っているというよりも、『ダメな子』を見るような優越感を伴った表情でまひるは手を伸ばす。


「もー……私が半分もらうね!」


 まひるはそう言うと、真也の手にあるパンフレットをごっそりと持っていった。


「ありがとう、まひる」

「いいよー、別に。まひる、こういうの得意だし!」

「いや、そうじゃなくて、苗先輩の選挙、一緒に手伝ってくれて」

「……いいの、私がやりたくてついてきただけだし! お兄ちゃんは『まひる』がついてないと、何にもできないんだから!」

「うっ……」


 兄として言い返してやりたかったが、パンフレット配りすらうまくこなせない真也は口をつぐむしかなかった。


「それにまひる、お兄ちゃんと登校が別になるのも寂しいもん。……さ、がんばろ? お兄ちゃん」


 にっこりと微笑むまひるに、真也は微笑み返して頭を撫でる。


 自分のわがままについてきてくれたことも嬉しいが、中学生ともなれば『反抗期』というのが訪れるはずだ。真也はそれをぶつける相手がいなかったこともあり実感はなかったが、まひるはそんな様子なく、「お兄ちゃん」「お兄ちゃん」、と自分を慕ってくれる。


 本当の兄妹でなくとも、それでもまひるは、真也にとってかけがえない家族に思えた。


「ほんと、ありがとな。まひるは最高の妹だよ」


 真也の言葉に、まひるは驚いたような顔になり、その後頬を真っ赤にして満面の笑顔をうかべる。


「えへへ。褒めてもなんも出ないよ?」


 まひるは恥ずかしそうに体をモジモジとさせながら、それでも笑顔を真也から背けることなく告げた。


「いや、むしろ俺が何か出すべきだろ? 今日は一緒に帰れるし、どっかでご飯でも食べよっか」

「やった! よーし、もうひと頑張りだ!」


 まひるは嬉しそうに弾み、真也はまひるのおかげで大分少なくなったパンフレットを配ろうかと持ち直した。


「えらくアットホームですね、九重さんの応援陣は」


 再開しようとした二人に声をかけてきたのは、相模満流(さがみみつる)と書かれたたすきを掛けた男子生徒。

 苗と同じ青色の徽章をつけたその生徒は、生徒会長候補の一人だった。


 満流は眉を寄せながら、言葉を続ける。


「選挙活動をされないのでしたら、場所を開けていただいてもよろしいですか?」


 責めるような満流の口調に、真也は内心ムッとしながら、それでも自分たちに非があるために軽く頭を下げる。


「すいません、少し話し込んでしまって……」

「『東雲生であること』。校訓を遵守した方がいいですよ。校門という東雲学園の看板の前で、私語をしないように」


 真也の謝罪を遮り、満流は叱責する。


『東雲生であること』。それは東雲学園の校訓の第1条であり、生徒手帳にも最初に書かれている内容だ。

 入学式で生徒会長の光一が取り上げた内容であり、東雲学園に通う者の第一の指標とされている。


 真也たちと満流の様子に気づいたのだろう、苗が心配そうな表情で彼らの元にやってくる。


「相模さん、何かありましたか?」

「いえ、九重さんの選挙補佐の生徒が選挙活動中に私語をされていたので、九重さんの評判が落ちてはと思い僭越ながら声をかけさせていただいただけですよ」


 満流の口調は丁寧だが、その言葉の節々にはわかりやすいほどのトゲが含まれていた。


「君は……確か中途入学の間宮君だね。いきなりAに入ったとか。やはり、途中からの人間に『東雲生であること』を理解するのは難しいのでしょうね? 私が一年生の頃、九重光一先輩の選挙補佐の時は既に理解できていましたが」

「そんな言い方っ……」

「他意はありませんよ」


 満流の言葉にまひるが口を開くが、真也にした時と同じように満流はまひるの言葉を遮って喋り続ける。


「これは、どちらが優れているとかではないのです。私は間宮君と違って、一年生の頃には既に3年間、東雲にいたのですから。単純にその差でしょう。

 東雲学園に慣れない生徒たちのためにも『純東雲』がきちんとしないと。間宮まひるちゃん、あなたは純東雲なんですから、お兄さんに引っ張られてはいけないじゃないですか」


 満流の言葉に、まひるは静かに奥歯を鳴らす。

馴れ馴れしく『ちゃん』付けされたことも腹立たしいが、なによりも自分の大切な人間……真也をバカにされた。

 今すぐにでも異能を発現し、囲んでぶちのめしてやりたかったが、それをすることで間違いなく真也に迷惑がかかる。その一点のみで、まひるは自分の衝動を抑えた。


 迂遠な話し方をしたのち、満流は苗に向かって『本当に言いたかったこと』を言い放つ。



「中等部の3年生から編入された九重さんも、最初は戸惑われたでしょう?」



 『苗は純東雲生ではない』と口にした満流は、歪んだ笑顔だった。

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