084 密約


 伊織とソフィアはパーティー会場から離れ、薄暗く、ひとけのない一角に居た。


 ソフィアは伊織に問いただす。


「で、ウサギさん。何の用ですの?」


 伊織が、わざわざひとけのないところでソフィアに話があるといえば、一つしか思い当たらない。

 ソフィアは伊織の言いたいことに関して予想はしていたものの、尋ねる。


 伊織は耳を一度周りへ向け、人がいないことを確認してから口を開く。


「作戦中の、私闘についてだ」


 伊織とソフィアの私闘。当たり前であるが、私闘が認められている軍隊など存在しない。


「……報告したんですの?」

「まさか。あんな内容かっこ悪すぎて誰にも言ってない」


 伊織の即答に、ソフィアは心の中で安堵する。

 最初に手を出したのはどちらともいえない状態だったが、先制攻撃はソフィアの異能だった。


「良かったですわ。私としても、素行に問題ありとなると、アンノウンとしての活動に支障が出るかもしれませんし」


 あの場では、自分の邪魔をする伊織を黙らせるべきだと感じた。影で真也に良からぬ噂を流されていると感じ、今後の真也からの評価が下がることに恐怖を感じ、伊織に対して明確な殺意を抱いた。


 しかし冷静に後から考えればあの私闘は、危うい。


 『アンノウン』でせっかく愛する人とともに活動ができるというのに、あのような『些事』で……それを軍に報告されることで、それをふいにしてしまうかもしれないというのは、ソフィアにとっては大きな懸念事項だった。


 ソフィアの安堵の言葉に、伊織はにやりと笑う。


「なら、言っておくべきだったかな」

「お・ね・が・い」


 可愛らしく首を傾け、お願いするソフィアの顔は、一切笑っていなかった。

 伊織はそんなソフィアの様子に一つため息をつき、返答した。


「まあ、いいさ。今後の報告にも、『異能の貸し出しのため、棺に入った』って書いておく」


 伊織がため息とともに伝えた言葉に、ソフィアは目を細め、その奥にある真意を図ろうとする。

 ソフィアにとっては真也以外のことは雑事であるが、だからこそ、変な借りは作りたくなかった。特に、今後も真也のすぐそばにいる人間には。雑事に手間をかけたく無い。


「……この借りは、何かで返した方が?」

「結構だ。……次は、負けない」


 伊織は、じっとソフィアの目を見上げて告げ、ソフィアはその瞳をじっと見返し、赤と緑の目線が交差する。


 その顔から、ソフィアはこの件に関しては二人の間で決着がついたものと判断した。

 散々言い合い、最後にはやりあった相手だけに、その言葉に嘘がないと分かる。


「……では、お話は以上ですわね。では私、一秒でも長くシンヤ様を目に焼き付ける作業に戻りますので」


 伊織の言葉と様子から、ソフィアはこれ以上この話はしなくてもいいだろうと話を切り上げた。

 ソフィアは伊織を残してパーティー会場へと歩き出すが、その背に伊織から声がかかる。


「あと、もう一個」


 ソフィアは動きを止め、背後からの声の続きを待つ。


「もうひとつの方でも、負ける気はないから」


 ソフィアは、先ほどまでの敵意とは違う伊織の言葉の雰囲気に振り返る。


「もうひとつ?」

「お前と違って、ボクはこれからも間宮と一緒に過ごすわけだから、まあ勝負の結果は見えてるだろうけどな」


 振り返った先にいた伊織は、いつものような軽口を言っていたが、その言葉には、自分との勝負の時にはない、別種の真剣さがあった。


「……まさか」


 急に、真也の話を引き合いに出す、もう一つの方の『戦い』……ソフィアは、伊織のいわんとすることを理解した。


 伊織は、ソフィアが自分の言葉を理解したと判断し、言葉を続ける。


「ちなみに、帰りの船は、『二人部屋』だ」

「……殺す」

「おもしろいギャグだ。もう『あの』幻影は効かないぞ? お前が見せる幻影は、ボクの『間宮』じゃ無いってすぐに分かるからな」


 あのときソフィアが見せた幻影は、正しく否定する必要があった。

 幻影は、ごまかしはするが嘘をつかない。

 あの場に現れた幻影に対処するには、『あの場に現れたのは、伊織の好きな間宮真也では無い』と否定しなければいけなかったのだ。

 伊織は、真也に対する思いをごまかした結果、あの幻影を破ることができなかった。


 しかし、もうその手は、伊織には通用しない。


「じゃあな。棺桶女。せいぜい、目に焼き付けるがいいさ。ボクは船の中でも、日本でも見れるから」


 伊織は、ソフィアに対してにやりと笑う。


「今は譲ってやるよ。日本から遠い、とおーいロシア支部の、ソフィアさん? また、アンノウンで会おう。そん時、礼は返させてもらう」


 伊織はソフィアにそう告げると、振り返らずに船へと去っていった。




 ソフィアは、あの幻影を伊織に見せたのは失敗だったとほぞを噛む。


「……はあ。目前の勝利に固執して、このようなミスを犯すなんて……」


 自分が対処すべき人間が、一人増えてしまった。

 伊織がまさか『開き直る』とは、ソフィアには予想できなかったのだ。


「でも、そのおかげで、シンヤ様をお救いできたんですもの。天秤にかけるまでもない、素晴らしい判断でした。

 その瞬間に生きる。それも恋ですわよね。うん。あの性悪ウサギの心を折れば、まだリカバリーできる範囲ですし」


 ソフィアは自分のミスをそう結論づけ、一度満面の笑みを作る。

 今の自分の表情は、愛すべきあの人に見せられる顔ではない。


 ソフィアはいつもより一段高い声で「シンヤ様ー!」と叫ぶと、パーティー会場に向かって走り出した。




 パーティー会場からさらに離れたところ、人気のない埠頭で、ユーリイは呟く。


「……どういうつもりだ? レーリャに手を出すなと言ったはずだが」


 その声は、夜の闇が揺蕩う海に吸い込まれていく。


「どうもなにも。かの少女の異能は、使いようによっては驚異ですから」


 一人しかいないはずのユーリイの背中から、返事が返される。

 どこからともなく現れたのは、春に似合わぬロングコート姿に、目深に帽子を被った男。


 ユーリイは振り向くこともなく、その男性に向かって口を開く。


「話が違うな、プロスペロー」


 名を呼ばれたコートの男、プロスペローは、肩を竦める。


「……あまり、口に出さないでいただきたい。耳のいいのがいるのでしょう?」

「もう、僕の異能の中だ。僕のは音まで消せる」

「そうですか」


 ユーリイは、ゆっくりとプロスペローへと向き直す。

 ロングコートと帽子で肌を隠したプロスペローは、闇夜も相まって殻獣であると傍目にはわからない。


 ユーリイは、普段の役者じみた動きもなく、微笑みをたたえた表情でもない。

 長い睫毛に覆われた瞳が、静かにプロスペローを射抜く。


「レーリャは、予定に入っていなかった」

「『あの子』を拘束できる存在は、仇敵ほどではないにしろ驚異ですから。それに、一人くらい増えても問題ないでしょう?」

「それは、今回でなくても良かったろう」

「今回でも良かったですよ? ……あなたが邪魔をしなければ、十分殺すには間に合った」


 プロスペローがレイラの頭を砕くべく腕を振り上げたとき、それを邪魔したのは異能で姿を隠したユーリイだった。


 叱責するようなプロスペローの声に、ユーリイは言葉を返す。


「お前が僕の指示を守ってくれないなら、僕も今後協力しきれない」


  その声は感情のない、非常に冷徹なものだった。


「協力、ですか」


 プロスペローはユーリイの様子に、少しだけ「ギギ」と喉を鳴らす。


「箱使いがここにきている、という情報は、聞いていませんでしたが」

「……僕も、全てを把握できているわけじゃない。作戦立案の段階で別行動にさせただけ、努力はした」

「……そういうことにしておきましょう。別に有象無象が死ななかっただけというだけのこと。

 しかし、『仇敵』を殺せなかった。女王も一匹無駄にした。『あの子』も連れ帰れなかった。……まったく、今回はツいていない」

「これでレーリャが死んだだけだったら、なにも得られずに、僕の経歴に傷が付くだけだ」

「経歴……裏切る予定の組織の経歴に、ですか?」


 プロスペローの表情はうかがえないが、その声は笑いを含んだものだった。


「経歴に傷がつけば、今後質の高い情報を流せなくなる。

 上層部に取り入って、作戦司令部にすら『なあなあ』で入れてもらえるようになるまで、どれだけの労力を使ったと思っている? その上でアンノウンに抜擢させ、彼の情報を得たのも僕だ」

「……協力には、我々も深く感謝していますよ。全てが済んだ後は、あなたの希望に添うものを提供できますとも」


 プロスペローは舌戦で少年とやりあうのは得策ではない、と話を終わらせる。


「では、私は傷が癒えるまで潜ります。その後、彼を殺します。次こそは必ず」

「レーリャは?」


 ユーリイの言葉に、プロスペローは足を止め、首だけで振り向く。


「……やはり、残しておいて欲しいですか?」

「好きにすればいい。東雲学園の合宿が終われば関係ない」


 プロスペローは、ユーリイの即答にくつくつと笑う。


 プロスペローの目には、ユーリイの感情が逐一見えている。だからこそ分かるのだ。


 先ほどユーリイが少女に対しての発言をした時、全く『執着』がなかったことを。

 先ほどの確認は、少女の身を案じたものではなく、少女の結果に応じて『自分がどうなるのか』という点しか考えていないことを。


 そしてそれは、プロスペローがレイラを殺そうとしたその瞬間に、異能に隠れながらプロスペローの行動を制したときすらも、だった。


「……本当に、あなたはすごい。

 あなたは、何にも執着していない。自分にしか、その興味が向いていない。そのような人間は滅多にいない」


 ユーリイはプロスペローの言葉を鼻で笑い、自虐的な瞳で告げる。


「他人は知らないが、僕はこういう生き方しか知らないんでね」

「だからこそ、我々の側に平然と付く。夕食を決める程度の時間と思考で、人類を裏切る」


 心底愉快そうなプロスペローとは対照的に、ユーリイの言葉は事務的なものだった。


「人類は僕の生活を保障してくれないからね。今得た僕の生活よりもより良いものを提供してくれるなら、相手は誰だろうと構わない」


 その『回答』に、プロスペローは満足したように一つ頷き、短い拍手を送った。


「……では、私は行きます」

「ああ。潜るならこのリストの中から選べ。しばらくは目が行き届かない営巣地だ」


 ユーリイから手渡されたリストを一瞥し、プロスペローはコートを脱いで腕にかける。

 その体はボロボロであり、胴体は半分削れていた。


 しかし、プロスペローは全く痛みを感じさせない動きで帽子を取り、胸にあて、優雅に一礼した。


「恩に着ます」


 プロスペローは、静かに埠頭から飛び立った。




 プロスペローが闇の中に消えていくのを見送ったユーリイは、遠くに見える東雲学園の船を視界に入れる。


「さて、船を見送るか」


 ユーリイはプロスペローの飛び去る方向をじっと見つめた後、埠頭から立ち去る。



 その場には波の音だけが残された。

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