071 来訪(下)


 ユーリイの最後の捨て台詞に真也は怒りを募らせながら、カレーに手をつけようと向き直り、スプーンを潜らせる。


 視界の端に、動くものがあった。


 真也が視線をやると、そこには、備品として持ち込んでいた黄色の雨合羽を着た少女がしゃがみ込み、真也の方を窺っていた。


 伊織と同じか、それより小さな体格。


 真也の目には、まひると同い年くらいに見えたが、それよりも、気になる点があった。


 薄緑色の肌。さらには、ボサボサの緑の髪からは虫の様な触覚が生えている。


 あまりにも見慣れないその色合いも相まって、忽然と現れたその少女に真也は驚く。

 驚いて固まったままの真也に、少女は声をかけてきた。


「……やぁ」


 急にフランクに挨拶され、真也は驚いて返事をする。


「こ、こんばんは」


 言葉をかけられた事で、真也は幾分か少女に対しての警戒心を薄める。そして、同時にあることを思い出した。


 この世界には『エボルブド』という、動物の特徴を持つ人間がいる。


 虫のエボルブド。

 なんて心臓に悪い存在か。


「君は……虫のエボルブド? Fクラスの人?」

「えぼる……ぶどー?」


 真也の言葉に、少女は首をかしげる。

 その様子を不審に思った真也は口を開こうとするが、それより早く、少女の顔が真也の眼前に近づく。


「どこからきたの?」

「え?」

「さっきまでいなかったよね?」

「あー……」


 ユーリイの異能によって存在を認知されていない状態だったため、この少女には、真也が急に現れたように思えたのだろう。


 どう返答するかと真也が思案していると、少女は真也の方へと歩いてきて、真也の横に腰掛け、笑顔を向ける。


「いい、ね」


 にこりと笑う少女は、不自然な髪の毛と肌の色を加味しても、可愛らしかった。


 少女の大きな金色の瞳に真也の顔が映る。


 なにが「いい」のかよく分からず、固まる真也に、少女が言葉を続ける。


「いいニオイ」


 その言葉に、真也は気付く。

 いい匂い。おそらくそれは、カレーのことだろう。


「……あ、ああ、これ? 炊事車のある天幕にいけば、まだあるよ」


 カレー皿を持ち上げて、告げる真也に、少女は笑みを強める。


「ホント?」

「うん。まだ配ってると思うから、貰ってきたら?」

「……ムリ」


 カレーを口に運ぼうとした真也は、まさかの返事に驚く。


「ムリ、なのかぁ」

「うん」


 なぜムリ? と真也は首を傾げながらも、真也はカレーをひと掬いしたスプーンを少女に向ける。


「……なら、これ、食べる?」

「たべる」


 少女はそう言うと、素早く差し出されたスプーンにかぶりついた。


 例えとして差し出したスプーンのカレーをぱっくりと咥えられ、真也は驚く。


「ああ、俺、また後で自分の分貰うから。うん、これ、全部あげるね?」


 真也はスプーンの柄から手を離し、カレーを皿ごと渡す。少女はスプーンを咥えたまま、皿を受け取った。


 少女はスプーンを舐りながら口から離すと、


「アリガト」


 と真也に礼を告げ、スプーンを逆手に掴んで、カレーを食べ進めた。

 

「……からい」


 少女は、からい、からい、と言いながらスプーンを動かす手を止めない。


「そりゃ、カレーだもん」

「カレーだもん……」


 真也の言葉を受け、まじまじとカレー皿を見る少女に、真也は気になっていた点を問いただす。


「……君、東雲生?」

「しの、のめ、せい?」


 舌ったらずに喋る少女は、やはり真也には高校生とは思えない。

 それに、流石に5日目ともなれば、緑色の髪の毛、しかも肌まで薄緑の少女を見逃すとは思えなかった。


 この少女は、一体誰なのか。


 そして、本当に、虫のエボルブドなのか。


 現地のオーバードである可能性もあるだろう。


しかし、見た目は可愛らしく、もくもくとカレーを食べていたとしても。

 どこかこの少女からは『オーバード』としての真也の、体の芯の底を冷え上がらせる不気味な雰囲気があった。


「……ここで、待っててくれる?」


 ゆっくりと立ち上がる真也を少女は見上げる。


「……ムリ」


 少女はそう告げると、カレー皿を横に置き、すっと立ち上がる。


 真也の方を向いて立ち上がり、ゆっくりと少女が自身のレインコートに手を掛けると、真也の中にある『何か』が、警笛を鳴らした。


 この少女は、危険だ。


「俺、よく分かんないけど、でも、君、もしかして」


 嫌な予感とともに、真也の周りに異能の盾が浮かび上がる。


 それは、真也が無意識に戦闘態勢に入ったことを告げていた。


 真也の周りに浮かぶ無数の盾を見た少女は、再び、笑った。


「……やっぱ、いいニオイ。みんなオカシイ」


 少女の反応を真也は怪訝に思い、口を開く。


「……それは、どういう」

「いいニオイ!」


 少女はそう叫ぶとともに、黄色いレインコートを脱ぎ捨て、大きく両腕を広げた。


 露出狂のようなその動作に、真也は一瞬視線を離しそうになるが、驚きとともに視線が少女へと戻る。


 少女はレインコートの下に何も着ておらず、やはり全身薄緑である他に、肩や腰回りに緑色の甲殻が見えた。


 そして、少女の背中から、何かが飛び出している。


 節足。

 サイズは違えど、殻獣の節足と同じものに見えた。


 広げられた人間の両腕と、2つの節足。


 この子、人間じゃない。


 真也は反射的に盾を少女に向かって飛ばす。

 少女はひらりと軽く避け、盾は当たることなく、地面に突き刺さった。


「うそ、だろ?」


 盾による攻撃を避けられた事に真也は驚く。


 今まで見た、どの殻獣も真也の攻撃を避ける事など出来なかった。

 真也本人ですら目で追えぬほどの速度の盾を、少女は避け、そして、地面に刺さった盾の上に平然と乗っていたのだ。


 少女に向かって、真也は次々と盾を繰り出すが、それらは少女の体に擦りもしない。


 盾を避けながら、同時に真也から少しずつ距離を取る少女に、真也は焦る。


「待って! いや、待て!」

「ムリ」


 このまま、この少女を逃してはならない。

 そう真也の勘が告げていた。


 真也の盾は相変わらず苛烈に攻撃を続けているのに、少女を捉えることができない。


 少女は人間離れした動きと、背中から生えた節足を巧みに利用した複雑な挙動で、異能の盾を翻弄する。


「……なんて、速さ……ッ!」

「あ、そうだ! きみ、にげたほうがイイよ。しぬの、イタイでしょ?」


 少女は舞うように盾を避けながら、まるで雑談かのような声色で真也に話しかける。


 死ぬ。そんな言葉を告げられた真也は驚き、攻撃の手が止まる。

 身の危険を感じ、盾が自然と真也の周りへと集まったからだ。


「それは、どういう……意味だ」


 少女はなぜか攻撃が止んだことで残念そうな顔をする。


「もう、おしまい? いいニオイだったのに……」


 焦る真也をよそに、少女はにこりと微笑むと、崖に向かって歩き出す。


「カレーだもん、おいしかった。くれてありがと。きみ、ちゃんとにげてね? バイバイ」


 少女はそう言うと、背中から生えた節足を地面に刺して、そこを支点に大きく跳躍し、崖の下へと消えていった。


 真也は驚き、崖の方へと走る。


 崖下を覗くと、もうそこに少女の姿はなかった。


「……くそ、とにかく、連絡を……」


 真也は無線機を取り出そうと上着を漁る。

 しかし、真也が取り出し、発信するよりも早く、無線機は声を受信した。


『真也、聞こえる?』


 それは、レイラの声だった。真也は急ぎ、無線機を手に取る。


「レイラ! ちょっと報告が……」

『それよりも、早く、戻って』


 真也の発言を遮るレイラの言葉は、冷静ではあるが、緊急事態であることを感じさせるような雰囲気があった。



『エマージェンシー。バンが、発生した』



 バン。それは真也がこの世界にきたときにも起きた『災害』。


 その言葉によって真也の頭をよぎったのは、地獄のような風景。

 倒壊したビル、次々に押し寄せる殻獣、血を流した、自分の死体。


 その光景がフラッシュバックし、真也は一瞬吐き気を催すが、同時に我に返る。


 あの少女のことは気になる。

 しかし、それよりもあのような災害を野放しにはできない。


 優先順位を明確にした真也は仮設基地に向かって駆け出した。


「分かった、すぐ戻る! バンって、どこで?」


 真也の質問に、無線機越しのレイラの声が答える。


『ここ。ハバロフスク8-F。殻獣の群れ、向かってきてる』

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